第12話・フリッシュの大剣

 己を讃える大歓声に包まれながら、プレアデスは闘技場の中心部へ悠々と歩き出した。まさに「逆転勝利への凱旋」だ。彼の敗北を疑った赤いカナリアは、胸中で自身の浅はかさを恥じた。


 フェリーチェごとミチビキをその背に乗せたプリズンロックはそうではないが、巨鳥や直弟子の中には闘技場へ背を向け、観衆が左右に分かれて形作る道を歩く者が出始めた。己の直弟子であるリベルトを乗せた大フラミンゴのミルキーアイスや、顎に指を当てて思慮に耽るハジュンだ。元々は技術者勢力であるMRCに籍を置いていたハジュンにとって、先ほどの一戦は特に興味深いものだっただろう。


「ありがとお、ありがとおねえ。メインシステム、通常モードに以降お」


 そう言いながら両手を振って歩くプレアデスの背中の、冷却が完了したであろう内部構造が収納されて閉じられた。その直後、左の肩当てが脱落する。低い音を立ててコンクリートの床に転がった。サウンドの歌唱魔法は、巨額を投じた特注品のハルクエンジンにさえ傷を負わせるほどの威力だった。しかし、その肩当てはハルクエンジン本体へ完全に組み込まれていない、一種の消耗品であるようだ。彼の左の肩は、薄くはなったが鋼に覆われたままだ。プレアデスは構わず歩き続ける。


「……っ!?」


 ミチビキが短く驚愕した。おそらく透過解析魔法を向けていたであろうその鎧の一部が、突如として小さいながらも激しい黒炎に包まれ、すぐさま完全に消失した。フェリーチェが閉じた瞳の視線を向けると、大ミサゴの鳳凰種がこちらを睨んでいた。


 自分ではない、若干ずれている。フリッシュが見つめていたのはミチビキだった。プリズンロックは彼を刹那主義者と呼んでいたが、巨鳥の例に漏れず秘密主義者でもあるようだ。


 プレアデスが歩みを進める中、床に横たわったままの己の師のそばに、緑色のカナリアが着地した。閃光とともに人間へと戻ると、サウンドへ背を向け両腕を広げた。その顔には恐怖と勇ましさが入り混じっている。プレアデスがジェイドの手前1メートルほどの地点で足を止めた。


「もう……勝負は決まりました……! あなたの……勝利です……! まだ……暴れ足りない……なら……私が相手になります!」


 手合わせとはいえ、巨鳥に勝ったプレアデスにジェイドが敵うわけがない。しかし、それでも彼女は身を挺してでもサウンドを守るつもりのようだ。その光景を眺めている民衆が自然と黙り込む。最悪の事態を想定したのだろう。だが、プレアデスは柔らかに微笑みながら、胸の前で両手を振った。


「違うよお。ボクの相手をしてくれたサウンドお師様に、お礼が言いたかっただけだよお。それに、あれだけの攻撃を受けたから、ボクのハルクエンジンはボロボロだしい」

「ジェイド、私の為にありがとう。その腕を下げても大丈夫」


 そう言いながら、ゴールデンサウンドは静かに立ち上がった。今にも泣きそうな顔つきのジェイドが、大ハチドリへと振り返った。


「お師匠姉様……もう大丈夫なんですか!?」

「ええ、本当に大丈夫」


 フェリーチェの目から見ても、サウンドが傷を負っている様子は見受けられない。あの攻撃、EAエクスプローシブアーマーをその身に受ける最中さなかで、咄嗟に魔法障壁を展開したのかもしれない。あるいは、プレアデスが威力を調節したかだ。


 師がそう発した以上、弟子が食い下がり続けられる理由はない。ジェイドがサウンドの脇に後退り、そこで片膝を床に着けた。遮る者がさがり、サウンドとプレアデスの視線が直接交差する。


「ありがとう。あなたと、あなたの師匠のおかげで目が覚めたわ」

「ボクこそありがとお」

「まさか、あんな攻撃まであるなんて」

「お師様はいつも、『ハルクエンジンの性能に頼りすぎだ』って言ってるけどねえ」

「フリッシュ様らしいわ」


 サウンドは小さく笑うと、プレアデスから大きく視線をずらした。彼女が見つめる先では、無言のフリッシュもまた彼女を見つめ返している。サウンドが再び、漆黒の鎧の少年へと瞳を向ける。


