第13話・少年たちの交換条件
第一層の「大広場」の近くには、細長いビルがある。五階建てで、中の部屋はほとんど物置きか空き部屋で、四つの外壁のうち一つは窓が全くない。普段はその窓がない壁を使って、一門弟子や直弟子が「壁歩きの魔法」や、屋上から風船を吊るして「攻撃魔法の的当て」の練習をしたりする。
それから、窓がある壁では、第一層に駐在している医療兵団の医療兵士が、突入の訓練をする事もある。三ヶ月に一回程度行なわれるそれは、累卵楼で「季節の変わり目」の一つにされてる。もっとも、常春の街と呼ばれている累卵楼城下町は、一年中あまり変わり映えしない天気だけど。
俺は訓練の様子を何度か見た事がある。屋上からロープで吊るされた何人もの兵士がチームになって、一人が兵士がバールのような道具を使って窓を叩き割った瞬間、銃を持って待機してる別の兵士たちが素早く屋内に入る。
その手際の良さは格好いいけど、少しだけ怖くなる。隊長である医療准尉さんは、普段はとても優しいけど、そういう訓練の時は目が「本気」になる。大クマタカであるエターナルキャリバー師匠や大ハヤブサのミモザコート師匠、今日初めて見た大ミサゴのフリッシュ師匠の目も鋭いけど、「本気」になったところは見た事がない。
こういう考えはやめよう。本当に怖くなる。俺は直弟子仲間や師匠たちから「もう少し勇気を出せ」って言われる事が多いけど、怖いものは怖い。ミルキーアイス師匠の直弟子に選ばれたとはいえ、俺が真の意味で天才じゃない事は俺自身がよく知ってる。
このビルは普段から誰でも入る事ができて、しかも第一層をほとんど見渡せるほど景色がいい。だから、ここは一門弟子のカップルのデートスポットになってる。それに、師匠たちの体の大きさでも余裕があるほど広いから、タオシャンとローゼンクレセント師匠もよく来るし、ジェイドとゴールデンサウンド師匠が発声練習に使ったりする。
「ありがとお! ミチビキくん! リベルトくん! とっても楽しかったよお!」
屋上の柵へハルクエンジンに包まれた腕を乗せたプレアデスが、暗がりの中で顔を下からの灯りに照らされながら言った。闘技場のあの戦いの頃から、プレアデスの顔はずっとニコニコしてる。俺が最後にミチビキへ時間を聞いた時は午後10時4分で、それからもう30分以上は経ってると思う。
そのプレアデスの後ろ頭には、一時間前くらいに
フワフワしたくせ毛気味の束ね髪をヘアクリップでまとめているそんなプレアデスにつられて、俺も柵の上から顔を出して第一層の地面を見渡した。そこに広がってる「大広場」は、たくさんの木に囲まれた芝生の公園のような場所だ。だけど、俺たちの寮がある第二層と違って、生物としての手入れがいらない偽物の木や芝生だ。いつもの大広場は、師匠たちの食事の場所としてや、一門弟子への師匠たちの講義の場所として使われてる。下からのぼってくる熱気が暑くて、俺は身につけてる藍色のローブの袖をまくる。それから、普段通りジェルで固めてるけど、オレンジ色に染めてるオールバックの髪を一度撫でつけた。
その大広場では、師匠たちの宴会が今も続いてる。首が長い大壺に何度もクチバシを入れているプリズンロック師匠は、一門弟子が何回もお酒を継ぎ足すほど呑んでいるのに全然酔ってるように見えない。大笑いして転げ回ってるミリオンラブ師匠に怒鳴ってるミモザコート師匠を、アズールスピード師匠が必死に
師匠たちの宴会は、いつも日付を跨いでも続く。そして、いつもみんな最後はお腹を上に向けたり翼を広げて寝そべったりして、クチバシからヨダレを垂らすほどの熟睡になる。今は涼しい顔をしてるプリズンロック師匠から、泣きながらお酒を喉に通したからむせているナルコスカル師匠まで、普段の師匠たちとは全然違っただらしない姿になる。そして、直弟子はそんな自分の師匠にカナリア姿でくっついて寝るのがいつもの事。
