ep029.『落憑――①』
粘着兎との不毛な駆け引きを強制的に切り上げた宗は、女性を抱え慌てふためく男とその男に抱きかかえられ、浅い息を繰り返している女に声をかける。
「隼真 駆に斎場 カレンだな。探偵社の依頼で救援にきた」
「依頼?」
「説明は後だ。それよりもどけ。恐らくだが毒性の
「あ……いや――頼みます」
男の顔からは迷いが伺えた。それは宗が憑神狩りの憑代を破壊したうえで、死体を焼き払ったからだろう。実情を知らない者から見れば、わざわざ恩恵を使ってまで殺した相手に手をかけたように見える宗の行動は、凶行と捉えられてもおかしくはない。
(――
(――おっけー。出来るか自信ないけど、重要なことは念話をで確認しながら話してみる――)
やはり念話の練習を急く必要はないと判断した宗の考えに間違いはなかった。
事実美雪は、今の突然の念話に挙動不審になるようなこともなくスムーズに対応し、それどころか会話しながらの念話にチャレンジする余裕ぶりを発揮している。
――機転が利くな。そういえば相手の意図を予想するのもそれなりにできるやつだったか。
このことから考えても連携の観点では十分だ。
協力という面では、敵より味方の考えをある程度共有できる方が重要である。だが美雪は、それだけでは『悠長』だと思うらしい。
――これが完璧主義というやつか。
美雪が
「解毒する。痛むが我慢しろ」
片膝に立ちにカレンの上体を支え、頭は手で支える。目をギュっと瞑って痛みに耐える準備をしたカレンの傷口に手を当て、そこから流し込むように狐火で燃やす。
「あぐ……! ぎぅ……!」
食事や睡眠を必要とせず、なおかつ視ることに長けた宗は、毒を受けることなど無いに等しい。伴って、こういった繊細な使い方をする機会は少なく加減が難しい。
しかし、毒が残ってしまう方が問題なので、荒療治になるが多少強めに焼く。
最初こそ焼かれる痛みに呻いていたカレンだが、毒が焼失し、次第に楽になっていく体と、現在進行形で加減が巧くなっていく宗の技術のおかげで、「うそ……」などと感想を述べる余裕を持てる程度には回復したようだった。
体の調子を確かめるように、手を握ったり開いたりしているのを見る限り、毒物の除去は問題なく完了したようだ。
「体の調子を確かめるのは良いが、人の膝の上でやるな」
「あぁ、ごめんな――きゃ!」
「カレンッ! 大丈夫か! 変な感じとか」
カレンが謝罪を言い終える前に飛び込んできた
見る人が見れば失礼ともとれる行動に、宗は何を思う訳でもない。状況証拠だけは辛うじて味方に傾いているものの、人も憑代も跡形もなく焼き消す蒼火が愛する女性に向けられているとなれば、ひったくる様にしてでも安否を確認したい気持ちは理屈として理解している。
そしてそんな
「私は大丈夫! 痺れも寒気も全部なくなったから、ね?」
と、降参するかのように
「――――」
「ちょ!? 本当に大丈夫だから! 恥ずかしいから離して!」
助けを求めるように視線を彷徨わせるカレンだったが、生憎と周囲には他所から来た宗たちしかいない。
来客中に痴態を晒すなどまさに羞恥の極みだろう。しかし、こちらが被害を受けるわけでもない。なので女からの新たな救援要請は見なかったことにする。
(――話は終わったのか?――)
(――救援に来れたのは探偵社とアンタが手を組んだお陰で、その代わり条件があるってところまでは話したんだけど、条件の詳細を話そうとしたら行っちゃった――)
そこまで伝わっているのなら大丈夫だろう。
伝え方も問題なさそうだ。
あまり宗が主導だと思われても厄介事が増えるだけだというのを考慮すれば、彼らにはあくまで探偵社と宗が対等以下の関係だと思ってもらわねばならない。
