17:13 客室へ案内される
二階へ上がった正面に広い部屋があった。扉は閉まっているため何の部屋か分からないが、その隣と奥が客室になっていた。
メイドは二つの客室の間で止まり、二つの扉を手で示した。
「各部屋、ツインルームとなっております。こちらとこちらのお部屋をご使用ください。鍵は室内にありますので、お外に出る際には鍵をかけてくださいますよう、お願いいたします」
「分かりました」
と、千雨が奥にある部屋の前へ立ち、万桜は姉の背中にぴたりとつく。千晴は自然と隣の部屋を使うことになった。
「五時三十分から主人より説明がございますので、それまでに先ほどの居間へお集まりください」
「五時半ですね、分かりました」
と、万桜が返してメイドがほっとした顔をする。どうやら台詞が終わったようだ。
察した千晴たちがそれぞれに扉へ手をかける。
「ああ、それと!」
客が部屋へ入っていくのを見守っていたメイドが急に声を上げて、千晴は扉を中途半端に開けたままで振り返った。
「お財布など、貴重品は必ず持ち歩くようにお願いしますっ」
まだ緊張しているらしい。へどもどと付け加えた彼女の気持ちが分かり、千晴は少しだけ微笑んだ。
「ありがとうございます」
メイド――否、亜坂は恥ずかしさをこらえるようにぎゅっと口を閉じて、ぺこりと頭を下げた。
客室は思っていたより広かった。サイドテーブルを間にしてベッドが二つ並んでおり、その反対側に一人がけのソファが丸テーブルを挟んで向かい合っている。テーブルの上にはメイドの言う通り、ごく一般的なディンプルキーが置かれていた。窓も大きく開放的な雰囲気だ。
適当なところに荷物を置いた千雨は、目に留まったクローゼットを開けてみた。
「あら、広い。大人でも一人なら入るかしら、死体を隠すのに使えそう」
「いきなり物騒なこと言わないでよ」
万桜は苦笑しつつ奥のベッドへ向かう。
「わたし、奥でいい?」
「もちろんいいわよ」
万桜はさっそくベッドに腰を下ろし、肩にかけたサコッシュの中を確認した。
「ノートとペン、使ってもいいんだよね」
「ええ、筆記用具の持ちこみ可能よ」
千雨もポシェットを外してからベッドに座る。
「どんな細かい情報も書き留めて、絶対に見逃さないようにするんだ」
うきうきと言う万桜を微笑ましく思いつつ、千雨はキャリーバッグを引き上げてベッドの上へ横にした。中を開けて化粧品類を取り出す。
「どこかで言及があるかもしれないけど、業荻っておもしろい名前よね」
「え、どういうこと?」
「あのね、俳優って書いて『わざおぎ』って読むのよ。つまり、俳優の語源なわけ」
あいかわらず物知りな姉に感心し、万桜はさっとノートを取り出すと表紙をめくった。今日のために購入した黄色いインコのキャラクターが表紙の、新品のノートだ。姉から話を聞いて以来、万桜はこの日をとても楽しみにしていた。
「この辺りの地名から取ったのかもしれないけど、あたしは読み方からして俳優の方を連想したわ。しかも、元々の意味は神様や人を楽しませるために、わざとおかしな動きや舞をすることなのよ」
「へぇ。それが俳優の語源なんだ、知らなかった」
姉の話をメモに書き留め、万桜は問う。
「その名前がこのマーダーミステリーに関係あるかもしれないの?」
「あたしはそう予想してるわ。直接関係はなくても、言及くらいはするはずよ」
「なるほど」
今回の公演タイトルは「業荻山荘殺人事件」である。ミステリー作品では建物の名前に言及されることが少なくない。何かしらの意味を伴う場合もあるため、千雨はそのパターンではないかとにらんでいるのだ。
「って、まだ始まってないのに知識を吹きこまないでよ!」
ふと冷静になって万桜が文句を言うと、姉はくすくすと楽しそうに笑う。
「あら、悪かったわね。でも知らなかったら、それが示す意味にも気づけないじゃない?」
「それはそうだけど……でもダメ、わたしもちゃんと自分で考えて推理するんだから! じゃないとブログに感想書けないもんねっ」
