ep026.『狩場』

 ――しゅうたちが向かう少し前。落憑狩りは既に始まっていた。


 濃霧の様な煙に包まれた工場地の一端をライト、ランプ、あらゆる明かりを消した二台の車両が泳ぐように駆け巡る。


 数メートル先も見えない煙の中で、互いの衝突はもちろんのこと、辺りにまき散らされた血と臓物にタイヤをとられないように立ち回る彼らの技術は、ショーで見ればさぞ観客が沸くパフォーマンスだっただろう。

 最も、今回の登場人物は演者と観客ではなく獲物と狩人。そして演目はショーではなく殺し合いデスゲームなのだが。



「おらおらぁ! いつまで隠れてんだ落憑共!!」



 ――パパパンッ!

 ――カカンッ!



「カレン!」

「大丈夫! 当たってない! 駆くんは!?」

「大丈夫だ! 灰牧のオッサンは!?」

「ゴホッ、問題ない……」



 何度目になるかわからない狩人の矢をいなし、インカム越しに互いの安否を確認する落憑たち。


 今しがた標的となった女性――カレンに名前を呼ばれたかけるは、同じく閉ざされた煙の中を走る彼女の安全を確認してなお、肝を冷やし続けていた。


 スポーツタイプの車に乗るかけると違い、同じくスポーツタイプではあるがバイクに乗るカレンは、車両の外に生身を晒す分リスクが圧倒的に高い。


 理由があるとはいえ、装いもクラシックなライダーファッションだ。赤いライダースーツにフルフェイスのヘルメットを被っただけのその姿は、相手を考えれば鎧なしに戦場を駈ける騎兵も同然であり、そのうえ後ろにもう一人乗せてるともなれば彼女の現状は自殺行為と言って差支えないだろう。


 だがこの調子なら決死の自殺も未遂に終わる。

 

 あと三十分。

 合流地点から離れてしまったのを考慮しても正味一時間。それだけの時間この攻撃を凌ぎきれば、彼の組織から救援が来てくれる手筈となっている。そこまでいけば、助かる。



「頼むぜー、探偵社さんよぉ」



 ――探偵社。

 この憑神遊戯ゲームにおいて、唯一の有名にして生き延び続けている情報操作系の憑神――『探偵』。その彼女を筆頭に、落憑を含めた有能で善良な憑神たちで構成された難攻不落の組織であり、強者の誰もがその名を恐れる『神童』が所属する組織でもある。


 ルバンシュが壊滅した今、落憑狩りの脅威は夜も眠れぬほどに高まり、多くの落憑は死に物狂いで助かろうとしている。

 ともすれば救援要請が探偵社に集中するのは自明の理で、そんな中、自分たちの要請が聞き入れられたのは奇跡と言っても過言じゃない。


 だが、その奇跡も助からなければ無意味になる――否、その時には助かる者も文句を言う者もいないのだから無になるが正しいのかもしれない。


 冷静に考えても一時間なんて現実的じゃない。三十分でも見栄に見栄を張った誇大妄想なのだ、状況を見た誰もが無理だと口を揃えるだろう。だからこそ、かけるは己を鼓舞するように叫ぶ。



「あと少しだ! 何としてでも時間を稼ぐぞ!」

「ええ!」



 己を奮い立たせ、味方を奮い立たせだましてようやく幻視できる希望。

 しかし、蜃楼に食らいついてでも諦めないと闘志を燃やす二人を運命は酷薄にあざ笑う。



「ゴホッゴホッ! ガハッ、ゴホッ!」



 カレンの後ろに乗る中年の男が一際大きく咳込んだ。



「――駆くん、灰牧さんが限界」



 走行中のヘルメット越しでも聞こえる喘鳴に狩りゲームの破城を悟るカレン。


 薄くなってきた煙の中、インカムを通して車内に伝わる苦悶の声に、かけるは単純明快な無理難題で返答する。せざるを得ない。



「あと少しでいい!! オッサンの煙だけが頼りだ! 何とか気張ってくれ!」



 かけるも含めて顔面蒼白で咳込む中年の顔は見えない。だからといって無理を強いている訳じゃない。灰牧はいまきがとうに限界を迎えていることなど、インカム越しに幾度となく聞こえてくる咳で容易に想像がついていた。


 それでも彼には頑張ってもらわなければならない。


 何せ、ここにいるのは獲物と狩人。それも複数の狩人からなる獲物の奪い合いハンティングゲームの真っ只中だ。

 獲物側である落憑自分たちにとって、灰牧はいまきの恩恵で生み出されたこの煙は唯一の隠れ蓑であり、これがなければ無ければ恐らく五分と持たない。



「おいおい! ガス欠かぁ? 煙がなきゃ直ぐ終わっちまうぜ! なぁ!?」 



 ――パパパンッ!

