第11話 学校祭 2



 天候は生憎の雨だったけど、バブル喫茶は大盛況だった。もちろんボディコン男子の魅力で。


 タイトな衣装にねじ込んだ男のバディが、人のどんな興味をくすぐるのかは全く分からないけど、生徒たちをこの喫茶へと吸い寄せている。

 コンセプトやファッションの物珍しさもあるだろうけど、俺は女子のメイクテクニックがヤバすぎるんじゃないかと思う。


 朝イチ、ランウェイの舞台裏さながらに、女子たちが男を次々に女に仕上げていった。

 顔面を何かで拭きとられ、下地、ベースメイク、一度謎の粉を叩かれて、アイメイクとリップを塗られていく。流れ作業のように分業され、効率がいい。

 ファッションに合わせてなのか顔立ちなのか、カラーが瞬時に決定されて、目元が縁取られていく。

 動画で見たバブルの女性とは違う仕上がりだったけど、どうにもメイクには女子なりの譲れないこだわりがあるらしい。

 どいつもこいつも、出来上がった自分の顔を見て、とにかく肌が綺麗なことに驚いていた。まあ、男だって綺麗になって嬉しくないなんてことはない。


「やっぱ男もメイクくらいする時代だよな!」


 自撮りをしながら辺見が言った。

 最近のあいつはマジで何かに目覚めてしまう気がするが、まあどうでもいい。


 俺は自分の出来栄えにはさして興味がなかったが、周りのやつらの変身ぶりには感心した。一部に至っては、最早ボディコンがいやらしく見えてしまうほどだった。

 もちろんそんな、『変身に成功した男子』は客に人気で、一緒に写真を撮りたい人間が列になり、待つ間に商品が飛ぶように売れた。

 クラスの想定外の賑わいに、「なんとなく教育上よくない気がする」と、高瀬先生は微妙な表情になっていたけど、男というのはどんな状況でも競争心が刺激されるようにできているんだと思う。白いワンピースに水色のウィッグの俺も、どうも一部の人の癖に刺さるらしく、時々指名がきた。いやそういう店じゃねーから!! とは思いつつ、呼ばれると悪い気はしないから不思議だ。


 試運転に近い一日目が終わり、ウィッグを用意していなかった男たちが全く指名が入らないことに危機感を覚えたらしく、あと二日の営業用にドンキに走った。

 いやそういう店じゃねーけどな!! とは誰も突っ込まなかった。




 無事今日も蓮の姿を見ることは叶わなかった。

 湿気と汗で引っ付いたワンピースを脱ぎ、トイレの鏡の前で女子に渡されたメイク落としシートで化粧を落とす。ついでにバシャバシャと顔を洗って、いつも通りの俺が現れた。

「なんかちょっと顔が子どもみたいに見えるな」

 言うと隣にいた赤城が、「確かに」と同意した。

 化粧を落とした女子たちはみんなこんな気分なのかな。ホッとするような、どこか心許ないような。

 少なくとも中学生まではすっぴんで生きていただろうに、今はもうすっぴんじゃ外に出られないらしい。何でだよと思っていたけど、今はちょっぴりその気持ちが実感として分かる。

