第4話・回収されたストレージの音声ログ4「僕と『彼』は、必ず殺し合う運命」

 午前7時0分。喧嘩の手前まで発展したタオシャンさんとロジェさんの言い争いをグアンダオストーム師匠が宥めたのち、朝食の時間は終了しました。師匠は翼をはためかせて立ち去り、直弟子たちは課せられた日々の最低限の雑務や慣例を始めました。


 それは歯磨きや洗顔、使い終わった食器の洗浄や収納、テーブルや椅子の片付け、共同寝室ドームに植えられた植物の手入れ、寮内とその外部周辺の清掃、寮内電子的及び魔法的システムの点検、軽運動などです。私とハジュンさんとンシアさんとデリックさんとレインメイカーさんは、グアンダオストーム師匠とともに寝起きした直弟子たちと異なり朝食の準備を行なったので、割り振られる雑務の量は何割か軽減されました。


 そして、ダイヤモンドクレール師匠への対応の労いとして、私を含めたフェリーチェさん以外の直弟子がフェリーチェさんの雑務を肩代わりして、30分の仮眠時間をプレゼントしました。魔法を用いれば、30分で2時間相当の睡眠効果が得られます。フェリーチェさんが私室の中へと消える前に、私は真実を曖昧にした上でフェリーチェさんにお願いして、共同寝室ドームの壁の傷を魔法で完全に修復してもらいました。


 私は雑務の軽減によって生まれた10分の余裕を、私室に佇むハルクエンジンの点検にあてました。サタンズクロー師匠とMRCによって各種性能試験が実施された事は知らされていましたが、その時の私は、グアンダオストーム師匠との手合わせが確実になったら、あらためて小口径装甲貫通特化APFSDS砲弾による耐徹甲試験を行なう必要性を考えていました。私の私室のベッドは、寝具の類が完全に取り払われ、マットレスの代わりに厚手のビニールシートが敷かれ、簡単な整備や点検を行なう為の計器や工具が整頓されて並んでいます。


 寮の外でローブを脱ぎ、私を含めた直弟子たちが輪になって軽い体操で体をほぐし、再びローブを着用した時に、時刻は8時21分となりました。


 第二層の中にブザー音が連続して鳴り響き始めました。直弟子たちは、メインエレベーターや寮から見て右側の彼方で曲線を描いている壁の中ほどに視線を向けました。そこに取り付けられているライトが点灯し、外壁と同様に合金と樹脂の組み合わせの大型スライド扉が、僅かに外へ張り出すと、左右へ開放を始めました。


 今日の午前中の予定はすでに決められています。スライドの開放が五割にも満たず、ブザー音が続いている第二層に、それをくぐり抜ける瞬間だけ羽をかすかに折り畳んだ一羽の巨鳥が勢いよく飛び込んできました。翼を広げ一度だけ羽ばたき、さらに加速します。ハルクエンジンを着用しなければ魔力を生成できない当時の私にも、その推力に魔法が用いられているのは明らかに見て取れました。直弟子の一部から歓声が上がります。


 その巨鳥の師匠は右の翼を下げ体全体を傾けると、第二層の外壁内周付近を時計回りに一周しながら減速し、着地態勢に入りました。直弟子の共同寮とその前に集まる直弟子たちに向けて高度を下げていき、地面に再接近したところで頭と胸を立てて一度力強く羽ばたく事で速度を完全に相殺し、私たちから10.94メートル離れた場所に慣れた仕草で難なく着地しました。


「師匠!」


 そう言って真っ先に駆け出したのはレフさんでした。私たち直弟子全員がそれに続きます。レフさんが師匠のもとに駆け寄ると、師匠は頭を下げました。レフさんは、師匠が着用している水滴の尖端を後方に向けて横にしたかのような独特の形状を持つ黒い乱反射光カット偏光レンズのゴーグルを、彼の額へと押し上げました。それは直接の直弟子であるレフさんの役目です。


