ep028.『恩恵に足る天稟』
「――――」
目にも止まらぬ速さで跳び去った爆速兎に追いついてみれば、何やら首を傾げて思考の迷路を彷徨っている様子。
何をやっているんだと呆れながらも、宗は出口の見えない迷路から少女を連れ戻すことにする。
「何を悩んでいる」
「この憑神、私の奇襲に反撃することも避けることもしないで、ただ棒立ちしたままだったの。何か裏がありそうなんだけど……わからなくて」
己の踵で意識を刈り取った落憑狩りの男を見下ろしたままの美雪は、地獄耳で誰が来ているか把握しているからか、こちらに背を向けたまま疑問を口にした。
――やれやれだな。
宗は
「後ですり合わせる必要はあるが周囲に敵はいない。コレも片づける以上、今気にするような問題はない」
その答えを伝えるつもりはなかった。
集中力に大きな影響を与えかねない疑問という名のモヤモヤは、解決するに越したことはない。にも拘らず口を噤んだのはなぜか。それは宗の言葉では答えにならないからだ。
美雪から恩恵の詳細を聞いたとき、容姿については色が変わる程度のことしか聞いていない。つまり彼女は、恩恵による直接的な力に因らず、なおかつ恩恵発動時に自分に視線が集まっているという状況を認識しているということだ。
それでいて視線が集まっている理由にたどり着いていないということは、本人に自覚がないということである。
自覚が無い相手にこの手の話をしたところで「そんなわけ」となるのは想像に難くない。
それどころかこの肉食兎の場合、裏に善意があるかも探らずに食って掛かってくることが容易に想像できる。
藪をつつく必要はない。蛇なのか兎なのか、はたまたまだ見ぬ食肉目のウサギ科なのかは判らないが、良くないものが出てくるのは確かなのだ。
ならば、そんなものには触れずに宗は昏倒している憑神の処理に集中する。
「まぁ、そうなんだけど……あんたが来るまでに分からなかったっていうのが、全然ダメだなって……」
気を失っている男のモデルガンを拾って狐火で焼き、燃えた憑代を男の腹に投げ捨て纏めて灰にする。そうしている間も美雪の口からは疑問が零れ、その後も、憑神が倒れていた場所を見つめたまま動く様子はない。
――はぁ……。
そんな彼女の横顔をみて、避けられないであろうこの後の展開に宗は出そうになった溜息を心の中に抑え込み、面倒の火蓋を切ることにした。
「……アレはお前に見惚れていただけだ」
面倒なことこの上ないのだが仕方がない。しかし、この完璧主義で努力を惜しまない勤勉兎を放っておけば、無謀も、困難も、不得手も、すべて一緒くたにして、女子高生離れした強靭な意志と血の滲む努力で踏破しようとするだろう。
同じような道を歩いた者として、その在り方の善し悪しは語るまい。
ただ、その道を歩みきるには、人の心は脆過ぎる。
歩いた先に、彼女がどう折り合いをつけるのか、砕けてしまうのか、或いは踏破するのか、それは彼女自身が選ぶ話で宗が横からとやかく言う話ではない。が、その道の過酷さを知る先達として、手を貸してしまいたくなるのが人情というものなのかもしれない。
――人の心……。
違和感を辿るようにして触れた先にあるのは、自らを覆う狐の面。
――これもヤツの計らいか。
明確な理由は分からない。でももし、これが業のもたらした面倒事だというならその不始末には自身で向き合うべきだ。
そう自らを納得させて、「見惚れたならしょうがないね!」と万に一つもなさそうな返答に一縷の望みを賭けることにする。
「はぁ?」
ダメだった。
案の定、片眉を吊り上げた美雪が呆れ交じりに噛みついてくる。
「ふざけてないよね? "願い"を捨ててまで見惚れるなんて、そんな元も子もないこと憑神がするわけないでしょ?」
――噛みつくな。俺は人参じゃないぞ。
わかってはいた。この手のことは実感が無ければ理解できないのだから。
美雪は自らすら顧みない"願い"を胸にゲームに参加している。
当然、周りもそうなのだと、他人の願いも"願い"であるのだと、そう思っている。
だからこそ彼女は完璧を求める。できない自分を許さず走り続ける。
そんな彼女を納得させるには、一つ一つ説明したうえで身を切る必要がある。
乗り掛かった舟でもないが、そこまでする必要があるのかと引き返すには、既に割に合わないところまで来ている。
折角畑に入ったのに収穫を得ずに戻るなど、一体何のために足を土で汚したというのか。
――
それに、僅かにだが身を切らないで済む可能性もある。問題はどう切り出すかだ。
「――――恩恵使用時の自分の容姿についてどう思う?」
