ep033.『狂牛』
「首尾は?」
生餌作戦が実行されてから数時間、その結果をガレージで待っていた宗は戻ってきた落憑をたちに状況を確認したのだが、
「やることはやったと思う。あんたの言う通り、分かりやすい道を通って帰ってきた」
「二~三回ヤクザたちが来たけど、月野さんが倒してくれたわ」
「私は戦えないから車の中に隠れてたけど、こっちに来る奴はいなかったわよ」
「――……」
あまりにも不足した報告に殺意を燃やしていた。
「そう殺気を立てないでくれ。問題ない。俺たちは誰一人として殺しちゃあいないし、ハイエナも確認できた。こっちの様子を探るみてぇに数匹寄越したのを見るに、嬢ちゃんがいるかの確認だったんだろうな。まぁつまり、あんたさんが思うように事は進んでるってことだ。全く、突っ伏してる間にえらいのが来たもんだ――ゴホッゴホッ」
咳込みながらも葉巻をふかすのを止めない男の報告は、他の落憑たちとは違い相手の目的を考慮したものだった。
――――長くはないか……惜しいな。。
恩恵の使い過ぎで気を失っていた
その察しの良さと命の相場を理解している辺り、探偵の資料通り薄暗い人間であるというのは本当のことなんだろう。
この男が探偵社に入れば色々とやりやすくなると思ったのだが、どうやらそれは叶わなそうだ。
葉巻を煙草のように深く吸い込めば咽ると聞くが、吸い慣れていないとは思えない堂に入った手つきに、疲れからくるようなものとは違う顔色。
恐らくと思って透視で体内を視てみれば、彼の肺は既に幾ばくも期待できないほど呪いに蝕まれていた。
「いいだろう」
生い先短い彼に免じてという訳ではないが、思えばこの落憑たちは今まで場当たり的な行動以外してこなかったはずで、そんなの相手に過不足のない報告しろと言っても無理かもしれないと、宗は殺気を抑えることにした。
それにだ、
代行者は大量粛清、もしくは強者に対して切られる解魂衆の切り札――言わば最高戦力だ。
とは言え強者の中でも取り分け武闘派の憑神を相手にするのはリスクが高いらしく、隙を見せるまでは奴等の方から手を出すことはない。
だが、慎重派な解魂衆にもリスクを取らせる方法はある。それは奴等が謳う教義に泥を掛けてやることだ。
魂の解放を謳う解魂衆は、並みの憑神には数で、強者には代行者をあてがうことで教義を守ってきた。それでも同時多発的に発生する御霊狩りや魂奪戦を止めるには圧倒的に人手が足りない。
何とか均衡を保てているのは、下手に目立てば代行者が動くかもしれないという抑止力があってこそだ。
だからこそ、解魂衆としても少なくとも一人は即座に動ける代行者が居なければならない。代行者の手が埋まってしまえば憑神たちに動く理由を与えてしまうことになる。
そして解魂衆にとって最も重要なことは、相手に解放という名の死を与えることにある。できなければ"代行者も大したことはないと"憑神は付け上がり、抑止力としての役割を果たせなくなるからだ。
しかし、そんな人手不足の彼等に先刻届いた知らせは何者かによるルバンシュの壊滅である。
大きな組織が壊滅したということは、それだけ多くの魂が一か所に集約されたことを示す。
”願い”が成就されてしまえば魂は代価として消費され解放が成されることはない。ゆえに、解魂衆としては教義にかけて何としても集約元を叩かなければならないというわけだ。
ハイエナの動機がわかったところで、宗にとっての問題は連中がルバンシュ壊滅がラビットフットによるものだと考えているかどうかだ。
「その数人とやらのハイエナの数はわかるか?」
必要な情報を得るために今度は美雪へと質問する。
「十二。音的にもそれだけだったけど、術? で隠れてたなら分からない」
その人数なら解魂衆がラビットフットの在否を確認にするために送ってきたと判断していい。
いくら煙の中で、落憑の中では戦える方の車両乗りがいたとしても、十二人の解魂衆を相手にしたのであれば何かしら被害が出ておかしくないと向こうも判断するはずだ。