「師匠! おかえりなさい!」

「ああ、レフ。ただいま。おい、ガキンチョども! 元気にしてたか!」


 頭を上げた大カモメのアズールスピード師匠は、太陽のごとく明るい笑顔で私たちに問いかけました。体高4.17メートル、純白の頭と胴体、淡い水色の翼と尾羽、健康的な薄橙色の嘴と足を持つアズールスピード師匠は、その清々しい外見に違わず親しみやすい性格で直弟子や一門弟子から特に慕われている師匠の一羽です。


 単純な飛行速度では大ハヤブサのミモザコート師匠や、半ば破門状態にあるアディクトテーラー師匠に劣りますが、アズールスピード師匠は特に海風を読む事に長けています。また、空力ブレーキや8の字飛行といった、比較的難度の高い飛行技術も持ち合わせています。アズールスピード師匠は昨日、エターナルキャリバー師匠から依頼され、旧カナダ国の旧バンクーバー島に存在する一般魔術師で構成された翼正会の支部に向けて出発し、たった今帰還したところです。今日の午前8時30分からの鍛錬は、アズールスピード師匠の担当と前もって決められていました。


「アズール師匠! すごくカッコよかったです! 100万点!」

「嘘つけロジェ! 累卵楼に入った瞬間俺がちょっとよろけたの見てたろ! だが褒めるってのはいい事だ! どんどん続けろよ!」

「アズールスピード師匠、無事にご帰還なされた事を心からお喜び申し上げます」

「フェリーチェ、挨拶は嬉しいがお前はいつもカタすぎるんだよ。そういう意味ではミチビキを見習え。俺が周りとの付き合い方を教えてやるか?」

「……おかえりなさい、アズールスピード先生」

「あー……ただいま……ハジュンがそういう顔をするって事は、俺もまだまだって事だな……やっぱフォーゲル師匠の直弟子は目が肥えてるな……フォーゲル師匠は飛び立ってから着地まで全部上手いからな……」


 直弟子たちは次々と帰還の挨拶などを口にして、アズールスピード師匠はそれに一つずつ丁寧に返答します。アズールスピード師匠を囲む直弟子たちからわずかに離れた場所で、レフさんが少々淋しそうな顔つきを浮かべてました。


 アズールスピード師匠は、よい意味で裏表がない性格をしています。それによって用心深い五賢師からもある程度は信頼されており、往々にしてこのように弟子たちによる「取り合い」が繰り広げられます。このような状態が続くのならば、私かフェリーチェさんから皆さんへ優しく窘める必要を感じました。その時です。


 グアンダオストーム師匠の挑発にさえ瞬き一つ見せなかった私が、眉をひそめて第二層のスライド扉へ顔ごと向けました。累卵楼のプライベートネットワークに常時接続している仮想的な脳裏に、一つの警告が表示されました。


 それから一瞬遅れて、通常のブザー音を鳴らしながら完全に閉じかけていた第二層の大型スライド扉が停止し、さらにけたたましいブザー音を轟かせ開放を始めました。驚きを隠せないアズールスピード師匠と直弟子たちが一斉にスライドへと注目すると、私に届いた通知と全く同じ文言が館内自動アナウンスとして累卵楼の中に響きました。


『緊急着陸要請を受信しました。第二層メイン扉を開放中。ご注意ください。繰り返します。緊急着陸要請を受信しました。第二層メイン扉を開放中。ご注意ください』


 唖然としていた皆さんの中で、一番最初に表情の鋭さを取り戻したのはアズールスピード師匠でした。


「フェリーチェ! お前は第三層に行け! そこでクレール師匠の指示を受けろ! ネットに接続しているミチビキはここで俺の管制代わりだ! ハジュン! 第一層に行って一門弟子を城下町中に散らせろ! ここまで飛べなかった時に魔法で受け止める為だ! クレール師匠の名前を出せ! 全部の責任は俺が取る! リベルト! 寮にある救急セットを持ってくるんだ! ンシア! デリック! 緊急着地用のマットを出せ! マリウス! レフ! ロジェ! タオシャン! ンシアとデリックが戻ってきたらマットを敷く手伝いをしろ! 全員行け!!」


 それを聞いた直弟子たちは大きく短い声で返答し、具体的な指示を命じられた者は走り出すか、カナリアに変身して飛び立ちました。私はその場に片膝をついてしゃがみ、ネットワークの回線優先度を私に設定しました。巨鳥の師匠も直弟子たちも、表情が真剣そのものです。