そう言って万桜は姉に背中を向けた。さっきまで使っていたノートを閉じ、ボールペンと一緒にサコッシュへしまう。
壁一枚
千晴は床の上に座ってキャリーバッグを開け、取り出した焦げ茶色のボディバッグに財布や車のキーなどをしまった。スマートフォンを預けたのであまり入れる物がないのだが、デジタルデトックスの必要性を感じてもいた頃だ。
家にいると千晴はどうしてもパソコンやスマートフォンでゲームをしてしまう。幼い頃から好きなため、今さらやめられるはずがないのだが、だからこそしばらく離れてみたいと思っていた。
それがこのような形で叶ったのだから一石二鳥である。円東たちの役に立てることを含めれば、一石三鳥かもしれない。
左腕に装着したアナログのシンプルな腕時計を見やると、まだ二十分になったところだ。もう少し時間をつぶす必要がある。
キャリーバッグを開いたままにして立ち上がり、スニーカーを脱いでベッドへ寝転がった。
「あの子、本当に可愛かったな」
脳裏に浮かぶのは亜坂のことだ。まだ新人なのに役をもらえるなんて、よほど期待されているのだろう。たまご型の小さな顔にぱっちりとした目が印象的で、声の出し方も悪くない。彼女が劇団に入ると知っていたなら、俳優をやめずに戻ったかもしれないのに。
「……いやいや、そんな不純な」
理性を取り戻して否定するが、どう考えても好みの女性である。千雨のように高飛車で自分勝手ではなく、ひかえめでつい守りたくなるような愛らしさがある。どことなく上品で
「けど、千雨の言う通りになるのは嫌だな」
苦々しくつぶやいてため息をつく。
亜坂に会うためにリハーサルへの参加を決意したため、すでに千雨の手の平の上で踊らされている状態だ。単純な自分が憎いが、千雨にはどうしても勝てない。
それだけでなく、万桜にも何を言われるか分からない。せめてこの二泊三日の間に妹たちにいじられないよう、あまり亜坂のことは意識しないことにした。
千雨と万桜は少し早めに居間へ移動した。室内の様子は打って変わり、先ほどまでいたのとは違う人物が一人、ソファに座っているだけだった。
「おっ、千雨に万桜ちゃん」
気づくなり立ち上がったのは
「お久しぶりです、五十嵐さん」
「ああ、って話をしたいところだけど」
くるりと背中を向けて五十嵐は口惜しそうに返す。
「ごめん。今、役に入ろうとしてたんだ。話なんてしてたら
劇団員歴はかれこれ七年目になるが、あいかわらず台詞覚えがよくないらしい。千雨は万桜と目を合わせてから少々意地悪に言った。
「今回のお芝居は、ほぼアドリブって聞きましたけど?」
五十嵐は肩をびくりと震わせ、ゆっくりと二人を振り返る。その顔は泣きそうで、どこかムッとしているようでもあった。
「オレにアドリブができると思うか?」
「うーん、あたしは裏方しか経験がないので、ちょっと分かりませんね」
「ったく、千雨はあいかわらず意地悪だな。そんなんだと彼氏に愛想尽かされるぞ」
「あら、言ってませんでしたっけ? あたし、去年振られたんですよ」
さすがに五十嵐はばつの悪い顔をしたが、千雨は平然と続けた。
「彼氏いない歴一年と四ヶ月です」
「嘘だろ、全然知らなかった。そんな……でも、ああー」
五十嵐は
「最悪だ……」
罪悪感に
「あれ、もしかして巧人先輩? また台詞忘れたんですか?」
「違ぇよ、そうじゃ……って、千晴じゃねーか! 元気してたか!?」
と、再び勢いよく立ち上がる。
千晴は万桜の隣に腰を下ろしつつ答えた。
「ええ、まあ」
「何で役者やめちゃったんだよ、めちゃくちゃ聞きたいと思ってたんだけど……すまん、ダメだ。全然役に入れねぇ」
そして廊下へ出ていこうとするが、ちょうど他の人々が入ってきたために押し戻されてしまった。さぞや五十嵐の頭の中はパニックになっていることだろう。
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