それから、今日はやっぱり五賢師の師匠はみんないない。だから五賢師の直弟子も全員いない。たとえ宴会に出ていても、五賢師の師匠が最後まで居座って、かげで一門弟子からちょっとマヌケって言われてる姿を見せる事は絶対ない。そして、今日はあんな事があったジェイドとゴールデンサウンド師匠も、今もどこかで何かの本に夢中になってるはずのオスカーも当然いない。
だけど、あの戦いの前からタオシャンとローゼンクレセント師匠の姿が見えないのは不思議だ。いつものタオシャンとローゼンクレセント師匠は、こういう宴会のムードメーカーなのに。ミチビキとフェリーチェの話によると、ローゼンクレセント師匠の過保護が発動して、タオシャンは第三層にあるローゼンクレセント師匠の部屋であの戦いを師匠と一緒に中継として観戦したらしい。だけど、それからこっちに戻ってきていない。ローゼンクレセント師匠の……こう言っちゃなんだけど面倒な変態っぷりが暴れてるんだろうか。
「僕も、あなたと一緒にいて興味深かったです」
その言葉で、俺とプレアデスは振り返った。そこには四つの手の指を二つに組んだ、プレアデスと同じくハルクエンジンを着たままのミチビキがいる。闘技場でプリズンロック師匠の背中に乗ってる時から、プラチナ色の髪を普段通り櫛でとかした上で二つ折りにしてその根本と毛先をひとまとめにゴムで留めているミチビキの顔はずっと少し怖い。いつもはフェリーチェにデレデレなのに。
闘技場での一件のあと、ダイヤモンドクレール師匠の命令に従って、ミチビキはフェリーチェと一緒に、プレアデスに累卵楼の中を案内してたらしい。ダイヤモンドクレール師匠からの呼び出しを受けていたフェリーチェに代わって、9時からは俺が加わった。
巨大な累卵楼の中の、二人がまだ案内していなかった場所を回って、最後のこのビルに来た時にはこんな時間になっていた。今日はあの勝負と宴会もあるから、屋台が出てる第一層は人が多く、移動だけでもひと苦労だった。ミチビキもプレアデスもカナリアに変身しないから、飛んで人ごみを避けるなんてできなかった。
今は累卵楼の外壁は透明だけど、外はすっかり夜で、大広場では屋外用の照明が焚かれている。宴会の会場になってる大広場は師匠たちと一門の弟子しか立ち入る事ができないけど、その付近の通路や建物の屋上にはベンチや地面や床に座ってお酒を呑んでる城下町の人たちの小さなグループがいくつも存在してる。
常春劇団の歌姫をやってるゴールデンサウンド師匠は特にだけど、師匠たちは誰でも城下町で人気がある。そこでは師匠たちの写真や肖像画が売られている。前に、プリズンロック師匠から呼ばれたオスカーを探しに行った時、俺自身は一度もそういう場面を見た事がない、エロい事に誘っているかのようなニヤついた笑顔のミモザコート師匠の写真や、屈託のない顔で思いっきり笑ってるナルコスカル師匠の写真が、額縁に入れられてとんでもない値段で売られているのを目撃した。だからあの人たちは、宴会を楽しんでる師匠たちをお酒の「サカナ」にしてるんだと思う。それにしてもあの写真、完全にポーズをとってたミモザコート師匠はともかく、人前で笑顔を絶対見せないナルコスカル師匠はどうやって撮ったんだ……。
「ミチビキくん、顔がずっとしかめっ面のままだよお? もしかしてえ、ボクの事あんまり好きじゃない?」
「あなたに対する僕の考えは、すでに8回伝えました。最後は午後9時54分です」
「細かいねえ、ミチビキくんは。やっぱりアンドロイドなんだねえ」
