第7話 デート



 姉のエスパーによって身内バレをしてから、校内のカップルにはそれほどイライラしなくなった。

 学生らしく学校では勉学に励み、そうして耐える時間があるからこそ、放課後に得られる幸福感も高まるんだと自分に言い聞かせた。


 うそ、やっぱり羨ましい。


 校内で確約された蓮との時間は昼休みだけだ。手も握れず、笑窪にすらうかうか触れない。

 時々どちらかのクラスメイトに見つかって居座られたりすると、顔面を引き攣らせて、「邪魔だ!」と叫びたいのを我慢しなくてはならなかった。

 その代わり、昼休み以外に偶然蓮に出会えると、それだけでその日一日が特別なものになった。



 夏が来て、毎日まーとにかく暑い。

 外での体育が禁止になる気温が続き、冷房がついてはいるが、授業中も水分補給が許可された。

 心配症のうちの担任は、水分を摂ってから帰宅するようにと毎日の終わりの挨拶に欠かさず付け足した。

 しかし人は出歩くなと言われると出歩きたくなるものだ。なんていったって夏。




「な、映画行かない? 面白そうなSF始まったよな?」

 放課後に蓮と合流して早々、初めての映画デートに誘った。

 

 関田に嫉妬したことがきっかけで自分の交際中の行動に疑問を抱いた俺は、こうして積極的に新しいデートプランを提案するようにしている。お世話になってきたトトールには悪いが、マンネリ化は阻止したい。

 という訳で次は映画だ。夏なのでどこかには行きたいが、軟弱なので冷房設備は欲しい。


「ああ、CMで見たかも。いいよ」

 簡単に了承されて、俺は心の中で大げさに雄叫びを上げた。

「ムーンライトシネマ?」

 階段を降りながら、蓮がうちの最寄りのバス停から二つ先の映画館を挙げた。

 俺はちょっと考えて、「シネドラは?」と、蓮の家に近い方の映画館の名前を出す。

「うちはそこの方が近いけど……」

 こちらを窺う蓮の言葉尻が重たい。


 蓮はあまり自分の家のことを語らない。おばあさんが同居をしていて、中学生の弟がいると言っていた。そのせいかどのせいか、なんとなくだけど蓮の家には誘ってもらえないんだろうなと思っている。


「いきなり家に行きたいなんて言わないよ」

「え」

 蓮は驚いて、それから申し訳なさそうな表情になった。

「……ごめんね」

「違うよ、たまには俺が交通費だそうかなって思っただけ」


 家に誘ってもらえないのは少し寂しいけど、事情があるのかもしれないし、それよりもあけっぴろげにできる自宅の居心地が良すぎてあまり気にならなかった。

 蓮はうちの家族に気に入られている。俺の恋人として。

 まだ会ってもいない父さんさえ、「いい子なんだってな」と嬉しそうにしていた。

 ピアノを辞めた時にも感じたが、俺の両親はなかなか懐の深い人たちなんだと思う。突然男が恋人になった俺自身がそこまで自分に驚いていないことも、それを証明している気がする。


「じゃあ今日はムーンライト行こ! 帰りにソフトクリーム食べよう」

 俺は明るく甘い物で蓮の笑顔を取り戻そうと試みた。

「うん!」

 頷いた蓮の頬にちょこっと笑窪が浮かんで、俺の頬にも見えない笑窪が浮かんだ。





 映画は思いの外コメディが強めだったけど、ストーリーも映像も充分楽しめた。初めての映画デートは成功と言っていい!


「俺さ、ありがちだけど、宇宙船がでっかい惑星の前通るシーンが好きなんだよ。なんでかわくわくする」

「あー分かる。ちょっと怖くて、でも宇宙ってこんな感じかあーってわくわくする」

「そうそう!」

 同意が得られて嬉しい気持ちで、買ったパンフレットをパラパラとめくる。

「あ、ここ!」

 丁度言っていたシーンのカットがあって蓮に見せると、「うん、やっぱちょっと怖い」と蓮の眉が下がった。

「CGの解像度が高いのもあると思うけどさ、ああいう惑星が実際にあるって知識があるからこそ、よりリアルに感じて怖いって感情が湧いてくるんだろうな」

 俺はポケットに入れていたチケットの半券をそこに挟むと、残りページをめくりながら、主人公たちが宇宙船の窓から眺めたスクリーンいっぱいの美しい宇宙空間を思い出した。


 俺の生きているうちには不可能だろうが、いつか大航海時代が宇宙で始まる日がきっと来る。そんな予感で胸がわくわくする。この興奮を味わうためにSF映画を見ているところもある。宇宙と巨大スクリーンの相性は極めていい。


 パンフレットでCGシーンの総括者を探すと、でかい眼鏡の中年のおばさんだった。パンフレット写真になるとわかっていなかったのか、随分と適当なヘアスタイルをしていたが、かえってそれが専門職らしい雰囲気を醸していた。


