第8話・鋼鉄のボーイフレンド

 彼自身の直弟子、つまりプレアデスの行動に反応して、フリッシュもまたフェリーチェたちに体ごと振り返った。「死を招く黒い鳥」の、その鮮血のごとき赤い左の隻眼を目の当たりにした途端、フェリーチェは恐怖を感じた。それは小さなカナリアとしての本能でもあり、噂に聞くフリッシュの悪行を想起したからでもある。


 一般的な生物は、一つの眼球では視界を立体として把握できない。目は生命線とほぼ同義であり、そこに弱点を抱える者は集団の中で支えられる事を余儀なくされる。しかし、一種の怪談として語られるフリッシュの逸話から考えるに、彼にとっては関係がないようだ。魔法か、あるいは経験で補ってるのだろう。右を覆う眼帯には、グアンダオストームの特殊骨伝導イヤホンのような戦闘補助装置が仕込まれているかもしれない。


 その恐怖を隠すように、フェリーチェはミチビキを横目で窺う。彼の顔は依然として険しさを浮かべたままだ。その理由を尋ねる事は、彼に好意を向けられているフェーリチェでさえ憚られた。


「プレアデス、何か気になるものでもあるのか?」

「お師様と似てると思ってえ。真っ白のハルクエンジンを着てるあの子が、お師様が言ってたクローお師様のお弟子くんのミチビキくん?」

「集中を絶やすな。ゴールデンサウンドは、これまでの仕事で相手をしてきた雑魚とは違う」

「分かったよお、お師様」


 その会話ののち、プレアデスとフリッシュは自分たちに再度背を向けた。フェリーチェは無意識にカナリアとしての顔をわずかにしかめる。「これまでの仕事で相手をしてきた雑魚」という口振りから察するに、自分が今まで耳にした噂は、真実に近いものだろう。


 数時間前まで何年も翼正会の目から姿を眩くらませていたフリッシュに対して、真偽不明の様々な情報が飛び交っていた。しかし、それらにはある種の共通点が存在した。借金の取り立て、殺害代行、それ以外の「表には出せない依頼」。つまり、「フリッシュは『この世界の裏側』で、汚れ仕事を請け負っている」というものだ。


 詳しい経緯は直弟子たちに秘匿されているが、巨鳥たちが断片的に語るものを繋ぎ合わせると、フリッシュは「四賢師時代」の末期にクレールたちと半ば袂を分ったらしい。それでも名義だけは翼正会には籍を置いたままであり、そこからサタンズクローが一門に迎え入れられ、現在の「五賢師」の形になったという。


 フリッシュがなぜ実質的に翼正会を去ったのか、そのフリッシュが今は何をしているのか、それらは今まで誰の口からも語られなかった。それを問うのは事実上の禁忌として扱われている。それゆえに、騒乱の時代だったという「四賢師時代」の逸話と、現在飛び交っている噂により、フリッシュには「灰燼の中で産声を上げた、死を招く黒い鳥」という二つ名がつけられた。


 火のないところに煙は立たない。「死を招く黒い鳥」の口から発せられた言葉はそれの裏付けであり、噂は真実と見て間違いないようだ。「なぜ」の部分はいまだ不明だが、翼正会の巨鳥としては本来忌むべき仕事をフリッシュは請け負っていたのだろう。


 旧南北両アメリカ大陸は、曖昧な境界線ながらも各勢力がつつがなく平定している。翼正会は旧アメリカ合衆国西海岸一帯とその隣接地域を領地とし、他勢力と比べてそれは比較的狭いが、海運や鉄道を用いて財をなしている。かつては厳しい極限の大地だったという現在の穏やかなアラスカには、「金庫」の本部があるらしい。前世界終焉から手つかずという北部の島々以外の旧カナダと旧合衆国内陸部は騎士団が管理し、旧アメリカ東海岸および、旧メキシコ湾と旧カリブ海一帯はMRCの土地だ。アイゼンフォーゲルは数日前から、旧合衆国首都近郊の港に停泊している修繕空母に滞在しているという。旧南アメリカ大陸西側、旧コロンビアから旧チリや旧アルゼンチンなどは、医療兵団が統治している。広大な旧ブラジルとその周辺は司法教会と、教会が認めた中小の自治集団の土地だ。南極大陸は各勢力が署名した不可侵条約に従って、現在はそれらから選ばれた魔術師が、氷の融解による海面変動防止の為に冷却寒冷化魔法や環境冷却装置を維持しているのみに留まっている。