ニコニコ笑うプレアデスとは反対に、ミチビキは眉毛一つ動かさない。気にしてみてると、まばたきの回数も少ない。やっぱり、さっき言ってた通り、プレアデスの事を警戒してるんだと思う。プレアデスは、あの「旧南北アメリカ大陸裏社会のなんでも屋」って噂のフリッシュ師匠の直弟子だし、今日初めて会ったばかりだ。
「ところで、ミチビキくんはハルクエンジンを脱がないのお? アンドロイドなのは知ってるけど、四つも腕があったら重そうだよお」
「そういうあなたは脱装しないんですか?」
「ボクが脱いだ瞬間にい、背中からズドン! ってしない?」
「…………肯定はしませんが、否定もしません」
「素直だねえ、ミチビキくんは」
「スキを見せたら危ないぞ」って言われてるのに、プレアデスは相変わらず笑ってる。ミチビキもミチビキで、俺たちには絶対言わないような事を何度も口走ってる。
正直に言って俺は、かなり居心地が悪い。ミチビキはアンドロイドとしてそうだし、プレアデスもあの「死を招く黒い鳥」に選ばれたって事は、かなりの天才なんだと思う。プレアデスの黒いゴツゴツとした見た目のハルクエンジンも、ミチビキの純白で四つ腕のハルクエンジンも、それぞれの為に作られた特注品らしい。俺は、直弟子である事以外は普通の人間だ。
「ところでえ、ミチビキくんとリベルトくんに聞きたい事があるんだあ」
そう言いながら、プレアデスは屋上の柵に背中を預けて、さらに両腕も乗せた。あの戦いで推進装置が壊れているから、ハルクエンジンの重さに負けて柵が折れたらビルから真っ逆さまなのに、前髪の下の顔は一切怖がってない。やっぱり、プレアデスは俺とは違う、怖いもの知らずで「裏の世界」の人間なんだと思う。
「……俺が答えられる事なら」
「待ってください、リベルトさん」
俺とプレアデスの間に、束ね髪を揺らしながらミチビキが文字通り割って入った。俺の前で、二つの右手で柵を掴んで、体の正面はプレアデスに向けている。俺とプレアデスの距離は1メートルもなかったから、今の俺たちの距離はかなり近い。
「いきなりどうしたのお、ミチビキくん?」
ミチビキの背中から顔を出すと、プレアデスが頭を傾げていた。ミチビキが続ける。
「あなたの質問に答える対価として、僕の質問にも答えてもらいます。もちろん、リベルトさんにも質問するなら、リベルトさんからの質問にもです。それが一般的な道理だと考えます」
いつもより若干早口になったミチビキの横顔は、プレアデスを睨んだままだった。やっぱり、普段のミチビキならこんな事絶対言わない。ご飯の野菜を残そうとするフェリーチェにも、港での仕事でクタクタになってつい泣き言を言うデリックにも、基本的にバカ丸出しのダニオに対しても、いつものミチビキは笑顔だ。たまにそれが崩れるけど、笑顔はミチビキのトレードマークだ。だけど、今はこんなにも怖い。
「ボクは全然いいよお」
プレアデスの表情は変わらない。プレアデスの事を俺は全然知らないけど、今のミチビキとプレアデスのどっちが気持ち的に余裕があるように見えるかを言ったら、明らかにプレアデスの方だ。
「言っておきますが、僕はあなたに、もしもダイヤモンドクレール師匠の耳に入ったなら、注意されるだけでは済まない質問をするつもりですよ?」
ミチビキの目つきは鋭いけど、まだ「本気」じゃない。だけど、俺はもう本当に居心地が悪い。ミチビキもプレアデスも直弟子の中で特別なのに、俺はそうじゃない。ミチビキもプレアデスもその気になったら師匠たちに喧嘩を売る事ができるかもしれないけど、俺はそうじゃない。
ふたりの会話に混じっていると、俺にとってよくない事が起こるかもしれないと、たぶん本能って呼ばれるものが警告してる。今すぐにでも逃げ出したいけど、それはできない。なぜなら、俺はまだ今日の「目的」を果たしてないからだ。
