第2話 友達とその友達
「関田インフルエンザだったってさ」
境が横にしたスマホに目を落としたまま、誰に言うともなく言った。
「えー?」
「今通知来た。邪魔だった」
境の心無い発言をスルーして、クラスのメッセージグループを開く。
『インフルエンザだった。プリン食べたい』
書き込まれた関田のメッセージに、既読の数字は増えていくが返事が付かないのを不憫に感じて、美味しそうなプリンの画像を探してきて貼った。
するとどこかで誰かが笑って、プリンのスタンプを三上さんが貼った。
それを皮切りに、みんながふざけてプリンの絵文字だの、ぷるんぷるんと書かれたゼリーの画像だのを貼り、『ぷ』、『り』、まで行ったリレー文字に誰かがまた『ぷ』を打って戻し、しばらくぷりぷりが続いて、終いに風鈴の画像が貼られたところで境がバカでかい声で、「いや通知邪魔!!!」と叫んだ。
昼休み、売店に並んでいる天川を見つけた。
「よ!」
「あー上岡くん! 元気?」
うーん、実に昨日仲良くなったばかりらしい挨拶だ。
「関田インフルだってな」
共通の話題はもちろん関田。
「そうみたい。プリン食べたいっていうから帰りに寄ろうと思って」
俺はさっきのクラスでのやり取りを思い出して天川の優しさに感じ入ったが、「うつるから止めな」と冷静に止めた。
「え、そう?」
「プリンは親が買ってくれるよ」
「そう……かな」
まだ迷っている様子の天川の肩に馴れ馴れしく腕を乗せ、「病人は寝かせといてさ、今日は健康な俺と遊ばない?」
ナンパ口調でぐっと肩を抱き寄せると、天川の目が丸くなって、それから「ふはっ」と噴き出した。笑窪もぽこっと生まれる。
「わかった、いいよ!」
気に入っている笑顔が見られて満足した俺は、天川の肩を解放した。
「大変良い判断をなさいました」
「なんでさっきから口調が変なの?」
「意味なんかないよ」
「あっそう」
クスクスと笑う天川は、メロンパンを一つ買って、「じゃあ放課後に」と八重歯を見せて行ってしまった。
放課後、雲行きが怪しいのを理由に、天川を俺の家に向かうバスに乗せた。
「うちと反対方向だった」
そう言った天川は、車窓に顔を寄せて流れる街並みに目を奪われている。うちの市はわりと左右に長い。
「関田の家って美園方面だもんな、天川もそっち方面なんだろ?」
「うん。学区は隣だから」
「反対方向だけど、端っこまでは行かないからさ」
十五分ほどで最寄りのバス停に着き、俺はふと思い立って、近くに最近出来たケーキ屋に天川を連れて入った。
「上岡君の家ってケーキ屋さんなの?」
見ると、さっそく天川はショーケースに目を奪われている。本当に甘党らしい。
「だったらいいよな」
時間帯のせいか、ケーキはほとんどなくなっていた。オーソドックスなケーキが数えるほど。
併設された奥のカフェスペースは見事に女性で埋まっていて、他客との適度な距離感を愛する俺にとっては「うへえ」だが、オープンしたての店のオーナーはホッとしているだろう。
「すみません、プリン二つ下さい。あ、やっぱりこのセットの方で」
「かしこまりました」
「プリン、買うんだ」
注文を聞いてショーケースから顔を上げた天川に、俺はにーっと歯を見せた。
「一緒にプリン食べてる写真を関田に送ってやろうな!」
俺が意地の悪いプランを明かすと、天川は、「鬼畜の所業」と困った顔で笑って、「後でお金払うね」と、再びショーケースに目を戻した。
「ただいまー」
「お邪魔します!」
リビングのドアを開くと、母さんがダイニングでノートパソコンに向かっていた。
「あら、お友達?」
「うん。ほら、一年の時も一緒のクラスだった関田の友達でさ、天川蓮」
うーん、母さんも関田を知っているせいで関田の冠を取ることができなかった。
