ep032.『狂信者』
煙霧の中から聞こえる徒人たちの断末魔。
「ツキガミだか何だか知らねぇがかかってこいや! 俺がブ――」
「どうした! ちくしょ何も見えねぇ!」
「おい! 何か突っ込ん――」
白く染まった視界の中で一人、また一人と声が聞こえなくなっていく。
「おい山崎! 何か言えよ! どうなってんだよ!」
次々と不可解な何かに襲われていく仲間たち。いや、襲われているのか、なぜ声が聞こえなくなったのか、その後どうなったのか、何一つ分からない。
つい先ほどまで聞こえていた阿鼻叫喚が静まるまで大した時間はかからず、気が付けば男の呼びかけに答える者はいなくなっていた。
「ふざけんな……ふざけんなよぉぉぉ!」
――バン! バン! バン! カチッカチッ……
苛立ちをぶつけるかのように、構えた拳銃を一メートルにも満たない視界の先へと撃ちまくる。当然だが、恐怖に支配された男には味方への誤射を考えている余裕など欠片も残っていなかった。
「いやだ! 死にたくねぇ!」
薬莢が地面を叩く澄んだ音が響き霧の中に溶けていく。
その音と後に訪れる静寂が、男以外に生きて声を出せる者が居なくなったことを証明した。
「ねぇ?」
「うひゃぁあ! ――カチッ」
今しがた結論付けられたはずの結果を覆された男は、突然聞こえた声に驚き引き金を引く。しかし、先ほど打ち尽くした銃は男の歯の根のように情けない音を鳴らすだけで、煙霧にうすぼんやりと見える声の主の歩みを止めることはない。
「――――」
「あ?」
煙の中から現れたのはこの混沌とした場には不釣り合いな少女。
このどんよりとした灰白色の世界でも損なわれない白い肌に、輝いているようにさえ見える濡れたルビーのような紅い瞳。
「今、私を撃とうとしたよね?」
「あ? えっと?」
おとぎ話に出てくるような美しい少女を前に、男は自身の犯した失態を見失っていた。あまつさえ、少女の言葉すら耳に入らず、無粋にもまじまじと観察を始める始末。
「――――」
とぼけたような返答と無遠慮な視線を前に、少女は引き金を引かれた時と同じく無言になる。変化があるとすれば目つきが険しくなったことだろう。
「いや違うんだ! その、空だよ空! 弾は入ってねーんだよ……」
遅れて現状を認識した男は後悔する。
この不可解な状況に現れた不思議な少女。先程まで悲鳴と銃声が木霊していた煙霧の中で、銃を持った男に会ったというのにその態度に怯えは見えずむしろ落ち着いている。
そんな少女の目が鋭さを増してくのを見て、男はナイフを突き立てられているような感覚に襲われた。だから、そのナイフが心臓に届く前に弁明をする。
「ほんとだって! ほら! なっ!? 空だろ!?」
取り出したマガジンが空であることを強調し、苦し紛れの言い訳を並べる。それが無意味であると知りながら死にたくない一心で届かぬ言葉を垂れ流す。
「だから何? それで私が許すと思うの?」
少女の言う事は最もだ。弾が入っていなかったとしても銃を向けて引き金を引いたのだ。仮に弾が入っていないのを知って威嚇のつもりだったとしても、男にはそれを証明する手立てはない。ましてや、男は
「悪かった! 悪かったって!! けどよ! こんなとこにいるのも悪いだろ!?」
「死にたいならそのまま逆ギレしてていいけど、そうじゃないなら教えて」
男は一瞬、こんな少女が大人の男をどうにかできるのかと疑問に思う。しかし直ぐに、普通の少女にはできない殺意の籠った目を思い出し考えを改める。
「――なにを……?」
「怪しい宗教団体が来てると思うんだけど、どこにいる?」
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
煙霧に包まれた工場地帯を見渡せる橋の上。
つい今しがた殺戮が行われたであろう現場を見下ろしているのは、暴徒と陰陽師という異色の集団。
暴徒の先頭には屈強な大男。もう片側には老人と、その一歩後ろにかしこまる様にして中年の男が立っている。
「やはり、ラビットフットは撤退したのでは? 一撃離脱がウサギの性分ですから」
「軽率な考えは信心が足りぬ証拠だ」
「――っ……!」
組んだ腕を指で頻りに叩き、苛立ちを露わにしている大男がいるにもかかわらず、場違いにも信仰心について語る陰陽装束の男と老人。
大男の顔は刃物で切られたような傷跡が幾つも刻まれ、革製のジャンパーを羽織るその姿は一目見で力を振るい慣れているだろうと分かる危険な雰囲気がある。