 旧南北アメリカ大陸以外、旧アフリカ大陸は前世界でも使用が禁止されていたABC兵器のうち、細菌・ウイルス兵器致死性化学物質兵器が使用され、死の大地と化したという。旧ロシアを含む旧アジアと旧オーストラリアには何発もの核兵器が降り注ぎ、仕上げとして旧ヨーロッパには当時最新鋭の非原子力式超大型大量破壊兵器が投下されたらしい。つまり、現世界において「生ける者の大地」は二つの大陸のみであり、フリッシュの活動はそこに限定されていたはずだ。


 自らの師であり、翼正会の頭領であるダイヤモンドクレールがフリッシュを忌み嫌う理由がよく分かる。累卵楼城下町でさえ凄惨な事件が起こらないわけではないが、それらを金銭で請け負う存在は厄介極まりない。それは翼正会のみならず、他勢力でも間違いなく同様だろう。人々の負の感情につけ入り、闇に紛れて惨事を巻き起こす存在は、許されるものではない。残された大地が限られるなら尚の事だ。


「…………」


 フェリーチェは横目でミチビキを窺った。ミチビキとフリッシュの奇妙な共通点は、プレアデスのみではなく自分も疑問に感じていた。


 翼正会の巨鳥の多くは、体格や体色以外の外見的特徴が、一般的な鳥類とさほど変わりはない。しかし、サタンズクローやアイゼンフォーゲルなどの人工的な機械を除けば、フリッシュは異形と表現しても過言ではない。


 フリッシュは、唯一無二の四枚羽を持つ巨鳥だ。「上の一対」は通常通り背の左右で、「下の一対」は胸から腹部を包む形で折り畳まれている。脚部に干渉する事を避ける為か、「下の翼」の先端風切羽の一部は、足の手前で前方に向かって折れ曲がっている。飛行時には「上の二枚」を用いて飛び立ち、高度を上げたのちに「下の二枚」を展開する。着地時はその逆だ。鳥の翼は空中に浮かぶ力揚力前に進む力推力に直結しているらしい。翼を広げると体の左右へ縦に二つ並ぶフリッシュの四枚羽は、彼が持ち合わせているという強大な力の証左だろう。当然ながら、他の巨鳥と同じく、飛行には翼の羽ばたきのみならず魔法も併用されている。


 一般的にフリッシュの二つ名は「死を招く黒い鳥」だが、ダイヤモンドクレールだけは蔑称として「揺籃鳥ようらんちょう」とも呼ぶ。たしかに、フリッシュの折り畳まれた「下の翼」は、赤子を抱き抱えてあやすのに適しているように錯覚する。もっとも、彼は父性も母性も感じさせない、黒一色の毛並みに赤の隻眼だが。真偽不明の噂によると、「四賢師時代」にはその名で呼ぶ者が少なくなかったらしいが、クレール以外の全員が残らず彼によって八つ裂きにされたという。


 なぜフリッシュだけが四つの翼を持ち合わせるのか。なぜフリッシュだけが巨鳥の中で、この世界で現時点無二の種族なのか。フェリーチェは、その憶測すら耳にした経験がない。累卵楼を、そして城下町を含めた一門勢力下を治めるクレールが、例によってフリッシュの話を嫌うからだ。フリッシュについて第一翼と真っ向から語り合えるのは、同じく四賢師時代からの仲であるエターナルキャリバーやグアンダオストームのみだろう。クレールに頭が上がらない様子から、最古参であるアイゼンフォーゲルですら怪しい。それでも、「よい子にしていないと、四枚羽のお師匠様が帰ってきてペロリとひと呑みにされちゃうよ」とは、城下町の市民において親が幼子を躾ける際に使う常套句だ。


「彼のハルクエンジン、MRCが作ったものではないと思います。間違いなく、MRCとは異なる組織の特注品でしょう」


 ミチビキが、こぼすようにその憶測を発した。フェリーチェが見上げると、プリズンロックが興味深さを浮かべた視線で鋼鉄の鎧を着た機械人形を見つめていた。


 フェリーチェが眺めるに、曲線が多用されている、どちらかと言えば洗練された印象を受けるミチビキのハルクエンジンに対して、プレアデスのそれは角ばった平面が多い、無骨なデザインをしている。しかし、外見の特徴だけでは断定に至るのは難しいだろう。ミチビキには、自分やプリズンロックが持ち合わせていない知識があるようだ。