「ああ関田君の! 初めまして、良一の母です」
「初めまして、天川蓮です」
丁寧な角度でお辞儀をする天川をチラ見しつつ、買ってきたプリンの箱をテーブルに置いた。
「これお土産」
「あら嬉しい! ありがとう!」
母さんに礼を言われた天川が、「いえ」と否定しようとして、すかさず肘をぶつけて阻止する。
「プリンだから冷蔵庫入れといて。二つは俺たちで食べるから、残り三つね」
「これって、あそこの新しいお店?」
「そ。オペラあったよ、売り切れてたけど」
「えっ、嬉しい!」
母さんの好きなケーキの名前を出すと、色めきたった母親が椅子の上で跳ねた。
「じゃ、二階にいるから」
「はーい、天川君ゆっくりしていって」
「はい! ありがとうございます!」
「上岡君の家ってお金持ちなの?」
二階の洗面所で手を洗っていると、天川がこっそりと口にした。
「まあまああるんだと思うよ、詳しくは知らないけど」
俺はいつも通りざっくりと答えた。父さんの会社の経営状況についてなんて、実際詳しくは知らない。
「あ、そうだ! ごめん気が利かなくて、プリン代俺に払わせてね」
突然慌てた様子で声を上げた天川に、意外とテンションにメリハリがあるんだな、と全然関係ない部分が気になる。
「いいよ、俺の奢り」
「でもお母さん、俺が出してると思ってるでしょ?」
「いいんだよ、家に誘ったのは俺だし、ケーキ屋に寄ったのも俺。家族分のプリン代なんか出す必要ない」
「そんな訳には――」
「いいから、こっち」
粘る天川の腕を引いて、強引に部屋に引き入れた。
「わ、部屋広い! テレビでっか!」
「驚きすぎ」
俺が笑うと、天川は、「だってうちのリビングより広いよ?」と、くるくると回って部屋を見回す。
「はいはい、いーからここ座って」
叩いたクッションに天川を座らせて、プリンとスプーンを渡すとスマホのカメラを起動した。
「写真、本当に送るの?」
気乗りしない顔の天川が画面に映って、スマホを持つ手から力が抜けた。
「……酷過ぎるかな」
「笑える状態かは分からないから。病気の時って気持ちも落ち込むしさ」
そう言って実際に落ち込んだような表情になった天川に、俺の悪ふざけの気は一瞬で消え失せた。
「じゃあ止める」
「プリン代も払わせて? そうじゃないと美味しく食べられないし」
押しに弱そうだと思っていた天川は今回は引き下がる気がなさそうで、俺が頷くことになった。
「分かった、じゃあ半分」
「ありがと」
なぜかお礼を言った天川は、きっちり半分払ってから、「美味しい美味しい」とプリンを食べた。それを見て、俺はなんだかホッとした気持ちになった。
悪ノリをせずに食べたプリンはもちろん美味しかったし、律義な天川をますます好ましく思った。
関田は無類のいじられキャラだと思っていたが、どうやら天川にとってはそうではないらしい。
関田と一緒にいてあいつをいじらずに長い時間を過ごせる自信が俺にはないけど、天川はあいつとどんな会話をするんだろう。関田はこのぷくっとした頬にできる笑窪をつつきたくならないのかな。
「読書が好きなの?」
プリンを食べ終えた天川は、四つん這いで部屋の観光を始めた。
「まあ最近は作家買いばっかりだけどね」
「本当だ、作家別に積まれてる」
気まぐれに買いあさる本は随分前から本棚にしまいきれなくなって、部屋のあちこちに平積みにされている。まるで賽の河原のようだと父さんが笑って、廊下のホールに本を置くスペースを作ると言ってはいたが、忙しいらしくまだ着工はしていない。
「趣味は読書?」
「んー映画もちょいちょい見るけど、割と静かなのが好きかな」
ベッドにもたれて答えると、向こうで天川が変な声を上げた。
「ね、これってもしかしてグランドピアノ?」
