第2話・回収されたストレージの音声ログ2「あなたこそ、かつての僕の、今の私の」
午前5時0分、ストレージの最適化をすでに済ませていた私は立ち上がり、ターミナルと書類の束を抱えました。そして、それらを私室の机に置いたあとに、共同浴場の脱衣所へと向かいました。
脱衣所に到着した私は、そこに置かれた二つの一般樹脂製の、つまりはプラステックのカゴの持ち手を掴み、それぞれの手で持ち上げました。カゴの中には、着用済みのローブや白いシャツ、ローブと同じ紺色である幅広のズボン、色とりどりの下着類が詰め込まれています。それらはもちろん、昨日湯浴みをした直弟子たちが入れたものです。直弟子の私室はシャワーを備えていますが、直弟子の皆さんの多くは「同性同士の裸の付き合い」を好んでいます。生物的な発汗機能や代謝機能を待たないアンドロイドの私でさえ、何度も入浴を誘われてともにしました。
一方のカゴの中の最上部、全ての衣類が綺麗に折り畳まれている様子から察するに、それは間違いなくマリウスさんのものでしょう。もう一方のカゴの一番上、全ての衣類が乱雑に、一部は裏返しになっている事から察するに、そちらは間違いなくタオシャンさんでしょう。私は、累卵楼第二層の全面特殊樹脂張りの外壁と共同寮の窓を通り抜けてきた朝日が差し込む寮の廊下で立ち止まり、タオシャンさんの服を畳みました。
「タオシャンさんには、もう一度注意しなくてはいけませんね。また僕が言うよりも、今度はフェリーチェさんの方が効果的かもしれません」
私はひとり言として、そう呟いた事を記憶しています。午前5時6分、私は共同寮の玄関である、両開きの扉の前に到着しました。表面に美しい木目が描かれているそれは、塗装が施された特殊強化プラスチックと建築用合金の組み合わせで形作られた、「厳かなアンティークの模倣」です。つまり、人間の偽物であった私の同類です。それから、数分ほど私はそこで待機しました。
暇潰しとして、食堂からかすかに漂ってくる香りを化学的に分析していると、午前5時15分、定刻通りにノック音が玄関へ響きました。私は片方の扉を開けます。
「おはようございます、ミチビキ様。お召し物のご交換に参りました」
「おはようございます。いつもありがとうございます」
「おはようございます、ミチビキ様。こちらでございます」
「おはようございます。それでは、よろしくお願いします」
そこには、一門弟子の証である青色のローブを着たふたり組がいました。そのふたりと私は、洗濯済みで綺麗に折り畳まれた衣服が入れられたカゴと、私が脱衣所から持ち運んだカゴを交換しました。
ふたりは第一層から直弟子の衣服を届ける為に訪れた一門弟子の使者であり、これは毎日の光景です。修行や鍛錬、師匠との交流の時間を増やす為、直弟子たちは生活上の雑務の大半を一門弟子に肩代わりされています。今日のふたり組は笑顔でしたが、こういった「直弟子の特権」は一門弟子からあまりよく思われていません。無言でカゴを突き出す者もいます。
直弟子の中で一門弟子から特に慕われているのは、レフさんやマリウスさんでしょうか。ふたりとも自己鍛錬の一環として一門弟子の雑務に協力し、師匠直伝の魔法を一門弟子の前で披露し教示する事が多いです。巨鳥の中で特に人気を集めていたのは、やはりアズールスピード師匠でしょう。翼正会の最高指導者であるダイヤモンドクレール師匠の威厳に満ちた性格とは対照的に、飾らず気さくなアズールスピード師匠は、一門弟子に対する年間最多講義回数を誇りました。レフさんの行ないは、直接の師であるアズールスピード師匠譲りだったのでしょう。
一門弟子から洗濯済みの衣類を受け取った私は、それが入ったカゴを直弟子の私室のドアが並んだ廊下の隅に置くと、再び食堂に戻りました。
午前5時18分。そこには私の分析通り、食堂に併設された小さな調理場でコーヒーを淹れたハジュンさんがいました。アイゼンフォーゲル師匠の直弟子であるハジュンさんは早寝早起きの習慣があり、彼の一日はいつも一杯のコーヒーから始まります。
「おはよう、ミチビキ。飲む? 飲むなら淹れるけど?」
「おはようございます、ハジュンさん。今日もお願いします」
