第2話

△(二)


 侍従は太閤秀吉の御前にひれふして利休好士の言をさしだしました。

「あすの朝、どうだというのだ」

 太閤の問いに侍従の胸がチリチリと金属をやくような音をたてて痛みを浮揚させました。

「その……あさが、お……あのォ……」

「何だ、その風に吹き飛ばされそうな物言いは」

 説諭が長くなりそうでした。侍従はあらがえる種もないので戯れ言にかけました。

「はい、わたくし侍従の自重(じじゅう)はまことに軽うございまして」

「莫迦な」

 太閤の顔がやぶれました。

「自重(じちょう)せよ」

 笑劇があたりにばらまかれました。侍従はホッとしました。ですが、つられて破顔することはありませんでした。むしろ堅牢な表情をつくりました。

「まったくおまえは得な性分じゃ。わかったわかった。わかる事をわからぬようにいってくるのは利休ごのみの癖じゃからな。明朝ゆく」

 太閤は相好をくずして、そういいました。

 ――それにしても、殿下と好士、二人の間柄はどうなっているのか、いったい……

 と今更ながら侍従はおもいました。腋の下に安堵と不安とがないまぜになった冷や汗がにじみました。


  茶話指月集(ちゃわしげつしゅう)にあるのをつづめれば、

 ――利休の庭、牽牛(あさがお)美事、と聚楽第につたえた者があった、とか。


 茶話指月集は藤村庸軒(ようけん)の話を久須美疎安(そあん)が書きのこした茶の湯ばなし。疎安は庸軒のむすめむこ。庸軒は利休千宗易(せんのそうえき)の孫・宗旦(そうたん)の高弟。ややこしくなるから省くが、庸軒も千家と親類である。つまり親(ちか)しい関係にあって庸軒は利休の茶の湯思想を伝えきいていた。孫宗旦は祖父利休をナマで知っている。その宗旦から庸軒は話を聞く。庸軒がそれを語る。女婿疎安が書きのこす。こんな按配だから多少の加減はあるにしても信憑性が低くない。これが本として世に出たのが元禄14年(1701)、江戸城松乃廊下刃傷事件のあった年だった。



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