鋼角のモノケロス、あるいは私がダンジョンに挑むワケ
ジガー
鋼の男
二〇××年。世界各地に突如として出現した、後にダンジョンと総称される異常空間。未知の生物、未知の資源に溢れたそれらによって、社会は大きく変貌した。
その一つが、命をかけてダンジョンを踏破せんとする者たち……ダンジョンウォーカーという職業の誕生である。
『こんな時もお勉強ですか、勲くん』
薄暗い輸送機の中。
響いた声に、シートに座って世界史の教科書を読んでいた少年は顔を上げた。十六歳の若さには見合わない、鋭い目をしていた。
固太りに膨れた体を暗灰色のジャケットで覆った姿は、短く刈った黒髪と合わせて兵士のような雰囲気を醸し出している。金属製の面頬―――現代風に作り直したかのようなデザインをした―――を合わせれば、武者のようにも見えるだろうか。
同年代の同性と比べて背丈が高い方では無いが、放つ気配は岩山のような威圧感があった。
「俺も学生だ。時間があれば、やる」
そう言って、少年・
輸送機の中に、彼以外の人間はいない。無人での完璧な操縦を可能とするオートパイロットシステムが開発されて、もう何年も経っていた。
もちろん旅客機にも搭載されているが、機械にすべて任せるのは不安だという声から、人間のパイロットが失職するようなことにはなっていない。
そんな市民感情に反して、勲は無人機の中にあっても、特に不安を感じてはいなかった。機械を信じているし、たとえ空中に投げ出されても平気だからだ。
『私が学生の頃は、学校のお勉強なんて役に立たないとか思ってたもんですが』
冗談のような内容ながらも、無線に接続されたスピーカーから聞こえる声は平坦だった。決してAIの類いでは無く、人間が喋っているのだが。
「人生、何が奏功するかわからない」
と、答えた勲自身、昔から熱心だったとは言えない。
落ち着いて学ぶことの出来る環境のありがたさを知ったのは、つい最近のことだ。必要な知識を必要な時に持っているためには、勉強するしかない。
『まもなく目的地上空に到着しますので、今回のダンジョンブレイクについて再度説明します』
とはいえ……勲は教科書を閉じた。今日のところはここまでだ。
やらなければならないことがある。
『本日十三時頃、○○県山中に存在していたと思われる未確認ダンジョンが崩壊、コアクリーチャー……個体名トライヘッド・クイーンが出現。兵隊となるクリーチャーを生産しながら、都市部に向かって侵攻中。現在、自衛隊やウォーカーの皆さんが防衛にあたっているものの、状況は良くありません』
勲は、膝の上に手を置き、黙って聞いていた。
『勲くんは、降下後速やかにトライヘッド・クイーンを排除してください』
「承知した」
ただ一言。
これから待ち受ける戦いを、勲はそれだけで受け入れた。過剰に昂ることも、恐れることもない。
この空の下で何が起きているのかは理解している。それが許せず、見逃せないことであるのも。
しかし勲は、正義感や義憤では戦わない。ただ、やらなければならないことをやるのだ。
輸送機の後部ハッチがゆっくりと開く。勲は立ち上がり、しっかりとした足取りでそちらに向かった。
遥か下の世界では、爆音や破壊音が渦巻いている。
『ご武運をお祈りしています―――モノケロス』
勲は迷わず飛び降りた。その額から、鋼色に輝く角を生やしながら。
♯♯♯
『緊急警報。緊急警報。ダンジョンブレイクが発生しています。市民の皆様は、速やかにお近くのシェルター、もしくは避難所に移動してください。繰り返します……』
街中に響くサイレン音。それを流していたスピーカーが、支柱ごとアスファルトの上に倒れ込む。
半壊し、それでもなお雑音を発するスピーカーを、トライヘッド・バグは不思議そうに見下ろしていた。
カマキリのような姿の怪物は、名前の通り綺麗な逆三角形をした頭部を持っており、小型自動車程もある細い体から生えた前足は、まさしく鋭い鎌になっていた。
ざざ、ざざ、と。断末魔を上げるスピーカーに鎌の先端を叩き込んだのは、また別のバグだった。