「ルールを決めて戦った上で負けた私が、あなたへあれこれ言う資格がないのは分かってるわ。だけど、できる事なら、その力を誰かを傷つける為に使わないで」

「分かったよお、サウンドお師様。できる限りはそうするよお」

「ありがとう。ジェイド、宣言をお願い」


 立ち上がったジェイドがサウンドを見て無言で頷く。サウンドが頷き返すと、ジェイドは師に背を向け、観衆へと両腕を広げた。


「勝者はプレアデス!! 勝者はプレアデスです!! 皆さま!! 見事栄光を勝ち取ったプレアデスと、敗北を喫しながらも健闘したゴールデンサウンドに拍手をお願い致します!!」


 ジェイドのその促しによって、観衆から大きな拍手と歓声が巻き起こった。それは、自分たちの、プリズンロックの足元の周囲にいる者たちも同様であった。ジェイドは大きく頭を下げ、プレアデスは再度両手を振る。大ミサゴが闘技場の中心部に向かって歩き出した。


 フェリーチェは訝しんだ。サウンドの頼みとプレアデスの返答は、フリッシュの「仕事」と矛盾する。フリッシュは裏社会で汚れ仕事を請け負っているという噂だ。それは彼の弟子であるプレアデスも同様だろう。


 サウンドの頼みをプレアデスが聞き入れるならば、直接の師であるフリッシュに逆らう事になる。反対に、フリッシュからの「仕事」をこなし続けるならば、サウンドに見え透いた嘘を述べた事になる。


 しかし、フェリーチェから見て、大ハチドリの顔つきには納得があった。つまり、サウンドは彼の言葉を信用している。この謎を謎と感じるのは、間違いなく巨鳥たちの秘密主義による妨げだろう。


 闘技場とその周辺が大歓声に包まれている最中さなか、ミチビキが「僕のハルクエンジンの準戦闘モードも解除します。彼の言う通り、彼のハルクエンジンは戦い続けられる継戦能力が著しく低下しています。それに」と言った、次の瞬間であった。


 サウンドとジェイド姉弟、そしてプレアデスの眼前に、フェリーチェの師であり翼正会の頭領であるダイヤモンドクレールが降り立った。彼らの三方を囲む形で、エターナルキャリバーとグアンダオストームとサタンズクローも、闘技場のコンクリート床へと着地する。


 サタンズクローが舞い降りた場所は、中心部に向かっていたフリッシュの目の前だった。その行く手を阻むクローと立ち止まったフリッシュが無言で顔を合わせる。機械巨鳥は自重を足と翼の爪で支えている為、背が地とほぼ平行であり、大ミサゴの鳳凰種よりも目線が低い。しかし、両者とも己の翼に秘めた実力は、現世界の人智を軽く超えているだろう。


 五賢師たちの姿を目に映した観衆たちはすぐさま口を噤み、脱帽や頭を下げて礼を示した。クレールは決して暴君でも圧政者でもないが、人間以上の強大な力を持つ、翼正会勢力下の絶対的な権力者だ。他の五賢師も同様である。


 ミリオンラブなどはクレールの巨鳥贔屓に助けられているが、市民たちはそうではない。翼正会頭領は、己に礼儀を尽くさない者を決して見逃さない。例え一門に多大な利益をもたらす商人であっても必ずそれを要求し、応じない場合は根も葉もない悪い噂を他勢力へ流す。翼正会以外とは取引できなくなるほどのものを。重度の犯罪者には、見せしめとして残忍な処刑を行なう。ここではクレール自身が法だ。


 己の前に五賢師の中で最も体格に優れるクレールが降り立つと、巨鳥の中で最も小柄なサウンドはすぐさま頭と広げた翼を下げた。今のフェリーチェと同じ体勢だ。そのサウンドの横で、ジェイドは膝を折って跪いた。プレアデスは、朗らかな笑みを浮かべてクレールを見上げ、己の鋼鉄の胸の前で両手を振っている。当然ながら、クレールがプレアデスに視線を向ける事はない。