「ミチビキ少年、その理由は?」

『俺も聞きたい』


 ふたりから促され、ミチビキはその詳細を語り始めた。彼の瞳の険しさは、依然として変わらない。


「彼のハルクエンジン表面の常在秘匿魔法によって内部構成を透過解析スキャニングできませんが、外装から察するに、あのハルクエンジンはツイン発動機ジェネレーター式です。プリズンロック師匠、フェリーチェさん、見てください。左右の肩甲骨の部分、それぞれ出っ張りがありますよね? おそらく、あの内部にハルクエンジン用の小型超高出力ジェネレーターが一基ずつ搭載されています」


 ミチビキの言葉に従って、フェリーチェはプレアデスの背に目を凝らした。鋼に覆われた首の根元、その左右には鹿の角のように伸びたからウェポンラック保持アームがあり、さらにそのすぐ下の鎧の表面に携行辞典ほどの広さと厚さの盛り上がりが見て取れる。ミチビキが指摘しなければ、フェリーチェはそこに何が隠されているかなど考えもしなかった。ミチビキが続ける。


「僕が着ている僕専用のハルクエンジンも、搭載された一基のジェネレーターの他に、僕そのもののエネルギー炉に何割か動力を依存しています。ですが、ジェネレーター二基は魔力出力量が過剰すぎます。実用的な武器としてある程度の性能的余裕冗長性は当然持たせますが、『必要な分を必要な分だけ』というのがMRCの基本的な設計理念です。前世界の遺産や現世界の資源には限りがありますから。彼のハルクエンジンは、見てもらえれば分かるように、各部位に厚みがあります。おそらくは、そこには外見から判別できない内部構造が詰め込まれているはずです。ジェネレーターの冷却装置か、防御機構か、仕込み武器固定武装か、それ以外の何かが。冷却系の増加による整備性の悪化や、過剰性能による煩雑さを忌避するMRCが、ああいったハルクエンジンを組み上げるとは考えられません」


 ミチビキが何度か首を横に振った。彼は直接の師匠であるサタンズクローとともに機械として、フォーゲルとハジュンを除く他の師弟よりもMRCと繋がりが深い。フェリーチェはMRCの教義に疎いが、ミチビキは実際にそれへ触れる機会が多いのだろう。カナリアとしての耳に届くミチビキの言葉は、十分に論理性が含まれている。


 12歳前後と思しきプレアデスよりも、15歳の少年と同程度に製造されたミチビキの方が体格に優れる。しかし、着装者のその差を不問とした場合、より重厚な鎧はプレアデスのものだ。


 ミチビキの鎧の肩当ては、楕円のボールを半分に割ったかのような流線形である。対照的に、プレアデスのそれは真四角に近い鉄塊だ。胸当ても同様に、前者は一枚で大部分を覆う滑らかな曲線を描き、後者は角ばった左右の装甲で構成されてる。今のミチビキはハルクエンジンの胴体そのものに取り付けられたもう一対の腕を有するが、腰の位置で若干だけくびれただけで各所と同じデザインを持つプレアデスのハルクエンジンの方がより堅牢に見える。立ち姿を見渡した時の印象も真逆だ。着装者が機械である前者は人間的な逆三角形体型といった見た目で、着装者が人間である後者は無機物的な金属のオブジェのようだ。


 プレアデスの顔のほどよい肉付きから察するに、彼本来の肌とハルクエンジンの表面装甲の間には、間違いなく「空間」がある。魔法科学技術については初学者同然のフェリーチェから見ても、ミチビキの予想は的中していると感じる。


「ミチビキ少年。MRC以外であれほどの鎧を製造できる組織の心当たりはあるか?」


 プリズンロックの問いに対して、ミチビキが再度首を振った。


「残念ながら、僕にはありません。サタンズクロー師匠やアイゼンフォーゲル師匠、あるいはハジュンさんなら何か知っているかもしれません。そして、フリッシュ師匠やアディクトテーラー師匠がそうであるように、MRCにもそういった方がいらっしゃっる可能性があります」