「その時は、お師様から聞いた、クレールお師様の恥ずかしい思い出をバラすから大丈夫だよお」
「マジか……」
俺は思わず、そう口走ってしまった。おそらくフリッシュ師匠の差し金だけど、ゴールデンサウンド師匠と勝負した事といい、プレアデスは本当に度胸がありすぎる。そして、やっぱりミルキーアイス師匠の予想通り、プレアデスは自分の師匠から、累卵楼の直弟子たちが教えられてない秘密を聞いてると思って間違いないようだ。
この時になって、プレアデスに対して、俺自身が少しだけ興味を持ってる事に気づいた。
「最初はボクから質問するよお。条件を出したのはミチビキくんだから、ボクから質問するのが道理だよねえ?」
「……構いません」
そう言いながら、ミチビキは俺の前からどいた。プレアデスは、背中をつけていた屋上の柵から離れて、自分の足だけで立ち始めた。屋上の柵の前の俺とプレアデスと、そこから屋上の中心の方へ1メートルほど離れたミチビキで三角形を作っているような位置関係だ。
次の瞬間、プレアデスが体を預けていた屋上の柵が、ひとりでに大きく歪み始めた。どうやら、プレアデスは魔法で柵の形状を保っていたらしく、それを解除した結果のようだ。グシャグシャになったそれを尻目にする俺はもう、そんな事ではいちいち驚かない。
「ボクからの質問は、ミチビキくんにもリベルトくんにも同じだよお。ミチビキくんとリベルトくんはあ、このおじさんって知ってる?」
プレアデスは右手の手のひらを上に向けると、そこに手のひらサイズの
「……僕の
「……俺も分からない。もしも一度すれ違っていても、すぐ忘れそうなほど特徴がないし」
プレアデスが俺たちに見せたそのおじさんの顔は、本当に特徴らしい特徴がなかった。強いて言えば茶髪の髪とか、金属の細いフレームの眼鏡とかがあるけど、それらだってこのおじさんだけの固有のものじゃない。
「このおじさん、魔法科学について詳しいんだけど、それを聞いても分からないよねえ?」
「……そうですね、変わりません」
「俺も同じ……」
「本当に、本当に知らないよねえ?」
「……はい。累卵楼の魔法科学関連は、ダイヤモンドクレール師匠かサタンズクロー師匠かアイゼンフォーゲル師匠が管理しています。来賓としてお会いした事もありませんし、MRCでお見かけした事もありません」
「俺はそもそも、魔法科学の専門知識なんてほとんどないし……」
「そっかあ、ありがとお。やっぱり翼正会とかMRCの土地には来ないよねえ」
プレアデスがそのおじさんのホログラムを消して、ハルクエンジンに包まれた腕を下げた。ずっとフワフワした態度のプレアデスが念を押して確認するほどの、そのおじさんを探している理由は分からない。プレアデスの顔のつくりや髪と肌の色とは全然違うから、生き別れの家族というわけではなさそうだ。
「あなたとその方は、どういった関係なんですか?」
俺が頭の中に浮かべた疑問と完全に同じものを、ミチビキは口にした。
「その質問に答えてもいいけど、ミチビキくんからの質問はそれでいいのお?」
「……分かりました、撤回します」
少しだけ間を置いてから、ミチビキが自分の質問を取り下げた。ミチビキにとっては、プレアデスの身の上よりも気になるものがあるみたいだ。
「全然いいよお。じゃあ、ボクへの質問はあ?」
ずっと怒ってるかのような表情のミチビキと違って、プレアデスはずっとニコニコしてる。だけど、本当に怖いのはプレアデスの方なのかもしれない。今のミチビキが考えている事は、普通の人間である俺でも分かる。だけど、プレアデスの方は何を考えているのか、そもそも楽しいのか怒っているのかさえ分からない。
