Ⅰ-8.潜伏、開始

「じゃあ、そろそろ動こうか」


 アナスタシアは、ある日唐突にレオンにそういった。エレンの家にやってきてから、もう数週間経っている。

 アナスタシアの元に、宰相のハグリッド氏から書状が届いたのだ。そう、「王宮潜入準備の完了」を伝える手紙である。


「エレンさん、ありがとうございました」

「どういたしまして。…もっといてくれても良かったのに。一ヶ月もいなかったよね?」

「そうですね。まぁ、こちとら仕事なもんで」

「それもそっか。無理強いはしないよ。また、会える時が来たら、その時はよろしく。…レオンくんもね」


 エレンと少し話した二人は、荷物をまとめ、王宮に向かって旅立った。


 ♦︎


「お待ちしておりました!アナスタシア殿、レオン殿。ようこそお越し下さいました」


 王宮の周囲を囲む城壁の門に向かった二人は、控え室に通された。そこには、椅子に座り、今か今かと焦るように貧乏ゆすりをしている宰相ハグリッド氏が待っていた。彼は、アナスタシアとレオンの顔を見るなり立ち上がり、目を輝かせる。

 余程、第二王女ビアンカの症状は悪いのだろうか。


「初めまして、ハグリッド宰相。アナスタシア・バルディです。こちらは私の助手のレオン・ベリスくん」

「存じ上げていますよ。二人ともあの『魔法の塔』唯一の呪術具部門の研究員で、非常に優秀でいらっしゃいますから」


 アナスタシアはにっこり微笑み、ハグリッドが差し出した手を握り握手を交わす。その横に立っていたレオンも、ハグリッドに頭を下げた。


「さて、早速ですが。お二人には、私が紹介した侍女と執事として王宮に潜入していただきます。達成目標さえ達成していただければ、その過程は一切問いません。何が何でも、ビアンカ姫殿下の病の原因を突き止め、治してください」

「はい、勿論です。…ただ、先に言っておきますと、我々は医者ではありません。原因は突き止めますが、それを解消しても病が治らなければ、我々は一切の責任を負う事ができません」

「…そうですね。病を治すのは、『できれば』でも構いません」


 アナスタシアはハグリッドが納得したことに、満足げに頷く。


「では、早速行きましょう」

「分かりました」


 話を軽くまとめて、三人は王宮内に入っていく。


 アナスタシアとレオンの、王宮潜伏が始まった。


 ♦︎


「初めまして、アナと申します。不束ですが、何卒よろしくお願いします」

「えぇ、よろしくね」


 アナスタシアは、件の第二王女付き侍女として王宮に潜入した。予め髪色を目立たない栗色に変え、目は蜂蜜色にしておき、名前も『アナ』という偽名を名乗り、素性を怪しまれることのないように入念に準備をした。

 今の所、目の前の第二王女付き筆頭侍女であるという中年の侍女に怪しまれているようなことはないようである。そのことにこっそり胸を撫で下ろしたアナスタシアは、筆頭侍女の教示をしっかり頭に叩き込んだ。


「あなたがこれから仕えるのは、第二王女であらせられるビアンカ姫殿下よ。あのお方は、今体調を崩していらっしゃる…。あなたはその不安定な精神をお支えし、少しでも体調が回復に向くように、そして、看病に回った細々したことをする侍女の穴を埋めることが役目よ。いいわね?」

「はい」

「早速だけれど、お洗濯に行ってくれる?来る時に見たと思うのだけれど、すぐ近くに井戸があるわ。そこが洗濯場になっているから、行ってきてちょうだい。他の侍女もたくさん集まっているでしょうから、すぐに分かると思うわ」


 随分と生真面目なのだろう、きっちりとした説明には、一切欠けたものがない。その事に感心しつつ、筆頭侍女が差し出した洗濯物の入った籠を受け取り、抱えたアナスタシアは筆頭侍女に頭を下げ、洗濯場になっているという井戸に向かって部屋を出た。


 筆頭侍女が言っていた通り、井戸は先ほど対面の場として使った侍女の控え室のすぐそばにあった。スタスタと井戸に近づいたアナスタシアは、積み上げられたタライと洗濯板を一つずつ取り、タライに水を汲んで適当な場所にかがみ込む。


「お隣、失礼します」

「どーぞ」


 手際よく洗濯をしていた侍女のそばにしゃがみ、洗濯籠の中身を素早く洗濯していく。


「ねぇ、見ない顔だけど新入りさん?」

「あ、はい。アナです」

「アナちゃんっていうの。いい名前だね。私はリア、よろしく」


 気の良さそうな雰囲気に違わぬ笑みを浮かべたリアに、アナスタシアも笑い返す。


「私はこれといって担当が決まっているわけではないけれど、良く第二王子妃様のお世話をさせてもらってるの。アナちゃんは?」

「一応第二王女様の専属です。前からいらっしゃる侍女の方々が、看病で手一杯で、洗濯とか掃除に手が回らないらしくて。その穴を埋める為に雇われたんです」


 今のアナスタシアは、対外的には宰相であるハグリッド氏の紹介で新しく雇われた裕福な商家出身の侍女という立場である。元々宰相や大臣が侍女や執事を紹介したり推薦したりするのは珍しい事ではない。おかげで、アナスタシアや同じくハグリッド氏の推薦で雇われた執事であるレオンはハグリッド氏と接点を持ちつつ、何ら違和感なく王宮内に潜り込めたのだ。


「あ〜…。ビアンカ様の体調、よろしくないんだよね。もうすぐ婚儀だってのに」

「ビアンカ様の婚約者って、どなたなんです?」


 事前報告にも、下町の情報収集の際も、隣国に嫁ぐこと以外はあまり広まっていないように思ったのだ。


 侍女は知っているか否か、鎌をかけるように聞けば、リアはこう言った。


「…知らないの」


 リアはその後に「本当よ」と付け加える。どうやら、噂が広まるイメージしかない使用人界隈にも嫁ぎ先は知られていなかったようだった。


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世界一の魔法使いは、研究の邪魔をする世界の敵を絶対に許さない。 黒谷月咲(くろたにつかさ) @kachan1102

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