第10話 上品に品なし
△(十)
誰もノ貫の素性をしりません。ただ、茶の湯については独自の識見をもち他の分野における学識も卓越していたので、大学寮で教鞭をとっていたのではないかとか、宮家の縁者ではないかとか、遠近(おちこち)にまことしやかなささやきがきかれました。しかし、それらはどれも京雀を気どる輩の評であり確証をもたらすものではありませんでした。
下僕がいうところの乞食茶人の居場所へつくと、太閤は駕籠や扈従(こしょう)を道向こうにおいて独りで敷地にはいってゆきました。ちょうど野良着のような物を身につけていたので好都合でした。そこには庵というようなものはなく貧居がすべてをかねていました。気候も頃合いであってか、戸がどこもあけっぴろげになっていて足の踏み場もないとはこのことかというほどそこいらじゅうにあさがおの花がばらまかれていました。
「オホウ、これはいかに」
太閤は挨拶もなくたずねました。丿貫の方も挨拶などどうでもよいようで、
「すてる上(うえ)つ方あればひろう貧(ひん)の者ありで、めでてやらねばとおもいましてナ」
丿貫という男はそういって横顔に笑みをうかべました。
「上品(じょうぼん)に品(ひん)なし貧者(ひんじゃ)に品(ひん)ありというところでござるか」
太閤が謎々のようなことをいうと男は顔の前面を片手でしきりにはらいました。
「品など途(と)でもないことです。品物を多くもてば品(ひん)はとおざかりましょうというのが、もてない者のまァ負け惜しみでございます」
太閤は、自分の事を皮肉られているような気がしましたが厭な気色(けしき)はしませんでした。
「茶はどなたに」
「茶葉にまなび、水に頭を垂れ、火にならい……」
「人は」
「と問われれば、一人(いちにん)百姓女にとでも申しましょうか」
「百姓女に茶を、これは為(し)たり」
「判じ物めいたことを申すのではございません。誰だかがあるじをされたときでした。おまえもこいというのでまいりました。その折にその女人もさんじておりまして。いえ、その女人に直接教えをうけたという明らかな事実はございません。わたくしがかんじいって勝手に教えをうけたとしているだけで、それだけのことでして」
丿貫のそれは泥の中の魚をつかむような語り口で、何をいいたいのか要領をえない処がありました。太閤の方も上手い訊き方をしらず、
「その女人が何を……」
と平凡にききかえすだけでした。
「侘びはつくるものでなし、たのしむにしかず、と」
男はさらりとこたえましたが、その後はまたひどくいいよどんだり、帳尻をあわせようとするためか妙につっぱしった物言いになったりしながら、女は次のようなことをかたったとくわえました。それを約(つづ)めればこんなふうとノ貫はかたりました。
――このごろ佗茶なるものがはやっているが佗茶がはやれば侘びじぇーねえ。そもそもその侘びとは侘びなる生活をしてねえ贅沢もんが口先で物語をこしらえているだけじゃねえかィ。陶人がこしらえた茶碗をわざとわって罅(ひび)をいれ、それを貼りつけなおして侘びといいつのる。侘びはつくるものでなし、たのしむにしかずじゃでナ、といいましたナその女人は。はい、大いにいってのけていましたヨ。わっしゃー薪雑把(まきざっぽう)であたまをぶんなぐられたような気持ちでした。わっしゃー茶の湯なるものをなぞっていただけで何もわかっちゃーいなかったのだとおもいしらされました。
ノ貫はそこでことばをやすませ庭の石に腰をおろして、
「というのは……」
といいかけましたが、そこでまた沈黙をだきかかえました。このときの太閤は、慈愛にみちた蓬莱山の翁のようで待つことをいといませんでした。男はことばを発しようとするのですがつかえておもうようにいかないというふうでした。太閤はあれこれかんがえずに待ちました。平かに待ちました。やがて男の口がうごきました、訥弁で。
それを約めればこんなふうで、と。
――そもそも百姓は陶磁器の碗などもっていない。木の椀をつかう。端がかければ鎌の刃でこすって尖りを平らかにしてつかう。そのように大事にすることがたのしいとおもえる心根でいきている。百姓でも何かの折に陶磁器、謂(い)うところの石の碗が手にはいることがある。それこそ宝物のごとく大事にもちいるのだが、いくら大事にしたところで毀れ物は毀れ物、端に瑕(きず)や罅(ひび)ができる。端がこわれたならば河原の石で尖りをけずる。大きな罅がしょうじたものはなおしようがない。しかし汁物にはもちいられなくても飯茶碗にならばもちいることができる。罅がまさぬように注意ぶかくつかう。そのような生活は傍(はた)からみれば不都合が多くて侘しいものだが、本人はたのしい心持ちの方がまさっている。そういう心根でいきているのだ。二束三文の陶の器をいじめてわって金筋銀筋をいれて仕立てなおし高い値でうりとばす、そのどこに侘びがあるのか、どこにひそやかな愉悦があるのか。もうかったもうかったという無粋な高笑いがあるだけではないか。椀碗(わん)に罪はない。罪つくりは人間で、そんなことができるのはその人間が作り物であるからだ。
この憎々しげなことどもを丿貫は仁愛にみちた眼を以ってかたりました。太閤は頭の中で何処かに何かつけこむ隙はないかとさぐりました。しかし発するに値することばは見つかりませんでした。太閤は長く一つうなりました。と、そのうなりが、これと同じことをきいたことがあるという記憶を引きだしました。太閤はゾッとしました。それをかたったのは、誰あろう、
――母者人……
その人だったのです。
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