🍍第4話 メタモルフォーゼ 2

 小夜子は夢の中で、緑色のを王冠のように頭にのせ、もとい、金色の大きな鎌を担いで、広がる青い空の中に立ち尽くしていた。遠くに見える景色に少し顔をしかめながら。


 雲の上にいる小夜子がなぜ遠くに見える景色に顔をしかめていたのかといえば、それはそこに知った顔を見つけたからだ。


 これ、ただの夢だといいんだけど……そんなわけないか。


 ここは見るからになんとなく毒々しい「死神の世界」とは違い、広々とした青い雲が広がり、足元には小さな泉まであった。何気なく覗き込んで、映り込んだ自分の顔に息を飲む。


『ちょっと待ってなんですけど! 頭にパイナップルのヘタはついてるけど! ここだけ南国テイストになられても!』


 そう、彼女は憧れの『濃い顔』になったわけではなく、ただただいたずらに緑色のを頭の天辺に生やしている、まぬけた自分の姿を泉の水面に見つけていたのである。


『いや、きっとこれは夢だ……死神も夢に違いない! 早く起きないと……遠くにいるのは、橋から身投げした顔の濃い女性みたいだけれど、ここは知らんふりをして……え?』


 早く目が覚めないものかと、小夜子が現実逃避をしていると、遠くから悲鳴が聞こえ出したので、自分だけ逃げるのは夢見が悪いと、しかたなく助けにゆくことにした。


 白い雲に隠れながらコソコソと近寄って、様子をうかがってみると、身投げ女は、なにか杖のようなものを必死にかかえ、蝙蝠のような羽の生えた目つきの悪い大蛇に襲われていた。


 周囲には窓から見た記憶のある死神たちがいたが、残念ながらあっという間に跳ね飛ばされて気絶している……情けないたらありゃしない……。


 身投げ女には少し釈然としないところもあるが、困っている人を見逃せるほど、小夜子は非道な人間ではなかった。


『幸い武器(鎌)も持っている……うん、なんとかなるはず!』


 そう、なんとかなったのである。小夜子の類まれなる体力と武術、そして社会人になってからもボディーガードとして、なぜか必要以上に危ない橋を渡る暮らしていた『人でなしの東洋人』とすら呼ばれたこともある彼女にとって、ギラリと光るウロコに覆われた、焔を吐く屈強な大蛇とはいえ相手ではなかった。


 その上、いま持っている大鎌の使い方すら、その辺りで気絶している死神たちの動きを見ただけで、なんなくマスターし、高く飛び上がって大蛇の羽を切り落とすと、怒涛の勢いで大蛇を退治し、首を刈り取り倒れていた身投げ女を抱き起す。


「大丈夫ですか!?」

「……危ないところをありがとう。まさか邪魔が入るなんて……」


 気を失っていた身投げ女に声をかけると、彼女は、ぼんやりとこちらを見つめながら口を開いて、よく分からないことを言っていた。邪魔とは?


 それに、何語なのかも分からないのに、なぜか理解ができるのが変に現実的で怖い。しかしながら話によると、実は彼女が「本物の慈愛の乙女」らしい。


 よかった! なんだか分かんないけど、この人(女神)を、どうにか連れ帰って説明すれば、元の世界へ戻れるかもしれない。


 そんな小夜子の胸の内をよそに「慈愛の女神」は、言葉を続けていた。


『わたしの名はパナケイア……太陽神アポロンの孫にして、死者をもよみがえらせる、神医アスクレーピオスの娘。あなたのいる死神の世界にとららわれ、神々から異端とされし世界のいやしをつかさどる女神。入れ替わりの対価として、素晴らしい祝福を授けます……今度こそさようなら、かわいく強い人……』


「え? さようなら……って……え? 今度こそ?」


 慈愛の乙女こと、パイナップルならぬパナケイアは、あわてている小夜子に声だけ残して消えた。


『わたし、これからは素敵な人と一緒に第二の人生を送るの……でも、神々の世界へ戻る条件である大切な使命とこの杖、そして記憶はあなたに渡しておこうと……そう思って……あなたには心からの祝福と杖……ああ、あなたに杖のままでは使いにくいわね。これでいいわ……少し気がとがめちゃって』


 女神の手から離れた杖は光の球となり、ふわりと小夜子の上に輝く。


「使命……祝福……?」


 その言葉を最後に夢は途切れ、光に包まれた小夜子は元の? 死神の世界へと戻っていた。


 起き上がろうとして、あまりの頭の痛さにまたベッドに横たわる。ベッドの側にいたはずの“老アルジャン”とかいう死神もいない。


 ため息をついた小夜子の閉じたまぶたの裏に広がるのは、あのときの彼女、『女神パナケイア』の暗くも恐ろしい記憶。


 くる日もくる日も、真面目に死者をも生き返らせていたギリシャの医神である父を手伝っていた彼女は、冥界の王、ハーデースの父への怒りに巻き込まれ、どの信仰からも離れたはるか遠い異世界、この死神の世界へと落とされたらしい。父が持っていた黄金に輝く蛇の巻きついた「魔法の杖」と共に。


 らしいというのは、なんとなく記憶に残っている。その程度だからだ。


 死神たちが住むここは、あらゆる天の世界ともつながり、しかし一線を引かれた存在であり、なじめる訳もなく、彼女は、とても果たせそうにない「使命」とやらから逃げようと、人間界へ降り立ったら意外にも居心地がよく静かに暮らしていたが、自分を追うに見つかってしまったので、また、逃げようとしたところを、運悪く死神に見つかったらしい。


 で、あろうことかすべてを小夜子に押しつけて、どこかに引退したようである。人間のイケメン彼氏と。


「ふざけている……それに、いくら死神相手とはいえ使もひど過ぎる……誰だよ? 命令した犯人は?」


 残念ながら犯人は分からなかった。頭の中に霧がかかったような、暗い部分があったのである。


 それでも頭の痛みを振り切り、根性で部屋にあった大きな鏡まで近づくと、案の定、女神からの慰謝料ならぬ、祝福の象徴、王冠に見えなくもない、『杖に巻きついていた蛇の飾りがついたグレードの上がった』が、自分の頭上に輝いていた。


「こんな祝福はいらない! どうせなら、あの濃い顔をよこせ! 強いはともかく、なにがかわいい人だ! バカ女神!」


 部屋の隅で気配を消し待機をしていたブルーエに仕える魔女たちが「大丈夫かしら?」そんな視線を無言で交わしていることに、ヘタにいつの間にか挟まっていた大蛇の虹色に輝く金色のウロコを必死で抜きとっていた彼女は、もちろん気づいていなかった。


 やはり夢は夢ではなかったのである。


『カキン……』


 ウロコは、無念そうな音を立てて床に飛び散っていた。

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