「MRCも一枚岩ではない、という事か」

「はい……」


 プリズンロックの言葉に、ミチビキが小さく肯定を返した。前世界に存在したという工科女子大を前身とするMRCとその勢力下は、慢性的に女尊男卑が横行していると聞く。前MRC代表の謎の失踪後に、それがさらに加速したとの噂だ。MRCの女性技師たちから弟分として愛でられていたハジュンは、相当な例外的だったという。


 そういった理由からMRCを離れ、独自の組織を立ち上げる者たちが出ても不思議ではないだろう。魔術師がそうであるように、再現科学や魔法科学の熟練技師もまた、現世界では引く手が数多あまただ。


「人ひとりに与えられる魔力や武力としては、明らかにやりすぎです。敵対的とみなされるのでそれはしませんが、僕と僕のハルクエンジンの計算能力を使った魔法科学ハッキングですら、彼のハルクエンジンの魔法科学的電子セキュリティプロテクトを破るのは相当な時間がかかるはずです」


 ミチビキが続ける。膂力としても、ハルクエンジン着装時には魔力的にも、人間以上の力を持つアンドロイドが半ば呆れるほど、フリッシュの直弟子の鎧は常軌から外れたもののようだ。


「つまり?」

「あれではまるで……いえ……今はまだ断定すべきじゃないでしょう……」

『…………』


 プリズンロックの問いに対して、ミチビキは言葉を濁した。ミチビキのそれとフェリーチェの無言は、おそらく同感だろう。


 あれは明確に、人間との戦いを想定して製造されていない。例えば一般的な翼正会の魔術師や騎士団の騎士と、個人と個人の戦闘を繰り広げるならば、瞬時に相手の原形を奪うだろう。あるいは、肉片一つ残らず消し飛ばすかもしれない。


 つまり、プレアデスのハルクエンジンは明らかに、「人間以上の存在」との戦闘行為を念頭に置いている。プレアデスにとって最も身近なそれは、やはり翼正会の巨鳥たちだろうか。


 彼と彼の師の態度に、腕試しを望む以上の意思は見受けられないが、腹の中ではどのような思惑を携えているかは分からない。しかし、ミチビキが返答を曖昧にした通り、例え彼らのような存在でも同門の者へ証拠もなく咎める事は許されない。「死を招く黒い鳥」とその弟子が繰り広げたであろう悪行の、確固たる物証も証人も皆無だ。


 結局、自分たちは相手の出方を見るしかない。フェリーチェが胸の内でそう結論づけた時、プリズンロックが小さく呟き始めた。


「本音を言えば、これはサウンドにとって苦しい戦いになるだろう。もちろん、あの少年が巨鳥を相手に易々と勝てるとも思っていないが」


 カナリアであるフェリーチェの横で、ミチビキが大ツルの横顔を見上げた。そして彼は問う。


「プリズンロック師匠……その理由を、聞いてもよろしいですか?」


 こちらに向かって視線を下ろしたプリズンロックが即答した。


「目だ」

「目、ですか?」


 ミチビキが問う。プリズンロックは、アンドロイドから視線を外し、眼鏡越しに再度競技場を眺めた。瞳の動きから察するに、ゴールデンサウンドとプレアデスを交互に見つめたのだろう。


「あの少年の目は、サウンドを見ていない。もちろん、比喩的な意味だが」

「……申し訳ありません、プリズンロック師匠。僕には師匠のお言葉が理解しかねます」


 プリズンロックに対して、ミチビキが謝りを述べる。機械人形と同様であるフェリーチェは口を挟む意味がないので、無言を貫く。


「分からなくて当然だ。私自身の抽象的なイメージでしかない。だが、あえてこのまま説明すると、あの少年の目は、もっと先を見ている。その先の、もっと強大な、何かを」


 「死を招く黒い鳥」の直弟子に向けているであろう、プリズンロックの目つきが若干の鋭さを浮かべる。それは何なのか、誰なのか。自分が予想しているものと同様なのか。


「プリズンロック師匠、それって」

「ある意味で、フリッシュとは正反対だな」


 ミチビキの問いを遮るかのように、プリズンロックが小さく噴き出し、顔に微笑みを浮かべた。大ツルのその仕草によって、ミチビキはそれ以上食い下がる事はしなかった。フェリーチェは無言を続ける。


