第4話

△(四)


 揺籃(ゆりかご)は大気のつばさにのったようにすすみます。太閤は瞑目して、群生するあさがおをうかべています。利休の才をいかにたたえよう、花の色を何にたとえようなどと、愉しみをふくらませています。その脳裡へ慮外(りょがい)に母者人がわりこんできました。

「あさぎゃおの花も一日(ひとひ)ひとひ、わしらも一日ひとひ。仲間じゃ。あさぎゃおは織女に逢えんでもくさらず、年々(ねんねん)咲(わら)ってござる。わしら百姓も同じじゃ。くさらず年々咲う。わしら百姓はあさぎゃおがすきだで、あさひゃおも百姓がすきだで」 

 あさがおが一日花であることと、その日暮らしをしいられる百姓も一日花と同じだから、両者は仲間だというわけです。また、あさがおは一日花であることをきらって来年は出てこないかというと、そんなことはなく、年々咲(わら)いをふりまくともいい、そういうあさがおがわれら百姓はすきだし、こちらがすきなら相手もこちらをこのむ、それがこの嫗(おうな)の論法です。

 太閤の脳裡を占拠した嫗はそういって、天にとどくほど高い位についてしまった息子を頭上からみつめ、息子がうなずくのをみとめると禅僧のように付けくわえます。

「わしらは何になろうと百姓だで。それをわすれちゃーバチがあたる。人間誰しも百姓なんじゃがわすれよる。調子づいてすーぐわすれよる。木の股からでもうまれたかのようなことをいいおって」

「ウッ……」

 むかし、母者人からはなたれて腹の隅にささったままの棘が急にうごだしました。太閤は身を蝦のようによじらせました。あまりの苦しさに駕籠の壁をたたきます。侍従が陸尺(ろくしゃく)にむかって片手をあげます。陸尺とは駕籠舁きのことでございます。駕籠は藁布団の上にまいおりるようにゆるらにとまりました。太閤は地面に両の足をおくと、扇子で前身頃(まえみごろ)をせわしなくたたき、母者人の棘に不平をむけました。

 ――忌々しい、いつも同じことを。もういいじゃろ。

 ――いーや、今だからこそ、棘はささったままがよいんじゃ。

 頭の中ででも母者人はひきません。太閤は天をみあげました。白い雲が悠然と呼吸しています。

 ――母者はあの雲だ。悠然たる白雲だ。きえたかとおもいきや、また出てくる。自在だ。

 太閤はふたたび駕籠にはいりました。

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