その二体だけではない。そして、十や百でもない。
何千というトライヘッド・バグの群れが、土色の波となって街を襲っていた。道路を埋め尽くし、ビルに群がり、破壊を繰り返す悍ましき光景。
蟲の軍団に対抗すべく、遠隔操作にて動く自衛隊の無人戦車たちが、轟音とともに砲火を浴びせている。
着弾の度に何十体ものトライヘッド・バグが吹き飛び、体液とともに破片が舞う。
だが、蟲たちはそれをものともせず進撃し、戦車に襲いかかる。鎌を突き立て、装甲を剥がし、内部機械を破壊してゆく。
空を舞う大型攻撃ドローンによる機関銃斉射やロケット砲による爆撃も、さほど効果は見られない。
「―――だらっ、しゃあああ!!」
蟲と兵器が衝突する中、装甲服を纏う大柄な男が、巨大なスレッジハンマーを振り回す。
殴りつけられたトライヘッド・バグが、体液を吹き出しながら仲間たちを巻き込んですっ飛ぶ。
「どうだい、虫けらども!!」
重い得物をどっかりと肩に担いで、装甲服の男、玄次郎は厚い胸を張った。
当然、その隙を狙ってトライヘッド・バグが殺到する。戦車の装甲に突き刺さる鎌なら、人体など紙のようなものだ。
だがそれを遮るように、羽根の生えた細い鉄杭が、風を切って飛来。蟲たちの頭や胴体に突き刺さる。
機能としては、それは矢と呼ぶべきだろう。そして、ただの矢でもなかった。
一瞬、鉄杭が赤く発光し……次の瞬間、爆発したのだ。
無数の炎の花びらが咲き乱れ、周囲のトライヘッド・バグもまとめて焼き尽くす。
蟲の残骸が散らばる中に、巨大な弓を携えた女性が降り立つ。機動性を重視し、肌にぴったり張り付くボディスーツに身を包んでいる。
「よお繭美、どこ行ってたんだ?」
そう言ってにっかり笑う玄次郎に、女性――繭美は溜息をついた。
「勝手に一人で突っ走ったのはアンタでしょうが。たく、いつもいつも」
「だはは、ごめんな!」
悪びれない様子で笑い飛ばす男を見て、繭美は「まったく」と嘆息する。
そんな二人の前に降り立つ、新たなトライヘッドバグ。反射的にそれぞれの武器を構える戦士たちに向けて、鎌状の足を振り上げる。
だが、そこでぴたりと動きが止まり。次の瞬間、頭頂部から真っ二つに割れた。
ゆっくりと左右に倒れるトライヘッドバグ。その向こうには、鎧を纏い、長い刀を手にした男の姿があった。
「お喋りを楽しんで、余裕だなぁ……」
呆れたような声色で言う仲間に、繭美が苦い顔をする。
「別に楽しんじゃないわよ、研。私は怒ってたの」
「俺が怒らせちまった!」
「お前ら……」
当然、何時の間にか集結していたトライヘッド・バグたちが、和気藹々に遠慮することはない。
各々鎌を振りかざし、三人に殺到する。
深く溜息をついてから、研が動いた。高周波超振動太刀が、唸りとともに打ち払われる。
玄次郎が、ブースター搭載のスレッジハンマーを咆哮とともに振り回す。
繭美の能力によってエネルギーを与えられた矢は、蟲たちに突き刺さった後、爆発を起こした。
悍ましい体液を振り払い、研は太刀の切っ先を遠くに向ける。
「そんなに余裕なら、アレをどうにかして欲しいね」
三人がいる場所から何キロも先。それだけ離れていても、全形を見ることができる存在。
蟲たちを統べる女王。トライヘッド・クイーンが、そこにいた。
ショベルのような六本の足が支える、巨大な腹。それだけで、東京ドーム二つ分はあるのではないだろうか。
腹の先端から伸びた細長い―――それすら高層ビルの如くだが―――体の先端には、やはり逆三角形の頭部が生えている。
そして、その体から生えた二対の肢が備える、死神もうらやむような大鎌。 全身を覆う暗緑色の甲殻は、不抜の城壁。
このトライヘッド・クイーンこそが今回のダンジョンブレイクにおけるコア・クリーチャーであり、その討伐によってのみ、事態の収拾が成される。
「アイツをぶっ飛ばしたら、どんだけレベル上がるんだろうな!!」
「倒せれば、ね。弓と矢じゃちょっと無理かしら……研は?」
「天ヶ原のタケミカヅチならともかく、この刀じゃな。俺ら一級だけじゃなく、この辺りにいる二級以上のウォーカーは全員招集されてるはずだが、どうにかできる奴は思い当たらねえな……」