おっと、もうはやピアノが見つかってしまった。本だの服だのを乗せられて物置と化してはいるが、まあ隠しきれるものではない。
「やってたの?」
ひょこっと顔を出した天川に頷いて見せる。
「少し前まで」
俺の表情で何かを察したのか、幾つか瞬きをした後、天川の声のトーンは静かになった。
「もう、弾いてないんだ」
「うん、なんか——……」
なんと言おうか迷った。
考えてみると、あの時の心情を言葉にしようと考えたのは今が初めてだった。
「燃え尽きた」
ピアノの横でいつの間にか正座になっていた天川は、俺の答えに真顔で二度頷いた。
「手が大きいなって思ってたんだ」
部屋巡りから帰ってきた天川は、隣に座って自分の手の平をこちらに向けた。
俺はそれに自分の手を重ねた。時々女子がやりたがるやつだ。
「俺の手が小さいみたいだけど、普通だからね」
笑って眉を下げる天川に、俺の心は訳もなく切ないような気持ちに変わった。
日常生活で手の大きさが役に立つことは無いに等しい。こうしてちょっとしたスキンシップのきっかけになるくらいだ。かつては、意味があったけど。
「自分の手が女の子の手に見える」
珍しいものを見つけたというような丸い目と笑窪を眺めながら、指を一本一本絡めて握った。
「恋人繋ぎかよ」
突っ込みを入れてきた天川は、俺が繋いだ手をにぎにぎする度にくすぐったそうに声を上げて笑った。
使い方は大きく違ったが、久しぶりに自分の手が人を喜ばせている。
遠い昔に感じていた原始的な感情が微かに呼び起されて、胸が温かくなる。その発端が天川であることが、なぜだかいい気持ちに拍車をかけた。
「天川は今もサッカーしたい?」
できるだけ軽い調子で昨日踏み込まなかった話題に触れた。すると天川は笑うのをやめて、微かに眉を震わせた。
前に感じた通り、まだ気持ちの整理がついてないんだと分かって、申し訳ない気持ちが湧いてくる。
「ごめん」
「ううん、いいんだよ」
繋いでいた手をそっと離した天川は、反対の手で労わるように包みこんだ。
大切なものがしまい込まれているようなその両手を、胡坐を掻いて交差した足首の辺りに置き、ジッと見つめている。そして一つ二つ、心の中で何かを思うように間を取った。
「……まあでも、俺も燃え尽きたかったかな」
間に合わせで言った自分の言葉が天川を傷付けたのかと思って、焦って包まれた手に自分のを重ねて、顔を覗き込んで無理やり視線を合わせる。
「ごめん」
「そんな、謝らないでよ」
ぱっと笑顔に変わった天川は、重ねた俺の手を握り返して、おばあちゃんみたいに縦に振った。
「そんな顔されたら気にする」
俺がそう言うと、天川は自分の表情に罪を感じたように俯いてしまった。
天川は、やっぱり律儀な人間なんだと思う。
俺が黙って手を握ったままでいると、俺が理由を請うているように見えたのか、サッカーを辞めることになった膝の手術について話し始めた。
怪我ではなく、先天的に半月板の形状が普通とは異なる円盤状の形をしていたために、激しい運動で痛めやすかったそうだ。さほど珍しいものでもないらしい。
天川の膝は今でこそ普通に運動をする分には問題なかったが、サッカー少年にとって大切な小学生の終わりから中学生の始まりをリハビリに費やして過ごしたそうだ。
「関田はさ、なにも言わなかったんだ」
「なにも?」
「みんなが励ましてくれた。良くなったらまた一緒にやろうなとか、リハビリ頑張れよって言って。でも小学生のクラブだったし、俺はもう残りの試合には出られない。そもそも五年生の終わりからずっと膝の炎症を繰り返してて、レギュラーにも入れてなかった。それで長いこと機嫌が悪かったんだ。もちろん隠してたけど、励ましに答えるのがいちいち辛かった。そのうち笑うのすらしんどくなって、みんなも察したのか、気を遣って近寄ってこなくなった。結局順調にリハビリが進んでも、中学のクラブに入る気にはなれなかった」