「想像力がある生き物でよかったね」

 見ると蓮がくすくすと笑っている。

「え、なに?」

 笑われてる理由が分からず、語り口が気持ち悪かっただろうかと不安が湧いたが、蓮は、「なんでもないよ」と目を細めた。

「パンフレット、いつも買うの?」

「まあ映画が気に入ればね、今日は蓮と初めての映画デートだから、記念に」

 ぎゅっとパンフレットを胸に抱えて見せると、突然蓮が踵を返した。

「?」

 追うまでもなく、蓮はすぐそこのカウンターでパンフレットを注文した。素早い。

「俺の見ればいいのに」

 戻ってきた蓮にちょいっと肩をぶつけると、「だって記念だし?」と、肘打ちが返ってきた。

 同じページに半券を挟んで嬉しそうにしている蓮の笑顔は、もちろん俺の胸を映画以上にときめかせた。


 自然と手が伸びて、指先が蓮の頬に触れた。

 蓮の瞳は結構茶色いんだな、なんて新しい発見をしながら、触れた指を滑らせて頬を包む。


『好きだよ』


 声に出さずに口にすると、蓮の目が大きく見開かれて、薄茶色の瞳がふるふると揺れた。


『俺も、好き』


 蓮が『好き』を放った瞬間、頬に笑窪が生まれ、唇から八重歯が覗き、キャラメルポップコーンの甘い香りが漂う。

 恥ずかしそうに歯に巻き込まれた唇を引っ張り出してキスがしたくなった。

 そして、体育祭の時と同じ現象が起こった。二人だけの世界が広がったのだ。


 ――ああ、今日はドビュッシーか。

 ここがムーンライトシネマのせいだろうな。

 単純な連想をした自分の思考に失笑した。


 いつどんな時でも偉大な作曲家は俺の胸を幸福で満たしてくる。こんな場所でも構わず大好きな蓮と二人きりにしてくれる。

 この曲は、月明かりの差し込むベッドの上が似合うと思っていた。でも今は宇宙だ。


 穏やかに、少し名残惜しいように移っていくシンプルな和音が、黄昏時に見つかり始めた星々を瞬かせて、真空の宇宙に二人を誘う。

 地球を出た俺たちは、まずは月を目指す。

 月の裏側はクレーターだらけであまり美しくないらしい。でもきっと蓮となら、もっとポジティブな気持ちで月の一面を見ることができるだろう。

 宇宙はひどく寒いんだろうな。生身では数秒も持たずに死んでしまう。何一つ光を跳ね返すものはなく、闇があるだけ。それなのに、俺の心はわくわくしている。俺の宇宙船には蓮がいるから。

 さっきの映画のように、最期は二人でひっついて永遠に宇宙を漂っていたい。ずっとずっと、眠りから醒めないままで構わないから。


 ひひっ、ちょっと映画に浸りすぎか。

 蓮の頬をぷにと摘まんで、一瞬の宇宙旅行から帰還した。




「うわ、今日たい焼き百円かよ!」

 月一回のたい焼きデーが蓮との映画デートと重なるなんて、幸せの神様はサービスがいい。

「ここのたい焼き美味しいの?」

「うん! 焼き立てで出してくれるからめちゃくちゃ美味い! 食べてみない? 夏だけど」

 蓮はたちまち笑顔になって、「食べてみたい!」とたくさん頷いた。


「焼き立てが美味いけど、母さんにも買っていくかー」

「お母さんもたい焼きが好きなの?」

「うん。蓮と同じで、甘いものはなーんでも好きだよ」

「そっかあ」

「蓮の家の人はたい焼き好き?」


 振り向いた先で目を開いたまま止まっている蓮に、「買っていく?」と聞いてみると、蓮は首を横に振った。

「……うちの家族、あんまり甘いもの好きじゃないから」

 なんと、驚きの新事実だ。

「蓮がそんな甘いもの好きなのに?」

 前のめる俺に蓮が顎を引く。

「砂糖は摂りすぎると良くないからって、小さい頃はお菓子をあんまり食べさせて貰えなかった」

「そんな厳しいご家庭だったの?」

 またまた新事実だ。

「おやつはドライフルーツとか手作りのお菓子はよく作ってくれた。俺もそれで充分満足してたんだけど、膝の手術をした時に、友達みんなで市販のお菓子の詰め合わせをくれてさ、そこで俺だけ甘いものに目覚めちゃった。今も家には市販の甘いものはほとんどない。俺以外の家族はそれに慣れてる」