 

 威勢のいい高圧的な声の後に続いて、ガス式のモデルガンから実弾以上の貫通性と破壊力を秘めた小さな弾が放たれる。


 消えかけの蓑に隠れる獲物を仕留めんと、風切り音を鳴らしながら煙の中に殺到する凶弾を、


 ――カカカンッ!


 かけるは自慢の愛車のボディで防ぐ。


 互いに恩恵で強化された憑代を用いたこの攻防も、灰牧はいまきの煙があって何とか続けられている状況だ。

 この煙がなくなれば生身の二人が真っ先に狙われる。それだけじゃなく、手をこまねいていた解魂衆ハイエナも動き出す。そうなれば彼らは早々に皆殺しだ。



「……ったく無茶言いやがるぜ。ぶっ倒れたらそこらに捨ててくれて構わねぇからな」

「バカ言うじゃねぇ!! 非難するならみんなで―― 」

「駆ッ!」



 助かるための避難で死んでしまっては元も子もないことなど三人とも理解している。それだけではどうにもならないことも落憑全員が身に染みて理解していることだ。

 それでも、もう少しと言うところまで来たとなれば悔しく思うのも仕方がない。



「――最善を尽くす。でしょ……?」



 最後の最後で選べない。そんな彼を良く知るカレンは、走り抜けることしかできない道を示す。例え結果が変わらないとしても、最善の先になら受け入れられると信じて。 



「そうだな……。オッサン、最後の煙幕、頼む」

「気にすんな。恩を返すだけだ」



 どの道、無理を押し通さなければ先は長くない。

 他より薄暗い場所を歩いてきた灰牧はいまきは、現実がどれだけ無情かを正しく理解している。


 若い二人には、現状、落憑狩り一人が暴れているだけに見えていることだろう。

 何も理解できないヤクザたちは凶弾の乱射に巻き込まれ数名が死亡、解魂衆ハイエナ共が高みの見物を決めている今が好機チャンスだと。


 現実はそんな甘くない。


 獲物に息があるのは決して自分たちの実力のお陰ではないのだ。

 考えてみれば当然だ。

 煙に隠れているといっても、これだけ目立っていて、なおかつ時間が経っているにもかかわらず、落憑狩りが一人なんてことはあるまい。まして、好戦的で狡猾なマフィア連中が黙ってみている筈がない。


 自らが強者の側と実感できるこの場所に酔いしれる落憑狩り。

 自分たちだけでは獲物を認識する事すらできないが、数だけは多いヤクザ。

 残り物を食えればいい解魂衆ハイエナども。

 最も利益を得られる瞬間を狙っているであろうマフィア。


 理由はそれぞれだが、強者の気まぐれで生かされているに他ならない。


 狩人を楽しませなければ引き金は即座に引かれる。

 だからこそ、今にも飛びそうな意識を手繰り寄せ、灰牧はいまきは最後に一発かます根性を腹に据える。



「それが終わったらカレンはオッサン連れてガレージに戻ってくれ。後は俺が時間を稼ぐ」



 灰牧はいまきの覚悟にかけるもまた覚悟決めた。



「一人でやる気!? ダメよ!!」



 あまりの無茶な発言に今度はカレンが声を荒げる。



「これ以上時間が稼げないと判断した場合、あと、救援が来る前に俺がおっんだ場合はみんなを連れて逃げろ」



 ――パパパンッ。

 ――カカカンッ。



「どうした!? 雑魚共がよッ! 隠れてるだけか!? さっさと死んで溜め込んだもん寄越してくれよ! なぁ!!」



 またしても獲物を求めて凶弾が飛び交う。

 乱射の感覚がそれほど短くないのが救いだが、凶弾の性質を考えればそれもどこまで喜べるのかわからない。


 恩恵で強化されたこの小さな弾は、体内に入れば空気の砲弾となり炸裂する。


 それは改造モデルガンに毛が生えた程度なんて可愛げのあるものではなく、当たりどころが良かったとしても体内で発生した衝撃波が循環、呼吸器系に損傷を与え死に至る。手足の先だとしても掠っただけで千切れ飛び、ショック失か失血死が関の山だ。


