19:10 亜坂のアリバイを聞く
「あの、わたしも一緒にまかないを食べてました」
自身のアリバイを証明するような発言だったが、亜坂は何か思い当たることがあったようですぐに表情を暗くした。
「その後は食堂のお皿を下げて、台本通り、掃除用具を持って建物の中を、その……うろうろと」
彼女が食堂で皿を片付けていたのを千晴たちは見ているが、それ以降は見ていない。亜坂も自覚していたのだろう、不安げな顔をしていた。
「食事を終えたのは何分頃?」
「えっと、ご飯を食べ始めたのが二十分くらいだったので、たぶん三十五分前後かと」
証言すれば自分が疑われることになると気づいていた。亜坂は頭の回るしっかりした女性だった。
「食器を下げた後はどこにいたの?」
「最初は玄関の方へ行って、居間で皆さんが話しているのを聞きました。それから洗面所とお手洗いが綺麗になっていることを確認して、お風呂の用意をしていました」
「ありがとう。では、次に五十嵐さん。どこで何をしてましたか?」
五十嵐は小さくびくっとしてから答えた。
「オレも建物の中をうろうろしてた。万が一、客が居間から出てきても多目的室に近づかせないよう、相手をする役だったんだ」
「その間、誰かに会うことは?」
「ないよ。オレは二階担当で、亜坂が一階担当だったから」
客である千晴たちは居間にいたのだから、彼を目撃した人物などいないに決まっていた。
「それじゃあ、多目的室に出入りする人物を見ませんでしたか?」
難しい顔で黙してから五十嵐はため息をついた。
「白状する。実はオレ、ずっとギャラリーにいたんだ」
「多目的室の様子は?」
「見てない。椅子に座ってうとうとしてた」
黙って話を聞いていた木野が彼をにらむ。
「サボってたってこと?」
「……悪いかよ」
口をへの字にしてにらみ返す五十嵐だが、木野は見下した態度で視線をそらしたのみだ。入った時期こそ木野が先だが二人は同学年だった。
かまわずに千雨は次の質問をした。
「怪しい物音を聞いたりもしてないんですね?」
「ああ、半分眠ってたからな。円東さんの悲鳴で飛び起きた」
彼は小道具のトートバッグを持っていなかった。おそらくギャラリーに置いてきてしまったのだろう。千雨は証言をメモに記してから、その隣にいた神谷へ視線を向けた。
「では、神谷さんは?」
神谷は小さく息をついてから話した。
「俺はお前たちと別れた後、三階の自分の部屋にいた。台本通りだ」
「アリバイを証明する人はいますか?」
「ないな。円東さんが部屋を出て行く音なら聞いた」
残念ながら、それではアリバイにならない。本当に自分の部屋にいたのか確認が取れないため、嘘をつくのは容易だった。
千雨は最後の一人、プロデューサーへ顔を向けた。
「あなたの話も聞かせてもらえますか?」
彼女は我に返ったようにスマートフォンを尻ポケットへしまい、咳払いをしてから話し始めた。
「私はセレンディピティ企画株式会社の
倉本と亜坂が首を縦に振り、三人が同じ頃に台所にいたのは事実だと判明する。
「ありがとうございます。ということは、アリバイがないのは亜坂ちゃんと五十嵐さん、神谷さんの三人ですね」
口には出さなかったが、千晴は円東にも犯行は可能だと思った。真っ先に食事を終えて食堂を出たのが彼だからだ。慣れていればメイクなど五分あればできるのだから、時間は十分にあったと言えよう。
千雨はノートを一度閉じ、表紙にボールペンを引っかけてから遺体の方を振り返った。
「宇原さんですが、背後から首の後ろを強く
小さく悲鳴やざわめきが起こる。唯一遺体を近くで見た円東はうつむいて黙りこんでいた。
「また、おそらく死後に口へ透明な粘着テープが貼りつけられています。いわゆるOPPテープですね。その目的や意図は分からないので一旦置いておくとして、凶器はおそらくこれでしょう」
千雨が歩みを進めたのはビリヤード台だ。そこにノートを置いてから、端にあったキューを一本手に取り、逆さにしてみせた。
「この太い方で殴ったんです」
ふと神谷が歩み出て、もう一本のキューを手に取った。千雨が示したバット部分を観察し、何気ない口調でつぶやく。
「ああ、重いな。これならたしかにできるかもしれない」
その言葉を聞いて倉本がひらめいた。
「そういえば、ビリヤードに詳しいと言えば……っ」
慌てて神谷は仲間たちを見るが、木野が信じられないといった顔で悲鳴混じりに言った。
「翔吾くん、ビリヤードバーでアルバイトしてるんだよね?」
「ふざけるな。俺じゃない」
