第14話・次の未来への思惑

 笑顔のままのプレアデスが放った次のヒントは、俺の、俺たちの予想を完全に超えていた。




「フェリーチェくんの親は、フェリーチェくんをクレールお師様にお願いするのが一番だと、きっと思ったんだよお。それはフェリーチェくんの親が、『九賢師きゅうけんし時代』、クレールお師様たちはミチビキくんたちには『四賢師時代』って言ってる頃を知ってるからだよお」




 俺の脳が、その言葉の意味を理解するのを拒んだ。誰だって、心の中に「自分の中の当たり前」があると思う。誰だって、それが壊れるのを拒絶するはず。俺だって、咄嗟に俺が見つめたミチビキだって。


 たぶん俺がそうであるように、ミチビキもまた驚きで目を見開いていた。師匠たちはいつも隠し事をするし、その一環で嘘をついたりする。それらには慣れてるつもりだった。だけど、プレアデスの口から出たものは、これまでで俺が見聞きした真実の中で最大級のものだった。俺の脳が、徐々にその言葉について考え始める。


 これはフェリーチェの親どころの話じゃない。翼正会のあり方そのものに関する真実だ。今の五賢師の師匠たち以外に、それに匹敵する巨鳥が四羽もいたなんて。そのうちの一羽というか一機は、アイゼンフォーゲル師匠で間違いないはず。五賢師の誰も勝負を挑まないけど、たぶんダイヤモンドクレール師匠さえアイゼンフォーゲル師匠に勝つのは難しいと思う。いや、そもそも今の五賢師の中で一番二番を争うほどって言われてるサタンズクロー師匠とフリッシュ師匠が第四翼と第五翼であるように、九賢師も単純な実力順じゃないかもしれない。


 仮に、五賢師の中で一番新参だっていうサタンズクロー師匠以外の五賢師と、アイゼンフォーゲル師匠が九賢師に入っていたとして、じゃあ残りの四羽は? そこには翼聖様であるハバキリオラクル様は入ってるのか? そもそも、ハバキリオラクル様はいつまで生きてた? もっとそもそもの事がある。なんでダイヤモンドクレール師匠たちはこの事実を隠してるんだ? サタンズクロー師匠以外の五賢師とアイゼンフォーゲル師匠が九賢師の中に含まれてるとして、他の九賢師だった師匠は今どこにいて何をしてるんだ?


 待てよ。師匠の中には「四賢師時代を知ってる師匠」と「そうじゃない師匠」がいる。今日の朝の出来事では、アズールスピード師匠やミリオンラブ師匠は知らないようだった。逆に、闘技場でミチビキとフェリーチェを背中に乗せていたプリズンロック師匠あたりは、四賢師時代から巨鳥だったと言われている。つまり、四賢師時代を知ってる師匠は、「実は九賢師時代だった事を知ってる師匠」になるのか? ダイヤモンドクレール師匠たちが隠している九賢師時代を、なんでフェリーチェの実の親は知ってるんだ? という事は、翼正会にいる誰かなのか?


「ふたりとも、すごい面白い顔になってるよお。じゃあ、次のヒン」

「そこまでだよ、『星の子』くん」


 混乱する俺たちの前で微笑むプレアデスを止める声が、俺たちの斜め上、直線距離で言うとだいたい15メートル、屋上の少し上の何もないはずの空間から投げかけられた。俺と別れてからどこにいるか分からなかったけど、そういう事か。


 次の瞬間、逆関節部分のすぐ上に巻かれたベルトについてるカウベルを響かせて、長い鳥の足が屋上の何もない空間を蹴破りながら、何もない空間から現れた。空間の破片がガラスのように飛び散って、屋上の床に落ちる前に消えていく。突き破られた何もない空間の向こうには、全く同じ屋上の景色が広がっていて、破られた空間の空間の合間をさらに頭や体で割りながら、一羽の師匠が現れた。