「じゃあちょっと待ってて」
「ありがとうございます」
調理場の入り口で慣れた手つきのハジュンさんを眺めていると、数分後に私の目の前へ、純白のカップの注がれたコーヒーが差し出されました。調理場の戸棚には直弟子たちが愛用する個別の食器が収められており、私のそれらは全て純白で統一されているのが特徴です。
「ありがとうございます、いただきます」
ハジュンさんへ礼を述べたのち、私は調理場で立ったままカップに口をつけてコーヒーを一口飲みました。私は生物的な味覚を持ち合わせていませんでしたが、それでも化学的な成分解析により、このコーヒーが嗜好飲料として優良である事が理解できました。当時の私の内部構造で動力源を司る特殊異化エネルギー炉は、私が摂取するいかなる物質も燃料として扱う事が可能でした。これもまた前世界崩壊により新造が途絶えたロストテクノロジーです。
「今日はどう?」
「今日は、と言うより、ハジュンさんが淹れてくれるコーヒーはいつも美味しいですよ。ありがとうございます」
「…………」
ハジュンさんは私から目を逸らして、どこかを見つめました。
「生物的な舌を持たない機械が言う事は、信用できませんか?」
「……ごめん、そうじゃないんだ。ただ、やっぱりミチビキは先生と違うから。先生も、ミチビキも、サタンズクロー先生も、ファントムシグナルズ先生も、みんな違う」
そう言ってハジュンさんは、後頭部で毛髪をまとめた私の顔から、ハジュンさんと同じ人工皮革の靴を履いた私の足まで見渡しました。生物を模倣した形状を持つ当時の私やサタンズクロー師匠やファントムシグナルズ師匠と異なり、アイゼンフォーゲル師匠の外見や攻撃機能は純粋な兵器そのものです。
「一言に『前世界』と言っても、その中にはさらに細かな年代が存在します。アイゼンフォーゲル師匠は、おそらく、僕たちよりも前の時代のマシンなのでしょう」
「それは分かるけど……一度でいいから先生に僕が淹れたコーヒーを飲んでもらいな……」
「アイゼンフォーゲル師匠にはそれが難しいですが、きっと、ハジュンさんがコーヒーを飲む姿は、アイゼンフォーゲル師匠にとってコーヒーを飲む事と比較して遜色ない喜びのはずです」
「……ありがとう、ミチビキ」
それから、私とハジュンさんで、アイゼンフォーゲル師匠に対する世間話が始まりました。この日のアイゼンフォーゲル師匠は、数日前から引き続きMRCの移動支部で泊まり込みの
午前5時40分。機械としての私の意識の中に、一つの通知が現れました。
「ハジュンさん、5時40分です」
「もう時間か。当番はグアンダオストーム師匠だから……」
「間違いなく『外』でしょうね。ハジュンさんは食器の準備をお願いします。僕は『外』の準備を始めます」
「分かった」
ハジュンさんを食堂に残して、私は寮の廊下に出て歩き始めました。それから、2分も経たずして、その一角にある物置の扉を開けました。部屋の照明を点けず、通常カメラモードと並行して暗視モードを起動します。そこには、合成木材とアルミフレームで構成された、折り畳み式のテーブルや椅子が保管されています。
折り畳まれた椅子を私は両脇に一つずつ抱え、物置を出ました。それから、物置の扉からそう遠くない、あらかじめ開けておいた
私はアンドロイドだったので、人間の筋力よりも優れた腕力を持ち合わせていました。私の私室で直立待機している、「着る決戦兵器」の異名を持つ戦闘能力向上魔法科学鎧、つまりはハルクエンジンを着用すれば、時速100キロで走行する二両編成の列車さえ、拳による打撃一つで完全に脱線させる事が可能です。しかし、この程度の作業には不必要でした。
「あっ! フェリーチェさーん! おはようございまーす!」
テーブルを展開し、それを地面に立たせた私は、エレベーターの出入り口からこちらに近づいてくる短髪で赤毛の人物に手を振りました。累卵楼内部は曲線状の壁に沿ってエレベーターが点在しており、直弟子の共同寮は、第一層から第三層まで伸びた、一門の者から「メインエレベーター」と呼ばれるものの、第二層の出入り口からほど近い場所に存在しています。
