第10話 学校祭 1



 学校祭の準備期間が始まったのに、俺のテンションはサイテーだった。

 蓮が学校祭の実行委員になったからだ。


 俺たちよりもさらに早い時期から仕事がある実行委員は、三年生に最後の学校祭を楽しんでもらうため、メインで動くのは二年生なのだそうだ。そして、蓮のクラスメイトの平川さんという、大そうやる気に満ち溢れた女子が率先して仕切り役を買って出たせいで、自動的に蓮も同じ立場になってしまったらしい。



 ちくちくちくちくちくしょう。こんなことになると分かっていたら俺も実行委員に立候補していたのに。


 うちのクラスの委員が梅田さんと、そして関田だということにもちょっとムッときている。でもこれは、気のいい二人が半ば押し付けられるようにしてやらされるのをぼやっと見ていたから文句は言えない。

「はぁ」

 ため息が出る。この調子だと当日だって一緒には回れないだろう。

 俺のウキウキ計画が一つ潰えてしまった。






 朝っぱらから、教室の天井にミラーボールを吊るそうと大野が苦労している。

 うちのクラスの出し物は、『ディスコ喫茶』に決まった。日本が好景気でどうかしちゃってたバブル期のディスコをコンセプトにするそうだ。

 参考にと回ってきた動画を幾つか見たけど、欲望のコントラストが強い時代だなあという感想だ。


「よっし! 付いたぞ!」


 大野がミラーボールから離れると、教室中が輝く反射光で溢れた。

「うっわ、キラキラ~」

「きれーじゃーん!」

 みんなのテンションが一気に上がって、歓声とシャッター音があちこちで鳴った。


 俺の机の上にも光の欠片がちらちらと揺れて、指先で光を踏んでいく。

 とんとんとんとん。

 段々揺れが小さくなって、それでも風なのか、学校自体が揺れているのか、光は微かにふれ続けている。

 タカタカタカタカ。

 インヴェンションだなこれは。

 嫌いじゃなかったけど、あのバロック音楽らしさを表現するのには変な神経を使う。

 大げさにならないよう、でも高慢ちきな気分で弾いてたっけ。


「上岡うるさい」

 机を叩く音が耳に付いたらしく、前の席の堺がこちらを見もせずに文句を言う。

 ちょいと覗くと、案の定ゲームの最中だ。

「はいはい、さーせん」

 プレイ時間を見せたら親が泣くど。相当課金もしてんだろ。


「ミラーボールってこのまま吊るしとく?」

「先生に怒られるんじゃね」

「高瀬は怒んないだろ」

「いや、さすがにこのままじゃ怒るんじゃね?」

「おけ、賭けようぜ」


 悪ノリのいいクラスメイトは、直ぐに賭けを始める。

 もちろんお金を賭けたりはしない。流行りの歌を歌わされたり踊らされたりして、その動画を上げられるだけだ。バカな思い出が一つ増えるくらい屁でもない。

 ところが今回は悪魔がいた。


「負けたやつはボディコン衣装ね」


 ももちゃんが横から口を挟んで、女子が歓喜の声を上げ、男子たちに悲鳴を上げさせた。


 ボディコン、正式名称ボディコンシャス。

 体のラインがぴったりとした女性のファッションの呼び名だ。バブル期にはそれを着て、ふわふわした扇子を振って踊っていたらしい。

 バブル喫茶をやることに決まって、男子があの衣装を女子に提案したが当然断られた。

 男子はシャツに蝶ネクタイ、女子はスパンコールのTシャツで揃えることに落ち着いたが、男子のセクハラ提案を女子は忘れていなかったらしい。

 囃し立てる悪ノリ女子に、もちろん悪ノリ男子は乗るしかない状況だ。

 俺はあららと思いながら呑気に眺めていたが、寺田が、「男子全員参加!」と巻き込んだ。

「ふざけんなよ!!」

 堺はゲームに文句を言っていたが、奇跡的にシンクロしていた。


「いやふざけんなよ寺田!!」





 

