花
「どう? 何か思い出せそう?」
その言葉で、サッと意識が現実へと引き戻される。そうだ、私は唯花なのだ。きっと藍斗君も、こんな偽物じゃなく早く本物に会いたいに決まっている。愛されているのは私では無いのだ。
「正直、まだ何も」
私の言葉に対し、「そう上手くはいかないよね」と言って藍斗君は笑う。
眉の下がったその笑顔は、笑っているのに何処か苦しそうで、細められた目には涙が見えるような気がした。
次第にその目はゆっくりと見開かれ、私の視線と合わさる。「どうしたの?」とでも言うように、藍斗が首を傾げると、彼の髪がその動きに合わせて柔らかく揺れた。窓から差し込む光がその髪の毛に反射し、艶やかに輝いている。
──────あぁ、やっぱり。凄く綺麗。
暫くの間、沈黙が流れる。その瞬間はまるで、空気が、時間が、世界が、静止しているようだった。
「……ねぇ」
その沈黙を切り裂くように、私は口を開く。
「なに?」
「私ってどんな人だった?」
「…………そうだなぁ」
藍斗は少しの間黙り込んで真剣な表情を浮かべた。
「唯花は……放っておけないんだよね、危なっかしくて」
「そうなんだ」
「不器用だし、忘れっぽいし、鈍臭い」
藍斗は指を一本ずつ折りながら、私について語り出す。
「…………悪口じゃない?」
「いや、ただの事実だよ」
「ひどい」
私が眉をひそめると、藍斗は「ごめんごめん」と言って笑顔を見せた。
「でも、ほぼ毎日忘れ物して、他のクラスに借りに行ってるでしょ?」
「ちゃんと授業前に借りてるからセーフだよ」
「すぐに落とし物するから、クラスの人にほとんど私物覚えられてるよね?」
「それはみんなの記憶力がいいだけ」
「この前だって、電車で寝過ごして終点まで行ってた」
「な、なんで知ってるの」
私がそう尋ねると、藍斗は「ひみつ」と言って三日月型になった唇に人差し指を当てた。
「唯花には、もうちょっと自立してくれないと困るなぁ」
「藍斗がいるから自立しなくても大丈夫だよ」
私の言葉に、藍斗の表情はぐっと引き攣る。
「僕は……そこにはいないから」
「いるよ?」
「いや、いないんだよ」
彼は苦しげに目を伏せた。
「じゃあどこにいるの?」
「さぁ、どこなんだろうね」
藍斗は他人事のように、手をひらりとさせてそう答える。
「……なんで泣いてるの?」
私がそう尋ねる藍斗の目からは大粒の涙が落ちていた。
「唯花こそ。もしかして……何か思い出せた?」
気がつくと、目の前の雪の青年はぼやぼやと滲み、ゆっくりと溶けだしていた。手元にポタポタと水滴が落ちる。
「ううん。何も」
そう言って私が首を振ると、藍斗は「そっか」と言って微笑む。その顔はどこか安心したような表情にも見えた。
「絵、楽しみにしてるね」
「うん」
「大好きだよ」
「うん」
「またね」
「……うん」
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