 巨鳥の師匠たちは累卵楼から飛び立つ際に、緊急時の備えとして、人間の手に収まる程度の大きさである信号発進機器ビーコンを羽毛の合間に埋めて携行します。一般的なグローバルネットワーク回線は前世界崩壊と運命をともにしており、ビーコンの信号が届く範囲は半径5キロ前後です。その圏内ならば、ビーコン同士の信号通信や、先ほどまさに累卵楼へ届いた緊急要請の送信が可能です。


 つまり、それが送られてきたという事は、緊迫した事態である事を意味します。私はすぐさま意識の何割かを、ネットワークという仮想的な神経網へと走らせました。1秒にも満たない早さで、最初の答えに辿り着きました。


「アズールスピード師匠、ビーコンの持ち主はミリオンラブ師匠です。方位は累卵楼南西です」


 私はアズールスピード師匠の顔を見上げながら発しました。巨鳥の師匠が携行するビーコンには個別のIDが割り振られており、故障時など以外は常に同じビーコンを使用します。ビーコンのID照合により、発信者の特定を可能にする為です。


 ビーコンの発信位置も割り出す事に成功しました。この情報は、累卵楼ローカルネットワーク最高権限者であるダイヤモンドクレール師匠のターミナルにも表示されたはずです。


 大クジャクの巨鳥であるミリオンラブ師匠が、直弟子であるダニオさんとともに累卵楼へ最後に立ち寄ったのは一年ほど前で、その時点ではミリオンラブ師匠もダニオさんも健康そのものでした。彼らは旧南アメリカ大陸へと旅立ち、ここから数キロほど離れた空を飛行するまでに何が起こったのでしょうか。この時点では、私たちの間にはまだ緊張が張り詰めていました。


「いいぞ、ミチビキ。ビーコンの緊急通話機能は使えるか?」

「確認します、アズールスピード師匠」

「頼んだぞ。ンシア! デリック! 早いな! いいぞ! マリウス! レフ! ロジェ! タオシャン! みんなで広げるんだ! リベルト! それをここに持ってきたらマット広げに加勢してやれ!」


 アズールスピード師匠の的確な指示を聞きながら、私は私に与えられたネットワーク間権限を行使し、ビーコンのバッテリー残量を確認しました。ビーコンにはこういった場合の備えとして、マイクとスピーカーを内蔵しており、ネットを介して会話を行なう事ができます。しかし、それにはバッテリー持続時間低下という一長一短がついて回ります。


 1秒ほどで、ネットの中を駆けてきたさらなる回答が私のもとへ届きました。最後に累卵楼を訪れた時から、支部などで充電を行なわなかったのでしょう。ミリオンラブ師匠のビーコンは、バッテリー残量5.5パーセントにまで減少していました。


「アズールスピード師匠、通話可能ですが、おそらく長くはできないでしょう。僕の予想では、約10分かそれ以下が現実的な通話可能時間です」

「よくやった、ミチビキ! それだけあれば十分だ! 呼びかけてみてくれ!」

「はい! アズールスピード師匠!」


 私自身も、思わず熱がこもった口調になっていました。事態は刻一刻と変化し、1秒の迷いが致命的になると、その時は考えていました。


 ネットワークと繋がった私は、電子信号を組み合わせ、仮想的な声帯で作り出した呼びかけを、ビーコンの物理的なスピーカーで再生させました。


『ミリオンラブ師匠、ダニオさん、聞こえますか? 累卵楼では現在、緊急着地の準備を進めています。応答が可能でしたらお願いします』


 次の瞬間、ビーコンのマイクに入力されたものを、私の仮想的な聴覚が拾いました。それは、カナリアの大きな叫び声でした。当時の私はハルクエンジンを着用していないと魔力を生成できなかったので、その状態で動物の言葉を理解する事は不可能でした。しかし、それは何かの強い感情によって放たれたものである事は確実でした。


