ツバサちゃんねる

 空は快晴。周囲を木々に囲まれた、森の中のキャンプ地。


 小さな箱形の焚き火台の上で、これまた小さなクッカーが、上に乗せられた蓋をコトコトと鳴らしている。その周囲を飛び回る、手のひらサイズの小型カメラドローン。どら焼のような形をしたパールホワイトの機体の上部に、プロペラが生えたデザインだ。


 その持ち主である筒木美鳥つつき みとりは、手元のイクスフォンで映像を確認していた。

 角度、高さ、ともに良し。美鳥は満足げに頷いた。


「どう撮っても変わんなくね?」なんて友だちは言うが、侮るなかれ。神とは細部に宿るのだ。

 傍に置いていた卵型キッチンタイマーが、ジリリリと鳴り出す。

 さあ、今回の見せ場だ。 ドローンが正面に回る。美鳥はクッカーの蓋を開けた。


「はい、これが本日のダンジョンご飯! 煮込みラーメンwith卵でトンで行きたいと思いまーす!」


 ドローンが撮影し、イクスフォンの画面に表示される映像。そこには程よく白身の固まった卵を乗せたラーメンがあり、笑顔を浮かべた少女がいた。


 チャームポイントは、艶のある栗色の髪を後ろで結んだポニーテール。

よく知らないチーム名が書かれたベースボールキャップは、父のお下がりだ。空色のパーカーとデニムパンツはお気に入りの品である。


 :おー うまそう


 :煮込みなら俺も作れるぜ!


 :またラーメンw


 :卵が良い加減だな


 :ラーメンしか食わない女


 :ツバサちゃんかわE


 イクスフォンの画面に表示されるコメントは、概ね好意的。これらは、美鳥が管理する動画配信チャンネル、『ツバサちゃんねる』のリスナーによるものだ。

 高校の入学祝にカメラドローンをもらった美鳥は、ツバサのハンドルネームで定期的に配信を行っている。


「えー、いいじゃんラーメン。おいしいじゃん! では、さっそくいただきまーす!」


 リスナーへ適当に返答しつつ、美鳥はクッカーの取っ手を掴む。 箸で麺を摘まみ、口元へ。ふうふうと息を吹きかけ、ちゅるりと啜った。

 煮込んでいても麺はコシがあり、それでいて味噌味のスープがよく染み込んでいる。 卵もほくほくとして、特有の風味が楽しめる。


「んー! 最っ高!!」


 そう言って、美鳥は過剰なまでの笑顔を作る。

 もちろん美味しいのは本当だけれども、リアクションは程よく大きく、しかし下品にならないように食べるのは大変なのだ。


「いやー、晴れた日にお外で食べるラーメンは格別ですなあ! あ~、野菜のダシが溶け込んでほんのり甘いスープが麺によく絡む~」


 :ラーメンオタクかな?


 :もう夕飯食べてちゃったのにやめてほしい……スーパー行く……


 :ラーメン屋じゃねえのかよ


 :ツバサちゃん結婚して


「野菜いっぱい入れたラーメンはヘルシーさでも完璧になると私は信じています! 結婚はまだ無理。未成年だし」


 ラーメンを食べ進めつつ、リスナーに返事する美鳥。

 すべては無理にしても、可能な限りコメントに反応するのが良い配信者だ、と個人的に思っている。


 と、その時。


 近くからがさがさと音がして、美鳥はひゅっと息を止めた。 大抵の場合、それは吉兆ではないと教えられている。

 背筋に悪寒を感じながら、ゆっくりとクッカーを足元に置く。そして、代わりに傍に置いてあった金属バットを、そっと手に取った。

 柄を両手で握り、折り畳み式キャンプチェアに乗せていた尻を浮かせる。


 :ツバサちゃん大丈夫?


