第11話 一輪功なって

 太閤は黙しつづけました。丿貫もことばをつぎませんでした。二人の沈黙があたりにただよい沈黙同士が交流しているかのようでした。

 丿貫は次をかんがえることなく、ただその時をあるがままに受けいれていました。その沈黙は木の椀も石の碗もかければかけたままのそれをたのしむというのににていました。

 太閤の沈黙は迷路にはまっておりました。まっすぐはしって壁にぶつかり、角をまがって引きかえすというふうでした。ですが、焦りというものはしょうじませんでした。惑乱をあそびたのしんでいるおのれを発見したような感覚がありました。かんがえてみれば、太閤の人生の大半は人にも物にもいからず、人の言や物のすすむのをさえぎらずであったのです。

「ご機嫌をそこねるようなことを申しましたろうか」

 丿貫は気遣いをしめしました。

「いや」

 とおうじておいて、太閤は、そういえばと、今更ながらおもいました。この男は不意におとずれた者が誰か問いもしない。ただ時を倶(とも)にすごしている、それだけのようだ。

「もらえますかな」

 太閤は所望しました。男は低い声で一言(いちごん)おうじると竃(かまど)に木切れを二つほどくべました。湯の温度があがるあいだに茶葉を手のひらにひろげ、ごみをよけ哿しよしとほめて笹の葉の上にやすませました。

「ゆっくら葉をのばせ、手足をのばせ、ゆっくららじゃ」

 ノ貫はそんなことどもをぶつぶつと口の中であそばせていました。子守歌のように。

 釜の湯がわきました。もえている薪を手前にひいて火をよわめます。わいた湯に木の椀をいれ箸でおしこみます。

「市中では疫病があるそうでございますから」

「市中には種々の病いがはやる。欲得病、茶の湯病……」

 男は釜から木の椀を取りだすと、その椀でもう一つの石の碗の方にも湯をそそぎ、毒消しをほどこしました。木の椀と石の碗、二つのわんが用意され笹の葉の上から茶葉がすべりおちました。

「急須をとおすのは毒消しが一つふえますでなァ」

 丿貫はそういって、やや熱をさげた湯を頃合い哿しとみて木茶わんと石茶わんにそそぎました。して、眼前の畑にたつ桑の木の小枝をたおり、刃渡り三寸ほどの小刀で手際よく皮をむくと二つのわんの湯の中でゆるらーに円をえがきました。

「鄙の茶々でござる」

 丿貫は石の茶わんを太閤に、木の茶わんを手許にふりわけました。桑の小枝で円をえがかれた湯は茶葉をだいてまろやかな笑みをうかべています。男は太閤にどうぞという意味の手をさしのべます。太閤はそれを視線でうけておいて、左の指先で一寸という仕種をしました。

「そちらの、木の椀でもらえますかのゥ」

「ほー、こちらを、こちらをこのみますか」

 男はためらうことなく木の椀の茶をやり石の碗を引きよせました。太閤は微細にゆれていた茶々の波がしずまるのをまってふくみました。

「母者人のしみる訓戒でござるが……」

 太閤はそんな偶感を口にしました。

「ほろ苦さをまとった甘さでござる。甘さの方は茶人どのの徳、ほろ苦さはわしの、不徳がかんじさせるものであります」

「ハハ、それはまた面白いことを……。ときに何ゆえ木の椀を」

「荒削りに魅(ひ)かれて」

 木の椀は職人ではない素人がこしらえたものであろう、刃物の格闘した痕がのこっています。太閤はそこに質素な温(ぬく)とさをかんじたのです。

 ――うふ、この木茶わんをもらっていって城一つに値するとふれこんでやろうか。とびつく者がおるぞ。美とは恐ろしく罪作りだ。美は妖魔の沙汰だ。となれば、大うつけ者といわれようとも百姓猿(ましら)と莫迦にされようとも金の茶室の方が嘘がなかろう。わしはしょせん百姓の猿じゃ、そういわれるのは誉れだとおもうとる。嘘よりも莫迦をとる。それが親方さまの教えじゃ。

 太閤は、そんなことどもを頭の中でめぐらせたあとで、

「ときに」

 と、たずねました。

「ここにひろげたあさがおはどうなさる」

「特段のことは」

 丿貫は頭をかきました。

「ながめてめでて見おくるだけです」

 ながめてめでてはわかるにしても、見おくるがどういうことなのか判然としません。太閤の怪訝な表情をみてとって、

「人を野辺に見おくるのと同じでござる」

 と男はいい、おおむね次のようなことをかたりました。

 ――人は花をめでる。しかしそれは盛りの時季だけで、しおれると苦もなくすてる。そしてまた新しい花の首をかっきってきてかざり、めでる。そういう行為を善として自尊心をたかめる。終曲、人間に対しても同様で、若さみちるときはほめそやし種々にもちいるが、皺があらわれれば、腰がまがれば、穢い物のようにうっちゃる。花も人も縁あってめでたならば、かれるまでみとどける、しぬまで、いきさせる、それが花を真にめでるということだと、われ鄙人(ひなびと)はおもう、と。

 その言は利休の所行を嘆訴しているかのようでした。いえそれは、太閤の得手勝手なおもいこみではなかったでしょう。利休の処からもってきたあさがおのことであれば、その花の運命と、そのようにおとしいれた利休の心持ちを嘆傷していたというのはあたらずともとおからず。太閤は心の臓が烈しく動揺するのをかんじながら訊いてみました。

「床の間に一輪のみあさがおの花が尊ばれてあったならば、これは如何に」

 ノ貫はその場からはなれ、ぐるりを庭をまわってきて細い息を長くはきました。

「曹松(そうしょう)の、一将功なって万骨(ばんこつ)かるですナ」

「万葉(ばんよう)ころして一輪功なるか……ホウ、ホー」

 太閤は板の間に敷きまかれたあさがおの花を一枚もらってかえりました。

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