大気を切り裂く轟音。三人の頭上を、九機の無人戦闘機が、V字編隊を組んで飛んでゆく。
一斉に発射されるミサイル。トライヘッド・クイーンの動き自体は遅く、超音速の飛来物をかわす機敏さは無い。
轟音。クリーチャーの巨体を、爆炎が覆い隠す。
そこだけ切り取れば、怪獣映画のワンシーンだ。
そして、現実は時に創作を模倣する。
炎と黒煙が晴れた時、何一つ傷を負っていないトライヘッド・クイーンが残されていた。 痛みがあったかどうかすら定かではないが、それが敵対的な行動であることは理解したのだろう。
錆びた歯車が噛み合わさっているかのような鳴き声を上げて、トライヘッド・クイーンがその逆三角形をした頭部の先端から、黄緑色に光る液体を噴射した。
レーザービームの如きそれが触れた瞬間、戦闘機は白い煙となって消失。直撃を免れた機体も、翼や推進器を失い、次々と墜落してゆく。
「溶解液ね……」
繭美が呻く。もっとも、ただの水だとしてもあれだけの速度と質量で撃ち出されれば、人間などひとたまりもない。
そしてこうしている間にも、トライヘッド・クイーンの長い腹の各所に開いた穴から、トライヘッド・バグたちが定期的に這い出して来ている。
無限の兵力を生み出す生産工場兼、移動要塞。この状況を許し続ければ、被害はこの街だけに留まらない。
最悪の場合、日本の国土がまるごと蟲の巣になるだろう。
その時。兜に内蔵された通信機を操作していた研が、笑みを浮かべた。
「お前ら、喜べ……援軍が来るようだぜ」
玄次郎が目を輝かせる。
「本当か!? いっぱいか? いっぱい来るのか!?」
研は、刀を握ったまま指を一本立てた。
「一人だ」
繭美が眉をひそめる。
「冗談でしょ? 一人? 政府も協会も、この街を見捨てるつもり?」
千に万に増え続けるクリーチャーの軍勢に対し、一人の援軍など焼石に水にすらならない。 常識で考えれば、そうだ。
「冗談じゃねえ、一人だ。……だが、モノケロスだ」
研の言葉に、玄次郎と繭美が目を大きく見開く。
彼らは知っている。常識を容易く覆す大きな力が、この世界にある事を。
きん、と空を横切ってゆくジェット輸送機。
直後―――三人と、トライヘッド・クイーンの間に、何かが降って来た。
それには十分な重量があるようで、着地と同時に轟音が上がり、土煙が舞い上がる。
研たちは着地点に近づいた。風が吹き、粉塵が薄れてゆく。
概ね人型をしたそれは、自ら生み出したクレーターの中心に佇んでいた。
鋼色の鎧を纏う、三メートルの巨体。分厚い装甲に覆われたその総身は、まるで岩山のような威圧感があった。
太い腕、太い足。それらの先にある拳は砲弾の如く、足首は金床の如く。
騎士の兜にも似た頭部、その額からは四角錘の角が伸びている。陽光を受けて輝くそれは、魔を打ち破る聖なる槍か。
両側頭部から突き出た尖った耳は、鋭敏な聴覚を予想させる。
口元を覆う無骨なマスクに、表情は浮かばない。ただ、緑に光る瞳の無い目が、真っ直ぐな戦意をトライヘッド・クイーンにぶつけていた。
「……モノケロス。本物だ……」
研が興奮気味に呟いた。幼い野球少年が、テレビの向こうのスター選手に目を輝かせるように。
多くのウォーカーにとって、モノケロスとはそういう存在だった。
そして、クリーチャーたちにとっても特別であるようだ。トライヘッド・クイーンを中心に、扇状に展開していたバグたちの侵攻が、急変する。
土色の波が、モノケロスに向かって押し寄せてゆくのだ。慌てふためく研たちを素通りにさえして。
銀の騎士の姿は、トライヘッド・バグの壁であっという間に見えなくなった。
「おい、研! やばくねえか、あれ!?」
「……黙って見てろ」
玄次郎を振り返りもせず、研は静かにそう告げた。
ドーム状に積み重なって蠢く、おぞましき蟲の群れ。それが、内側から消し飛んだ。
単に吹き飛んだ、ではない。爆発、とも違う。
まるで、最初から何もなかったかのように、モノケロスは右拳を突き上げて立っていた。