「クレール様、申し訳ありません。私は、クレール様のご期待とご信頼にお応えできませんでした。それは純然として、私自身の力不足によるものです」


 クレールに頭を下げながら、サウンドは謝罪を口にした。そこに言い訳の一つさえ含まれていなかった。クレールがそれを嫌う事を熟知しており、なにより彼女自身が彼女自身を許さないだろう。


 サウンドの敗北は、おそらく半ば最初から決まっていた。それに加え、プレアデスは彼女の戦法を己の師から聞き、対照的に彼女は前世界のアンドロイドさえ驚く未知の武装を纏った彼の相手をしなければならなかった。


 翼正会頭目は、黒い大ハクチョウであるダイヤモンドクレールは、頭を彩る純金金無垢のティアラの下の、左右で色が違う金と茶色の瞳でサウンドを見下ろしながら言った。


「サウンド、お前が今のお前の恥を自覚したなら、俺がお前のハンカチ代わりになった事に意味があったと言えるか。歌って踊るのもいいが、翼正会ここがどういうところか忘れるな」


 その言動は、師なりの労いだ。師が他の巨鳥や直弟子には見せる、フェリーチェには向けられた事がない言葉と表情だ。


「承知しました。私自身の翼にかけて、この胸に刻み続けます」


 サウンドが顔を上げると、ジェイドを見つめた。


「ジェイド、ごめんなさい。あなたにも恥をかかせてしまったわ」

「いいえ……お師匠姉様……すごく……格好よかったです……! お師匠姉様は……今も私の憧れです……!」

「ありがとう、ジェイド。いきましょう」


 ジェイドは緑色のカナリアの姿となり、サウンドの背に乗った。そのサウンドは闘技場から飛び立ち、すぐさま上昇していく。行き先は、第三層の彼女の私室だろうか。彼女たちのその姿を、観衆は大きな拍手で見送った。


 それが止むと、キャリバーが声を張り上げた。


「貴様ら! ショーは終わりだ! ここからは身内の話になるからさっさと散れ! と言っても、今日はフリッシュが弟子を取った事を祝う宴をやるぞ! 場所はいつもの『大広場』だ! 商売人どもは金儲けの機会だぞ! 酒と食い物を存分に用意しておけ!」


 クレールが「恥知らずが……」と呟くのと、歓声が湧き上がるのは同時であった。累卵楼では不定期に宴が催され、その際は第一層が市民へと開放され、屋台が並ぶ。その中心的な会場は第一層北側に存在している、公園のような空間である「大広場」だ。そこで巨鳥たちの酒盛りが行なわれる。


 今回はプレアデスの腕試しの延長線上だ。そして、こういった催しは、往々にしてキャリバーの突発的な思いつきで開催が決まる。今日は先ほどの一戦で話題が持ちきりになるだろう。もっとも、キャリバーの真意は別のところにあるだろうが。


 その彼の言葉に従って、観衆たちが闘技場の外周から離れていく。しかし、先ほど一足早く姿を消したミルキーアイスやハジュン以外の、サウンドとプレアデスの戦いを眺めていた全ての巨鳥と直弟子はそのままだ。


 闘技場からさほど離れていない2階建ての倉庫の屋上で、カナリアに変じたダニオと笑い合っているミリオンラブと、その横で魔法によって宙へ浮かべた本へ苛立った視線を落としているナルコスカルも同様だ。数時間前からミリオンラブとダニオ師弟が姿を消していたのは、宴が催される事を予期して、ナルコスカルのアトリエまで赴いたのだろう。あるいは、キャリバーから事前に聞かされていたのかもしれない。大ミミズクには迷惑極まりないだろうが、あの師弟はより大勢で騒ぐ事を楽しみとしている。


 キャリバーは闘技場の周辺に残っている者を追い払おうとしない。彼が先ほど口にした「身内」とは、「翼正会の巨鳥と直弟子」を意味する。フェリーチェが窺うと、ミチビキもプリズンロックも闘技場へと視線を向けていた。