「わあ、綺麗だね」

 教室に入ってきた高瀬先生は、静まり返った生徒達には気付かず、ミラーボールを見て声を上げた。

「ミラーボールって、明るいところに吊るしても綺麗なんだね」

 先生は教卓について、ちらちらとした光が当たる俺たちを笑顔で眺めた。


 ――生徒達に緊張が走った。


 俺は、先生が怒らない方に賭けた。ただ、先生は怒らないだろうというのが多勢だったため、あのミラーボールを下させるかどうかが賭けの対象になった。

 ところが下ろさせるが多勢で偏りが無くならないため、カーテンを閉めて、光がさほどうっとおしくない状況にした。

 それでも俺はさすがに下ろさせるだろうと思ってそっちに入れた。光は黒板にも及んでいる。他の教科の先生の迷惑になることはしないはずだ。


「先生、どこでミラーボール見たの?」

 生徒の素朴な質問に、先生はハッとなった。

「せんせぇ~?」

 三石が猫なで声で先生を呼ぶ。

「ちょっとしたパーティー……みたいなのに行った時かな」

「パーティー? いかがわしいパーティーですかぁ?」

 先生は見るからに動揺して、細かく首を左右に振った。

「い、いかがわしくはなかったよ! ファッション関係のパーティーだった!」

「へー」

 それは確かに、「へー」だ。


 先生は相変わらずサッカーが上手いようには見えない。でもサッカー部の立木君は先生がプロ並みに上手いと言った。そして先生はファッション関係のパーティーに呼ばれるツテがあるようだ。人は見かけによらないっていうけど、実に興味深い。


「今日から午後は学校祭の準備があるので——」

 そのまま話が進みそうになって、胸がひやっとした。

「先生!」

 俺と同じく下ろさせるに賭けた寺田が、勢いよく立ち上がった。

「はい?」

「ミラーボールはいかがわしい雰囲気になりますよね?」

「え?」

 教室がざわつく。

 妨害行為になるか? いや、これはミラーボールというものについての質問だからセーフだ。いいぞ寺田!!

「そんなに気にならないよ? 他のクラスも色々と飾り付けが進んでるし――」

「おおっ!?」

 下ろさせない、に賭けた大野たちが声を上げた。

「先生見て!! 俺の机にめちゃくちゃ光当たってる!!」

「あっ! 汚ねえぞ中村!」

「事実を言ってるだけだし!」

「ああ、じゃあ――」

 先生が教卓の中から何かを探して、「これ、被せたら?」と紙袋を出した。

「え?」

 教室が再びざわつき始める。

「関田君、届くかな」

「あ、はい。机に乗れば」

 ぽかんとする生徒たちには気付かず、先生は靴を脱いで机に上がった関田に紙袋を渡した。

 関田はミラーボールを紙袋で覆い、吊っているフックに紙袋の紐を引っ掛けた。

「うん、これでいいかな?」

 教室はいつもの状態に戻って、先生はみんなに笑顔を向けて、「それじゃあ、今日も一日元気でね!」と言って教室から出ていった。

 教室は再び静まり返った。


「これはノーゲーム!!」

「いや、下ろしてないんだからお前らの負けだろ!」

「袋被せたんだから下したのと一緒だろ?!」

「下す下ろさないの掛けだろうが!」

「あのままにしなかったんだから下したのと同じ意味だろ!」

「ノーゲーム! ノーゲーム!」

「どーすんだよもも!」

 寺田が叫んで、判断はももちゃんに委ねられた。


「んー」


 ももちゃんは顎に人差し指を付けて唸ってから、「どっちの予想も外れたんだし、全員負けじゃない?」

「いいぞもも!!」

 女子が机を叩いて歓声を上げた。

「おいそんなわけあるかよ!!」

「ふざけんな!!」

 男子は大暴動となったが、俺は黙っていた。関田も黙っている。

 関田は朝から委員会の呼び出しがあって、賭けの話に入っていなかったから意味が分かっていないんだろう。俺が黙っているのは、なるようにしかならないからだ。


「そこまでぎゃあぎゃあ言うようなものを私らに着せようとしていた罪からは逃れられないわよ!!」


 ほらね。


「いや俺は頼んでないし!」

「でも止めもしなかった!」

 そうだーと女子の声が上がる。

「強要じゃないだろ!? 提案だったろ!!」

「うっさいすけべ!!」





 ボディコンは女子が激安ネット通販で注文した。

 何が悲しくてそんなもんに千円も使わなきゃならない……ん?

