ep020.『狐の思惑』
――暗闇の中で声がする。蟲毒のように詰め込まれた、有象無象の魂たちの声が。
いつかの黒人の恨み言が聞こえる。
「随分と苦しめてくれたな? ――グチャ」
――黙れ。
中学生の男の声がする。
「このチート野郎! さっさと壊れっちまえ! ――グチャ」
――お前が先だ。
狂相の男の声がする。
「俺も糞みたいな人間だが、キツネ野郎も変わんねぇなぁ? 精々、このゲームを楽しめばいい――」
――あぁ、
「待ってください! 兄にぃを消さないで! 私が、私が代わりになるから!」
――人形に憑いていた妹か……いいだろう。お前は今回の供物に丁度いい。
魂たちの怒りが、憎しみが、
『――狭い狭い。何と窮屈な器か』
一つを除いて新たに取り込んだ魂をねじ伏せ終えたとき、魂共とは格の違う、人ではない何かから語り掛けられる。
声のする方を向けば――と言っても、魂の内側に目はないので意識をそちらに向ける――そこには一匹の黒い狐が寛いでいた。手足や尻尾の先が白銀に染まった五つ目三尾の狐が、退屈そうに欠伸をしている。
人の魂の内側に我が物顔でのさばる異形の狐に、
「
『返したまでのことだ。久々の自分の感情、悪くなかろう?』
「目的は
『流石の天も、お前の母は食い飽いた……あれならこの先数千、数万年は愉しめそうだからなぁ。それより飢えたぞ?』
暇そうに、まるで思い出し次いでに些事でも放るかの様な口調。しかしながらその言葉は、逆らう事など到底できない、絶対的な存在特有のひれ伏すような圧力を帯びていた。
「母上を貶めるのは止めろと言ったはずだ」
そう文句を言いながら、魂共にこびり付いた
『
狐がそう言うと、
母との思い出が褪せて、褪せて、見えなくなって、在ったのかも判らなくなっていく。
――さて、用済みだ。
供物は
そもそも、もとより二つとも糧とするつもりだったのだから。
「地獄に落ちろ、キツネ野郎――グチャ」
――『地獄に落ちろ』か……生憎、落ちた後だ。焼け朽ちるまでは精々楽しませてもらうさ。
潰した魂から幸せを剥ぎ取り狐に放る。もちろん、残りは自らに取り込んでいく。
『おいおい、供物が壊れてしまったではないか? 噓つき嘘つきと嘆いておるわ』
「それなら代わりに――
そうして
※※※ ※※※ ※※※
「お兄ちゃん、
「――あぁ、寮に戻ろう」
「あの! お兄ちゃん、その……お変わりありませんか?」
手を引っ込めながら後ずさる
「そうだな……母を食わせた。だが俺の中で
「そう……ですか……」
顔を伏せてしまった
「ナズ――、」
妹をそっと抱き寄せる。
「迷惑ばかりでごめんな……それでも、歩みを止めるわけにはいかないんだ。だから今は、帰ろう――」
もう何度口にしたかわからない。この先、何度重ねればいいかもわからない。
注ぎ足されて薄くなった言葉はすでに器から零れてしまっている。それでも
「はい……」
腕の中で
この
「――コン」
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
「後のことはナズに任せろ。俺たちは今後についてだ」
手を差し伸ばして渡りで移動することを伝える。
「あのさ!」
「――」
泣き腫らした目に涙を溜める少女に呼び止められて振り返る。
何も言わないのは言葉がないわけじゃない。"心配しなくても話した通りだ"思い浮かんだその言葉を言う資格がないと思っただけだ。
「またね」
「……またな、
あるはずのない『また』を約束して寮を後にする。
とは言え妹の部屋以外に話し合いに適した場所を
カフェへの出戻りができればベストなのだが、妹の代わりに兎が座っていては流石にごまかせない。店の前など以ての外だ。
認識疎外の術をかけて店内に渡る方法もあるが、術者が臨機応変に対応しなければ"よくわからない"と認識させるのが限界で、そんなのが急に表れれば当然ながら周囲は不信感を抱く。そしてそれは数分と経たずに不安となって爆発するだろう。
だからここしかなかったのだが――、
「ねぇ、最低か変態、私はどっちを言えばいいわけ?」
今回はこう言われても仕方がない。だが
「俺と妹なら問題ないが、お前を連れてフェルメに渡れば周囲への影響をごまかせない」
「だからって普通ここにする? もっと別の場所あるでしょ」
ルバンシュ襲撃を経て、限界を迎えて意識を失った美雪を保護するために運び込んだホテルの個室。
誤解なきよう弁明しておくが、あの時は近場の個室がそこしかなったのだ。決して邪な考えのもとそこを選んだわけじゃなく、物騒な廃ビルの近くにあるホテルが、まともなホテルであるはずがなかっただけの話。
「知らん。人払いをしている個室はここくらいだ。ここを選んだ理由はそれだけで、それ以上でも以下でもない」