――警戒心が故にこの後の要求に変な気を起こされても面倒だからな。
(――このあとの進行はお前に任せる。俺からのアクションが必要な時は勝手に割り込むか、念話で伝える――)
(――わかった――)
宗と美雪が話をまとめたところで、落憑の方も感情の整理がついたようだった。
「いい加減にしろ!」
「がはっ!」
「人様の、それも探偵社の皆様の前で何晒してくれてんのよ!」
「悪かった……けど、レバーに極めなくてもよくねぇか……」
念話中、無言で見下ろし続けていた甲斐あってか、ようやく醜態形態が解除される。
いつまでも続くと思われた愛の抱擁を目の当たりにして、若干顔を赤く染めた美雪がわざとらしい下手な咳払いで無理やり話の間を捻じ込む。
「ん゛ぅん゛……えっと、隼真さん、斎場さん、他の方たちはあちらにいらっしゃるんですよね?」
ガレージの方に手を向け、そこに隠れている人たちが保護対象であるか確認を取る。
「そうだが、よくわかったな。もしかして、噂に聞く
「らびっといやー? えぇー……そんな名前を付けた覚えはないですけど、中の人に気付いたのは周りに敵がいないか索敵しながら来たからです。流石に
ここがこの兎の女子高生離れしたところだ。
向こうからの疑問に自然に答えたうえで嘘と油断の種を撒く。並々ならぬ警戒心と最悪の想定、相手の欲しいものと行動の予想。もちろん腹の内はおくびにも出さない。仕込まれた貴族の令嬢かと思うほど完璧な腹芸だ。
「一つ重要な訂正なんだが、あそこはロマンと思い出が詰まった俺の大切な
倉庫呼ばわりを熱い思い出訂正する
「起こせばいいですか?」
「もし押せるなら押してくれると助かる」
「わかりました。斎場さんは、他の方に私たちのことをお知らせいただけますか?」
「ええ、わかったわ」
宗とカレンが移動を開始すると同時に、美雪は横転した車の側面に移動する。
そこから天井部分と地面の間につま先を食い込ませ、
「よ」
気の無い掛け声で軽々と車を蹴転がす。
「あ、ありがとう……」
愛車のあんまりな扱いに男の顔がひきつる。
だが助けに来てもらい、次いでにお手間までかけた分際がお礼以外の言葉を言えた義理じゃないのは彼も重々理解しているようで、握りこぶしを握りながらも何とか大人としての矜持は守ったようだった。
「いえ」
その渾身のお礼を短い返事で聞き流し、その脚力で強引に車の向きを変え、ガレージの方へと蹴り押す。
しかし、車、もしくはガレージが破損しかねない勢いに、皮一枚で貼り付けていた男の体裁は一瞬で剥がれ落ちた。
「おい!? ふざけんなよ!!」
言葉遣いも忘れた荒い声が響く。
百歩譲ってどちらかが傷つくならまだ良い――全然よくない――が、万が一カレンやバイクに当たって何かあれば冗談では済まないので、そうなるのも無理からぬというものだが、
――トン。
彼の気持ちに答えてではなく元からそうするつもりだった宗は、突っ込んでくる車に手を合わせ力を相殺しながら向きを微調整する。
ザザと床が靴裏を擦る音が響き、見事、車はガレージの中にピタリと駐車した。
「何か言いましたか?」
白髪赤目の少女が被るポンチョに付いた飾り耳が、まるで血が通っているかのようにぴくぴくと動いている。
「――いや……何も」
あっけらかんと言う美雪のそれは気遣いに他ならない。
それ自体は大人の対応というやつで、感謝するところではある。
しかしだ、予想外のことには狼狽えるのが普通で、あんな扱いを見せられれば二三言いたくもなるというものだ。だが
「私たちも行きましょう」
「――――」
決して思っていることが口から漏れないように、男は必死に笑顔を貼り付けるのだった。
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