第10話 将来の夢



 あれから残りの夏休み、俺たちは予定通りにお祭りと花火大会、それから追加で水族館に行った。

「夏休みのシメに蓮くんと行きたい!」

 との母さんの強い要望で、ホテルのアフタヌーンティーというやつにも行った。

 三段のお皿に可愛らしく飾られた小ぶりなケーキたちに、蓮と母さんは黄色い声を上げた。

 ペロリと完食した蓮は、今にも感涙しそうな勢いで母さんに何度もお礼を言っていた。


 この夏、蓮と二人でたくさんの思い出を作ったけど、ハッキリ言ってこの日の蓮が一番キラキラしていた。

 俺は速やかにスイーツデートマップというグルメ雑誌を買った。






 夏休みが明けすぐに、担任の高瀬先生のところへ行った。

 蓮が目指してる国立大学に俺にも行けそうな学部がないかを聞きに。



「行けそうな学部」

 先生は不思議そうな顔で、うんうん頷く俺を見た。

「どこでもいい、俺でもいけそうなとこ!」

「なるほど、じゃあちょっと調べてみようか」

「うん!」


 昼休みが半分過ぎた進路指導室には、幾人かの生徒がいて、一人の男子生徒が先生を見つけた途端、嬉しそうに寄ってきた。

「高瀬先生! こんどいつ部活見に来てくれんの?」

 部活? 先生どっか受け持ってたっけ?


 話しかけてきたのは一年生だった。

 受け持ちでもない下級生にまでこんなに馴れ馴れしく声を掛けられてしまう我が担任の背中を見ながら、話の分からない俺は後ろでジッとした。


「今度の試合は見に行けるよ」

「そうじゃなくて練習にきてよ! 俺フリーキック上手くなりたいんだよね!」


 フリーキック、ってことはサッカー部か。

 関田の後輩。一年生のうちから進路室にいるなんて偉い! いやそうじゃなくて。


「先生ってサッカー部の顧問だっけ?」

 急に口を挟んだ俺に、下級生の男子が目の色を変えた。

「顧問じゃないんですけど、先生めちゃくちゃサッカー上手いんですよ! 自分が今まで見た中で一番上手い! プロ並です!」

「イヤイヤそんなまさか……」

 先生は激しく恐縮して小さくなった。

「プロ並……」

 俺はそこで初めて高瀬先生を上から下まで眺めた。

 うーん、正直言ってとてもそんなにサッカーが上手いようには見えない。

 身長は百八十近くありそうだけど、なんというか、運動部らしい堂々とした雰囲気というものが先生からは一切感じられなかった。

「知らなかった。先生サッカーできんだ。上手いなら監督とかコーチとかやればいいじゃん」

 俺は無責任な高校生らしく、しれっと下級生側についた。後輩は大事だ。

「僕たちもお願いしてるんですけど、なかなか了承してもらえないんですよー」

 ネームプレートに立木と書かれた下級生は、熱い眼差しと懇願ポーズで先生に迫っている。

「こんなに言ってるんだし、なったらいーじゃん」

 なおも無責任に後押しをすると、先生は困ったように指先で唇を摘まんで視線を彷徨わせる。

「今の体制で充分うちは強いチームなんだよ、俺なんかがいなくても……」

 歯切れが悪い先生に、立木君は悲しい顔だ。

 任せろ立木君。

「いーじゃん、行けるときに技術指導するだけでも! それでいいんだもんな?」

 俺の言葉に立木君は激しく頷く。

「うん、まあ、時々なら……」

 どう見ても渋々といった声色だったが、言質を取った立木くんは、「やった! きっとですよ先生! 先輩ありがとうございます!!」と、喜び勇んで指導室を飛び出して行った。俺は大変満足した。