対して陰陽装束の男は三十代後半としか言われなさそうなパッとしない容姿。先の男比べればあまりにも貧弱な体つきだった。
にもかかわらず隣に立つ大男の剣呑な雰囲気を気にしないのは、今話している老人がこの場の誰より異常だと認識しているからで、そしてそれは大男はもちろん、彼らの後ろで列を成すヤクザと解魂衆を含めた老人を除くこの場のすべての者の共通認識でもある。
「――――」
大男は陰陽装束たちのことを、自身が所属する心願會の幹部から聞いていた。
なんでも警察組織のトップで、老人に至ってはおその偉いさんだとか。
だが、いくらお偉いさんでも仲間が殺られたこの状況で信仰を説くのは勘弁してほしい。上からは決して失礼のないようにと強く釘を刺されているので滅多なことは言えないものの、せめて険しい面持ちを意識して老人に心中を表明する。
(こんなのが、
毛は全て抜け落ち、手足は骨と皮だけしか残っておらず、枯葉を貼りつけたようにひび割れた皮膚にはいくつもの深い皴が刻まれている。
曲がった背を杖で支えている様子だけ見れば、年配の陰陽師くらいにしか思わないだろう。
当然それだけならば、色々な意味でネジの外れた者たちを見てきたヤクザたちが異常と思うことはなかった。
かの老人の異質さを表すのは、その身を覆う夥しいまでの――文字。
腕、顔、果ては眼球に至るまで字という字が彫り込まれている。
露出している場所は殆ど埋めつくされ、目も体も黒一色と言っても良いほどだ。
そんな如何にもヤバい老人の言葉をこの場の誰に遮れるというのか。
ヤクザたちの胸中を察しているのか定かではないが、老人は後ろに立つ男との会話を続ける。
「いいか? あのすばしこい雌兎を見失ったのは、いずれの状況においても儂らが到着するより前に、彼奴が索敵範囲の外に逃げおおせたからだ。ここで見落としてならないのは、範囲外に出るまでの足取りについては、形跡が残っているということ。つまりだ、如何に脱兎と言えど痕跡までは消せぬということ。だがしかし、ルバンシュ《復讐者共》の一件から、彼奴は度々索敵範囲から忽然と姿を消すようになった。雌兎にそんな恩恵はない。これで分かったな小僧?」
「え、ええ……おっしゃる通りです。軽率な考え、並びに発言をお許しください」
男が赦しを乞うと同時に老人の手が振られ、身に着けた数珠がジャラリと音を鳴らす。
ヤクザたちからすれば羽虫でも払ったのかと思う程度の動作。だが解魂衆から見れば全く別のものに見える。
老人の所作は認識阻害の効果を齎す簡易結界を張るためのものだ。つまりここからは徒人に聞かせる必要のない会話がなされるということ。
「なに、二の舞を演じる無様を晒さなければいいのだ。ただ、小僧の言う撤退の可能性もある。雌兎には耳があるからな。獲物を狙っている可能性も、儂らを狙っている可能性も考えられる。しからば、今少し様子を見ようではないか」
「では、心願會の者共はすべて?」
「そうだ。だが内の若い衆を何人か行かせろ。憑神共に儂らの思惑を筒抜けにする必要はないからな。さて、密談はここまでだ。術を解いたらこ奴等を行かせ儂らも動くぞ」
「承知いたしました」
怪老は再び右手を振るうと、数珠をジャラリと鳴らした。
今度は先の会話とは打って変わって、優し気な声で近くにいる大男に声をかける。
「さて、堂島殿。彼奴等は煙に撒くなど小賢しい手に頼らねばならぬほど追い詰められている様子。儂の弟子の中でも手練れを付けますゆえ、そろそろこちらから仕掛ける頃合いかと思いますがいかがですかな?」
見た目と口調のギャップに面食らいつつも、直ぐ近くで行われていた意味深な話など聞こえていなかった大男は老人の言うことを素直に聞き入れる。
「恩に着るぜ爺さん。部下をやられて黙ってたらぁ示しがつかねぇからな。あんたんとこの使える奴、ちっとばかし借りてくぜ」
「構いませんとも。手練れと言えど内事ばかりで礼儀が疎かでしてなぁ、しごいてやっていただけますとこちらとしても後の教育が楽になりますゆえ」
「そういうことなら遠慮なくやらせてもらうぜ。行くぞおめぇら!」
そう息巻く荒くれたちは、度胸と無謀を履き違えたことにも気付かないまま死地へと向かい、残った者たちは彼らが煙霧の中に消えていくのを橋の上から眺める。
「徒人に憑神は見えんというに……そも、徒人に教えは解らぬか」
