「誰、ですか?」


 その言葉が僕の胸にぐさりと突き刺さる。彼女の瞳の中には、もう彼氏としての僕はいない。そこにはただ、まっさらな時間の流れが映されているだけだった。


「何でも良いから喋ってみてよ」と僕が言うと、唯花は心底困惑した表情を見せた。我ながら訳のわからないことを言ってしまったな、とあまりに必死になっている自分を嘲笑する。そこまでしてでも、どうしても唯花と以前のように話したかった。そう、僕らのように。



「海外に行こうと思うんだよね」


 それは一年前、中学三年の秋のことだった。僕は以前から計画していたことを唯花に告げた。


「そうなんだ」


 彼女は特に驚いた様子もなく、そうぽつりと呟いた。


「……ごめんね」


「別に、進路なんて自分で決めるものでしょ」


「で、でも」


 約束したじゃないか、同じ高校に行こうって。ずっと友達だって。


 引き止められたらどうしよう、なんて考えていたことが無性に惨めに感じられ、こぼれそうになる涙を必死に堪える。


「頑張ってね、応援してる」


 そう言ってくるりと踵を返す彼女に、「待って」と言う勇気すら持たない僕は、ただ離れていく後ろ姿を見つめることしかできない。彼女の像が僕の瞳から消えると、そのぽっかり空いた隙間をどうにか埋めようと、涙が溢れて止まらなくなった。


 その日を境に、僕は唯花に触れるどころか目を合わすことさえ許されない。呼びかけた言葉が彼女に届くことはもう二度となく、虚しく空へと吸い込まれていくだけだ。


 でも、あれで良かったんだ。後悔はしていない。


 そう自らに何度も言い聞かせた。



「唯花は美術部だよね。次に描くものは決まってる?」


「いや? 特に決まってないよ」


 自分の言葉に返事があることの喜びをかみしめる。この時間が永遠に続けばいいのに、なんて無謀な夢を抱きながら。


「じゃあ僕の絵を描いてよ」


「藍斗君の? もちろん良いよ」


 唯花は嬉しそうに頷き、軽く笑いながら言った。


「ありがとう。楽しみにしてるね」

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