――
落憑たちの「思う」だの「二、三回」だの所感にはうんざりする。憶測や不確かな情報を元に話す相手というだけで不必要な時間がとられてしまうからだ。
それに比べて恩恵に裏付けられた美雪の報告は考慮しやすい。これで女子高生的な要素が少なければ言うことなしなのだが、だからこそのラビットフットなのでそこは高望みが過ぎるというものである。
「どうしたの?」
「いや。なんでもない」
本人に「その年でそれだけの事ができるなんて、お前を協力相手に選んで良かった」なんて言おうものなら互いに気まずくなるだけだ。それよりも今は状況確認が先決だ。
「戦闘時間と内訳は?」
「えーっと、トータルは一時間くらいで誤差は5分未満。最初の
相手にラビットフットの存在を曖昧に思わせるには実に丁度いいスピード感だ。
「上出来だ」
「あんたはどうなのよ?」
こっちの役目は果たした。そう言わんばかりに皆の視線が宗に集まる。
偉そうな口を利いている約一名は、車に隠れているだけで何もしてないのはこの際無視するとして、当然、宗も美雪たちに任せきりだったというわけではない。
美雪たちの生餌作戦実行の間、ガレージに残っていた宗は、戦力にならないという理由で同じくガレージに残った
「三匹片づけた。代行者は釣れなかったがな」
「そ、そう」
落憑狩りが一匹と解魂衆が二匹。どれも認識外からの奇襲で片がついた。
お目当ではなかったが、落憑狩りの方は恩恵の割に結構魂を溜めていたのでちょっとした小遣い稼ぎにはなった。
「あの代行者を餌に食いつくだけの雑魚呼ばわりたぁな――ゴホッゴホッ……まったく、恐れ入るぜ」
「助けられる側としちゃ頼もしい限りなんだがな、ちっとおっかなくはあるよな」
「決めたことなんだからビビらないの」
落憑共の何の益にもならない無駄話は捨て置いてだ、ともあれこれで相手は戦力を分散しなければならなくなったはずだ。
障害になり得ないはずのガレージに残された予想外の戦力を前に、解魂衆はラビットフット以外にもう一人謎の強者を警戒する必要がある。
そうなれば美雪への戦力が分散され負担が軽減され、こちらとしても少しは楽できるだろう。この先『憑姫』と事を構えることになるかもしれないのだから余裕があるにこしたことはない。
「こっちにも代行者は来なかったけど、野蛮人は近くまで来てるって言ってた。『陰陽師の服着た入墨だらけのヤバい爺』って言ってたから、多分『狂信者』じゃないかな」
死に際のヤクザの情報がどれだけ当てになるか、と言葉を続ける美雪と違い、宗はヤクザの言葉に嘘はないと考えている。
五人とも六人いるとも言われる代行者の内、少なくとも確認が取れているのは五人。
その内すぐに動けないのは事前に確認していた通り『解放者』と『執行者』の二名。後の三名の内『観測者』は補助がメインで、基本的に解魂衆の本部から出てくることはない。
残るは『狂信者』と『背教者』の二名。来ているとしたらそのどちらか。ヤクザの証言に一致する容姿は世界広しと言えど狂信者しかいない。
――どちらにしても一本か。仮に六人として六回。解放者相手なら二本はいるか……。
他の憑神とは比べ物にならない恩恵を持つ宗はその分呪いも強い。なので力の使いどころは慎重に選ばなければならない。
恩恵の使用時間でも影響は変わってくるが、それよりも数を増やす事の方が影響は大きく、制御も難しくなってくる。
故に、どこで何本使うかは既に決めてあり、一度決めた予定を崩すのは難しい。もちろん非常事態も考えて多少の余裕を残していたはいたものの、
――手痛い出費だったな。
ラビットフット救出の際に二本も使ってしまったのが、ここにきて響いていた。
あの夜、撤退すると思われたラビットフットは、何を血迷ったのか勝ち目の薄い戦いを続行した。愚かな選択のツケは直ぐに支払われることとなり、事態は少女の"願い"を撃ち砕く寸前まで悪転する。