これから死ぬであろう者たちに、老人は酷薄な態度で落胆を吐き捨てる。
彼らが煙霧に赴いて幾ばくも経たぬ内にヤクザ達の声は聞こえなくなった。
数分後には手練れと言って付けた捨て駒の声も聞こえなくなり、走り去るバイクの音を最後に呪符は音を伝えることを止めた。
「ラビットフットの在否は不明ですが、状況からして恐らく落憑だけと思われます。解放を与えますか?」
「うむ。此度の狙いは小物ではないが、落憑風情が儂らに手を出しておいて明日を拝めると思われるのも癪だ……だが、例の噂もある」
この怪老が気にするほどの事となると、解魂衆の集会で話された出会っては行けない憑神についてだろうと男は思う。しかし、
「ラビットフットを下せるものなど彼の者等しかおりません。『黒狐』などと……所詮は与太話の類かと。代行者にして『狂信者』の名を冠する
おべっかではない。陰陽師としても憑神としても高い資質がなければ届かぬ代行者の肩書は伊達ではないのだ。並みいる憑神共を下してきた強さは紛うことなき本物で、付き従う解魂衆の誰もが畏敬の念を抱く。なればこそ、男も本心からそう思っていた。
「その呼び名は好かん。儂何ぞより狂信者というにふさわしい奴は他にいる」
「左様でございますか」
などと言うものの上司が快く思っていないからそう返したまでで、男の頭には疑問しかない。
解魂衆の最高戦力兼幹部である代行者は現在五人。
男は『狂信者』以外の全ての代行者に御目通りしたことがあり、話をする機会にも恵まれた。
実際に会って話した手ごたえからして、教義から外れている『異端者』は除いて、他の代行者は皆信心深く、コミュニケーションについても上に立つものに相応しいものがあると感じた。
その四人すべてに狂信的と言われ、当主様にも肩の力を抜くように言われているのが目の前の代行者だ。男の目からしてもこの老人以外に狂信者に相応しい人物には思い当たらない。いわゆる、狂気に呑まれている本人に自覚がないというやつなのかもしれない。
「下らん話は終わりだ。念のために式神『
「六命浄魂の式を使うのですか! 無辜の民がどれ程犠牲に――」
式神は陰陽師にとっての切り札であると同時にもろ刃の剣でもある。中でも『
代行者に対する敬意すら忘れる暴挙に、男は目の前の老人の中に理解できない何かを見た気がした。
「戯け。不測の事態が予測できたにも関わらず、打てる手を打たぬことこそ愚の骨頂。『黒狐』とやらが世迷言だとして、先遣隊との連絡が途絶えているのも事実。贄を躊躇ったがために彼奴等を取り逃がせばより多くの犠牲がでる。そうなってから実はあの時とでも言うつもりか? お前は当主様にどう言い訳するつもりだ?」
やはりこの老人の考えは常軌を逸している。
言っていることはわかる。大義のためならば仕方がなことなのかもしれない。だからこそせめて、人情というものが必要なのではないだろうか。
「命とは尽きるものだ。廻るべく魂を絶やされさえしなければよい」
桁橋から戦地を見下ろすその目には人命など欠片も映ってはいない。
目的の為に命を使い捨てる行いが狂気でなくて何だというのか。
「考え直しを……!」
「それとも小僧が狐の相手をするか? 雌兎でもよいぞ? うん?」
「そ、それは――」
道理に沿った言い分を述べようとした矢先、老人の顔がこちらを向く。
「ひぃ!」
そこには、狂気だけがあった。
睨んでいるわけでもない。
憤怒を湛えているなんてこともない。
ただこちらを見ているだけなのに、それがたまらなく気持ち悪い。
命を命と思わぬ考えを持つ怪老が、人の皮を被っていることに恐ろしさを覚える。そしてその恐怖が男に先の言葉を思い出させる。
"二の舞を演じるな"
「考えがあるなら聞こうか」
怪老の問いに男は息を吞む。
黒に埋めつくされた眼窩と見まがう瞳には、衰えなどという惰弱の入る隙間は微塵もなく、ただただ狂気だけが爛々と蠢いている。
「……いえ、なにもございません
同じ轍を踏んではならない。この怪老を前に意志を述べるなどという過ちは、二度と侵してはならないのだ。
「
怪老は踵を翻し、工場地を後にする。
風が吹き抜け、誰も居なくなった桁橋が悲し気な音を鳴らす。
それはこれから起きる悲劇、あるいは今まで奪われてきた魂達の怨嗟にも聞こえた。
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