🍍第7話 女神降臨 3

 彼が知っていたのは、小夜子が宝石商のボディーガードをしていたときに起きた事件である。


 自分の命がなにより大切な小夜子は、雇用主の海外出張に同行中、美術館での打ち合わせの際に、ふたり組の強盗に出会うという大騒動に巻き込まれてしまい、とっさに展示されようとしていた、素晴らしくも由緒ある日本刀に飛びつくやいなや、瞬時に抜き払い、その素晴らしい体捌きで、一瞬の隙をついて、銃をもった相手の両腕を、肘からばっさり両腕切り落とし、ついでにもうひとりも素早く横に一線、はらわたを、見事にかっ捌いていたのである。


 ゆえの“人でなしの東洋人”呼ばわりであり、この事件のあと雇用主から支給された“臨時増額危険手当”で、帰国後の小夜子は念願の『プチ整形プラン』と少し悩んだ末に、せっかく生還できたのだから、ここはひとつ祝杯をと思いきってOGがやっている酒屋へ足を運び、常日頃は指をくわえてながめているだけであった、ワインセラーに鎮座している、彼女にしてはとびきり高価なワイン、『エスターハージー・テソロ』を、あるだけ買いこみ有給を取って、自分の狭くて古いワンルームに引きこもり、生還した自分の幸せを祝い、記憶が飛ぶほど飲んだくれ、翌朝は床の上で夢すら見ずに寝こけていた。


 この他者の命に対する容赦のなさや呵責のなさが、ことさら神や仏が、彼女を忌避する理由でもあった。


 ついでに付け加えると、この大活躍? の背景には、彼女が主に稽古に励んでいた合氣道がもちろんある。


 専守防衛的な武道ではあるが剣術から発展した経緯もあり、彼女は剣術や棒術も一通り身につけていた。

 その上彼女は、学生時代には『ミラー/鏡』とすら言われていた、天性の運動神経と才能の賜物で、別の素養すら習得し活用していたのである。


 小夜子が通っていた大学には巨大な道場があり、そこには何面もの部活動用のコートが隣あっていた。そして合氣道の道場の隣は、居合いと剣道の道場だったので、日々、自然と目にするうちに、彼女は卒業までに、抜刀や剣術すらも嗜む以上にマスターして“人でなしの東洋人”の素地も身につけていた。


 故に、「男であれば、どの武道の世界をも制覇したであろう……」それが、彼女へ向けられる賞賛と同時に、落胆をあらわにした言葉でもあったが、「ないカードを欲しがってもしかたないし、そこらの素人には負ける要素ないよ?」そう言って、「わたしだって顔が薄くなければ、もしかしたら美し過ぎるナントカになれたのに!」なんて、そんな言葉は気にも止めず、最低単位数学を取るのに失敗したので、無料のフランス合氣道留学にも行けなかったことにもめげず、日本の片隅にある大学の、だだっ広い道場の真ん中で囲み取材を受けている「可愛いくて濃い顔の友人」を羨み、別方向に悔しがっては呆れられもしていた。


 閑話休題。


***


「じ、じゃあ……あの巻き毛もそのフルセットに?」


 そんな背景を持つ『ミラー・小夜子』は、単に疑問を口にしただけだったが、巻き毛は、かなり気に入らない様子で、小夜子をにらみつけていた。


「わたくしを誰と思っていらっしゃるの!? まさか忘れたなどと言わせませんわ!!」

「…………」


『……わたしが知らないだけ? それか、は本気で忘れている?』


『ミラー・小夜子』の記憶力は、かなり偏っていた上に、まだ、元の持ち主だった“慈愛の乙女”の記憶と完全には混ざりきっていなかったので、自信が持てなかった。


 仕方がないと言えば、仕方がないことであったが、ブルーエは愉快そうな声を発し、それに反応した周囲はどよめいていた。


「ははっ!」


 なにせブルーエが笑うなど、彼が生まれて以来、なかったことであったから。


 誰も知らぬことではあるが、彼は、この世界の誰よりも恵まれ秀でてはいるが、誰よりも不遇な存在でもあった。


『鎌を持たぬ死神』


 そんな秘密を抱えたブルーエは“老アルジャン”の頭の中を覗いていた。そして、小夜子のいままでを振り返っていたのである。


 恵まれぬ短い人生、その上、慣れぬ世界にいきなり叩き込まれ、とんでもない境遇に陥ったにも関わらず、清々しいほどに傍若無人で前しか見ない小夜子は、彼にとっては、いきなり目の前に現れた『魅力シャルム』そのもので、彼は以来、小夜子の魂を、すべてを愛してゆくことになるが、まだ誰も知らぬ、いまは、自身も気づかぬことだった。


『ないカードを欲しがってもしかたない』


 彼女は、いままで知っていたどんな女神とも、死神の女たちとも、あまりにも違っていたのである。


***


〈 その頃の“死神の世界”を支配する“四本の柱”赤の塔 〉


「今日は清々しい気分だ……は、は、はっくしゅん!……うん?」


 その頃、赤の塔では、塔のあるじであるロジーエ公爵が、塔の上にある見晴らしの椅子でワイングラスを片手に、久々の平穏な時間を過ごしていたが、自分のくしゃみに嫌な予感を覚えていると、案の定、『郵便屋』と呼ばれている、通信文を運ぶ大烏おおがらすが、彼の目の前に現れて、手紙をポトリと置いてゆく。


「青の塔からの通信……しかも速達……嫌な予感しかしないなぁ……」

「左様でございますね〜」


 大烏は、しゃがれた声で返事をすると、また、どこかへ飛んでゆき姿を消した。

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