「もう遅いけど、大人の事情とかあったらごめんね先生」

 俺が無責任を謝ると、先生は困ったように笑って、いいんだよと頭を揺らした。




「それで? どうしてここに行きたいの?」

 進路の話に戻り、資料を開きながら先生が問う。

「恋人が行くから!」

「へえ、優秀な恋人なんだね」

「まあね」


 恋人につられて進路を決める俺を先生は一瞬も咎める目で見なかった。

 先生のことは元から好きな大人ゾーンに配置していたけど、もう少し中心に寄せておこう。


「もちろん上岡くんも目指せなくはないよ、うちは一応市内では一番偏差値の高い公立高校だしね。上岡君は成績もそこそこだ」

「そこそこって」

 的確過ぎて自分で笑ってしまった。俺の成績は真ん中のちょっと上だ。

「どこでもいいって言うなら、倍率で見るのもいいけど」

 先生はそう言って、パラパラとページをめくる。

「ほんとどこでもいいよ!」

 馬鹿みたいに「どこでも」を繰り出す俺を先生は笑って、「恋人は何を目指してるの?」と、俺に視線を向けた。

「教育学部だって、小学校の先生になりたいって」

「なるほど、それで君はこの大学になんでもいいからついて行くの?」

「うん。良くないと思う?」

「いいや、やりたいことが見つからないまま大学に行く人はたくさんいるしね」

「うん、でも?」

 続く言葉があるのを察知して前のめる俺に、先生は優しく笑う。

「恋人にはなんて言う?」

「離れたくないから同じとこ受けるって」

「何を学ぶの? って恋人は聞くよね?」

「まだ決めてない、でもどこでもいい」

「それで、将来は何になるの?」

「わかんないけど、なれそうなもんになるよ」

「じゃあ教育学部を一緒に受ける?」


「…………」


 どうしてか、言葉が出てこなかった。


「一緒にいたくてどこでもいいなら、同じ学部を目指したら?」

 確かにそれはそうかも、でも。

 俺は言葉に詰まった理由を探した。


「……向こうはちゃんとした志望動機があるんだ。そんなのなんにもない俺が隣で一緒に学ぶのは、あんまり嬉しくないと思う。分かんないけど……」


 先生は俺が言う言葉を知っていたみたいに、うんうんと頷いた。

「でもそれは、どこの学部に入っても同じなんじゃない?」


 思わず眉が寄った。

 先生の目は変わらず優しい。引っかかっているのは俺の心だ。


 自分と一緒にいたいからというパッパラパーの動機の恋人が同じ大学でちょろちょろしていたら……もの凄くうっとおしい気がする。


「別の、大学に、しようかな」

 呟く俺を先生はふふっと笑った。

「今まで将来について真剣に考えてみたことはある?」

「あるよ、何にも思いつかなかった。父さんは人命に関わらない仕事にしろって」

 先生は噴き出して、「それはいいアドバイスだね」と父さんを褒めた。

「まずは興味が向く職業がないか、一緒に探してみようか」

「そうする」

 うん、やっぱり先生は好きだ。







「パティシエ?」

 思い切り左右の眉に高低差をつけた梨沙が俺を睨んだ。

「そう!」

 俺は大きく頷いたが、蓮も、なぜかいる梨沙も、俺が先生と探し当てたパティシエという未来展望を歓迎していないようだった。


「あんた甘いもん好きだっけ?」

「全然普通」

「全然ときたら、『好きじゃない』でしょうよ」

 梨沙が呆れたように目を細めた。日本語にうるさいやつだな。

「好きだよ普通に!!」

「そんなやつにときめくスイーツが作れるか!」

「甘いものが好きじゃないやつにしか作れないケーキがあるかもしれないだろ!!」

「好きじゃないって言っちゃったじゃん。え、なんで? なんでパティシエよ?」

「蓮が甘党だから!!」

 俺はきっぱりと胸を張った。

「やっぱりそういうことか」

 蓮がガックリと項垂れた。

 どうしてだろう。この上なく立派な動機だと思ったのに。


「恋人が喜ぶ顔を見たい!! 俺が作るケーキで!!」