「師匠、そうなのですか?」

「ああ。フリッシュは昔から『今』を見ている。現実主義者と言うよりも、『現実的な刹那主義者』に近いな。そういう意味では、ミチビキ少年、やはり君はフリッシュに似ているだろう」


 プリズンロックから向けられた微笑みを目の当たりにしたミチビキは、前髪の下の目を泳がせた。プリズンロックはおろか、フェリーチェもまたその理由の言及を求めなかった。


 2年前のある日、サタンズクローがどこかから一体のアンドロイドを累卵楼へと引き連れ、自身の直弟子とした。それがミチビキだ。人と同じ形と心を持つアンドロイドは、現世界でほぼ唯一であろう完璧な状態を保った前世界の遺物であった。彼は目覚めて間もなく、それ以前の記憶はないと語った。師であるサタンズクローは、それについて一同へ深く説明する事はなかった。


 サタンズクローもまた、現世界を形作る秘密主義の一つだ。現在は頭領であるクレールよりもMRCと近しいクローが、ミチビキの出自について無知なわけがない。「MRCが管理している、瓦礫に埋もれていた旧工科女子大の技研から発掘された。それ以外の詳細は不明」と語っていたが、そのような作り話は幼子でも見抜くのは容易だ。


 つまり、フェリーチェと同じく、ミチビキもまた意図的に過去を奪われている。しかし、ミチビキはクローに師事を続けている。ミチビキは彼なりに、クローを見定めようとしているのだろう。フェリーチェもプリズンロックも指摘しなかったが、ミチビキが纏っているハルクエンジンもまた特注品であり、個人に与えられる武力を超えている。その彼の鎧は、彼の師がMRCに造らせたものだ。その理由と目的を、ミチビキもまた知らされていないようだ。


 これから予定されているミチビキによる巨鳥たちへの腕試しは、クローが彼に促したものだ。正確にはクレールの承認を待っている状態だが、それは間違いなく「通る」だろう。クレールもまた翼正会の頭領として、ミチビキやクレールの可能性を探っている。彼らには、最古参であるアイゼンフォーゲルや「緊急弁」であるファントムシグナルズには存在しないものが、魔法科学に疎いフェリーチェの瞳からでも見受けられる。


 何かが動き出そうとしている。その二つの渦の中心は、ミチビキとサタンズクローであり、プレアデスとフリッシュだ。プリズンロックが口にした、「自分たちこそ、この戦いを見届けるべき」という言葉は、そういった意味を含んでいるだろう。


「だからキャリバーを捨てたんだろうな。キャリバーはいつまでも、ありし日のフリッシュしか見ていない」


 プリズンロックが話題を変えた。フェリーチェもミチビキも、それに肯定も否定も返さなかった。ただ無言で、彼を見つめた。


 大ツルの言葉には、四賢師時代を知るからこそ可能な嘲笑が含まれていた。直弟子の身分である自分たちは、それにいかなる反応も示す事は許されない。これは一部の巨鳥と全ての五賢師とその直弟子だけが知るものであり、エターナルキャリバーという個の問題だ。


「ねえ、お師様。ミチビキくんの肩に止まってるのは、カナリアになったフェリーチェくんかなあ? 可愛いねえ。ミチビキくんが座ってるのはプリズンロックお師様? 本当に大きいねえ」

「プレアデス、三度目はない」

「分かってるよお、お師様。お師様は相変わらず冗談が通じないなあ」

「僕はお前と冗談を交わす為にここへ来たわけではない」

「分かってるよお。『未来の為に』」

「そうだ、『未来の為に』」


 そう言って、プレアデスとフリッシュが、体格差により下と上から顔を見合わせる。フェリーチェは咄嗟にプリズンロックへ視線を向けた。キャリバーを嘲笑っていた笑みは、師弟への関心によって別種の笑顔になっていた。


「ほう、あのフリッシュが。面白いな。やはりフリッシュは、生まれ変わりの象徴か。実際にその力があるかは見た事がないが」


 羽根や爪の端々が若干透けているあの黒い体は、肉と骨の組み合わせではなく、魔力が形になったものだ。フリッシュは生命体であると同時に、フリッシュ自身の魔法と魔力が自己として具現化した存在らしい。その魔法的理論は、自身に常在型魔法解析魔法をかけたフェリーチェの目から見ても複雑極まりない。脳裏に浮かべた計算式が、その難解さによって必ず破綻する。