宗はしばしの間考え、少女自身の自己定義から地道に修正していく方法を選んだ。
「別に、愛想の悪い生き恥が今日ものうのうと生きてて気持ち悪いと思うだけ。ついでに顔色も悪いし、白髪だし、死人みたい」
「――……」
偏見が極まればここまで歪んだ評価になるのかと若干引いた。
女性として好とされる姿形はある。近年の定義に当てはめれば主観的にも客観的にも美雪は紛うことなき美人だ。それに神聖視されるアルビノの気質が合わされば、芸術と言われる領域の美すら宿していることだろう。
加えて人は所詮人なのだ。芸術に感じる好嫌いはあれど、同種の容姿の好嫌いは思うほど分化していない。口では好みではないと言っていても、実際に見てしまえば反応せざるを得ないのがその証拠だ。
――過度な自責か。
美雪は恐らく、家族の
彼女の考えを正せる者がいるのだとしたら、それはきっと彼女の家族だけだ。
しかし、赦しを与えるべき家族がいないのだからその罪はゲームに勝利して"願い"を叶えるまで拭えることはない。だがそれは、誰をも魅了する美しさの否定にはならない。
「随分と偏見のある主観だな。警戒している落憑共もお前に見惚れていた。それは聞けばわかると思うが?」
かたや横転した車から這い出そうと藻掻き、かたや狙撃の影響から抜け出せずにいる落憑たち。もちろん二人のことは宗も認識している。が、今すぐの危険はないので放置させてもらっている。
「
確かに、弱者なら機嫌取り、目の敵ならどうであってでも否定するだろう。味方だとしても気遣いという可能性もある。
そこらの楽観主義者であれば、自分に都合の良いものを選ぶ至極単純な話で済むのだが、自己嫌悪の強い者はそうはいかない。最早、どれが事実か判断する気が失せるだけだ。
「『探偵』に容姿を褒められた事はないのか?」
ならばと、客観的なアドバイスをくれそうな人物を挙げてみる。僅かな可能性だがこれで話が落ち着けば、
「綾香さんも当てにならない。あの人はそういうの面白がる節があるから」
ダメだった。というかそんなに期待していなかった。
何せ『探偵』とそれなりに付き合いのある現時点で、これほどの自己嫌悪なのだから結果は予想できていたと言えばできていた。
「あんたはどうなのよ」
――やはりこうなるか……。
周りも自分も己の評価を変える情報には能わない。意味があるのは自身の中にある絶対的な思い込みだけ。それを覆す方法は――、
「――見惚れた」
その絶対的な予想を超えることだ。
「ほらやっぱり見惚れるなんて――えっ?」
弾かれたように振り向いた美雪は字通りの予想外に、手に入ると思っていたエサが手に入らなかったハムスターのように固まっている。この宇宙兎には是非ともそのまま全てを悟って欲しいところである。
「昔の俺ならな」
が、そんなことにはならなそうなので、情報処理が追いついていないうちに、小細工をしておくことにする。でなければ、協力関係の間永遠とこの話題を擦られるだろう。
「はっ? えっ? 意味わかんない。それよりその前、もう一回言って」
「二度は言わん」
「一回言ったんだからいいじゃん」
「下らないことに時間を割くな。そろそろ保護対象と話をつけるぞ」
決してこの話から逃げようとしているわけじゃない。バイク付近で倒れている女の方は外部の助けなしには動けそうにないが、男の方は横転した車から這い出さえすれば、問題なく行動できる程度の怪我しかしていない。
怪我を負っている二人が保護対象であるのは持ち物から――透視で――確認できている。しかし、二人からすれば宗たちが敵か味方か判別できない。
一応、美雪の容姿はそれなりに有名なので、こちらを待ってくれる可能性もあるが、それも宗が近くに居なければの話である。
協力関係から救助まで急な話だったことを考えれば、宗について話が通っていると考えるのは無理がある話だ。二人の中にこちらが新手である可能性に頭が回っている者がいたのなら、なりふり構わず逃走に力を割くのが最も無難な選択になる。
つまり、このままこの兎と言った言わないを繰り広げていては、しょうもない理由で保護対象に逃げられ、仕事に失敗する恐れがあるということだ。
別に仕事の成否はさほど気にしないが、当初の目的に影響がでるのは避けなければならない。
「でも結局、私は私の問題を解決できてない。今回は良くても、次は分からないんだから」
宗としては、恩恵を使用した美雪の容姿が、一種の武器になり得ることを認識してくれればそれで十分なので、この類の悩みには付き合いたくないのが本音だ。
"また同じことが起こったら上手くいくだろうか?"