「クレールお師様、ボク、勝ったよお。それじゃあ約束通り、クレールお師様のお腹をモフモフしていい?」

「そうだったな。約束通り、お前の身も心も犬に変えて死ぬまで飼ってやる」

「やったあ! じゃあ、ボク、ボーダーコリーがいいなあ! ワンワン!」

「却下だ。俺はダルメシアンの方が好きだ」

「残念だなあ。というか、クレールお師様、意外とノリがいいねえ。もしかして、本当はボクの事大好きい?」

「何度も言わせるな、恥知らずが。お前がサウンドに負けていたら、破門しようと思っていたくらいには嫌いだ。気安く話しかけるな」

「残念だなあ」


 朗らかに笑いながら体高約7.1メートルの黒い大ハクチョウを見上げるプレアデスと、にやついた笑みで鋼の鎧を纏ったフリッシュの弟子を見下すクレールは、事情を知らない者から眺めたら直接の師弟と錯覚するかもしれない。フェリーチェには分からない、師の真意が。あのような笑顔を、自分に見せた事がない。


 そのクレールから逃げるように、フェリーチェは視線を向ける先を変えた。そこではフリッシュがクローから、クローが口に咥えた何かの機械を渡されていた。機械巨鳥がコンクリートの床に置いたそれを、大ミサゴの鳳凰種はあしゆびで掴むと己の足元へと引き寄せた。機械の表面と闘技場の床が擦れて、小さな火花が散る。


 黒炎の塊であるフリッシュはもとより、クローも火の気に怯える必要は皆無だろう。鋼の足と鋼の翼から伸びた鋼の爪の四点で立つあの機械巨鳥が纏う装甲の何割かは、かつてミチビキが語ったところによると極めて特別なものらしい。「複数の人工金属原子のクォークを四つの相互作用と純粋科学力で繋げた、極超巨大素粒子一個の超越合金装甲です。それがいくつか取り付けられています。一番大きなものは、上顎から額まで覆ったあの部分です。事実上、あれらよりも硬い物質は現世界に存在しません。もちろん、現世界では失われた技術です」とは、ミチビキの談だ。


「試射ハ控エタ方ガイイデス。最後ニ使用サレタ時カラ、ロクナ整備ガサレテイナカッタヨウデスカラ。俺ニ頭ヲ下ゲルナラ、MRCニ分解整備ヲ依頼シテアゲマスヨ?」

「必要ない。お前も僕に気安く話しかけるな」

「噂ニ聞イテイマシタガ、アナタモクレール様ト同ジクトテモ気難シイヨウデスネ」


 顎に挟んだものがなくなり、自由になった顔でクローが笑った。カメラアイすら存在しない無機質な鋼鉄の表情だが、その引き笑いから察するに、込めた意味は嘲笑だろう。大ミサゴの鳳凰種が、超越合金の始祖鳥を更に鋭く睨んだ。


「『あの死に損ない』とテーラーだけじゃなく、『コイル家ハウスコイル』にも頼るなんて随分落ちぶれたな、揺籃鳥ようらんちょう? その昔取った古臭い杵柄も、恥知らずの弟子に持たせるのか?」

「アハッ! クレール様! 勝てない喧嘩は売らない方が身の為ですよ!」


 クローとフリッシュに対してクレールが口を挟み、更に闘技場へ降り立ってから手持ち無沙汰だったであろうストームが軽口を飛ばした。「お前は黙っていろ」と窘めるクレールを見つめながら、フェリーチェは閉じた瞳のまなこを見開いた。


 師が口にしたその一言で、三つの事実が判明した。


 一つは、アディクトテーラー以外の協力者の存在だ。それが具体的にどういった者なのか不明だが、あのフリッシュと親交があるならば相応の実力者だろう。直弟子たちには隠された裏社会で名うてなのかもしれない。翼正会の巨鳥や、騎士団の「称号持ち」や、噂に聞く医療兵団の「公衆衛生兵団公安課」に匹敵してもおかしくはない。


 二つ目は、クレールはプレアデスの鎧の出処でどころを知っていた事だ。「ハウスコイル」の名は初耳だが、前世界の実験技術を実用化させたその腕前から推察すると、MRCから離反した技術者集団と見て間違いない。