 そんなのを相手にできるのは、この中ではかけるしかいない。


 かけるの憑代は車。その恩恵は、


 車両を変形不能な強度とする。

 燃料に応じて速度を高めることが出来る。

 程度に違いはあるが、乗り手に対する慣性と重力の軽減。


 である。


 ちなみにカレンも同じ系統の恩恵を持っており、互いに車両を動かす燃料として魂を消費しなければならない制約呪いがあるのも同じだ。

 

 しかし、二人には決定的な違いがある。

 

 一つは先に述べた通りその身を露出するかしないかだ。

 車両の強度が増しても乗り手はそのままなので、バイクでは外部からの攻撃から身を守ることはできない。また、衝突の衝撃で横転しようものなら大怪我で済めば御の字ということを考えれば、突撃するのは現実的じゃない。


 その点、車はどちらもある程度問題ない。

 カレンより軽減率は低いものの、エアバックの事前展開、衝撃吸収に優れた専用のプロテクタースーツとシートベルトなど、突撃を前提に準備しておけばそれなりに豪快な取り回しが出来る。

 そもそも二トンに迫る平たい塊が、強化された強度と速度で突っ込むとなれば、大抵の障害物は粉砕するため、乗り手への反動はさほど大きくないというのもある。


 そしてもう一つの違いだが、それはかけるの憑代は本人しか乗れないということである。


 正確には誰かを乗せる事は出来る。ただ、乗せてしまえばかけるの愛車はエンジンのかからないただの金属の塊と化す。

 憑代を破壊された憑神の運命が死であることを考えれば、乗せられないと言っても過言ではないというわけだ。

 かけるはこの呪いが故に、灰牧はいまきを乗せることも、みんなで非難することもできない。

 

 であるならだ。

 彼女の気持ちは最もだが、落憑の誰かが生き残るという点ではこれが最善であるのも事実。時間もない今、あれこれ話し合っている余裕もないとなれば尚更だ。


 それにかけるとしては、他人に命を張れと言うなら先ずは自分がそれを見せるべきだと思っている。彼女には悪いが、今ここが意地を通す場所だと思う。



「そんな、勝手に……私も――」



 目的を実現し得るだけの力が無ければ避難計画は成し遂げられない。



「『最善を尽くす』――だろ? カレン。こんなバカなクソ野郎でもよ、間違いに気付けたんだ。最後になんなら、せめてそん時くらいは真っ当なことをしてぇんだよ」



 だが、落憑自分たちにその力はない。



「……必ず帰ってきて」



 ならば、その身を賭け金に願い手を伸ばす他ない。進むしかない。



「愛してる。カレン」

「最低よ――――」



 消え入るような声のカレンが何と言ったかわからない。それでも、彼女が何を言いたいのかはわかっているつもりだ。むしろこの状況でわからないならそいつはきっと今世紀最大の大バカ野郎だ。



「色々あると思うが始めるぞ嬢ちゃん……こっちも限界なんでな」



 思うところがある若い二人に割り込む声。平常なら無神経にも程があると突っ込むところだが、今回に限っていえば割り込んだ中年を称えるべきだろう。



「ええ、そうね」



 カレンの腰から片手を離した灰牧はいまきが、葉巻を咥えて大きく深く吸い込む。



「スゥゥゥゥゥ――」



 葉巻を懐に仕舞い、今度は全力で吐き出す。



「ハァァァァアアアアア」



 二人の努力で新たに生み出された濃煙が、獲物を狩人から守る盾となる。



「後は頼んだわよ……駆くん」

「ああ」



 意識を失った灰牧はいまきが落ちないよう片手で支えながら、カレンは閉ざされた視界の中を走り去る。

 

 二人がきっちりと役目をこなしてくれたのを遠ざかるバイクの音に感じながら、



「さて、ここからは巻きで頼むぜ! 探偵社さんよ!」



 かけるは人生最後の時間稼ぎタイムアタックに挑むのだった。

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