一門弟子が立ち入りを許されているのは第二層までで、第三層はその主である巨鳥の師匠か、直弟子しか足を踏み入れる事ができません。それは現頭領であるダイヤモンドクレール師匠より前の時代から続く、翼正会のしきたりの一つです。
私の呼びかけに対して、彼はいかなる反応も示さずに、黙々とこちらに歩いて近づいてきました。エレベーターから現れたという事は、昨晩に直接の師匠であるダイヤモンドクレール師匠の私室に呼び出され、そこで夜を過ごしたのでしょう。もしかしたら、狭い鳥籠の中で一晩中、愚痴が入り混じった説法を聞かされていたのかもしれません。ダイヤモンドクレール師匠に対する私自身の怨恨はありませんが、フェリーチェさんに対する扱いだけは今も肯定する事はできません。
彼は私から1.61メートルだけ離れた場所で立ち止まりました。私は先ほどから微笑みかけていますが、彼は無表情のままです。
「フェリーチェさん、今日もいいお天気ですね。今日の天候当番はどなたか覚えていますか?」
「おはよう。今日はキャリバー師匠だ」
「ああ、だから二層の中もいいお天気なんですね。やっぱり朝から天気がいいと、気分が上がりますよね。僕は機械ですけど、そういう気持ちは人間と同じです」
「起床時間まで時間がない。俺は何をすればいい?」
「でしたら、僕と一緒にテーブルや椅子を準備しましょう。いつものようにハジュンさんが食堂で食器を準備しています。僕たちはこちらを済ませてしまいましょう。フェリーチェさん、僕と一緒にテーブルを持ってくれますか?」
「……非効率だ。ミチビキひとりでもテーブルを運べる。ミチビキがテーブルを運び、俺が椅子を運ぶ。それが最短だ」
「僕はフェリーチェさんと一緒にテーブルを運びたいんです。小さな事でも、弟子同士でこうやって親睦を深める事が、巡りめぐってさらに効率的な事象に繋がります。計算が得意な機械の僕が言うんだから間違いはありません」
「…………納得はできないが了解した」
それから、私とフェリーチェさんは一緒にテーブルや椅子を準備しました。挨拶を交わした時からそれらを共同寮の外に並べ終えるまで、そして以降の時間もフェリーチェさんは無表情のままでした。かつての彼は、アンドロイドである当時の私よりも人形じみていました。
ああ、ああ、ああ。フェリーチェさん。今も昔も、私はあなたの事を心から愛しています。今のあなたはあの頃から大きく変わりましたが、私の中であなたは不変です。愛しています、本当に。大好きです。その名の通り、あなたは私にとっての
話を、戻します。テーブルや椅子の設置が終わった私とフェリーチェさんは、食堂でハジュンさんと合流しました。それから、私たちはテーブルの上に花柄のクロスを敷き、この日に朝食を必要としている直弟子全員分の食器を並べました。そこで時刻はちょうど6時0分となりました。
「僕が師匠と皆さんに声をかけてきますね。フェリーチェさんとハジュンさんは、グアンダオストーム師匠の件を一門弟子の方々に連絡をお願いします。それから、雑談などを楽しんで待っていてください」
「……フェリーチェは僕に何か話したい事ある?」
「特に伝達事項はない」
「フェリーチェさん、フェリーチェさんは第一翼であるダイヤモンドクレール師匠の直弟子なんですから、雑談も立派な仕事です。雑談による友情と信頼の向上は、共同生活をする上で有利に働きます。とても効率的な論理です」
「…………了解した」
思い返すと、この時の私は幸せそのものでした。この暮らしがいつまでも続けばいいと、そう願っていたのかもしれません。それを壊したのは、かつての私とサタンズクロー師匠でもあります。
私は共同寮の廊下を進み、「共同寝室ドーム」の自動ドアが反応する一歩手前で立ち止まりました。壁をノックします。
「おはようございます、グアンダオストーム師匠。すでにお目覚めでしょうか?」
「アハッ! おはようございます、ミチビキくん! みんなすでに起きてます!」
「失礼します」
グアンダオストーム師匠の返答を聞いた私は両開きの自動ドアを通り抜けて、共同寝室ドームに足を踏み入れました。
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