「へー」

 なんて健康的な家庭だろう。普段の食事はどんなんなんだろうな。なんとなく和食が多そうだ。

「蓮が甘いものに目覚めちゃったの、言ってないの?」

 聞くと蓮は気まずそうに右肩を上げた。

 健康なのは結構だけど、あんなに美味しそうに食べる蓮を知らないなんてもったいない。蓮はなんでも美味しそうに食べるけど、甘いものは見ている者をも幸せにするほどなのに。

「——すみません、あんこ三つ」

「あんこ三つですね、ありがとうございます」

 三百円とプラス税をきっちりトレーに置くと、横から首を出した蓮が、「ご馳走様」と言った。

「いえいえ」

「映画代も出してもらって、なんかちょっと申し訳ない」

 律儀な蓮らしい。でも俺はぶるぶると首を振った。

「前も言ったけど、バス代考えたら当然だから!」

 放課後はいつも蓮がうちに来てくれる。蓮の家からは反対方向だから、毎回バス代が掛かってしまう。それを理由にデート代は俺が払うようにしている。

「最近色々と行くようになったから、割に合ってないような気がしてさ」

「俺が行きたいんだよ、それにここまでの交通費は出してない」

「そうだけど」

 蓮は困ったように笑った。性格的に引っかかるんだろうな。

「あのさ蓮、実は——」

 俺は蓮の耳にこそっと秘密を打ち明けた。


「母さんからデート代が出るようになった」


 驚いた蓮は、「で!」と叫んで口を手で塞いだ。「デート代?!」と叫びたかったんだろう。



 焼きあがるまでの八分を近くのベンチに座って待った。

「元カノの時は大抵部屋にいたからかな、俺が色々デートの計画してたらさ、いいわねーって。たくさん学生らしい思い出を作っておいでって出資してくれた」

 ありのまま話すと、蓮は妙な顔になって黙ってしまった。

「何か気になる?」

「う、ん。部分的にはちょっと複雑な気持ちになったけど、ポジティブに考えるとありがたい話」

 ヤバい。ずっと部屋にいたなんて言ったら当然アレしてるってなるか。してたけど。余計なことを言った。

「資金源は姉のエスパーパワーを元にでかくなった父さんの会社だから! 気兼ねなく!」

 力を込めて言ってみたけど、「お姉さんのパワーを目の当たりにしてないからなんとも」と首を傾げる蓮には、なんの取り繕いにもならなかった。


 焼き立てのたい焼きを受け取ってベンチに戻り、映画の感想を言い合いながらゆっくり食べた。

 薄皮たい焼きを気に入った蓮は、いつも通り美味しそうに食べた。結局母さんに買ったやつも半分にして食べてしまった。


 蓮の家は映画にも厳しかったらしく、ファミリー向けの映画しか見せてもらえなかったそうだ。

 素直な蓮少年は疑問を抱かずに、ほのぼのハッピーな映画ばかりを摂取して大きくなり、中学生の時に友達の家で初めてごりごりのバッドエンド映画を見て、それはそれは大きな衝撃を受けたらしい。


「どんどん悪い方へ進んでいくけど、最後にはどんでん返しでハッピーエンドになるって思ってたんだ。そしたらエンドロールが流れてきて、俺だけ、はっ?! これで終わり?! って声上げちゃって」

 なんて可愛らしい反応だろう。俺もその場にいたかった。

「俺たちのことはなんて言われるんだろうな」

 あっと思ったけど、もう遅かった。

 蓮は複雑そうな表情で俯いて、膝の上で食べ終わったたい焼きの包み紙をのしている。

 蓮の家族のことはまだよくわからない。俺たちのこと以前に、蓮がゲイだということをどう思われるのか、蓮が家族について口が重たいのはそのせいもあるのかもしれない。そうちょっと思っていたのに、余計なことを言ってしまった。


「俺さ、歯がゆかったんだ」

「なにが?」

「俺たちのことを誰も知らないのが」


 蓮の視線を受けて、体育祭で嫉妬した時の感情を思い出した。いや、カップルを見かける度に湧き上がっていた黒い感情全てを。


「でも、かっこよく走る蓮の動画を毎日見てたらさ、そんなことよりももっとたくさん一緒にしたいことがあるって気が付いたんだ」

「いや、毎日見ないで」

 微妙な顔の蓮を無視して、俺はこれからを語った。

「なんたって学校のイベント全部が楽しみだろ? 学校祭を一緒にまわりたいし、球技大会では俺も頑張って活躍したい。音楽祭では歌う蓮が見られるし、今度新しくできるファミレスにも行きたいし、蓮の誕生日も祝いたい。また映画にも来たいし、それにもうすぐ夏休みだ!」

 俺が期待でクレッシェンドすると、蓮がベンチでぴょこっと跳ねた。

「なあ、夏休みなにする?」

 わくわくして訊ねると、蓮の表情がみるみる緩んで、お決まりの凹みが出来た。おまけに八重歯まで覗いて、「何しようか!」とわくわくしたように笑った。


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