 熱血少年漫画っぽく拳を握ると、二人は揃ってまずそうな顔をした。

「甘いものが好きじゃないやつにしか作れないケーキ、とかいうコンセプトはどこいったのよ」

「それはそれ! いやだから普通だって! 普通には好きだし!」

 梨沙がため息を吐く横で、蓮の首はかなりの角度で傾いている。

「やりたいことが見つかったんだからいいだろ! 母さんは喜んでたぞ!」

「おばさん……」

 額に手を当る梨沙の横で、蓮がもじもじと指先をいじっている。

「今、ケーキ屋さんも材料費が上がって大変だってニュースでやってたよ? それよりなにより、モチベーションが俺だってことに不安を感じる」

「そうだよねー!!」

 梨沙が蓮の肩を持った。

「なんでだよ!! なにも動機が無いよりもずっといいだろ! 先生だって喜んで資料を集めてくれるって言ってたし!」

「先生に彼氏が甘党だからって言ったわけ?」

「い、言ってないけど」

 製菓学校という文字を見た瞬間、落雷にあったような衝撃を受けて、天命なり!!! くらいの勢いで決めた、とはこの雰囲気的に口にできない。

「クリスマスは蓮くんと一緒にいれないわよ」

「えっ? なんで?」

「ケーキ屋の一番忙しい時期だからよ。一晩中作りまくって当日は売りまくる」

「そ、そんな……俺の作ったケーキで二人っきりでお祝いするイメージだったのに」

 むしろそのイメージしかなかったくらいだったのに。

「もう少し、自分自身を基準に将来を考え直してみたら?」

 蓮に困った顔でそう言われると、それを覆せるほどのパティシエへの情熱は見当たらなかった。




「先生、製菓学校の資料やっぱり要らない」

「え? どうして?」

「俺、甘いものそこまで好きじゃなかった」

「そう……だったんだ」

 先生は目を丸くして、じゃあなぜあんなに……と言いたそうだったが、俺の消沈した姿に、「わかったよ」と俺の腕をポンポンと叩いて慰めてくれた。






 九月に入ってもまだ暑い。

 夏はあまりケーキが売れないらしい。パティシエは断念したけど、今日は帰りに近くのケーキ屋に行ってケーキを買おうと机に突っ伏しながら思った。


「良一」


 トンと肩が叩かれて、顔を上げると関田だった。

「おう、おはよ」

「おはよう」

 夏休み中も部活に勤しんでいたんだろう、日に焼けた肌が白いシャツを対比で眩しくしている。

 関田は隣の席に座り、鞄を机の横に掛けた。

 夏休みが明けて直ぐに席替えがあって、窓際四列目の俺の隣が関田になった。


「そういや、夏休み楽しかった?」


 それはいつも通りの関田の口調だった。でも目が何か別のことを言おうとしている気がした。


「楽しかったよ」


 つまらない答えを返しながら、関田の目を注視する。

 蓮から何か聞いているんだろうか。いや、そんな風には言っていなかった。

 一度夏休み中に関田のことを聞いたけど、蓮は「部活で忙しいんじゃない?」と言っただけだった。 

「そっか、どこかに遠出した?」

 関田は蓮と俺のことをどう思ってるのかな。

「いや、そこまでは。湖に行ったくらい」

 明らかに急接近した俺たちに、不思議なほど何も言ってこない。恋人だとは思っていないだろうけど、友達を取られたみたいな気持ちはないのかな。

 いや、さすがにそんなのは子どもっぽいか。


「湖って、恵森の?」


 ──え?


「そうだけど、なんで分かった?」

 思わず伏していた机から僅かに身を起こす。

「小さい頃に何度か行ったって、去年言ってたから」

 机の中をあさりながら言った関田に、確かにそんな話をしたと思い出した。


「そうだな、そんな話したな」


 一瞬何かが大きく鳴り出しそうだった。でもそれがなんなのか、なぜなのかは分からなかった。

 結局会話はそこで終わり、今日もなんでもない一日が始まった。

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