それはその時になってみないとわからない。
もちろん備えることはできるだろうが、だからといって100%問題を解決できる保証はない。
限られた条件の中で対処することしかできない以上、必要なのは失敗に対する向き合い方で、結局のところそれは、自分の中で折り合いをつけるしかない。
それを他人の言葉で納得させるなど、一体どれだけの時間がかかるだろうか。
――アイツらは……まだ大丈夫か。
幸か不幸か落憑の二人が互いの安全を確認するにはもう少し時間がかかりそうだった。それならば、これこそが乗りかかった舟というやつだろう。
「次はわからない、だがそれでも次はある。なら今を活かせ」
時間は有限だ。解決できるまで悩めるなんて贅沢は出来ないことの方が多い。
今回の経験を知識として蓄え、次が来たらその知識を手がかりに問題を解決する。悩むのはそれができなかった時でいい。
「悠長よ。それで叶えられるほど願いは簡単なものじゃない、でしょ?」
生半可な覚悟で叶うものではないのはその通りだ。だが別にそれは不可能を可能にしろという話じゃない。
「一の情報から十は得られない。一は一でしかないからな。重要なのは一を取りこぼさないことと、一を重ね合わせることだ。実際に十を得てるように見える奴は、既に多くの一を持っていて、それを上手く使っているだけだ」
個人として成り立つ。成熟と言い換えてもいいかもしれないが、それを経験したというには、美雪は若すぎるし環境も特殊だ。
彼女から見れば"できる奴"というのは、"最初から持っている奴"なのだろうが、特異体質でもなければ一を拾い始めたのが早いか遅いかでしかない。その点で見るなら美雪は十二分に早いと方といえる。
「そうかもしれないけど……もっとできることがあったと思うの。それに、できなかったなら少しでも早くできるようにならなくちゃ」
『できなかった』に『少しでも早く』。これらの扱いは最適とはなり得ない場合が多い。だからといって限界を決めてしまえば、同じく多くの場合良い結果にならない。
彼女に必要なのは限界という諦めではなく、指標としての限界だ。
「お前の頑張りが足りなかったわけじゃない。廃校の時にお前が間に合わなかったと考えたのは、一人当たりに含まれている血液量を知らなかったからだ。俺も気付いたわけじゃない。知っていたから判断できただけだ。知ろうとしなくても対処できる、それが『経験』だ」
人がどれほど頑張ったとしても生身で空を飛ぶことはできない。だからこそモノに頼る。要はできないことを代わりの何かで補えばいいという話だ。
何ができて何ができないかが分からないのなら、それは事実を――もっと具体的に言うなら物理的な限界を指標に判断すればいい。
彼女の場合、呪いを無視して限界まで恩恵を使えば物理の壁すら突破しかねないのでややこしいのだが、兎に角だ、"知識として持っていないものは理解できない"が答えなのだ。
だから彼女は"無理を成す"のではなく、わからない今にどう対処するかという最善を選び取れさえすればそれで十分だ。
「経験……」
顎に手を当てて考え込む少女を見て、ここはもう少しだけ後押しが必要だと判断する。
――手間のかかるやつだ。
「――それにだ、そのために俺がいる。お前の失敗もとい、できないことは俺がやる。お前は俺の出来ないことをやれ」
「……そんな甘えた考えで大丈夫なのかなって」
「余計なことは考えるな。あるかもわからない失敗に迷う必要もない。失敗に背を向けてかまわない、ただ前に進むことだけ考えろ。そうすれば、お前の"願い"は俺が叶えてやる」
年齢や経験を考慮するならば、彼女は周囲の想定よりも考えることができている方だ。憑神遊戯に参加している割に人間味が強いのは少々複雑だが、ともあれ立ち回りや知識に関しては圧倒的な差がある以上、宗が彼女に対して求めるのは戦力と機動力、そして背中を見せられる程度の利害関係だけで、それ以外は必要ないし、必要とするべきではない。少なくとも今は。
「背中は任せろってこと?」
「好きに解釈しろ」
「うん。じゃあ、背中は任せる」
柄にもなく長話をした甲斐あってか、ようやく今回の件に納得した様子の拗らせ兎。だがまぁ、耳が長いお陰か人の話を聞く力があるようで何よりだ。
――失敗したな。
ふと、ここまでの長話をするなら念話で話せば良かったと思う宗だが、
――まぁ、いいか。
と、思い直す。
この仕事が終わるまでに念話の機会などいくらでもある。それに、移動中の美雪の念話は、最初こそ会話と念話が入り混じっていたが、後半は念話に集中できていた。それも移動と警戒――しかも目と耳の両方で――をしながらである。それだけできれば全てを念話にしてまで結果を急ぐ必要はない。どのみち、一度に多くを詰め込むのは効率が悪い。
「カレンッ!」
宗が結論をだしたと同時に、横転した車から脱出しようと藻掻いていた男がようやく這い出てきた。
解魂衆のような装いの宗には目もくれず、意の一番に女の元へと駆けた男は、女を抱きかかえ逃げる様子もない。
「はぁ……納得したなら行くぞ。これ以上は目的の成否に影響する」
丁度良く状況が動いたのをこれ幸いにと、これ以上我儘兎に悩み相談される前に散々放置した護衛対象の元へと足を運ぶ。
「――――」
その背中を見つめる少女は、宗に声をかけるかかけないか迷って、気恥ずかしそうに小さく呟いた。
「……ありがと」
隣にいても聞こえないような声量。
だが、仮面越しに全てを見透かす憑神は、その口が紡いだ形が何を意味するか、はっきりと捉えていた。
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