もちろん、魔法を使ってプレアデスの心を覗き見る事はできない。それは魔法科学ハッキングと同じくらい、相手に何をされても文句が言えない禁忌だ。そもそも、プレアデスは俺のそれを簡単に跳ね除けるくらいの天才だと思う。
機械の体だから本来は必要じゃないはずなのに、ミチビキは小さく深呼吸すると、プレアデスに対してハッキリとした口調で尋ねた。
「あなたは、フェリーチェさんの実の親を知っていますか?」
俺は慌てて屋上を見渡して、それから柵を両手で掴んで大広場を確認した。ミチビキの考えは予想していたつもりだったけど、俺のバカな思い上がりだった。フェリーチェの事が大好きなアンドロイドの覚悟は、完全に決まっていた。
幸運というか、やっぱり屋上には俺たち以外は誰もいなくて、大広場の師匠たちや弟子たちが俺たちの会話を盗み聞きしてる様子もない。俺は深くため息をついて、胸を撫で下ろした。
フェリーチェの過去も、実質的に禁忌の一つだ。五賢師全員やアイゼンフォーゲル師匠は、それについて知ってるだろうけど、今まで絶対言わなかった。これからもそうだと思う。なぜなら、ダイヤモンドクレール師匠が「俺のフェリーチェは捨て子だった」とだけ言って、この話題を口にしないからだ。
こんな事、ダイヤモンドクレール師匠に知られたら、本当に怒鳴られるだけじゃ済まない。特別なミチビキとプレアデスはそれだけかもしれないけど、俺は間違いなく身も心も牛あたりに変えられて、一生牧場暮らしにでもなるはず。それはそれで幸せなのかもしれないけど、「一族から翼正会の弟子に選ばれた人間が出た」と喜んでくれた俺の両親や親族にまで恥をかかせてしまう。
「ごめんなさい、リベルトさん。ですが、僕はどうしても知りたいんです。ここからは、僕だけで彼の相手をしても構いません。今ならまだ、僕たちの会話に巻き込まれずに済みます」
指を組んでいたミチビキがその腕を下ろしながら、四つの手の拳を握った。自分の言葉を取り下げるつもりは一切ないようだ。
「ボクもどっちでもいいよお。一応、もしクレールお師様あたりにバレたら、ボクとミチビキくんが悪くて、リベルトくんは関係ないって言うつもりだよお」
プレアデスが鋼の鎧によって厚みのある腰に両方の手を当てて、少しだけ胸を張った。今日初めて会ったばかりだけど、その笑顔に嘘はないと思う。
「………………俺もそれを聞きたい」
俺は少し時間がかかったけど、ふたりに対してハッキリと自分の口からそう言った。
俺の本能に頼らなくても、この先は俺にとって危険なのは分かってる。だけど、俺はまだ「目的」を果たしていない。それをせずにおめおめと逃げ帰る事は、ちょっとできない。もちろん、俺は本物の臆病者だし、本物の凡人だ。だけど、だからこそ、普通の事だけしてたら、いつまでも俺の目の前にいるような天才に追いつけない。ぶっちゃけて言うと、それは俺だけじゃなくミルキーアイス師匠も同じだ。
「リベルトくん、勇気があるねえ!」
ほんわかした笑顔のプレアデスに褒められて、俺は照れ隠しに目を逸らしてうなじを掻いた。見た目で判断するとプレアデスは16歳の俺より3つか4つ歳下なのに、なぜか悪い気はしない。
「知っているなら答えてください。それは、どなたですか?」
その声でミチビキに目を向けると、ミチビキの目つきは真剣そのものだった。だけど、まだ完全に「本気」じゃない。
「別にボクが言ってもボクの損じゃないけどお、ボクの質問にちゃんと答えられなかったから、ボクだってちゃんと答えなくていいよねえ?」
フワフワと笑うプレアデスに視線を向けた次の瞬間には、俺は急いでミチビキにそれを戻した。ミチビキはもうプレアデスを睨んでいなかった。少しだけ頭と前髪を傾けて、目を見開いて「捉えて」いた。二つの右手の拳を、二つの左手の手のひらに打ちつけながら。重い金属音が何度も屋上に響き渡る。