 右の踵に黒いカウベルをつけて、頭にはフェルト生地の大きくて黒いカウボーイハットを被っている、黒い瞳の、毛並みと足自体は純白の大フラミンゴ。俺の直接的な師匠である、ミルキーアイス師匠だ。


 ミチビキやフェリーチェやタオシャンですら難しい、師匠たちの中でもできる方が少ない多重空間魔法で作った別空間から出た師匠は、カウベルの音色とともに二歩だけ歩くと、長い首の先の頭を俺たちに近づけた。その顔は優しく微笑んでるけど、師匠は俺を叱る時でさえ笑顔だ。普段のミチビキと違ってミルキーアイス師匠の笑顔は、何を考えているか分からなくて少し怖い。だけど、今は師匠の思惑が理解できる。


「アイスお師様、こんばんわあ! ロック師匠とおんなじで、アイス師匠も大きいねえ! 背筋を伸ばすとお、体高はだいたい8.2メートルだったかなあ?」

「僕は君と世間話をするつもりはないよ」


 ミルキーアイス師匠はそう言うと、まさにそれを見せつけるかのように背筋と首を伸ばした。約8.2メートルの高さから、カウボーイハットのつばの下の瞳で俺たちを見下ろす。


「君たち、今の事は絶対に言っちゃいけないよ。理由は分かるよね?」


 微笑み続ける師匠がそう言った瞬間、俺たちがいるビルの屋上を包む、半透明の巨大な球体の膜が現れた。そして、それがすぐさま音もなく崩れる。どうやら、プレアデスの行動を予測して、防音魔法をかけていたようだ。


 俺はグシャグシャになった屋上の柵の上から顔を出して、第一層の地面を見渡した。もしかしたら気づいていない振りをしているだけかもしれないけど、宴会をしてる師匠たちがこっちを見上げる様子はない。あっ、ナルコスカル師匠の背中に笑顔でタックルをかましたミリオンラブ師匠と、顔面を地面にぶつけて仮面が外れた素顔でギャンギャン大泣きし始めたナルコスカル師匠は絶対気づいてないな。


「アイスお師様は、ボクのお師様が九番目だった事を知ってるんだねえ」


 俺はプレアデスへ視線を向けた。プレアデスは師匠を見上げながら、朗らかな微笑みを続けている。その言葉は「九賢師」という単語を避けていたが、それについて言ったものだった。その口振りから考えると、ミルキーアイス師匠は九賢師時代を知っていて、プレアデスは師匠がそれを知っている事を知っているようだ。


 師匠のそれに比べたら、プレアデスの笑顔はまさに「屈託のない」で、とはいえプレアデスは俺たちが知らない事を知ってて、本心が全然見えなくて、だけどフワフワした態度のフワフワな笑顔が意外と可愛くて、あのプニプニな見た目のほっぺを、実は一度でいいから指でつついてみたい。


「僕がそこまでと言ったのをもう忘れたのかな? それ以上喋るなら、君のハルクエンジンの耐久テストをしなくちゃいけないよ」


 師匠は首をかしげながら、囁くような口調でプレアデスに釘を刺した。いや、釘を刺すと言うよりも、限りなく脅しに近い。本心ではどう思ってるか分からないけど。


「アイスお師様は、ボクのハルクエンジンが本当にボロボロだと思ってるのかなあ? CTHBは壊れちゃったけどお、ミチビキくんのハルクエンジンについてる、空間圧縮魔法式の瞬発推進ラピッドブーストがボクのハルクエンジンにはないと思ってるのかなあ? そもそもお、CCTAはまだ大丈夫だしい」


 それに負けじと、プレアデスも笑顔のまま専門用語を使って口答えした。俺から見たらプレアデスのハルクエンジンは壊れかけだけど、その言葉通り本当はまだまだ戦えるのかもしれないし、ただのハッタリの可能性もあると思う。