「自分の顔って思ってたより色むらがある」

「思った! どうしよう!」

 赤城が鏡を覗き込んで顔を歪めている。

「どうしようって何が?」

「俺もちょっとベースメイク? 気になってきた」

 おやおや。たった一回のメイクが赤城の意識を変えてしまったらしい。

 鏡で自分の顔をまじまじと見ている俺たちを他のクラスのやつが妙な目で見ていく。

 君たちも一度化粧をしたら自分の顔が未完成に感じられるこの気持ちが分かるよ。知らない方がいい。多分だけど。

「俺、いつも日焼け止めは塗ってるよ」

 俺が白状すると、「えっ、まじ?!」と個室から出てきた中村が驚いた声を上げた。

「母さんにシミだらけのきたねえジジイになるよって言われてさ」

「なにそれ! 俺も絶対やなんだけど! 買いに行くわ!!」

 赤城が絶望的な顔をしてトイレから飛び出して行った。

「日焼け止めかあ、ニキビ肌に塗っていいんかなあ」

 中村が、顎のニキビをうっとおしそうに濡れた指先で突いている。

 俺は中村を絶望に落とす心構えをした。

「むしろ塗らないとニキビが日に焼けて跡が残るって説もあるらしいぞ」

「えっ、最悪!! 俺も買いに行こ!!」

 まんまと絶望に落ちた中村もトイレを飛び出していった。

 赤城も中村も、ドラッグストアで日焼け止めの種類の多さにさらに絶望するんだろうと思うと、俺は大いに満足した。

 性格が悪いのは、もちろん蓮に会えないせいだ。



「あ、上岡ー、これ返してきてくれない?」

 振り返ると疲れた顔の三上さんがいた。その横には大きめの脚立が立て掛けてある。

「いいよ」

「良かったー、なんか男たちみんな寄るとこがあるからとか言って帰っちゃってさあ、はらたつー」

 それの一部は俺のせいだったが、もちろん余計なことは言わずに三上さんに恩を売る。

「じゃ、これどっか置いといて」

 脱いだ服とウィッグを三上さんに預けて脚立を担いだ。

「工作室の横の準備室ねー」

「うん」



 人を避けながら階段を下り、工作室のある第三校舎へ向かう。

 玄関とは反対方向の第三校舎はひっそりとしている。しとしとという雨音と、背後からの生徒たちの喧騒が、幻聴のようにぼんやりと混ざり合い、なんだかうら寂しい。

 薄暗い廊下にカチャンカチャンと脚立が鳴って、急に一人ぼっちが際立った。


 たかが実行委員だ。

 準備期間から含めてもほんの二週間と少し。それでこんなにも寂しいのは、俺に蓮しかないからだ。

 秋が終わって冬が来る頃には、大学受験を見据えた高校最後の一年がハッキリと見えてくる。

 来年、本格的に目標へと目を向ける蓮の横で、俺は今のままで居られるのかな。

 なんの目的もなく、丁度いい場所にある、丁度いい偏差値の大学を目指す俺。無事合格したって、大学に入って忙しい蓮とは今よりもっと一緒には居られない。

 会えない時間、俺は何をしてるだろう。同じように目的の定まっていないやつらと遊び歩くのかな。そんな俺を前の二人の彼女のように、蓮も疎ましく思うだろうな。


「…………」


 そもそも大学には行くべきなのか? うちは金があるとはいえ、意欲が無いなら無駄金だ。父さんの会社を継ぎたいわけでもないし、継がせたいと言われたこともない。やっぱり大学なんて行かずに働いた方がいいのかも。

 蓮よりも四年早く社会に出て、そこで得られる経験値がいくらかの魅力に変わる可能性はある。公務員とか? うん、安定感あっていいかも。幸い成績はそこそこだ。

 でもきっと、働くのは学ぶよりもずっと忙しいだろうな。

 大人になるって、好きな人と全然一緒にいられないんじゃないか? ああだから結婚するのかな。

 そんな確約のない俺たちは、なにを拠り所にするんだろう。

 俺は口下手じゃないから愛してるくらいはたくさん言えるけど、人間力のない奴が何を言っても白けるだけだ。

 大人になった蓮は、どんな相手をパートナーに選ぶだろう。

 とりあえず今は、こうして会えないことに慣れていくべきなのかな。距離はこの先どうしたってできてしまうだろうし。それでもお互いを信じてさえいたら——でも、俺には何もない。


 ぴこぴこと、俺の頭に見えないうさ耳が生えた。


 ピアノ? ピアノか。

 いやいや音楽なんて再開してどうするよ。

 姉さんでさえ音大を直ぐに辞めてしまった。まああれは、限界まで打ち込む生徒達に囲まれて、なんかの気に当てられた姉さんがぶっ倒れたせいだけど。


 準備室の青い扉の前で脚立を下し、自分の手を見る。

 

 なあ、弾きたいか?

 

 問うてみても気のいい返事は帰ってこない。やっぱりこんな俺にはピアノは続けられない。

 弾かなくなってもう三年近い。筋肉も可動域も落ちているだろう。

 やっぱり俺にはなにもない。

 しょうがないか、なにもないやつなんてたくさんいる。生きるために好きでもないことを生業にする人だってたくさんいる。好きな人と一緒にいられるならむしろ幸せな人生だ。そんな俺でもいいって蓮が言ってくれるのかは分かんないけど……。