 :逃げた方がいいんじゃ……


 :四級なんだから無理しないで


 :ツバサちゃん避難して


 すぐそこにある茂みの一部が、揺れていた。

 風は無い。とは、何かが潜んでいるのだ。


 美鳥が固唾を飲んだ、次の瞬間。 茂みの下から這い出るように、一体のクリーチャーが姿を現した。


 大きさは、バスケットボールより一回り小さいくらいだろうか。うっすらと緑がかった半透明のビニール袋の中に、大小の玉をいくつか入れたような姿をしていた。

 それが、もたもたとこちらに寄って来るのを見て、美鳥は大きく息を吐いた。


「な~んだ。ハイズリソウじゃん……」


 この場所で一番弱いクリーチャー。攻撃の手段を持たず、地べたを這いずり回って栄養を求めるだけの生き物。

 美鳥でも簡単に倒せるほどだ。さして力も入れず、「えい」とバットを振り下ろし、叩き潰す。

 ハイズリソウは鳴き声を上げることもなくべちゃりと潰れた。その死体から、緑に輝く粒子が僅かに放出され、美鳥の体に吸い込まれてゆく。


「まあ、この辺にはそんな危ないの来ないよね。あーびびったー……ってヤバ! ラーメン伸びちゃう!!」


 美鳥はラーメンの残りを胃の中に片付けて、早めに配信を終わらせることにした。いつもなら雑談を挟むのだが、今日はどっと疲れてしまった。


「それじゃ、次回もトンでくぞー。ツバサちゃんねるでした!」


 :おつかれー


 :おやすみ


 :次回もよろしく


 :ツバサちゃん気をつけて帰って


 配信を止め、また溜息。人に行動を見られているというのは、やはり気を遣うものである。 最初はセリフも噛み噛みだったし、変に無言になったり失敗したりと散々だったが、それでも最近は慣れて来た自覚がある。


「さーってと……もう十九時だし、片付けて帰んなきゃ」


 少々凝った首をぐるりと回して、美鳥は撤収を始めた。

 火の始末をし、食器は帰ってから洗うためにビニール袋に詰めて、キャンプチェアは折り畳む。道具をリュックに詰め終え、美鳥はふと空を見上げた。


 相も変わらず広がる澄み切った青空。それを貫くように、果てしない高さまで伸びる―――大樹。


 ここは≪神樹の森≫。時計の針が何を指そうと夜を知らない、日本にあるダンジョンの一つ。

 ツバサこと筒木美鳥は、資格の取得によりダンジョン内に足を踏み入れることを許された、ダンジョンウォーカーと呼ばれる人間だった。


未知の世界に足を踏み入れ、怪物と戦い、宝を持ち帰る、現代の勇者。もっとも、今のところ彼女はどの条件も満たしてはいないのだが。


 日を跨いで活動する許可を得ていない美鳥が≪神樹の森≫にいて良いのは、二十一時までだ

 それ以上残っていると捜索されるし、事故などトラブルでも無ければ厳重注意を受ける。


 キャンプ地から出入り用のゲートまでは少し歩くため、美鳥は早足で向かった。家の門限もあるのだ。


 森を切り開いて築いた道は広く、大型車が二台並んで通れるスペースがある。 

帰宅する他の人々に混じって、美鳥は黙々と足を動かしていた。ちらりと視線を走らせて、周囲を見渡す。


 ≪神樹の森≫のリスクレベルは、ピース。比較的安全な場所であり、半ば観光地化されている。旅行会社の護衛付きツアー企画なら、ダンジョン関係の資格を持っていなくても入れるくらいだ。

 もちろん、それでも奥地に行けば行くほど危険度は上がるし、クリーチャーの強さも跳ね上がる。


「マジ綺麗だったね! ちょっと怖かったけど、来て良かった」


「普通の国内旅行じゃ、なかなかあんなの見れないからな」


 だから、美鳥と同じくらい軽装な者もいれば、


「今日はもうちょっと稼げると思ったのに……」


「俺ら、まだレベル低いんだからしかたねえよ。地道にだ、地道に」


 美鳥と比べ物にならないくらい武装している者もいる。

 ボディアーマーを身につけ、武器も剣や槍。金属バットとは全然違う、本格的な武器。


「あーいうの、憧れちゃうけどなあ……」


 美鳥は腕を組んでうむむと唸る。

 武器として金属バットを装備しているのは、別段こだわりがあるわけではない。ただ単に父がもう使わないからと譲り受けた物で、つまりはタダだったからだ。


 何せウォーカー装備専門店に並ぶような品はどれも高額で、安い物でも五万は平気で飛んで行く。防具まで含めれば、まだ学生の美鳥にとって天文学的な数字となる。

 レンタル品でも七千円は持っていかれるので、なかなか手が出にくい。 特に今は経済的に冒険しにくい状況なので、なおさらだ。


(ダンジョンのどっかに、なんかすっごい魔法の剣とか刺さってないかなー)