「…………」

「…………」


 再度頭を床に近づけた師匠とその正面にいるプレアデスが、微笑み合いながら真っ直ぐに見つめ合う。もしもこの光景が、オスカーが好きな「コミック」と呼ばれる絵本だったら、瞳と瞳の間には火花が散ってるのかもしれない。


 先に沈黙を破ったのは、ミルキーアイス師匠だった。


「冗談だよ」


 師匠はまたもや背筋を伸ばして、頭の位置を高くして見下ろした。


「ついでに、僕はクレール様たちの思惑もどうでもいい。さっきは止めたけど、話したいなら好きにやっていいよ。その方が僕に都合がいいし。さあ、ミチビキくん、今なら堂々とフェリーチェくんの事を聞けるよ?」

「………………」


 ミルキーアイス師匠が現れてから鋭い目つきに戻って無言を続けていたミチビキを、俺たちは見つめた。ミチビキは小さなため息をついたあと、何も言わないまま屋上の出入り口に向かった。


 長い髪を後ろ頭で結んだアンドロイドは、ミルキーアイス師匠の思惑には乗らないようだ。だけど、それは俺と師匠の「目的」にはその選択は嬉しい。


「……リベルトさん、あとはリベルトさんが聞きたい事を彼に尋ねてください。僕はもう、結構です」


 屋上の鉄製ドアのノブに右手をかけたミチビキの声は、聴力増幅魔法を使わなければ聞こえないほど小さかった。


「ミチビキくうん! また会おうねえ!」


 そのアンドロイドに対して、プレアデスは右手を頭の上で振りながら、笑顔を浮かべ続けて別れの挨拶を叫んだ。それに対して、ミチビキは振り返る事はなく、無言で屋上をあとにした。こうして屋上には、俺とミルキーアイス師匠とプレアデスが残された。


 ミチビキがどこに向かうかは分からない。もしかしたら、その足でダイヤモンドクレール師匠のところへ行き、さっきの話の真相を質問するかもしれない。だけど、それはおそらくミルキーアイス師匠の想定の範囲内だ。だから、ミチビキはダイヤモンドクレール師匠ではなく、自分の直接の師匠であるサタンズクロー師匠のもとに行くかもしれない。


 だけど、たぶんミチビキは、サタンズクロー師匠の事を心から信用していない。俺から見ても、翼正会の師匠たちよりMRCと仲良くしてるサタンズクロー師匠は胡散臭さが抜けない。ミチビキが「信用できる相手」に恵まれていないのは、ミルキーアイス師匠の計算のうちだ。アンドロイドには翼正会頭領の直弟子がいるが、「隠された真実を知っているかどうか」という意味では、フェリーチェはまったくもって頼りない。フェリーチェは立場上、巨鳥の師匠たちに逆らえない。それはミチビキにとって足枷でしかない。


「じゃあ、リベルトくん。リベルトくんがボクに質問にしたい事は何かなあ?」


 プレアデスがそう言いながら、俺に笑顔を向けた。ここからは、俺の「目的」だ。だけど、そこには俺個人の考えも入ってる。


「……プレアデスの事を教えてほしい。生まれた場所とか、これまで何をしていたかとか」


 躊躇うような素振りを演じながら、俺はプレアデスに対して静かに尋ねた。プレアデスはフワフワした可愛い笑顔のまま、俺に返答した。


「お安いご用だよお。だけどミチビキくんみたいに、もっと秘密らしい秘密を聞かなくていいのお?」

「……まずはプレアデスの事をもっと知りたい」

「そうなんだねえ」


 プレアデスの笑顔に向き合いながら、俺は多重視点魔法を使って、ミルキーアイス師匠の顔を見上げた。師匠は微笑んだままだ。「目的」通りに事が進んでいるのに満足しているんだと思う。