 そして、クレールが既知であるという事は、他の巨鳥の間でも周知だろう。フェリーチェは視線を横に向けた。自分と同様の考えを電子の脳裏に浮かべたであろうミチビキもまた、プリズンロックの顔を見上げていた。


「すまない、ミチビキ少年。君を試してしまった。君たちが考えている通り、私たちはプレアデス少年のハルクエンジンを一目見た時から、あれがハウスコイルが手がけたものだと分かっていた」


 プリズンロックは瞼を閉じ、素直に謝罪を口にした。フェリーチェもミチビキも、大ツルがアンドロイドに探りを入れた事について責めなかった。その理由は、自分たちが師よりも身分が低い直弟子であり、クレールが治める累卵楼では秘密主義の横行が日常だからだ。


「プリズンロック師匠……ハウスコイルとはどういった組織なのか、お聞きしても」

『ミチビキ、忘れろ。直弟子全員もだ。ロック、言ったらタダじゃおかないからな?』


 ミチビキの問いを遮って、クレールの念話が飛んだ。それによって、アンドロイドは続きを口にする事を止めた。


「ミチビキ少年、すまない」

「僕の方こそ出しゃばりました……申し訳ありません……」


 ミチビキは、その気になれば師に逆らう権利を有している。前世界の技術を操る組織ならば、彼が知りたいであろう彼の過去に繋がる情報を持ち合わせている可能性が高い。しかし、クレールを敵に回すとなれば、その代償は大きすぎる。だからこそミチビキは、問いを撤回したのだろう。


「クレールお師様、ミチビキくんが知りたがるのは分かってたんだから、言わなければよかったのにい」


 そう言いながら、プレアデスが己の師に向かって歩み始めた。数秒ほどそれを眺めたのち、クレールがプレアデスの背を目がけて魔法で光の槍を放った。彼の鋼の背中に突き刺さる直前、それが黒炎に包まれて消失し、未遂に終わった。プレアデスが歩きながら振り返る。


「今、もしかしてボクのハルクエンジンのジェネレーターを狙った? これ、クレールお師様たちが考えてたようにすっごい高いんだよお?」


 間延びした口調で問う漆黒の鎧の少年とは対照的に、オッドアイと隻眼で睨み合う大ハクチョウと大ミサゴの視線は完全に殺気立っている。それに当てられた何人かの直弟子たちが身震いした。フェリーチェが確認すると、ミチビキはまたもや険しい目つきを浮かべていた。


「今度プレアデスに手を出したら殺す」

「弟子の躾は師匠の義務だ。覚えておけ、恥知らずが」

「お師様、『殺す』なんて言っちゃいけないよお」


 今にも命のやり取りを繰り広げるかもしれない二羽を尻目に、スライド式に半分折り畳まれたサタンズクローの右の翼に近づいたプレアデスは、その鋼の翼を鋼の拳で二度ノックした。


「とっても硬そうだねえ。ここは何でできてるの?」

「純粋科学ノ超耐チタン系合金デスヨ。現世界デハ消失純粋科学技術ロストテクノロジーノ一ツデス」

「フォーゲルお師様もおんなじ素材なんだよねえ?」

「アナタノ師匠ハ意外トオ喋リガオ好キナヨウデスネ」


 引き笑いを奏でるクローの脇の下を通り抜けて、プレアデスは己の師であるフリッシュの足元まで移動した。大ミサゴが片足で掴んでいる機械を、両手を使って拾い上げる。その様子から察するに、外見通り相応の重量があるようだ。


「プレアデス、使えるか?」

「ちょっと重いかなあ。でも、振り回せないほどじゃないと思うよお」

「アハッ! プレアデスくん! よく似合ってますよ! まるでクレール様が言っていた、フリッシュのかつての生き写しです!」

「うん? そうなのお?」

「アハッ! 小生意気なところが特に!」


 皮肉として投げかけられたストームの軽口を受けながら、プレアデスがその機械を両腕で抱えて構えた。比較的状態が良い漆黒のハルクエンジンの表面加工と対照的に、その機械はくすみや小傷に塗れた、相応の古臭さを帯びている。


 フェリーチェはその機械の、噂だけは耳にした経験がある。実物を見たのは、今が初めてだ。おそらくは、累卵楼第三層に存在する、直弟子の立ち入りが禁じられた保管庫に眠っていたのだろう。