「……はぁ」


 つまらないやつって、いつか気が付いてしまうんだろうな。

 蓮とも終わりが来るのかな、元カノみたいに。あんなに夢中になったピアノみたいに。

 そうならしょうがない、しょうがないよな。



 準備室のドアを開けると、俺のしょんぼりは前方からの爆風で吹き飛んだ。

 蓮がいた。ついでに関田も。


「蓮!」


「あ、良!」


 パッと笑顔になった蓮に、あーーーーっ!! と声を上げた。心の中で。

 遠慮したんじゃなくて、音声に変換するよりも速く感情が爆発したせいだ。


「なにしてんの?」

 こんなところで、関田と。

 嬉しい気持ちと、後からやってきた腹立たしい気持ちが合わさって、口元が妙な形になっている気がする。

「脚立取りに来たんだけど大きいのがなくてさ。良一の持ってるやつ丁度いいから借りていい?」

 関田が言って、「お前に話しかけてない」と言いたかったけどもちろん耐えた。

「どうぞどうぞ」


 部屋から出てきた二人に、「脚立は何に使うの?」とにこやかに話しかける。

 蓮は俺の妙な作り笑いに気が付いているらしく、眉を上げてなんだかまぶしいような顔だ。

「外のアーチの文字がずれてさ、それを直すんだ」

 関田はもちろん気が付いていない。

「そうかそうか」

 関田の答えに大仰に頷いて、「蓮も手伝うの?」と笑顔を向ける。

「あ、うん。脚立は一人だと危ないから」

 パチパチと瞬きをしていて可愛い。

「でも蓮はまとめ役だし、放課後も忙しいんじゃない?」

「え、と。半から明日の打ち合わせがちょっとあるかな」

「そうなんだ」

 スマホの時刻を確認する蓮の手を取って、久しぶりの距離で目を合わせる。

「良?」

 薄暗い廊下でも俺の恋人は実に可愛い。なんだかもう発光してる気さえする。

「どうした? 良一」

 関田くん邪魔。

 来年があるとはいえ、高二の学校祭は一度きりだ。このまま何もなかった思い出になっていいのか? いや、いいわけがない。少しでいいから思い出を作らないと。

「蓮は忙しそうだし、関田は俺が手伝うよ」

「え、いいの?」

 関田がとぼけた声を出す。

「おう。でもちょっと蓮と話すことがあるから先に行っててくれないか」

「うん、わかった」

「一人で始めるなよ、危ないから」

 にっこり笑顔を向けると、素直に頷いた関田は脚立を持ち上げた。

「すぐ行くから」

 玄関に向かう関田の背中に言って、握ったままの蓮の手を引いて準備室に引っ張り込んだ。


「りょっ……」

 名前を呼ばれるよりも早くキスで口を塞いだ。

 時間もないし、始めから深く舌を突っ込む。

 抱き寄せた蓮の体が、薄いシャツの下で硬く筋肉を膨らませている。

 少し強引だったかなと反省したところで、蓮の両腕が俺の首に絡んでキスを受けてくれた。

 一瞬でテンションが上限を突き抜けた。

 何度も唇に吸い付いて、舌触りや匂い、上がっていく体温を感じる。

 久しぶりの抱き心地に感動しながら、じりじりと壁に追い詰めた。

「会いたかった」

 額をうりうりと押し付けて告白する。

「ほんと? 嬉しい」

 首にぶら下がる蓮の頬に笑窪が出現した。久しぶりの凹みを舌先で舐めると、追加で八重歯が覗いた。

「ついに学校でキスしちゃったなー」

 困った声の蓮の指先が、俺の濡れた唇を拭ってくれる。

「毎日しよう」

「バカ」

 くすくす笑う唇に、もう一度恋人らしいキスをして、蓮の髪の匂いをたっぷりと吸い込んだ。お腹いっぱいに。

 興奮で全身が汗ばんでいる。抱く腕にますます力を籠めて、性的な衝動が持ち上がりそうになったところでチャイムが水を差した。


「あと二日だよ」

 金土日が学校祭なのに、振替休日が一日しかないとみんなキレていたけど、今はそんなことよりも、いつ蓮と二人になれるのかが気になってしょうがない。

「月曜日、良の家に行っていい?」

 んー、完璧なタイミング。上目遣いが俺の眉間をじりじりと焼いてくるようだ。

 ああ俺は幸せだ。間違いなく完全にハッピー!!

「バスに乗って迎えに行こうかな」

 蓮はふふっと笑って、「家で待ってて」と俺の頬にふにっとした唇を押し付けた。

「なんかいい匂いがする」

 頬をすんすんと嗅がれて融解しそうになる。

「メイク落としのシートかな」

「なるほどね」

 ああ名残惜しい。でも、律義な蓮を打ち合わせに行かせてやらないと。

「それじゃ、あと二日、実行委員頑張って」

「うん、頑張れると思う」

 俺のキスのおかげで? なんて聞かなくても、十分胸はいっぱいだった。


 ほんの数分の逢瀬で、俺の干上がっていた心は潤いに満ちた。チャプチャプでもはや海。

 うっかりスキップで教室に戻りかけて、慌てて関田を手伝いに行った。


 傘を肩に鼻歌まじりの俺に、関田は、「嬉しそうだね」とは言ったけど、蓮と何をしていたかを聞くことはなかった。

 体育祭で親友だと言って俺から蓮を連れ去った癖に、俺らの仲は気にならないんだろうか。まあ気になられても教えてはやらないけど。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

関田の友達 石川獣 @IshiKemo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画