 それから、師匠がここにいるのは、プレアデスが禁忌である精神諜報魔法を使うかどうかを監視する意味もあるんだと思う。プレアデスがそれを使ったら、ミルキーアイス師匠の「目的」は崩れる。


「ボクが生まれたのは今の司法教会の領土、旧南アメリカ大陸の東側だよお。だけど、ボクの親は教会の人間じゃなくて、ボクは領土の中の一つの小さな自治区に住んでたよお」


 プレアデスは俺に、自分の身の上を話し始めた。現世界で人間が住める場所は限られてるから当たり前と言えば当たり前だけど、天才なんだと思うプレアデスが俺でも知ってる場所で生まれたのは意外と言えば意外だった。


「そうなんだ。ところで、そもそもプレアデスって何歳!?」

「ボクは12歳だよお。もう今年の誕生日は過ぎてるよお」

「なるほど」


 やっぱりプレアデスは、16歳の俺よりも随分歳下だった。プレアデスは仮にそれがあったとしても従わないと思うけど、直弟子の中で上下関係はない。一門弟子や城下町の人間は特に五賢師の直弟子を敬うけど、直弟子たちや師匠たちの間では、ダイヤモンドクレール師匠の弟子であるフェリーチェとネクロクラウン師匠の弟子であるマリウスでも同じ身分だ。


「ボクはひとりっ子のお家だったよお。だけど、ボクのいた自治区は一つの家族みたいなものだから、さびしくはなかったよお」

「なるほど。プレアデスとフリッシュ師匠の出会いは?」


 俺はもう少し踏み込んだ質問を投げかけてみた。俺が知る限りでは、司法教会から自治権を認められている小さな自治区たちは「カタギ」だ。そうじゃなければ法典を絶対的なルールにしてる教会が許さないはず。つまり、「裏社会のなんでも屋」って噂のフリッシュ師匠とは接点らしい接点が想像できない。


 プレアデスは右手の指を唇につけながら「どう言えばいいかなあ」って言ったあと、すぐに俺へと笑顔の視線を戻した。


「ボクとお師様は、お師様が仕事中の時に偶然出会ったんだよお。それで気に入られたから、ボクはお師様の弟子になったよお」

「こう言っちゃなんだけど、フリッシュ師匠って悪い噂が多いけど、フリッシュ師匠の弟子になる事を家族とかには反対されなかった?」

「それは大丈夫だったよお。しかも、お師様ってああ見えて意外と優しいよお」

「なるほど……」


 俺はあえて食い下がる事はしなかった。プレアデスは何かを隠してるような雰囲気があるけど、しつこく尋ねて嫌われたら元も子もない。


「プレアデスの地元と比べて、累卵楼はどう?」


 俺は話題を変える事にした。「目的」全体という意味では遠回りにしかならないけど、今日一日でそれが達成できると俺は思っていないし、師匠もそう考えてると思う。今日の「目的」はこれでいいはず。


「すっごい広いし大きいねえ! 城下町も、ボクが住んでいたところより全然大きいねえ!」

「プレアデスの故郷はどんなところ?」

「どこにでもあるような町だよお。前世界のものをお家にしてるのは、ここと一緒だよお」

「なるほど……ところで、プレアデスの好きな食べ物は?」

「好き嫌いはないよお。野菜もお菓子も大好き!」

「その歳で本当に野菜好き? フェリーチェは今年で18になったのにまだ野菜が嫌いなのに」

「そうなんだねえ!」


 それから俺は5分ほど、プレアデスと他愛のない会話を続けた。俺の実家の事、プレアデスが髪を伸ばし始めた年齢、俺がオレンジ色に髪を染めてオールバックにしてる理由、プレアデスが初めてフリッシュ師匠の背に乗った時の事、プレアデスのハルクエンジンの着心地、そんな事を。


 プレアデスから俺への質問には、包み隠さず全て正直に答えた。俺の家系は騎士団の領地で100年以上農家を続けてる事や、俺の髪色や髪型はオスカーに借りた前世界のファッションの本に影響を受けた事を。