ほんの一瞬で、何体のトライヘッド・バグが消えたのだろうか。
しかし、それらはまだ何千、何万といて、敵を囲み、削り、喰らわんとしている。
モノケロスは動じない。静かに拳を構え、突き出す。
瞬間、拳が発光。それは、大気中の塵や埃が焼かれて生じたプラズマだ。
そしてまた、土色の壁が消える。拳の直線状にいた、ただそれだけで、何千体ものトライヘッド・バグが消し飛んだ。
拳撃。拳撃。拳撃。
大勢のウォーカーたちや、近代兵器による攻撃でもほとんど数を減らさなかったトライヘッド・バグの群れは、ただそれだけで蹂躙されていった。
その余波により吹き荒れる風。立っていることにも危険が生じるため、研たちは瓦礫の壁に身を隠し、姿勢を低くして事態を見守る。
無限のはずの兵隊が、瞬く間に数を激減させたことに怒りを覚えたのか。
トライヘッド・クイーンが巨大な鎌を振り回し、咆哮を上げる。そして、先ほど戦闘機を撃墜せしめた溶解液を、モノケロスに向かって発射した。
黄緑色の奔流に飲み込まれる有角の騎士。アスファルトも土も一瞬で融解し、地面に大穴が開く。
あっという間に、辺りは白煙と刺激臭漂う地獄の沼となった。呼吸が必要なら生物なら、接近するだけで命取りになるだろう。
そして、モノケロスはそこから平然と這い出してきた。
体表を流れ落ちてゆく溶解液。鋼の輝きに、僅かな曇りもない。
トライヘッド・クイーンは明らかに激昂していた。 足を速めて、もう一つの武器である大鎌を振りかざす。
対するモノケロスは僅かに腰を折り、前屈みになった。角を、その鋭い先端を、正面にいる敵に向けていた。
そして、足底が地を蹴ったその瞬間――――鋼色の閃光が奔った。
すべてを目の当たりにしていた研は、後にこう語る。
「まあ……あれは、要するにぶちかましだ。ただし、世界最強のな」
街は静まり返っていた。蟲が蠢く音は、もう聞こえない。
瓦礫の壁を乗り越えて、研たちは唖然としていた。
三つの情報が、三人の脳を支配している。
一つ。モノケロスが地面を蹴った瞬間、爆裂し、陥没した地面。
二つ。そこから一直線にアスファルトに刻まれた溝は、モノケロスが疾走した跡。
三つ。その線が伸びる先に積まれた、トライヘッド・クイーンの残骸。
蟲の女王の体積の大部分を占めていた巨大な腹は、跡形もなく消し飛んでいた。
細い体が、鎌が圧し折れ曲がり、山のように積み重なったその上に、逆三角の頭部が鎮座している。
そこから立ち昇る、紫色の光の粒子は、トライヘッド・クイーンの生命活動が完全に停止した証拠。
まだ残っていたバグたちも、まるで陸に打ち上げられた魚のようにもがいてはひっくり返り、動かなくなる。
それはコアクリーチャーの死によって起こる現象であり、今回のダンジョンブレイクが終わったことを示していた。
生き残っていた者たちの歓声が、街のあちこちから上がる。玄次郎と繭美も、手を取り合ってはしゃぎ出す。
そして研は、数キロの距離を一跳びで戻ってきたモノケロスを出迎えた。エメラルドのように光る目に見つめられ、無意識に背筋が伸びる。
「怪我は無いか」
と。モノケロスが言った。低く、固いが、優しげな声だった。
「ああ……その、あんたのお陰さ。助かったよ。礼に、一杯奢るぜ?」
緊張で早口になってしまったのを、研は自覚していた。恥ずかしさに赤面しそうになる。
モノケロスは、少し考えてから、首を横に振った。
「すまないが、やらなければならないことがある」
周辺の警戒、関係各所への報告、生存者の捜索・救助。 なるほど、やることは多い。研はすっかり気が緩んでいた自身を恥じた。
モノケロスは気にした様子は無く、しかし「それに」と付け加える。
「俺は未成年だ。お酒は飲めない」
未成年。
唖然とする三人を置いて、モノケロスはどすどすと足音を立てて走り去っていった。
「……年下かぁ」
ややあって、研はぽつりと呟いた。その年頃なら飯の方が喜ぶかな、などと考えながら。
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