 そんなことばかりが頭に浮かぶ。直後、あったとして自分が手に入れられる場所になんかない、と自らツッコミを入れる。

 くだらないことを考えながらしばらく歩くと、ゲートが見えてきた。


 岩を積み上げて建造したかのような、扉の無い巨大な門。古代の遺跡のようにも見える。 傍には、警備として雇われているウォーカーが立っており、美鳥は「お疲れ様でーす」と軽く頭を下げた。

 岩の門の中では、虹色の光が音もなく渦巻いている。今はさすがに見慣れたが、最初の頃は無害と知っていても怖かった。


(地球のどこでも無い場所と、パッて行ったり来たりできるのってすごいよね)


 美鳥が学んだ知識では、ダンジョンのゲートとは、生えてくる物である。ある日突然、何の前触れもなく。

 概ね門と呼べる形状をしており、そこを通ることでダンジョン内外を行き来することができる、と。 珍しいタイプでは、既存の建物などを変異させる形で出現する物もあるのだという。

 日本国内にも多くのダンジョンがあるが、美鳥が実際に行ったことがあるのは、家から一番近い《神樹の森》だけだった。


 ゲートをくぐると、特に何事もなく屋内の広場に出た。

 白を基調にしていて、どこか病院のエントランスにも似た雰囲気がある。これから帰る人や、これから出発する人が入り交じる中を進み、壁際に設けられたカウンターに向かう。


 そこには、清潔な制服を着た受付嬢が立っていた。ダンジョンへの出入りを管理する、JDS……日本ダンジョンウォーカー協会Japan・Dungeon walker・Societyの職員だ。


「お疲れ様です。帰還のお手続きでしょうか?」


 鈴が鳴るような声。派手過ぎない程よい化粧と香水がセクシーで、同性でも少しドキッとしてしまう。


「あ、はい。お願いします」


 美鳥は財布から一枚のカードを取り出し、受付嬢に渡した。 カード―――免許証の顔写真の横に、名前と共に記されている、四級の文字。

 ダンジョンウォーカーとして、一番下の階級だ。簡単な講習で取得できる。そこから少し毛が生えたのが三級、プロと名乗れるのが二級、普通の人間が辿り着ける限界と言われる一級。そして、埒外の特級。


 一つ上の三級を除けば、どれも美鳥には縁のない話だ。 免許証を受け取った受付嬢は、それをカウンターにある機械にタッチさせた。

 ピッ、と軽い電子音。


「換金する物はございませんか?」


「えっと、無いです」


「では、このままお帰りください。またのお越しをお待ちしております」


 免許証が返却される。 丁寧に頭を下げてくる受付嬢に合わせて、美鳥もぺこりと首を折った。


『失礼します。道を開けてください』


 と、背後から聞こえてくる、機械的な声と警告音。 思わず振り返ると、どこか亀に似た形状の運搬用自動操縦車が、広場をゆっくり横切っていた。

 その上には、ワイヤーで車体に固定された、ヒグマほどもある大きな生物の亡骸があった。


「わぁ……!」


 美鳥の口から出たのは、感嘆の声だった。

一方で、「ちょっとかわいそうだな」という気持ちもある。ハイズリソウはあまり生き物感がしないのであまり抵抗は無いが、動物系のクリーチャーはまた話が違ってくるのだ。


「風魔ムササビか。毛皮が良い値するんだよな」


「状態も良いし、全体で百万はいくかね」


 百万。

 聞くともなしに聞いていた立ち話に、美鳥は目を見開いた。


 百万円。

 一万円札が百枚、千円札なら千枚。聞いただけで涎が出てきそうな額だ。


 そして、四級である美鳥には、空を行く雲と同じくらい無関係な額だった。


「………さっさと帰ろっと」


 車が搬入口に入ってゆくのを見届けながら、美鳥は溜息交じりに独り言ちた。

 帰ってからもやることはあるし、明日は学校だ。広場を出ると、長い通路の左右に様々な店が並ぶ、ショッピングモールのようになっていた。


 レストランやブティック、武器に防具。

どれもダンジョン産素材を売りにした高級なものばかり。なんとなく気まずくて、美鳥は早足になる。

 自動ドアを通り抜けると、外はすっかり暗くなっていた。季節は春が別れを告げようという頃で、夜でもそこまで寒くはない。


 コンビニや自販機、街頭の明かり。

 通り過ぎてゆく車のエンジン音と、排気ガスの臭い。遠くに並ぶビル群。


 戻って来た、と美鳥は感じる。

 これが現実だ。これが自分の世界だ。


 そのことに、何か歯がゆいものを感じながら、美鳥は近くの駅へと急いだ。


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