19 私の家族
僅かに信じられなくて髪を解かす手を止めた。鏡の中の自分を見つめる。
『へ……へぇー』
何とか言葉を絞り出した。笑ったつもりだったけどぎこちなくなった気がする。心拍がドクドクと大きく刻まれる。
『あ! もしかしてあの日? 蒼君と銀河君のお家に行った日に付き合う事になったんでしょう? 様子がおかしいと思ってたよ。おめでとう!』
鏡に向かって微笑み掛けた。よし。今度はちゃんと笑えた。
『音芽、黙っていてごめんなさい』
私の取り繕った明るさとは裏腹に、己花さんは萎れたような声だった。
思考を整理する。私は蒼君と付き合っていて、己花さんは銀河君と付き合っていて、もう一人の人格らしき『彼女』は誰かも分からない想い人がいる。
……ドロドロの沼に、いよいよ踏み込んでしまったのかもしれなかった。
階段を下り一階の部屋に入った。LDKの奥の方にはソファやテレビがある。手前はキッチンで部屋の中央には四人用のダイニングテーブルが置かれていて、先に朝食を食べていた弟と目が合った。
「おはよう」
「はよっ」
声を掛けると、弟はトーストを食べながら返事をした。弟の伊織は中学二年生でやや茶色い髪に寝癖がついている。背は私と同じくらいか、最近少し追い抜かれたかもしれない。私も食パンをトースターにセットして軽い朝食の準備をした。
母はいつも朝早くから出掛けている。父のいない我が家の大黒柱的存在で、私は彼女を凄く尊敬している。
トースターの音が鳴った。こんがり色の付いたトーストを皿へ取り出し弟のいる席の隣の椅子へ腰を下ろした。
「伊織、寝癖ついてるよ」
彼の頭を撫でて寝癖を鎮めようとした。中々に荒ぶっていて、押さえ付けても手を離すと元の寝癖の形に戻る。
横目に睨まれた。不機嫌な調子で言われる。
「気安く触んな」
伸ばしていた手をはたかれた。おおっ。これはもしかして反抗期というやつかな?
驚いて見つめていると更に睨まれた。彼はボソッと何か言った。「生殺し」って聞こえた気がしたけど……どういう意味なのか思い当たらない。
弟は皿の上にある残り半分のトーストに視線を向けた。なので私も自分の分を食べようと目を逸らした。呟く声が耳に届く。
「姉ちゃんさぁ……もしかして彼氏できた?」
手に取ろうとしていたトーストを落とした。動揺してしまった。トーストは下にお皿があって無事だった。
えっと? 何で伊織が知ってるのだろう。まだ言ってない。私の疑問を察知したのか、弟は薄ら笑顔で指摘した。
「この前送ってもらってただろ? 車で。見掛けた」
あ~~~。
「その人は違う! 友達のお兄さんだよ!」
裏原さんと彼女のお兄さんに会った時の事かぁ。
「『その人は』って……。別の人と付き合ってるって事?」
聞かれて弟を見つめ返した。
「うっ、うん」
答えると弟の目付きが鋭くなった。
「いつから?」
あからさまに不機嫌な口調で尋ねてくる。
「昨日から……」
弟の態度の変化に戸惑いつつも返した。いつもの彼はぶっきらぼうだけど穏和な性格なのに。伊織は大げさにため息をついて見せた。
「盆休みに兄ちゃん帰って来るって言ってたぞ?」
心臓がドクンッと音を立てる。告げられた内容に衝撃を受けた。
「え……えっと。そうなんだ」
何とか言葉を発した。笑顔を作る。和沙お兄ちゃん……今年帰って来るんだ。ドクドクと騒がしくなる胸を押さえる。どうしよう。
弟から視線を向けられていた。細まる目がどこかつらそうに見えて心配になった。口を開き掛けた時、こちらへと手が伸ばされた。頭を撫でてくる。
「オレがどんな気持ちで姉ちゃんって呼んでると思う?」
「え……?」
伊織の真意を掴めず呆然とした。彼は少し笑った後、手を離した。
「寝癖付いてた」
言い残し席を立った背中を見ていた。
伊織の去った部屋で思考していた。弟の気持ちが分からない。先程言われた台詞が脳内リピートされている。私、やっぱりダメな姉だ。何とかいい姉になれるように努めていたつもりだったけど……。
私たちは血が繋がっていない。厳密に言えば繋がっているけど、いとこと表現した方が近いかもしれない。
幼少の頃、事故で両親を失った。親戚のおばちゃんが私を引き取ってくれた。今のお母さん……伊沙さんだ。彼女には二人の息子がいた。兄の和沙と弟の伊織。兄は大学生になった頃、この家が手狭なのを理由に引っ越した。本当は別の理由がある事を知っている。
『盆休みに兄ちゃん帰って来るって』
伊織に伝えられた情報を繰り返し噛み締めていた。
和沙お兄ちゃんが家を出た本当の理由は……。
……これからどうしよう。
困惑している内に時間は過ぎていた。時計を見て慌てた。伊織は先に学校へ行ったようだった。私も急がないと!
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