すぐに神谷はキューを戻したが、言い返す口調には冷静ながらも苛立ちがにじんでいた。落ち着いていられなかったらしく、かけたままにしていた眼鏡を外し、胸ポケットへ乱暴にしまった。
「犯人を当てるにはまだ早いですよ。動機が分かっていません」
千雨もキューを元あった位置へ戻した。
「といっても何となく予想はついてるんですが、一人ずつ話を聞きたいので場所を移しましょう」
食堂を待機場所とし、一人ずつ居間で話を聞くことになった。
千晴はまだもやもやしていたものの、千雨にうながされて彼女の右側に座った。左側にはノートとペンを手にした万桜が着いたが、この状況に少なからず動揺している様子だ。握ったボールペンが時々震えていた。
「大井さんでしたね。劇団の内部事情については、どれくらい知っていますか?」
初めに呼び出したのはプロデューサーの大井だ。千雨だけでなく、千晴も彼女から有益な情報が得られないであろうことを知っていた。
「いえ、まったく。仕事上の付き合いしかありませんでしたし、円東さんと桁山さん以外の方と顔を合わせたのは今日が初めてです」
「では、宇原さんについても知らないんですね」
「ええ。メイク動画で有名らしい、ってことは小耳に挟んでいました」
「そうですね、企業案件もいくつか受けていました。あたしも彼女の動画を見てメイクを学んだ一人です」
と、千雨。
男性である千晴には女性のメイク事情など知らない。宇原が動画配信者らしいという話は聞いていたが、興味がないために気にしたこともなかった。
次に千雨が呼んだのは亜坂だ。
「宇原さんのことだけど、あんまり評判がよくないこと、知ってた?」
細い肩を縮こまらせて亜坂は顎を引く。
「陰口、ですよね」
「知ってたのね。あなたも陰口を言われていたんじゃない?」
その質問に亜坂はいきおいよく首を振って否定した。
「いえ、わたしは言われてません! いや、知らないだけでどこかでは悪く言われてたかもしれませんが、宇原さんにはよくしてもらってました」
千晴は意外に思った。千雨も同じ気持ちだったらしく、にわかに目を丸くして聞き返す。
「よくしてもらってた、というのは?」
万桜は黙々とノートに情報を書きこんでいる。
「今度、一緒に遊ぶ約束をしてたんです。渋谷に新しくできたカフェでご飯にして、それからカラオケに行こうって」
「へぇ、あの宇原さんが。気が合ったのね」
「そうですね、最初はちょっと嫌な人かと思ったんですが……その、話してみると、むしろいい人で」
亜坂は食堂で待機している劇団員たちを気にするように、声を少しひそめた。
「他の方々から嫌われているのは気づいてましたが、わたしは宇原さんのことが好きでした」
好きと発した途端に泣き顔になり、慌ててうつむくと顔を両手で覆った。
「すみません……」
声を震わせながら亜坂は続けた。
「本当にわたし、宇原さんとカフェに行くの、楽しみにしてて……何で、こんなことに」
ほっそりとした白い指の隙間から涙がぼろぼろと伝う。
千晴には彼女が悲劇のヒロインさながらに見えて心を痛めたが、千雨は何も言わずに冷めた目で見ているだけだった。
三人目は倉本だ。
「聞かなくても、宇原さんに対してネガティブな感情をお持ちですよね」
「そりゃあな。本人のいないところであれだけ陰口言ってりゃ、誰もが距離を取りたがるさ」
千晴が劇団にいた頃から宇原恋奈はそういう人だった。幸か不幸か、千晴自身が陰口を言われている様子はなかったが、他の人が悪く言われている場面には何度も遭遇したことがある。
千雨もまたそうした事情を知っていて倉本へ言った。
「円東さんや桁さんの悪口も言ってましたね」
「ああ、聞いたことあるよ。だったら劇団やめちまえって言いたかったけど、一応相手は年下だし女だからな。パワハラだなんだって言われたくないから、こらえるしかなかった」
苦虫を噛み潰したようにため息をつく。
「それじゃあ、最近彼女が誰かとトラブルになっていませんでしたか?」
「うーん、亜坂ちゃんと仲良くしてるっぽいのは見たことあるけど、トラブルには心当たりがないな。どちらかと言えば、落ち着いてきてた気がするし」
「宇原さんも大人になったってことですか?」
「ああ、少なくとも俺にはそう見えたな」
千晴だけでなく千雨にとっても意外な情報だった。もし事実だとすれば、殺される理由が薄まってしまう。
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