しかしだ、触れられたくない黒歴史に、それを想起させられる様な格好で、しかも事前の話もなく連れ込まれればどんな女性も信用度をゼロに設定するというものだろう。
「それで私が納得すると思ったの? 言ったよね? 次は蹴るって」
「悪かった……話が終わった後で蹴りは受ける」
「そう言えば遅れた理由、聞いてない」
これは呪いの問題なので
「俺の呪いに関係することだ。それも悪かった」
素直に謝ることにした。
ここから戦闘が続くかもしれないのだ。慣れ合う気はないが、不信を招くのは意図するところではない。
「今回はやけに素直なあんたに免じて目を瞑ってあげるけど、忘れたわけじゃないし、なかったことにもしないから、そこは勘違いしないで」
「それでいい。で、説得はできたのか?」
「大丈夫……」
とても大丈夫とは思えない声だが、こちらはやることをやったのだし、後のことは預かり知らんと言ったところだ。
「大丈夫ならいい。今後の話の前に認識のすり合わせだ」
「私からも話しておきたいことがあるんだけど、先にいい?」
――
これから話される内容に予め考えを巡らせてから、無言で首を動かしその先の話を促す。
「あんたを待ってるとき、探偵社の人に声かけられちゃって……
やらかした子供の用にチラチラとこちらの顔色伺いながら、情報を小出しにしにする小細工を弄する兎。
頼まれてどうしたかではなく、問題が発生したと前振りしながら様子を見てくるあたりが一層小賢しい。
「続けろ」
所々女子高生らしさを出してくるのが癪に障るところだが、別段怒っているわけではない。
「今回は代行者も動いてるらしいの。アンタと組んでるし、さすがにリスクかなって断ろうとしたら、強者と手を組んでるのが探偵社にバレてて……。その人、つまりアンタとも協力できないか話を持ち掛けてくれないかって頼まれたの」
流石は『探偵』だ。この短期間の間にラビットフット関連の状況証拠のみで、協力者の存在を確信に変えるとは恐れ入る。
前々から、妹経由で探偵社を利用しようとしてた
――これも見越してなのかも、しれないな。
ふと、都合のいい状況と、それに思い当たる節に思考を割くが、栓無きことだと思考の外に追い出す。今重要なのは探偵社からの誘いをどうするかだ。
「……なるほどな。探偵はお前の呪いについて知っている。なら、バレた理由はルバンシュの件からだろう。俺についてはどの程度の理解度だった?」
となれば、ルバンシュほどの組織、しかも
「私より『遥かに強い協力者がいると予想してる』としか言ってなかったから、実際どこまで掴んでるのかは正直分かんない」
「強者と思われた理由はなんだ?」
ラビットフットがルバンシュを潰したと仮定するなら、撤退や回復に特化した憑神でも救出シナリオを完遂できる。
いくら探偵といえども、ラビットフットの状況証拠だけを頼りに、協力者が強者であると断定はできないはずだ。
「多分私のせい。あんたには敵わないから協力してる部分もあるっていうのも含めて、代行者の話が出たとき、協力があるなら問題ないって思いが態度に出ちゃってた気がするから」
心理戦の結果だというので合点がいった。
「相手が悪かったな。それに俺が遅れたのも原因だ」
「まぁ、遅
「好都合だ。探偵社には直接出向いて話を付けると伝えろ」
これは良い
情報収集に特化した組織なのだから、コソコソ動いても問題ない。
そして探偵社には『神童』がいる。強者を倒しても不自然に映る可能性が低い。
もし管理者に目を付けられても、その時はトカゲの尻尾を切ればいい。
「直接行くの?」
「
「やっぱりそうなるよね」
夢から醒めただけの
「勘違いするな。大した魂も持っていない
「憑神はわかるけど解魂衆を狙ってもメリットない気がするんだけど。むしろ代行者が出てくるかもしれないこと考えたらマイナスじゃない?」
「それが狙いだ」
「余計わかんないんだけど……」
片眉だけを器用に困らせた兎が、口をへの字にして首を傾げている。誰がどこから見ても得心行きませぬとわかる表情だ。
ここまで高らかに『わかりません』と示されれば詳細を説明しないわけにはいかない。
「『異形』を見かけなくなったのは、一般人への被害を看過できなくなった解魂衆が、代行者共に結界を張らせて『異形』から世界を隠したからだ」
「私にも戦う理由ができたってことね」
少女の表情が、刃の様な冷たさを帯びる。
真偽のほどはまだ不明で今のところ仮想敵止まりではある。しかし、
「探偵社には
総括を述べる
その目に、執念にも似た闘志を燃やす
「『異形』を倒す」
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