「応答がありました! おそらくカナリアに変身したダニオさんからです! 大きく叫んでます 引き続きコンタクトを取り続けます!」

『ダニオさんですか!? まずは落ち着いてください! 累卵楼では、現在最善の状態を尽くしています! ミリオンラブ師匠はどういった状態でしょうか!? 重篤な場合は、短く二度鳴いて教えてください! 今エターナルキャリバー師匠が累卵楼から出ました!』


 私は、人間の口腔を模した多目的スピーカーと電子信号で同時に発声しました。透明な累卵楼外壁の奥に、翼で風を切り裂く轟音を残して加速していくエターナルキャリバー師匠が見て取れます。ターミナルで私たちのやり取りを知ったダイヤモンドクレール師匠が命じたのでしょう。


 次の瞬間、私の意識に、幾多の可能性の中で最もそうでない事を願った、最低な返答が届きました。


『やっほー、ミチビキちゃん! こっちは旧ブラジルからひとっ飛びしてきたからクタクタだけどピンピンしてるぜ! ほら、ダニオ! ビーコンなんて使ったからかなりヤバくなってるぜ! こりゃクレール兄様から大目玉だな! 俺と一緒に怒鳴られる覚悟はできてるか?』


 私は思わず絶句しました。しかし、それでも伝えなければなりません。


「アズールスピード師匠……ミリオンラブ師匠もダニオさんもご無事です……つまり……『いつもの事』です……」


 私の言葉を耳にした瞬間、アズールスピード師匠は大きなため息をついて落胆しました。師匠のその様子を見て、緊急着地用マットを準備していた直弟子の皆さんは、安堵したり憤ったりします。


「お前ら……よくやった……お前ら自体は見事だった……訓練だと思って我慢してくれ……ミリオンラブのビーコンの時点で疑うべきだった……」


 アズールスピード師匠の労いを聞きながら、直弟子たちは準備の俊敏さとは対照的に、ゆっくりとマットを片付け始めました。


『ミチビキ、聞こえているな? 館内と屋外放送を使って全員に知らせろ。俺にこれ以上あの恥知らずの世話をさせるな』

『承知しました、ダイヤモンドクレール師匠』


 ネットワークを通じて私に届いたダイヤモンドクレール師匠の声に返答したのち、私は累卵楼内外の放送システムに接続しました。


『こちらは直弟子のミチビキです。皆さんお疲れさまです。ダイヤモンドクレール師匠に代わって皆さんにお伝えします。ビーコンから緊急要請を発信したミリオンラブ師匠とダニオさんの無事を確認しました。普段通りに戻って頂いて構いません。あらためて、本当にお疲れさまでした』


 私が人間の耳を模した集音装置でスピーカーから流れてくる自分の声を聞いていると、私のカメラアイには、ここからでも明らかに不機嫌だと判別できる様子で飛行するエターナルキャリバー師匠が見て取れました。出発の速度から察するに、実際にミリオンラブ師匠やダニオさんと会ったのかもしれません。


『ミリオンラブ!! この底なしの恥知らずが!! お前は何度俺に迷惑をかけたら気が済む!! 今度やったら丸焼きにして喰ってやるからな!!』


 放送用スピーカーからダイヤモンドクレール師匠の怒声が響き渡るのと、直弟子たちがマットを畳み終えるのは同時でした。それから数秒後に、ダイヤモンドクレール師匠が強制的にブザー音を止めた第二層の大型スライドを、一羽の巨鳥が通過しました。私がカメラアイの倍率を上げて確認すると、その身体にはいかなる外傷や疾病の様子が皆無でした。


「ねー、ンシアー。大クジャクの丸焼きっておいしいのー?」

「タオシャン、冗談でもその言葉はミリオンラブ師匠に対して不敬だ。とはいえ、俺は鳥肉の味を忘れた」

「僕もー」

「絶対マズいに決まってるだろ……そもそも……あいつなんてクレール師匠が嘴をつける前に俺が生ゴミ入れにブチ込んでやる……!」


 アズールスピード師匠がため息まじりにそう呟きました。五賢師がそうであるように、それ以外の巨鳥の師匠にも実力順で決められた序列があります。ミリオンラブ師匠が人間であった頃を知るアズールスピード師匠は、彼よりも何羽分か高く位置づけられています。もっとも、「実力順」とは頭領であるダイヤモンドクレール師匠による組織運営上の思惑も含まれたものであり、単純な単体戦闘力で考えると上位三名はやはり、サタンズクロー師匠、アイゼンフォーゲル師匠、そしてフリッシュでしょう。