 それに対して、俺はプレアデスの言葉の、どれが真実でどれが嘘か見抜けなかった。だけど、プレアデスはずっと笑っていて、それこそ俺にとって意味があった。だから、俺も自然と笑顔になった。だけど、少しだけ後ろめたさを感じながら。


「ねえ、リベルトくん。一つお願いがあるんだけどお」


 そんな事を話していると、ニコニコしたままのプレアデスがそう言った。


「何、プレアデス?」

「ちょっとカナリアに変身してもらえるかなあ?」

「……どうして?」

「それはお楽しみだよお」

「……分かった」


 理由は分からないけど、俺はプレアデスの希望を叶える事にした。俺が頭の中で魔法の術式を考えると、俺の体は眩しい光に包まれた。その中で、俺の体が変わっていく。時間にしたらたった一瞬だけど、俺はその変化を全身で感じた。


 光が晴れると、屋上の床の上から見上げる俺の目の前には、俺よりも何十倍も巨大なプレアデスの姿があった。もちろん、プレアデスが大きくなったわけじゃない。プレアデスから見たら、目の前にはオレンジ色の毛並みのカナリアがいるはず。それが今の俺だ。


「リベルトくん、ここに来てよお」


 そう言って、プレアデスが右腕を胸の前で横にした。その先端の人差し指を小さく上げている。俺はカナリアの鳴き声で短く返事をしたあと、サッと羽ばたいてそこに止まった。


 プレアデスの大きな顔が、俺のすぐ近くにある。どういう思惑なのか分からない俺が少しだけ首を傾げると、プレアデスの唇が近づいてきた。


「リベルトくんの事をこれからもちょっとからかっていいなら、またボクの事を教えてあげるよお」


 俺はそれをされてから、プレアデスが俺の額に軽い口づけをしたのだと気づいた。フワフワ微笑んだプレアデスの前で、俺はカナリアとしての体中が熱くなったのを感じた。もしも人間のままだったら、顔が真っ赤になっていたかもしれない。


『プ、プ、プレア……』

「ボクより歳上なのに、リベルトくんはウブだねえ」


 口籠る俺に対して、笑顔のままのプレアデスは全く恥ずかしがっていない。マセているのか、純真すぎるのか、俺には分からない。プレアデスがゆっくりと右腕を振り払うように上げ始めたから、俺はそこから飛んで、潰れずに残っている柵の上に止まった。


 プレアデスは柵がグシャグシャになって潰れている場所に背を向けて、横にした顔は俺を見つめた。背中の先には何もない。一歩でもうしろに下がれば、そこから真っ逆さまだ。


「じゃあねえ、リベルトくん! 今度またお話しようねえ!」

『プレアデス!?』


 俺はカナリアとして大声で鳴いた。俺に手を振るプレアデスはそう挨拶すると、体の重心をうしろに傾けて、背中を下にしてビルから落下した。俺が柵から飛んで地面へ視線を向けると、空中で一回転したプレアデスは地面に衝突する直前に、フワッと少しだけ浮き上がった。おそらく反重力魔法か力場形成魔法だ。


 それからプレアデスは何事もなかったかのように静かに着地すると、こちらへ振り返らずどこかに歩いていってしまった。俺はその様子を、円を描いて飛びながら見つめる事しかできなかった。


「初めてにしては上出来だよ、リベルト。星の子へのいい印象づけになったはず」


 心の中の動揺がひと段落した俺に、プレアデスとは違う種類の微笑みを浮かべたミルキーアイス師匠がそう言った。そして、グシャグシャになった柵とミチビキが踏み割った床が映像の逆再生のように復元されていく。師匠の魔法だ。俺はまた柵の上に止まった。