その時点でルバンシュの首魁の力量どころか恩恵が何かも確認できていなかった宗は、止む無く二本目の解放を決断。しかし、蓋を開けてみれば敵の殲滅にそこまでする必要はなく、新手が現れることもなかった。
結果として、周囲に潜伏しているかもしれない覗き魔やハイエナのことを考慮しても二本は余りに過剰で、その後の行動に支障が出る始末。
――仮に『憑姫』と戦闘になるとしたら最低でも二本は欲しい。だとしたら何処かで恩恵なしで戦う必要があるか……いや、結局は問題の先送りにしかならないな。
宗が恩恵のやり繰りに四苦八苦していると、何かを察知した野生動物のように美雪の背筋がピンと伸びる。
(――どうした?――)
異変を感じ取った宗はすぐさま念話を飛ばしたが、返事は返ってこなかった。しかし、ガレージの壁を一点に見つめる美雪の目は鋭く、
「嫌な予感がする。早くここから離れた方がいい」
美雪の言葉と勘に従い、
慌ててガレージを出た直後――けたたましい音とともにガレージが吹き飛ぶ。
「なん――!!」
「あっ……」
体の反応は間に合わない。それが何かも分からない。漠然と受け入れるしかない破壊そのものが、列の最後尾にいたカレンへと迫る。
――『死』
避けられないそれを目の当たりにした者は皆、動力が切れたかのように停止する。
何度も感じた危機とは違う絶対的な予感を前に、行動、思考、感情、その全てが使命を全うすることを諦める。それが生物に備わった防衛本能だからだ。
**********要確認:ここから**********
猛然と向かってくる力の塊は、終わりを受け入れるしかない矮小な存在の前でしかしピタリと動きを止めた。
絶対的な結果を覆したそれは、ゆらゆらと揺れる――、
「尻尾……?」
/**
それを見たカレンはきっとこれが神なのだろう。と、ただ漠然とそう感じた。
目の前の超然とした存在は、今まで出会ってきたどんな強者でも相手にならないだろう。と、そう思えた。
落憑狩り。
不可視の狙撃手。
そして、兎脚の憑神。
ラビットフットはその名に恥じない力を持っていた。天すら足蹴にする程の御業を成す存在で、自分程度が憑神など笑えて来てしまうほどの。そう思えば、なるほど落憑と称されるのも納得できる。
でも、此度カレンを襲ったのは、徒人も憑神も、弱者も強者も一緒くたに塵にできる破壊そのもので、体を芯から震わせる兎脚の衝撃すら、水に落ちた火種のような空音に聞こえてしまうほどの圧倒的な力。
そんな破壊の化身を止められる存在が神でなくてなんだというのだろうか。
絶望、諦念、本能、死。
抗い難い答えを前に、悟りという名の愚かの思い込みをするカレンへ
神の御言葉――、
「もたもたするな!」
ではなく、宗の怒声が降り注ぐ。
「え?」
「さっさと行動を起こせ!!」
成す術のない破壊の嵐を腕一本で抑え込む少年という理解の及ばない状況を前に、放心状態になっている落憑たちに、宗は声を荒げて成すべきことを示す。しかし、怒鳴られてなお落憑たちは誰一人としてその場を動けないでいた。
許容量を超える事態を前に圧倒されているというのもあるかもしれない。だが何より、悍ましい化け物から目を離せなかったのだ。
「なん……」
それは、零れ落ちそうな目玉を血走らせた錆色の雄牛。
外れた顎は大きく開かれ、口の中から夥しい数の何かが生えている。
至近距離でそれを見たカレンにはそれが分かってしまった。
「なの……?」
雄牛の口一杯、頬が張り裂けんばかりに犇めいていたのは、老若男女、ありとあらゆる人間の腕だった。
「おぇえぇぇぇ!」
想像を絶する悍ましさに、カレンは腹の中の物を全て外に吐き出す。他の落憑たちも愕然としたまま動くことができずにいた。
美雪の方は動けないほどではなさそうだが、震えた脚とペタリと倒れてしまっている
――ッチ。
予想外の展開に宗は舌打ちする。
しかしここで不満を露わにしているだけで問題が解決する訳じゃない。かと言って、恩恵を使用した以上あまり時間的猶予もない。
――どうする?