「……それはどういう意味ですか? 場合によっては、僕はあなたを」
「ミ、ミチビキ!? 暴力はマズイって!!」
俺の制止を無視して、純白の鋼を着たミチビキが一歩踏み出した。それはまさにミチビキの感情が表れていて、右足の下の床が少し沈んでヒビが入る。慌てながらも呑気に、「そもそもこの会話自体マズイよな」って考えていると、苦笑いになったプレアデスが自分の漆黒の鎧の胸の前で両手を振った。
「そんなに怖い顔しないでよお。簡単なクイズだよお。ヒントはちゃんと出すからあ」
「だってよ、ほら!! ミチビキ、最後まで聞こう!! プレアデス!! 最後には絶対答えを言えよ!?」
俺は必死にミチビキを宥め、必死にプレアデスへ釘を刺した。
「もちろんだよお」
プレアデスがまたフワフワ笑顔に戻って答える。さすがに俺は、ハルクエンジンを着たプレアデスの前に出て、ハルクエンジンを着たミチビキに立ち塞がる勇気はない。いざとなったらここから逃げ出す事を考えておいた方がいいかもしれない。命あってのチャンスだ、チャンスだけあっても命がなければ意味がない。
「…………」
ミチビキは一歩下がり、しかめっ面に戻った。四つの手で指を組み直す。何も言わないが、少なくともプレアデスのクイズに付き合う気はあるみたいだ。ミチビキからしたら、プレアデスから情報を引き出せないのは避けたいと思う。ダイヤモンドクレール師匠をはじめとした師匠たちは何も言わないんだから。
「じゃあ、最初のヒントだよお。フェリーチェくんの親は、有名だよお。ねえ? これだけですっごいヒントになったよねえ?」
「その程度ならフェリーチェさんの魔力保有量から推察できます。高名な魔術師であるなら具体的なお名前を明言してください」
プレアデスの言葉を若干遮るように、早口気味になったミチビキがすぐさま返した。ハルクエンジンを着た者同士の喧嘩は回避できたけど、アンドロイドの「我慢の限界」はかなり近いようだ。
「まだまだお楽しみはこれからだよお」
「できる限り早くしてください。僕はあなたと違って暇ではありません」
とはいえ、ミチビキの苛立ちはもっともだ。今はタオシャンに抜かれているけど、元々フェリーチェは直弟子の中で魔力保有量が一番多かった。一般的に、親のそれは子どもに遺伝されやすいらしい。俺みたいな、今まで魔術師になった人間がひとりも出た事がなかった普通の農家の家系から突然変異的に魔力が高い人間が生まれたりするけど、フェリーチェの場合、親が魔術師かそれと同等の人間と考えるのが自然だ。
「次のヒントだよお。フェリーチェくんはあ、フェリーチェくんの親からクレールお師様に頼まれた子なんだよお。フェリーチェくんの親がわりになってもらうようにい」
「……それは、有益な情報です」
言葉の速度を戻したミチビキが、小さく呟いた。ダイヤモンドクレール師匠は、フェリーチェはかつて捨て子だったと言っていた。だから、プレアデスのヒントは、ダイヤモンドクレール師匠の言葉と大きく食い違う。
だけど、俺はプレアデスの方が真実を言っていると思う。それはミチビキも同じはず。性格全体で見たら、プレアデスよりダイヤモンドクレール師匠の方がしっかりしてるけど、直弟子の中であまり頭がいい方じゃない俺が考えても、プレアデスの言葉には論理的な信憑性がある。「魔力が高いフェリーチェの親が、ダイヤモンドクレール師匠に我が子を託した」の方が、「生まれつき魔力の高い赤ん坊を拾った」よりも十分に可能性がある。
ぶっちゃけるなら、ダイヤモンドクレール師匠の嘘は凡人の俺にだって分かる。翼正会で一番プライドが高い師匠が捨て子を直弟子にするわけがないし、生まれつき魔力保有量が高い赤ん坊が捨て子になる事もまずありえない。