「え、千円で買えるの? 服が?」

 俺はあまりの安さに驚きながら宇佐美さんにお金を払った。

「そ、安いよねー」

「布の量大丈夫?!」

「大事な三点は隠れるから」

 高田さんは集金表にチェックを入れてニッコリとしたが、俺はその三点がちんこ一式でないことを祈った。




 恐怖のボディコン衣装は、学校祭前日になってようやく届いた。

「色々入ってるから早い者勝ちだよー!」

 猿山にさつまいもを放り込むように段ボールが投げ込まれ、男たちのボディコン争奪戦になった。

 俺は取り合えず暗めのカラーを狙ったが、どこを探しても派手な色しかない。

「なんでこんなどぎつい色ばっかなんだよ!」

 男子が喚いたが、「バブルを参考にしてるからだよーん」と女子はニヤニヤ顔で意に介さない。

「俺は黒のセクシー系が着たかったんだよ!!」

 何を言っているんだ辺見。


 

 俺たちがボディコンシャスな服に着替えると、他のクラスからもギャラリーが集まっていた。

 ちゃんと大きめのサイズを選んでくれたおかげで着心地は悪くなかったが、薄い生地がタイトに体を覆い、だいたいのやつの股間がコンシャスになった。


 俺は光沢のある白のワンピースにした。尻まではピタピタだったが、途中からスカートのように広がるデザインに切り替わっていて、丈も長く脚が隠れるうえ、股間も目立たない。まあ当たりと言っていい。


 男たちはぎゃあぎゃあ言いながらも大胆なポーズでセクシーを競い合い、女子も大ウケして、他のクラスのやつらもゲラゲラと笑った。

 しょうもない思い出が大量にアップロードされていく。もちろんこんなことは屁でもないが、ギャラリーの中につい蓮を探してしまって、いるはずもないかと一人落ち込んだ。


 ここ三日、ちゃんと会話ができていない。

 見かけると、いつもそばに例の張り切り女子がいて忙しそうにしている。

 最後に話したのだって、混み合う売店の前で、蓮が珍しく甘くないコロッケパンを頼む横からエクレアも追加して奢ったのが最後だ。

 あの時ちょこっと触れた指先の感触と頬の凹み、それだけで三日を凌いでいる。


「はあ」


 俺は、緑色のキャミソールワンピースを着てゲームをしている堺と勝手にセルフィーを撮って蓮に送信した。すると直ぐに既読が付いた。


『噂のボディコン? 似合ってるね、元気出た!』


 大笑いするウサギの動く絵文字が現れて、俺にも少し元気が戻ってくる。

『会いたい』と追撃すると、『俺も!』と返ってきて、もう少し元気が出た。

 元気が出た俺はイラついた。なぜなら実行委員の関田は、仕事に支障がでるかもしれないからとボディコンを免除になったからだ。

 体格がいいから、さぞや見応えがあるだろうと思っていたのに!! 俺があいつの分の金を払わされたのに!! 憎い!!

 しょうがなく、誰も選ばなかった真っ赤な一着を着替え用に受け取った。


「やっぱウィッグも欲しいな、買いに行こうぜ!」

 辺見がノリノリで周囲を誘っている。アナルセックスに飽きて新境地を開拓するつもりなのかもしれない。

「良一も行くか?」

「いい、持ってそうな女友達いるから聞いてみる」






「ウィッグ? 何に使うの? 女装プレイ?」

 幼馴染の家の玄関先で、俺の唇は動かなくなった。

「蓮くん似合いそう」

 言われて確かにと思った。

 女装プレイを提案したら蓮はどう思うだろうな。じゃあ女とやれよと振られるかもしれない。それは困る。

「何黙ってんの?」

 梨沙が腕を組んで気持ち悪そうな顔で俺を覗き込んだ。

「俺が使うんだよ、学校祭で」

「え、女装すんの?」

「そう。みっちみちの服着てな」

「メイドとかじゃないんだ。へー見に行こ!」

 一転してニヤニヤし始めた梨沙について部屋に行き、もう使わないからと水色のウィッグを貰った。 





 夜が明けて、いよいよ学校祭が始まった。

 蓮は全体のタイムキーパーらしく、本当に会えそうにない。

 寂しい寂しい学校祭の、始まり始まり。


 一日目の前夜祭は弱い雨に降られた。

 体育館に集められた生徒達を前に、実行委員長の挨拶があり、生徒会長、校長と続き、吹奏楽部が演奏の準備を始めた。


 立たされているみんなは少しだらけて、いいから早く祭りを始めようぜという空気だったが、全国大会にも出場する吹奏楽部が流行りの曲をバチっと奏で始めて、空気は一気に爆上げした。

