19:42 木野の事情聴取

 木野は気まずそうにしながらもべらべらとしゃべった。

「宇原さんは性格が悪くて、全然気が合わなかった。あちこちでいろんな人の悪口を言いふらしてたでしょう? 私も悪口を言われてるって知った時はびっくりしちゃった。あんな性悪女、さっさと劇団をやめればいいのにってずっと思ってたくらいよ」

 そっくりそのまま返してやりたい言葉だ。千晴は黙って話を聞きつつ、木野に対して苦手意識を持っていたことを思い出す。

「死んじゃった人をあまり悪く言いたくないけど、みんなが恨んでたんじゃない? しかも最近は動画でバズって有名になっちゃったでしょ? それで企業案件が来たって調子に乗ってたの、今でもよく覚えてるわ。何こいつって感じだったけどね」

 木野はよっぽど宇原が嫌いだったらしい。千雨はうんうんとうなずいてからたずねる。

「でも、よく今まで劇団にいましたよね。円東さんたちだって宇原さんの陰口は知ってたでしょう?」

 木野は身を乗り出すと、片手を口の横に置いてわずかに声をひそめた。

「それなんだけどね、無給でチラシやポスターを作ってもらってたの。全部じゃないけど、好意に甘えてあれこれやらせてたってわけ。だから出て行けとは言えず、なあなあでやってきたってこと」

「無給で、ですか」

 ふと千晴の方を見やってから、木野は言った。

「実はうち、崖っぷちなの」

 はっとして千雨が問う。

「まさか、あの話本当だったんですか?」

「本当よ、事実なの。去年の秋から、一度もお給料が出てないの」

 愕然がくぜんとした。信じられなくて千晴も身を乗り出した。

「調子よかったんじゃないですか?」

「それは二年前までのこと。千晴くんのおかげで知名度は上がったしお客さんも増えたけど、長くは続かなかったの」

 木野は嘘を言っている風ではない。

「しかもこの物価高で不況でしょ? 円東さんも桁さんも、できるだけチケット代を値上げしたくないからって、お金がかからないことばっかり考えて、どんどん質が落ちてく一方でね」

「そんな……でも、今回の企画は」

「そうね、どっちかっていうとお金かけてるかも。でも制作を外の会社に頼んだのは、うちに元々いた制作さんがやめちゃったせいなの。これ以上泥舟に乗ってられないってことなんだろうけど、それで逆に一念発起しちゃったのが円東さんでね」

 千晴は苦虫を噛み潰したような顔をした。ピンチはチャンスだと、よく円東が言っていたのを思い出す。

「今流行りのマーダーミステリーとデジタルデトックスを合わせたら話題になるだろう、って。現時点でチケットは半分くらい売れたけど、言い換えると半分しか売れてないんだよね」

「もし今回、失敗したら……?」

「その時こそ終わりでしょうね。どんだけ借りたか知らないけど、返済の目処めどが立たないのにこんなことしちゃうんだもん。失敗したらもう後がないんじゃないかな」

 実質的に背水の陣というわけだ。

 千晴は眼鏡を外すと片手でまぶたを覆った。こらえきれなかったため息が口から漏れる。

 まさかこんなことになっていようとは思わなかった。やはりあの時、自分は劇団へ戻るべきだったのかもしれない。そうすれば多少なりともまた注目が集まって、ここまで劇団が追いつめられることはなかったかもしれない。後の祭りだと分かっていても、後悔せずにはいられなかった。