そして、フェリーチェは攫われたり奪われたりした赤ん坊じゃなかったと分かっただけで、「当たりの選択肢」は少しだけ狭くなる。
翼正会は、地理的に領地が離れている医療兵団とはあまり仲がいいとは言えない。累卵楼には医療兵団から派遣された兵士たちが駐在してるけど、それはお金の取引で繋がってる関係だ。前に、翼正会の会計の仕事もやってるフェリーチェから具体的な金額を聞いた時は「驚き死」するかと思った。その気になれば緊急手術だってできるほど医学の腕前が高いけど、隊長である医療准尉さんをここで一ヶ月雇う為の費用は、俺の実家が一年間に稼ぐお金とほぼ同じだった。准尉さんの他に、累卵楼には14人の兵士たちがいる。たまに物資を届けに来る兵士もいる。総額なんて考えたくない。
そして、翼正会は司法教会とは思想的な面ですごく仲が悪い。あっちは基本的に自分たちの法典を絶対的な正義としてるけど、翼正会ではダイヤモンドクレール師匠自身がルールみたいなものだから。
お互いの領地が旧北アメリカ大陸西側と旧南アメリカ大陸東側だから、港で働いているンシアやデリックによると、交易らしい交易もほとんどないらしい。存在するのはせいぜい、ジェイドとサウンド師匠目当ての物好きぐらいとも言っていた。たぶん、司法教会で一番信用されている師匠は、あっちに何度か公演に行ってるサウンド師匠か、基本的に旅をしているだけだしバカ丸出しのダニオと同じようにバ……比較的知能面の能力が控えめなミリオンラブ師匠だ。
つまり、フェリーチェの親は翼正会か、騎士団か、MRCのどれかに所属している事になる。「金庫」の関係者である可能性はなくはないけど、あそこは秘密が多すぎて、プレアデスの最初のヒントである「有名」には当てはまらないと思う。
「ダイヤモンドクレール師匠に頼んだ」という言葉から、師匠と個人的な繋がりがあるほどの高い地位を持ってる事も想像できる。だから、司法教会の領地にチラホラある小さな自治集団は候補から外れる。それから、俺は最初からそうだと思っていないけど、ダイヤモンドクレール師匠自身が実の親だったという「線」も消える。
「でしょお?」
プレアデスはまたもや鋼の拳を鋼の腰に当てて、鋼の胸を張って自前の顔で笑顔をさらに強めた。とんでもない高い金額のハルクエンジンを着てるっていう事を抜きにすれば、それは歳相応の仕草で、なんというか、少し可愛らしい。
「虚偽や誤魔化しではないんですよね?」
俺はミチビキに視線を移した。これまでの態度と違って、プレアデスを睨みつけるんじゃなくて、真っ直ぐに見つめていた。やっぱりミチビキにとっても、ダイヤモンドクレール師匠の嘘より、プレアデスの回りくどいクイズの方が、フェリーチェの真実に近づける事を分かってるようだ。
俺としては、ミチビキにはもう少しプレアデスと仲良くしてもらって、俺が気遣いする苦労を減らしたい。だけど、それは無理かもしれない。そもそも、俺たちが案内していた時のプレアデスの言葉によると、プレアデスはもう明日にはフリッシュ師匠と一緒に累卵楼を出発するらしい。それを聞いた俺が行き先を尋ねたら、笑顔ではぐらかされた。
「ミチビキくん。そう思うなら、もう質問なんてしない方がいいと思うよお」
「……次のヒントをお願いします」
腰に手を当てたままのプレアデスに対して、態度が少しだけ柔らかくなったミチビキがそう返事をした。次のヒントでは、さらに確信的な部分に踏み込むかもしれない。俺は呑気にそう考えていた。
笑顔のままのプレアデスが放った次のヒントは、俺の、俺たちの予想を完全に超えていた。
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