『…………』


 俺は何を言えばいいか分からなかった。俺はプレアデスに少しは気に入られたらしい。それは今日の「目的」の達成で、師匠が欲しがった結果だ。だけど俺は、師匠の命令を全うしたとはいえ、後ろめたさが消えない。プレアデスはそれに気づいていたんだろうか。


「行こう、リベルト。ここにはもう用はないし、君には休息が必要だ」


 そう言われて、俺は師匠の背中へと飛んだ。師匠の背中の毛並みに、俺は赤ん坊のように、自分の顔をうずめた。


『師匠……俺はやっぱり辛いです……プレアデスに……嘘をついてるようで……」


 俺は、俺の気持ちを師匠に告白した。実際に心臓があるはずの部分が締めつけられるように痛むのに、涙は出なかった。だけど、それでいいと思う。もしも泣いていたら、俺は自分の情けなさでどうにかなっていたかもしれない。


「リベルト、君にとっては自分の好みと異なるかもしれないが、彼に媚を売っておく事は君の幸せに繋がるよ」


 師匠が俺に投げかけた言葉は、いつもより少しだけ優しい声色だった。自分では女だけが好きだと思っていたけど、俺はプレアデスの事が、恋愛としての意味で気になるんだと思う。だから、自分に嘘をついている辛さはない。俺が好きだと感じるプレアデスに、師匠の思惑を隠しているのが辛いんだ。


「プレアデスくんは面白いね。彼、ここに来た時から僕に気づいていたよ。リベルトは気づいていなかったけど、彼、軽い空間矯正魔法を何度も飛ばしていたからね」


 普段の口調に戻ったミルキーアイス師匠が、俺たちのやり取りの裏で繰り広げられていた真実を語った。もしかしたらプレアデスは、俺と師匠の思惑に気づいているかもしれない。気づいていながら、俺にああいう仕草をしたのかもしれない。


 それにどういう意味があるのか、少なくとも今日はもう考えたくない。ひたすらに、疲れた。今日はいろんな事がありすぎた。


 師匠の毛並みに顔を埋めた俺の後頭部と背中に、流れる風が当たる感触が生まれた。それから、体が引っ張られるような感じもある。師匠が羽ばたいて飛び始めたようだ。


「機械人形くんは僕に気づいていたか分からないけど、とりあえず僕の見立ては間違いではないだろうね」


 おそらくダイヤモンドクレール師匠は、翼正会の頭領として、どう「賭け」ても絶対負けない立ち位置にいる。たとえプレアデスとフリッシュ師匠が突然裏切っても、あるいはそれがサタンズクロー師匠でも、絶対にダイヤモンドクレール師匠の立場が崩される事はないはず。もしも敵対するなら、一門の師匠たちを使って返り討ちにするはずだ。MRCといった他の勢力を巻き込むかもしれない。


 逆に、プレアデスとフリッシュ師匠やサタンズクロー師匠が翼正会に所属している限り、それはダイヤモンドクレール師匠にとってプラスになる。MRCと仲がいいサタンズクロー師匠はそうだし、おそらく俺たちに隠されたなんらかの意味でプレアデスとフリッシュ師匠もそうだと思う。じゃなかったら、とっくに破門してるはずだ。


 つまり、「利益」を得るのはまずダイヤモンドクレール師匠であって、そこから他の師匠たちにそれが分配される。もちろん、一番利益を得るのはダイヤモンドクレール師匠だ。その理由は、翼正会はダイヤモンドクレール師匠を頂点にした、そういう仕組みだから。ダイヤモンドクレール師匠が頭領に居座る限りそれは変わりないし、もしそこから引きずり下ろせば利益の分け方が変わる。


 だから、今より利益を得たいなら、負けるかもしれない「賭け」をしなきゃいけない。絶対に負けない位置にいるダイヤモンドクレール師匠に「勝つ」為の賭けを。もちろん、負けて何も変わらない可能性はあるけど、何もしなきゃ何も変わらない。