 木野もやりきれない様子でため息をついた。

「ちなみに今回のチラシも宇原さんのデザインなのよ。もちろん無給で作らせてコストカットしてるわけ。あーあ、何だか気の毒に思えてきたわ……」


 五十嵐も同様だった。

「宇原を恨んでるやつなんていっぱいいるだろ。あいつに悪口言われたせいでトラブルになって、劇団やめた人だっていたしな」

 うんざりと息をつく彼に千雨はたずねる。

「五十嵐さんも宇原さんのこと、嫌いでしたか?」

「ああ、嫌いだった。どっちかって言えば、だけどな」

 彼もまた宇原に陰口を言われていた一人だった。千晴も覚えがあり、あれ以来彼女には嫌悪感を抱いたものだ。

「そういや、いつかの本番で台詞をかんじゃったことがあって、裏で散々バカにされたっけ。オレの稽古不足が悪いんだけど、マジでムカついたな」

 と、五十嵐は自嘲混じりに笑って見せる。

「今回は皆さん、スタッフも兼ねてるそうですね。五十嵐さんも何か仕事を?」

「ああ、オレはあれだよ、大型免許持ってるから。最寄りの駅までお客さんをマイクロバスで送り迎えに行く役」

「なるほど」

 千晴たちは自家用車があるため今回は使わなかったが、本番ではマイクロバスでの送迎を予定していたらしい。

 すると五十嵐は後ろにもたれて天井をあおいだ。

「けど、こんなことになっちまったら、もう公演なんてできねぇよな。せっかく、久しぶりに役もらったってのに……」

 長い息をついて放心状態になる。その気持ちは千晴にも分かる気がした。何か言葉をかけたいと思ったが、先に千雨がたずねる。

「最近、宇原さんが誰かとトラブルになってませんでしたか?」

 ゆっくりと姿勢を戻し、五十嵐はどこかうつろに答えた。

「いや、知らないな」

「円東さんや桁さんとも?」

「知らんけど……何、あの人たちと何かあったの?」

 五十嵐が興味を惹かれたような顔をし、千雨は先ほど木野から聞いた話をした。

「ああ、それか。オレが聞いた話だと、宇原の方から言い出したっぽいな。前に円東さんが助かったって言ってたよ」

「じゃあ、やっぱり無給でやらせてたんですね」

 にわかに容疑が深まる円東だが、千晴は黙っていた。自分にとって恩人である彼が人殺しだとは思いたくなかった。


 神谷ははっきりと告げた。

「もう分かってるんだろう、彼女を殺す動機がある人間は大勢いる。もちろん俺もだ」

「では、あなたが彼女を殺したんですか?」

 千雨に問いかけられると神谷は貧乏ゆすりをした。

「違う。でもそれを証明できないから困ってる」

 彼は自分なりに頭を働かせて、この状況をどう打開しようか考えているらしい。

「俺が居間を出たのは何分だったか、分かるか?」

「そうですね、えぇと……あたしたちが食事を終えたのが四十分だったかしら。その後だから、四十一分か二分だと思います」

「多目的室は階段を上がってすぐ正面だ。でも扉は廊下を進んだところにあるから、階段から室内は見えない。実際に俺は見ていない」

「その証言を信用するかしないかで、推理は変わってきますね」

 神谷が舌打ちをし、千晴は少々気の毒に思った。探偵は何事も疑ってかかるものだが、アリバイのない人間からすれば迷惑極まりない。

「くそ、巧人が寝てなければ鉢合わせたかもしれないのに」

「残念ですが、五十嵐さんも容疑者です。ギャラリーにいたのが本当かどうか分からないんですよ」

「そうだったな。でも、亜坂の証言は事実だ。さっきトイレに行くついでに風呂場を見てきた。ちょうどいい湯加減になってたぞ」

「お風呂は自動運転でしたよね? ボタンを押すだけならいつだってできます。殺した後でも、殺す前でも」

 設定に従って自動的に湯が張られるのだから、亜坂のアリバイにはならない。生活が便利になった代償だ。

「しかもその発言からすると、亜坂ちゃんをかばっているように見て取れます。神谷さん、もしかして彼女が犯人だと知っているのでは? という疑問も生まれちゃいますよ」

 貧乏ゆすりを止めて神谷は息をついた。

「分かった、もう何も言わない」

「それがいいでしょう」


 最後に呼び出したのは円東と桁山だ。まだ動揺から抜け出せていない円東を気遣い、桁山が二人一緒にしてほしいと希望したのだった。

「宇原さんには陰口を言う悪癖があり、多くの人を敵に回していました。もちろんお二人もご存知ですよね?」

「ああ」

「知っていたよ」

 円東はかすれた声で肯定し、桁山はあくまでも冷静に答える。

「給料の支払いがとどこおっているという話を聞いたのですが、本当ですか?」

 二人は目を合わせた。桁山があきらめたようにうなずく。

「ああ、事実だ。人件費を節約したが、客足が戻らなくて結局赤字続きだった」

 役を離れると桁山は常に機嫌が悪いような顔になる。近づきにくい印象を持たれがちだが、実際は顔の作りがそう見せているだけで別に不機嫌というわけではない。

「宇原さんにチラシやポスターを無給で作らせていたというのも?」

「あれは彼女が自ら言い出したんだ。そうだよな、健ちゃん」

 桁山が相方へ顔を向け、円東は説明する。

「そうだ。宇原がただでやってもいいと言うから、厚意に甘えて頼んでたんだ。陰口はどうにかしたいと思っていたけど、彼女のデザインセンスは悪くなかった。メイクや美術だってできた。うちにとっては手放せない人材だったんだ」

 なるほどと相槌を入れてから、千雨が神妙にたずねる。

「彼女から支払いを催促さいそくされたことは?」

「な、ないよ……代わりに何度か、飯をおごってやった」

「彼女は動画配信だけで十分に稼いでいた。チラシやポスターのデザインは、彼女にとって趣味の一つみたいなものだったんだ」

「そうですか。ありがとうございます」

 しかし彼らが口裏を合わせている可能性は排除できない。考えれば考えるほど深みにはまっていくようだ。

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