 なぜフリッシュが一つ目の種族魚鷹の他に、もう一つの鳥種の特徴を持ち合わせるのか。なぜ半透明の羽根や爪の先端がかすかに霧散し続けているのに、その見た目が変わらず、フリッシュという魔法的エネルギーの総量が変化しないのか。存在しては黒炎の塊のはずであるが、なぜ巨鳥としての物理的特性と物質的特性を有するのか。なぜ、なぜ、なぜ。それらは翼正会の一般的な魔術師はおろか、フェリーチェ自身さえ生涯を捧げたとしても魔術の数式として証明できないかもしれない。


 「大ミサゴの鳳凰種」、それがフリッシュという巨鳥だ。かつて、生前の翼聖ハバキリオラクルも、大トキと鳳凰種を両立していたという伝承が残っている。しかし、その翼聖が遠い過去に「翼正会の宝珠」へ変わったという現在において、「死を招く黒い鳥」だけが唯一の鳳凰種だ。


 なぜ、ダイヤモンドクレールをはじめとした他の巨鳥たちは鳳凰種になれなかったのか。なぜ、フリッシュだけが鳳凰種になれたのか。それについても、誰も語らない。例のごとくクレールも、当のフリッシュも。


「あの少年がフリッシュの何を変えたのか。君たちの何を変えるのか。私としては、良い方向に向かってくれる事を願っている」


 古参と表現しても過言ではないというプリズンロックから見て、プレアデスと「未来の為に」と言い合うフリッシュには、変化と呼べるものがあるようだ。フェリーチェには分からない。彼らの本心が、自分たちの未来が。


 カナリアとして顔をしかめるフェリーチェの横で、大きく息を吸って、吐き出す音が聞こえた。それはミチビキだった。呼吸を必要としないはずのアンドロイドは、険しい顔つきを続けながら、再度首を横に振った。そして呟く。


「僕は、サタンズクロー師匠から言われました。『フリッシュには用心しろ』と。僕から見て、フリッシュ師匠と弟子の彼は、十分にそれに値します」


 それは、自分や周囲へと心優しい姿を見せるミチビキの、あの師弟に対する静かな宣戦布告なのだろう。フェリーチェはその時、かつてサタンズクローが一門の前で高らかに述べた挨拶を思い出した。


『俺ニハ夢ガアリマス。今ハ具体的ニ言エマセンガ、強イテ表現スルナラ、「過去ノ為」デス』


 何かが動き始めている。その幕を開けたのは、自分たちが見つめる漆黒の鎧の少年なのだろうか。あるいは、水面下で己の企てを進めているであろう五賢師第四翼なのだろうか。フェリーチェは知らない。彼の本心が、自分たちの過去が。


「時間だ」


 プリズンロックの言葉の直後に、館内アナウンスが流れた。


『消灯まであと30秒。ご注意ください。30、29、28』


 その秒読みに、一部の熱狂的な市民が声を重ねる。残り20秒を切る頃には、闘技場の周辺は大合唱となった。


「フェリーチェさん。僕に何か伝えたい事はありませんか? この先は何が起こっても不思議ではないので」

『縁起でもない』

「…………」

『ミチビキ、どうした?』

「フェリーチェさんでも、そんな言い回しをするんですね。やっぱり僕から見てもフェリーチェさんは本当に可愛いです。それだけは、彼と同意見です」


 はにかむように微笑むミチビキに対して、フェリーチェは無言をもって答えた。


『3、2、1』


 そして、累卵楼第一層の中が暗転した。










































「クイーン・コイル、貴女様あなたさまはプレアデス君が翼正会の巨鳥に勝てると思っていまして?」

「テーラーちゃんはどう思う?」

「もちろん当然勝てますわ! プレアデス君は『先生』とフリッシュ先生とわたくしが特訓し、貴女様があのハルクエンジンを設計したのですから! 製造に関しても、貴女様の部下へ相当口出しされたと聞いていますわ!」

「そりゃあ、あれだけのお代をもらったら生半可な仕事はできないからねえ。じゃあ、続きといこうか」

「ええ! 今日こそ貴女様を追い越させて頂きますわ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る