代行者と憑姫。それらだけでも戦力はギリギリだというのに、現れた
現状、落憑たちがミンチにならずに済んでいるのは、目の前で暴れるこの世ならざる悍ましい化け物を宗が力尽くで抑え込んでいるからに他ならない。
しかし、このままいたずらに力比べをしていたのでは、先に限界が来るのは恩恵に頼っている宗の方だ。
ここは、誰かがリスクを背負い、血をささげる必要がある。そして、今そんな余裕があるのは不運にも自分しかいない。
「――止むを得ん。発情ウサギ!」
後で小言を言われるのを承知で宗は禁句を言い放った。
「はぁ!? 次言ったら蹴るって言わなかったっけ!?」
予想通り条件反射した残念兎に多少の余裕が出来たのを見計らい、念話で一息に行動指針を投げ伝える。
今すぐ落憑たちと退避を開始すること。
この雄牛の化け物は代行者の恩恵ではないこと。
代行者と遭遇した場合は出来るだけ時間を稼ぎ、撤退すること。
『憑姫』及びそれに並ぶ憑神が現れた場合、即座に撤退すること。
(――そういう訳だ。ここで代行者を逃がせば後がない――)
(――頑張る……!――)
「そいつらを連れてさっさと行け!」
美雪と念話だけで話を終えてしまうと落憑たちに不自然に映ってしまうので、宗は通常の会話に切り替える。最も、化け物に意識を奪われてるのでそこまでする必要もなかったかもしれないが。
「倉庫に!」
「あ、あ……」
美雪の声に体が反応するも目の前の化け物から意識が剥がれず、その動作は遅々としたものになる。
――ジュル、ジュジュル
宗に鼻先を抑えられた雄牛の口から生えた無数の腕が突如として蠢く。
――ブパパ
生々しい水音立てて伸び腕が、打ち出されたかのように落憑たちへと殺到した。
「コンッ!!」
宗が口元に手印を結ぶとその手は時が止まったかのように動きを止める。同時に雄牛を抑えている右腕に亀裂が走り、盛大に血を吹き出した。
始めてみる宗の出血に美雪は大きな不安に駆られながらも、駆の車に蹴りを入れ、先ほどより大きな声で発破をかける。
「急いで!!」
その一声で落憑たちは火が付いたように走り去る。
不安そうにこちらを見る美雪に宗は肩越しにただ頷きを返した。
それを見届けた美雪は、落憑たちを追って飛び去っていく。
――さて、いつまでもこうしているわけにはいかないか。
宗はその場に何かを落とし、化け物から飛び退き距離を取る。
化け物はというと、地面に落ちた何かに食らいつくのに夢中で追ってこない。
そのまま化け物が突っ込んできた方を見やり、誰もいない場所へと声をかける。
「そろそろ出てきたらどうだ?」
何もなかった空間が揺らぎそこから数人の人影が浮かび上がる。
「我々の隠形を見破るとは大したものだ……いや成神に組する者ならば出来て当然か」
現れたのは狩衣を身にまとった集団。
宗の言葉に返したのは、一団の中心に立つこれといって特徴のない中年男性だった。
「解魂衆か。生憎だが俺は何処にも所属していない」
だがこの冴えない男は侮れない。現れた他の衆も一般的な陰陽師と比べてかなりの霊力を保有しているが、男はそれよりも更に多くの霊力を滾らせている。あえて比較するなら霊力だけなら代行者に迫っているといったところだろうか。
「しらばっくれなくても良い。右腕を即座に切り捨てる判断、
男が指さした宗の右腕は、左腕とは違い着物の袖が風でひらひらと靡いている。
「先の言葉の繰り返しになるが、生憎だ。
先ほどの光景が幻とでも言うように、風に靡く右袖はいつの間にかその袖口から鋭い爪の並んだ右手を覗かせていた。
「……神への捧げものを貶めるなど、その身をもって後悔することになるだろう」
「そうか、なら俺が呑まれるのが先か、
地面すら喰らう勢いだった雄牛は動きを止め、ゆっくりと顔を上げ、宗の右腕を見つめた。
「モオォォォォォ!!!」
そして、喰らったはずの捧げものが紛いものだと知った神は、怒りをもって愚弄に返礼するのだった。
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