 私たちから15.78メートル離れた第二層の大地に、ミリオンラブ師匠は体高5.83メートルの巨体を無事に着地させました。着地するやいなや、黒一色の翼や五体、ピンク色の飾り羽の一部を剥き出しの乾いた土の上につけて横たわりました。しかし、乳白色のサファリハットの下の黒い毛並みに覆われた表情は、若干の疲労感以外は健康そのものでした。もちろん、師匠の身体の全てが同様です。


 私たちは歩いてミリオンラブ師匠に近づきました。その最中に、自らの師匠の背中に乗っている焦げ茶色のカナリアが閃光に包まれ、同じ色のツーブロックの短髪と褐色の肌を持った人間の姿に戻り、師匠の背中に跨ったまま拍手を始めました。


「ふぅ〜! 疲れた〜!」

「師匠、さすがです! ヤバいくらい見事な着地でした!」

「当たり前だぜ! なんたって俺はお前の師匠だからな!」

「旧ブラジルから旧アメリカのここまで、休憩を全く取らない飛行も素晴らしいです! 俺もいつか師匠みたいな模範的な巨鳥になりたいです!」

「そんなに褒められるとさすがの俺も照れるぜ! ところでダニオ、そろそろ背中から降りてくれるか? ヤバくはないが、今の俺はちょっと疲れてるから、今年で17になるお前はちょっと重いぜ」

「はい、師匠!」


 そう言って、ダニオさんがミリオンラブ師匠の背中から降りたところで、私たちは合流しました。一点の曇りもない軽やかで爽やかな師弟の笑顔から察するに、ダイヤモンドクレール師匠の叱責は全く効果がありませんでした。私の周囲から、これ見よがしなため息がいくつか聞こえました。


 ミリオンラブ師匠とダニオさんは、累卵楼で最も明るく元気な師弟として呼び声が高く、今回と同様に騒ぎを何度も起こしては、「明るく元気なだけの馬鹿ども」と罵られます。しかし、ミリオンラブ師匠もダニオさんもそれを全く気に病む様子はありません。ミリオンラブ師匠は「さらに生を満ち足りたものとして謳歌する為」に人間の姿を捨て巨鳥となり、ダニオさんはそんな彼の過去に惹かれて弟子になる事を望みました。彼らの間には、言葉で表現しきれない絆があります。私とフェリーチェさんがそうなるように。


「で、お前らいったい何しに戻ってきたんだ?」


 見下ろすよりも見下すに近いアズールスピード師匠に問われて、ミリオンラブ師匠は地面から顔をもたげ、サファリハットの下で浮かべた満面の笑みをアズールスピード師匠に向けました。


「アズール兄さん! お久しぶりです! それに直弟子ちゃんたち! ちょっと見ない間にみんな背が伸びたな!」

「俺もアズール師匠やみんなに会いたかった! ……ような……? 師匠との旅はヤバいくらい楽しくて、みんなの事すっかり忘れて……た……ような……?」

「お前らが元気なのは分かったから、さっさと要件を言え。暇潰しに戻ってきたわけじゃないだろ? 俺もガキンチョたちもお前らほど暇じゃない」

「そうだった! ダニオ! お前の口からアズール兄さんや直弟子ちゃんたちに教えてやれ! これも立派な直弟子の務めだぜ!」

「はい、師匠!」


 自らの師匠へ振り返って顔を向けていたダニオさんが、私たちに向き直り、その顔つきは真剣そのものになりました。私たちはそれに対して真摯に応じる為、無言で見つめ返しました。


「みんな、よーく聞いてくれ」


 ダニオさんがそう口にした瞬間、ミリオンラブ師匠が自身の長く大きな飾り羽をなびかせるほどの盛大な放屁をしました。腹部に溜まっていたものを放出した為か、ミリオンラブ師匠の顔つきが安らかに蕩けます。