俺はジッとして、伏せられた天川のまつ毛の並びを見つめていた。手は離さずに、少し節の目立つ天川の指を意図無く指先で撫でた。
天川はいじられる自分の手を見ながら話を続ける。
「関田はほとんど毎日俺に電話をくれた。夕食後くらいに掛けてきて、なんでもない話をするんだ。おばーちゃんがくれたオヤツが美味しくないだとか、気に入ってたマックの期間限定が終わっちゃったとか、テストが40点だったとか」
「40点」
「良くは無いけど、笑えるほど悪いわけでもないっていう絶妙なラインで、どう反応して良いか分かんないし」
関田らしいな。
「でもそのなんでもない話を聞いてると、だんだん気が楽なっていった。やっぱり一人だと寂しかったみたいで」
「そっか」
俺を見た天川の頬に、ゆっくりと笑窪が生まれた。
「関田は、クラスだといじられキャラなんだろ?」
「うん。実は今日もプリンネタでめちゃくちゃいじられてた」
天川は想像ができたのか、肩を揺らして笑った。
「みんなはそれで良いんだ、あいつはそんなの気にしないし。でも俺は関田に感謝してるから、心配してやりたい」
なるほど、そういう二人のエピソードがあって、天川は関田を俺とは違う目線で見てるのか。
つい胸にじわっときたが、ふと関田のとぼけた顔を思い出して、ん? となった。
あいつは悪いやつじゃないけど、そんな感じのいい奴じゃない。その電話だって、励まそうなんて気は無かったと思う。あまぴ暇そうだから電話しよ、俺も暇だし、くらいだ絶対。もちろん心配はしてたかもしれないけど、なんでもない会話が天川には必要だ、サッカーの話はあえてしないでおこう、とかそういう思慮深さはあいつには無い。断言してもいい。
完全な思い込みだと分かっていたが、恐らく他意の無い関田の行動に対して、何年経っても恩を忘れない天川の義理堅さに首を傾げたくなった。
こんないいやつは関田にはもったいない。天川は関田よりも俺と遊んだ方が絶対にいい。俺ならもっと天川を楽しませられると思うし、マック以外にも連れて行ってやれる。トトールが多いとは思うけど。それにサッカー部の関田と違って、俺も天川も帰宅部だから毎日一緒に居られるし、それに―—。
「——だから」
「んっ?!」
内心で謎の勢いが付いていた俺は、天川が言いにくそうに俺を見上げていることに気が付いて、内と外の感情があべこべになった。
「ごめん天川、なに?」
「うん。こんなのは上岡君の自由だって分かってるんだけど、できたら関田のことをあんまり……」
天川が言いたいことは直ぐにピンと来た。うちのクラスには関田をいじらないやつは一人もいない。
大切な友達がからかわれている姿を見るのはあまり気持ちのいいものじゃないよな、分かるよ天川。
「……分かった、関田をいじらないキャラになるよ」
「ありがと!」
くそ、笑窪の凹みがえぐい。笑顔が眩しかった。それが関田のためだと思うとどうしてか不満を感じてしまう。
天川は関田のことを心から想って、風邪をひけば当たり前に心配して、頼めば快くプリンを買っていってやるんだ。
自分にそんな人がいるだろうか。まあ利久と梨沙は多少心配はしてくれるだろうけど、あれはもはや家族だ。
「なあ天川、俺が病気になったら心配してくれる?」
「えっ?」
「急に関田が羨ましくなった」
天川は、「……ええ?」と小さな声で驚いて、「俺で、良いなら」とよく分かってない顔で頷いた。
「ありがとう!」
100%言わせたけど、俺は満足した。
早く関田をいじらないキャラに慣れなくては。
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