 「当代」であるダイヤモンドクレールとエターナルキャリバーとグアンダオストームの、「クレール」と「キャリバー」と「グアンダオ」の名は、前世界の伝説に由来する。実在したか定かではないが、極めて優れた剣の名だ。


 それらとは異なり、「フリッシュの大剣」は現存している。まさにあの機械の事であり、それが三つ目の事実だ。「フリッシュ」の名を継ぐ者は、フリッシュの大剣で武功を立てる事を求められる。ダイヤモンドクレールとエターナルキャリバーとグアンダオストームが、個別の「ダイヤモンド」や「エターナル」や「ストーム」といった修飾語を持つのに対し、歴代のフリッシュは「フリッシュ」とだけ名乗る。


 これまでに何羽もの「剣の名を持つ巨鳥」が先代からその名を受け継ぎ、次代へとそれを託したらしい。アイゼンフォーゲルの昔話によると、これまでで最も秀でた「クレール」と「フリッシュ」は、ダイヤモンドクレールと大ミサゴの鳳凰種らしい。かつてふたりの人間が同時期に一門へ加わり、そしてクレールとフリッシュの名を継ぎ巨鳥へと変じた過去を、フォーゲルは「奇跡」と評していた。現在の翼正会最古参であるというそのフォーゲルの話によると、五賢師の中で最も古株であるのはクレールとフリッシュであり、キャリバーとストームが巨鳥となったのは彼らよりも遅いらしい。「四賢師時代」よりあとに加わったクローは最も新参だ。


 つまり、大ミサゴの鳳凰種がそうであったように、これからはプレアデスがあの大剣を得物とするようだ。クローがそれを携え、フリッシュに渡したところから推察すると、「プレアデスがサウンドに勝利した場合の報奨」として、直弟子の中の特別な権利と同様に用意されていたものだろう。あるいは、あの腕試しは、「フリッシュがプレアデスを見極める為の、ある種の試験」という意味合いを含んでいたのかもしれない。


「構造と機能は複雑ではありませんが、物理攻撃力に優れた武器のようです。直撃すれば、大抵の相手を一撃で戦闘不能にできるはずです。もっとも、ハルクエンジンのような機械的補助か、膂力強化魔法がなければ、人間はあれを持ち上げる事すらできませんが」


 フェリーチェは、静かに呟いたミチビキの顔を窺った。アンドロイドは依然として険しい表情のまま、それの構造的特徴と攻撃方法を続けた。


 あの武器は「攻めの要」として、「守りの要」である漆黒のハルクエンジンと異なり、秘匿魔法は用いられてないのだろう。ミチビキが口にした使用方法が事実ならば、あれには多くの衝撃が与えられる事になる。秘匿魔法発生装置がそれに耐え続けられるとは思えない。


 加えて、専門的な魔法科学の知識に乏しいフェリーチェでも、ミチビキの説明をすぐさま理解できるほど、その構造は簡素だ。敵対者に盗まれて惜しいと感じるほどの、特徴的な機構は備わっていない。存在するのは明確な、「破壊の意志」だ。


 フリッシュは、プレアデスに「フリッシュ」を継がせようとしているのか。自分は、いつか「クレール」の名を継ぐ時が来るのだろうか。


 キャリバーが無言でフリッシュへ向かって歩み始めると、クローとプレアデスは顔を見合わせたのち、それぞれの歩幅で一歩と数歩ほど後退あとずさる。キャリバーを睨むフリッシュの目つきは鋭い。ストームの、「アハッ! フリッシュ! 気の毒です!」という軽口に完全な無視を決め込むほどに。


 極度の小心者ならば、大ミサゴが浮かべる猛禽の睨みで射殺いころされるかもしれない。噂によると、ナルコスカルは己も猛禽であるにもかかわらず、キャリバーやフリッシュに視線を向けられただけで泣きながら命乞いをした事があるらしい。


 巨鳥の中で最も背が高いプリズンロックに比べれば、大クマタカのキャリバーは約5.3メートル、大ミサゴのフリッシュは約5.1メートルと、大ツルのほぼ半分だ。しかし、二羽とも猛禽であるがゆえに、背丈に対する体つきに優れる。