「クレールじゃない、『次の者が翼正会を束ねる未来』へ、まずは羽ばたき一回目」


 ミルキーアイス師匠が賭けたのは、プレアデスだった。つまりダイヤモンドクレール師匠がフェリーチェじゃなくプレアデスを頭領に選ぶか、プレアデスがダイヤモンドクレール師匠よりも強くなる事に賭けた。俺から見て、その可能性はある。プレアデスに俺を接近させて、プレアデスと俺が巨鳥になった時に翼正会頭領とその番いになっていれば、ミルキーアイス師匠は頭領の番いの師匠として、頭領とほぼ同列になる。師匠はこれから、プレアデスの事をかげから手助けするかもしれない。


 師匠の目的は「実質的に一門のトップになる事」で、俺の目的は「師匠の目的を手助けする事」だ。だから俺は、危険だと警告し続ける俺の本能に逆らって、プレアデスとミチビキの会話に入り続けた。今日の「目的」である、プレアデスと少しでも関係を作る為に。


『師匠……俺は怖いです……ダイヤモンドクレール師匠にバレるのが……』


 俺のこの言葉は、半分は本心で、半分は違う。俺は、俺たちの思惑がプレアデスにバレて、俺がプレアデスに嫌われる事の方が怖い。そして。


「リベルト、これが君にとっての幸せだよ。そして、僕にとっての幸せでもある」


 ミルキーアイス師匠の言葉は、もう一度優しさを含んでいた。師匠自身の野望ももちろんあるけど、この計画は師匠にとって弟子である俺の為でもあるんだと思う。プレアデスに対するそれとは種類が違うけど、俺は師匠が好きだ。凡人である俺を直接的な弟子にしてくれた恩だ。できる限りそれに報いたい。


 俺はさらに深く、師匠の白い毛並みに顔を潜らせた。師匠が今はどこを飛んでるか分からない。そんな事はどうでもいい。俺がプレアデスに本心を言えないように、師匠にも俺の本心を言えない。師匠と、他の師匠たちや直弟子たちが好きだから、今の関係が壊れるのが怖い。


 師匠は気づいていないみたいだけど、俺は見つけてしまった。今は酒盛りで騒いでる師匠たちの中に、プレアデスに気がある巨鳥がいる事を。闘技場でプレアデスを追っていたあの視線は、恋する乙女のようだった。






































































 ****



「目的のものは手に入れた。明日には出発する」

『こっちは構わないけど、状態によってはお代を上乗せするよ? うちの傑作を随分壊してくれた事も含めて』

「費用は出す」

『アンタ、金庫にもっと感謝すべきだよ。こっちは商売だからお代が増えるのは大歓迎だけど、金庫がアンタの借り入れを上限額なしの無期限無利子にしたのは、ほとんど純粋な厚意だよ?」

「金庫も商売だ。金融は己の安全という土台がなければひさげない」

『それはそうだけど……まあ、私があんまり口を出す事じゃないか。アンタとは取引相手なだけだしね』

「話を戻す。プレアデスには少し重いようだ。改善案を考えてほしい」

『……その言葉で何個か案が浮かんだけど、実際にやるのは実物を確認してからだね……回線切断!! 早く!!』

『マサカ人工衛星衛星ガ残ッテイルトハ。ソレトモ、新ラシク打チ上ゲタモノデショウカ?』

「サタンズクロー、カウンターハッキング逆探知は無駄だ」

『ソノヨウデスネ。シカシ、後顧ノ憂イヲ断ツ為ニ、ソレハ無力化サセテモライマスヨ。マタ宇宙ゴミデブリガ増エテシマウ』

「好きにしろ」





※九賢師


第一翼:【現在非公開】

第二翼:【現在非公開】

第三翼:【現在非公開】

第四翼:【現在非公開】

第五翼:【現在非公開】

第六翼:【現在非公開】

第七翼:【現在非公開】

第八翼:【現在非公開】

第九翼:フリッシュ

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