「さすが師匠! 巨鳥らしい立派な屁です!」

「だろー? うわっ、我ながらヤバいくらい臭いぜ!」 


 満面の笑みのミリオンラブ師匠やダニオさんとは対照的に、直弟子たちが自身の鼻をつまんだり、鼻の前を手であおぎました。私も機械としての嗅覚機能を完全にオフします。アズールスピード師匠に命じられて、第二層をあとにしたフェリーチェさんとハジュンさんは、こういう意味で幸運だったと言えるでしょう。顔をしかめたアズールスピード師匠が無言でミリオンラブ師匠の顔に近づき、大カモメとして鰭のついた右足でミリオンラブ師匠の横顔を一度だけ軽く小突きました。


「アズール兄さん? 俺にSMの趣味はないですよ? 兄さんはあるんですか?」


 ミリオンラブ師匠に背中と尾羽を向けたアズールスピード師匠は、振り返りながら大きなため息をつきました。


「お前……これくらいで済む事を奇跡に思えよ……四賢師時代だったら、クロー師匠以外の五賢師の誰かから一瞬で八つ裂きだったはずだぞ……」

「え? 兄さん、その時代にはもう巨鳥だったんですか?」

「んなわけないだろ。ギリギリ四賢師時代にいたかもしれないのは、確実なクロー師匠以外の五賢師とフォーゲル師匠以外は、ロック師匠かミモザ師匠くらいだろ。というか自分の弟子の話を邪魔するな!」

「アズール兄さん、ノリがいいのか悪いのか分からないですねえ。まあいいや。ダニオ! あらためて頼むぜ!」

「はい、師匠!」


 アズールスピード師匠がミリオンラブ師匠を睨みつけるさなか、ダニオさんが再び真剣な面持ちになりました。彼を見つめ返す直弟子たちや、アズールスピード師匠も、うんざりとした気怠い表情を隠しきれていませんでした。しかし、次の一言で、全員の顔つきに険しさが宿りました。




「フリッシュ師匠が弟子を取った。俺と師匠は実際に見た。タオシャンやジェイドより年下かもしれない、長い黒髪を束ねた男の子で、たぶんミチビキのものと同じように特注品だと思う黒いハルクエンジンを着ていた。しかもフリッシュ師匠はその弟子を背中に乗せて、累卵楼に向かってる。だからそれを知らせる為に急いで戻ってきたんだ」




 私たちの無言の中に、これ以上ない緊張が張り詰めました。私は、私の中で想像されたあらゆる未来の確率を計算し始めました。しかしフリッシュという例外要素と、「フリッシュの弟子」という不確定要素が、それらを無意味にしました。何度試行しても、計算が途中で破綻します。


「で、師匠。これってどれくらいヤバいんですか?」

「そりゃあもう、世界がひっくり返るくらいヤバいぜ! 旧世界と現世界のあらゆる聖典と神話の中にある世界の終わりが、一緒に仲良くパーティ開くくらいに!」

「じゃあ、ヤバいほどお祭り騒ぎで楽しくなるって事ですね!」

「さすがはダニオ! 察しがいいな!」


 声を上げて笑い合うミリオンラブ師匠とダニオさんに対して、誰も窘めようとはしませんでした。アズールスピード師匠が無言で見つめて頷くと、頷き返したンシアさんとデリックさんがカナリアに変身して飛び立ちました。ダイヤモンドクレール師匠にいち早く報告する為でしょう。


 ミリオンラブ師匠が自らの発言を理解しているかは不明ですが、ミリオンラブ師匠とダニオさん以外の私たちは、現世界に対して不可逆的な変化がもたらされる危険性を各々の脳裏で想像したはずです。場合によっては、その弟子と「死を招く黒い鳥」が、世界の全てを焼き尽くすかもしれないとすら。


 そして、この時の私は、非科学的な予言めいた確信を抱いていました。それは、この時点からそう遠くない未来で現実になりました。


 「あのフリッシュが直弟子として選んだ『彼』と、僕はいつか絶対殺し合う運命にある」と。

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