「フリッシュ、あとで話がある」


 フリッシュの眼前まで近寄ったキャリバーが、左目を眼帯で隠した目つきの、その下の嘴でそう口にした。そこに、普段のがさつな態度の演技はなかった。フリッシュの、本来ならば右目がある位置を眼帯で隠した顔は険しいままだ。


「僕はお前と話す事など何もない。失せろ」


 その言葉には、はたから眺めていても分かるほど大きな侮蔑が込められていた。


「お前っ!? 俺の恩を忘れたのか!? 誰のおかげでこれまでの事を知ってると思ってる!?」

「お前が勝手に送ってきただけだ、恩着せがましい。僕はお前など必要としていない」


 その会話を聞いていたクローが引き笑いを、ストームが高笑いを、プレアデスが朗らかな微笑みを浮かべる。二羽がすぐさま睨みつけると、機械巨鳥と大サギが翼の付け根を、漆黒の鎧の少年が肩を小さくすくめた。


 何年も姿を消していたフリッシュと、今日初めて足を踏み入れたプレアデスが、なぜミチビキをはじめとした現在の累卵楼について知っていたのか。どうやら、やはりキャリバーがフリッシュに情報を流していたらしい。巨鳥たちは不定期に累卵楼から飛び立ち、一門の支部や他勢力への使者として各地に赴く。キャリバーはそれに便乗する形で、フリッシュへの言伝や手紙を命じていたのかもしれない。


 闘技場に立つフリッシュ以外の五賢師やプレアデスを睨みながら一瞥したのち、大クマタカは大ミサゴに背を向けた。


「今日の9時、第二層で待ってる」

「無駄だ。僕は行かない」

「それでも、待ってる」


 それだけ言い残すと、キャリバーは飛び立った。すぐさま急上昇し、第一層天井の大穴に消えていく。


「お師様、行ってあげた方がいいよお。キャリバーお師様に会ったの、久しぶりだよねえ?」

「プレアデス、お前の意見は聞いていない」


 「死を招く黒い鳥」の、己の直弟子を睨む隻眼は鋭利だ。翼正会の内外で知れ渡っているものとしては、かつてのキャリバーとフリッシュは盟友だったとされている。しかし、一部の巨鳥とその直弟子だけは、それとは異なる真相を知っている。大ツルが小さく嘲笑っていたように、大クマタカは今でも大ミサゴの鳳凰種に固執しているようだ。


「繋がりは大切だよお。もし二度と会えなくなったら、きっと絶対後悔するよお」

「プレアデス、キャリバーについて二度と僕に意見するな」

「アハッ! フリッシュ! キャリバー様の事になると、途端に不機嫌になりますね!」

「ストーム、お前は僕に勝てる気でいるのか?」

「もちろんそのつもりですよ! 自分が最強だといつまでも思うなんて傲慢です! アハッ!」

「お師様たち、ケンカなら外の空でやってねえ。累卵楼ここで暴れたらみんなが危ないよお」


 尻目にそう言い残して、プレアデスは五賢師の巨鳥たちから数歩ほど離れ、大きく手を振った。それを向けた相手は、自分たちだった。


「ミチビキくうん! フェリーチェくうん! 累卵楼の中を教えてよお! 今日はここに泊まるからあ!」


 聴覚増幅魔法を用いる必要がないほどの声量で、プレアデスが笑みを浮かべて叫んだ。どうやら、フリッシュとプレアデス師弟は、今晩は累卵楼に滞在するつもりらしい。大ミサゴの性格から考えて、明日には必ず発つだろうが。


 フェリーチェはミチビキを窺った。彼の表情は厳しいままだ。アンドロイドが素直に彼の要望を聞き入れるのか、フェリーチェには分からない。


「フェリーチェ、ミチビキ、その恥知らずを案内しろ。それから、『俺のフェリーチェ』は9時に俺の部屋に来い。デリックもだ。伝えておけ。ロック、宴会の幹事をしろ。必要なら他の巨鳥や直弟子を使え」


 それだけ言い残すと、黒い大ハクチョウは闘技場から飛び立った。

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