第8話 イチゴ、イチエ

△(八)


 が、太閤の真の心裡(こころうら)はちがっていました。あまりの技巧づくしに、むしろ穏やかならざるものをかんじておりました。

 ――利休は自然を蹂躙している。

 太閤は庭をぐるりと見わたしたときのことを呼びもどしました。そのときは漠然とながめていたのでしたが、慥(たし)か大篭があったような気がしました。庭の隅の、木陰の暗さで判然としなかったものの、あの大篭にあさがおの花々の屍(かばね)の山がおしこまれていたのではなかったか、とおもったのです。

 しだい、それは太閤の中で確信にかわりました。星の数ほどさいていたあさがおの首、首、首をかっきって、一輪のみに注目をあつめさせるあざとさに虫酸がはしりました。耳の奥にあさがおの絶叫をきき鼻先にすえた臭いをかんじました。利(り)をやすまぬ休(きゅう)の芯がすえてはなつ異臭です。

 ――イチゴ、イチド。

 太閤は軸の文字を脳裡でなぞりました。利休がいうそれは、茶の湯の亭主は一生に一度の参会と心得て客人と向き合うという自戒の念であり門人たちにあたえる訓辞とのことでしたが、何のことはない、人をあやつる立て札にすぎなかったのだというおもいに立ちいたったのです。太閤の中に怒気がうまれました。吐き気が喉元をつきます。喉をしぼりあげて悪い塊をおしだそうとしましたが、胸もとに四つん這いにはりついてうごきません。

 ――形も技も利休の志、それを讃嘆して増長させたのはわしだ。だから、それはそれでうけとめねばならぬが、数多のいきる花の首をかっきってすてたのは憎らしい。

 それは太閤一人(いちにん)がゆるさなかったのではありません。日吉丸の中の、ウリをもってけといってくれた、あの農婦がゆるさなかったのです。

 ――たかが草花のこと、いちいち情義をもちだすなというか。

 利休はあさがおとまむかっていないと太閤はおもいました。あさがおのいのちに正対せず頭の中だけで操作しているからあんなことができるのだ、と。

 ――稚拙でよいのだ、会え、真向かえ。一期一度じゃない、一期一会(いちごいちえ)だ。噫(ああ)ー。

 太閤は声なくさけびました。訳がわからなくなっての吶喊(とっかん)でした。

 ――利休は頭の中で、すべて操作できる能力をゆうする。頭の中で茶の湯を巧みにつくりあげることができる。だから、あさがおにまむかわない方がむしろ美しいものが組みたてられるのかもしれない。それはしかし、利休自身が巧みにつくりあげられてしまった人間だからではあるまいか。あやつっているのは外でもない、利休自身がつくりあげた茶の湯、それだ。おのれが編みだしたとおもっているものに、あやつられているのだ。

 太閤は一膝(ひとひざ)二膝(ふたひざ)あとじさって薄闇の中で床の間にむかって会釈しました。

 地獄の境のような躙り口をでて小薮の小径に身をかくしました。

 ――一生に一度の酔狂をゆるされませ。太閤もこの手のことどもをこのんだではございませぬか。ゆえに、……ゆえに、心づくしのあさがおを、一輪……であるのに、何をいまさら心移りをなさいますか。

 そんな利休のやけにおちついた声が背中を追撃してきました。

 ――そうだ、ほめたわしも責められねばならぬ。

 すえた臭いは利休ばかりではなく、太閤もまた放っていたのです。太閤はそれをみとめて問いかけました、おのれに。

 ――何のための茶の湯ぞ……。

 太閤は小径をぬけました。

 竹箒をもった下僕が緑陰にとけこんでいました。僕はかすかな音を背中にさっして振りむきました。太閤と僕との視線が出会いました。僕は狼狽しました。その心情をよみとって、

「僕どの――」

 と、太閤は丁寧に声をかけました。

「庭にたんと咲いていたあさがおはどこへとんでいったかのう。ほれ、庭の隅にかたづけられていた、あれサ」

 少しばかり鎌をかけてそういいました。首をかりとられたあさがおの屍たちの、その後をしりたかったのです。僕はあさがおなどしりませんと返答せよとは命じられていなかったようです。利休の上手の手からも水がもれました。

「乞食(こつじき)茶人が――」

 と、僕はおどおどしながら反応しました。乞食茶人とは他の者がいうのをまねたのでございましょう。

「――大篭をせおって何遍か往来いたしました」

 そうきいたとき太閤のなかに血の海がひろがりました。この足もとでも、あの木の下でも、そこの小籔の路でも、向こうにはびこった蔓の周りでも、悉(ことごと)くかっきられたあさがおの生血が死にきれずあえいでいる、そう見えてきました。太閤の五臓も憤怒で血みどろです。ですが、幾つもの戦乱をのりこえ、幾十もの腹のさぐりあいをやってのけてきた太閤は、微塵もその血の色をみせず、むしろ、ゆるらゆるらとちょっと耄(ほう)けた老人の口調でたずねました。

「その茶人の住まいはどこじゃろう」

「門口を左手におゆき下さいまし。暫くいたしますと、大きなそりゃーでっかい楢の木がありますんで――」

 僕はこれでもかというほど丁寧におしえました。太閤はそれにいちいちうなずき銀色の物を手わたしました。僕はそれが何かすぐにはわかりませんでした。飴玉ではないということがわかっただけです。しかし、それが貴人方のもちいる銀貨(おたから)というものらしいときづくとあわてて地に這いつくばりました。

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