 特徴的なイントロの後、みんなが大声で歌い始めて、メロディラインにピアノが入った。

 首を伸ばしてみると、うさ耳を付けた男子生徒が弾いている。ちょっと乱暴な演奏だけど、耳を揺らして楽しそうだ。


 まだピアノを弾いていた頃、流行の曲を頼まれてよく弾いた。ただ俺には少しうるさかった。

 音が過剰に並べられて、打ち捨てられていくみたいな気がして弾いても楽しく感じなかった。打てばいくらでも鳴るんだから別にそれで構わないのに、歌詞やメロディの装飾にしか感じられなくて、少し悲しいような気持ちになった。

 バラードにアレンジすると多少気持ちは落ち着いたが、小中学生がそんなものを望むわけもない。


 そういえば、蓮はどんな曲を聴くのかな。


 ぽつと、雨のように落ちてきた疑問が胸にまるく滲んだ。

 蓮は音楽の話をしない。一度、いつかまたピアノを弾く時がきたら聴かせて欲しいと言ったきり、それ以降はどんな音楽の話もしなかった。蓮も、俺も。


 だらりと垂れた腕の先にくっ付いている両手に目をやる。

 大きな手だねと言って蓮が重ねてくれた俺の手は、今も特に人を喜ばせる役割は無い。あ、蓮のことを気持ち良くする役割はあったか。

 セックスを思い出して少し気分が上がったけど、まるで遠い過去のように感じられて、直ぐにゆっくりと元の位置に戻った。


 高瀬先生と進学先を考えた時、俺は音楽に関わる将来を思い浮かべなかった。自然とそうなったわけじゃない。俺が考えないようにしたからだ。

 相変わらず姉は家でバイオリンを弾かない。母さんも、前はよくパソコン作業中にクラシックのCDを掛けていたのに、今はラジオばかりだ。

 全部俺のためだと分かっている。分かっていたけど、気にしないふりをしていた。

 なんで俺は音楽を避けてるんだ? 俺とピアノがかち合うと、なにか悪いことが起こるんだったっけ? いや、そんなことはない。

 確かにあの時はぷっつりとやる気が消滅してしまったけど、俺の心に音楽は今もある。

 本を読んでいるとき、ベッドから月を見上げるとき、雨音を聞くときも、大切に打たれたピアノの一音一音が俺の身体の中で鳴っている。

 今こうして多くの楽器の音圧のある中でも、俺の心はサン・サーンスの白鳥を聴くことができる。うさぎの跳ねるピアノを無視して、簡単にクラシックに没入できる。

 蓮といる時だっていつも音楽がそばにあった。


「…………」


 違和感を感じた理由は直ぐに思い当たった。

 音楽はずっとあったわけじゃない。空白期間は確かにあった。音楽が戻ってきたのは、蓮がいるようになってからだ。


 胸がすうっと膨らんで、体育館を見回して蓮を探した。

 関田は一緒に並んでいるが、蓮のクラスの列に蓮はいない。また少し落ち込んで、脳内BGMが止んでしまった。

 スマホを取り出すと、丁度通知が来た。


『ここだよ、左』


 蓮からの指示に慌てて左に顔を向ける。

 みんながサビを繰り返し歌いながら揺れている。その人影の向こうに蓮がいた。先生たちと同じように、壁にくっ付いて立っている。

 目が合った蓮は、にいっと不自然なほど八重歯を見せて笑った。

「ふっ」

 俺の顔も勝手に笑顔に変わる。白鳥が戻ってきて、落ち込んだ心もぎゅうっと持ち上がった。


『その服装でしょんぼりした顔してんの、笑える』

 蓮は手に持ったバインダーの内側で俺にメッセージを送っているらしい。

 俺は自分の身なりを改めて思い出して、ふふっと笑いながら水色のウィッグを指先に絡めた。

『会えなくて萎びそう』

『ごめんね、俺が実行員になったせいで』

『全然いいけど』

 じゃんけんで負けたならしょうがない。

『今日から三日で終わるよ』

『そうだな』

 その三日を一緒に過ごしたかったんだけどね。まあ、学校祭は来年もある。

 

 開会宣言の後、学校祭が始まった。

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