ep013.『game start...』
『――Cafe;フェルメ・セ・イユゥ
open9:00 closed23:00 last order22:30――』
看板の傍、いつかの路地裏と同じ鉄壁の構えで寄りかかり待ち人の影を探す。
袂から懐中時計を取り出し、針が午後九時を示しているのを確認して袂にしまう。
この時間、人通りは少ないがそれでもいないという訳ではない。
宗の出立ならば目を引きそうだが、事前に強化した認識阻害のおかげで誰も気に留めることなく通り過ぎていく。
快適な待ち時間といっていい。が、すでに十数時間もこの場にいるのを考えると待ち合わせの範裕を超えているような気がしないでもない。
――"いきなり現れて敵を皆殺し"というだけでも警戒されるというのに、その後の掴みも良いものだったとは到底言えなかった。
と、廃ビルで出会ったその後のことを思い出す。
そんなことを考えながら時間を潰し、改めて時計を見る。
――午後十時。
「あの」
――やはりこないか。
「あの!」
――!?
立ち去ろうとして、裾を掴まれる。
――認識阻害が効いていないのか!?
宗には
――何者だ?
こちらが意図しない限り阻害の影響を受ける。
だが、少女は明らかにこちらを認識している。
目の前の少女は憑代を持っていない。同業者でも同格以上でもない。
仮に同業者であっても、阻害の影響を受けないのは妹くらいで、そもそも妹は恩恵の影響から外れるようにしてある。
――代行者か?
それはない。なぜなら霊力を感じないからだ。
陰陽師であれば普通、霊力を使う。目の前の少女からはそれらしきものは感じられない。
そうなれば他に思い当たる人物は彼女しかいないのだが。
ここで宗はようやく気付く。
――似ている。
「なんで無視して行こうとするんですか? 呼び出したのはあなたの方ですよね?」
六花の少女を思い浮かべ目の前の少女に重ねる。
よく聞けば声も同じで、どこかの恥的生命体と同じ学生服着ていた。
「印象が違い過ぎて気づかなかった、それに来ないと思っていたからな」
腰に手を当てジトっとした目で宗を睨めつける少女。無視した理由が気に障ったのか、ご機嫌斜めの様子だ。
「私も行くか相当悩みました」
「だから遅かったのか」
「時間の指定はされてませんよね?」
「そうだが……まぁいい、中で話すぞ」
今の短い掛け合いで立ち話を続けべきではないと判断した宗は、早々に話を切り上げ『本日貸し切り』の札がかかったカフェの扉を開ける。
「――――」
しかし、宗が扉を開けても彼女は無言のままその場から動こうとしない。
一応、恥的生命体からこのウサギがコーヒー好きの特殊個体だということはリサーチ済みだ。その情報提供者を保護している旨も今朝の時点で目の前の少女には伝えてある。
「俺は十時間以上ここに立ってたんだ。話くらい座ってさせろ」
「――……わかりました」
ぼそりと拗ねたように呟いた少女が重い足取りで後ろをついてくる。
宗に悪いと思ったのか、はたまたここまで来ておいて今更警戒しても仕方がないと思ったのかはわからない。どちらにしても話が進むなら宗としては理由にこだわる必要もない。
「よく貸し切れましたね。ここ、いつも満席なのに」
「妹の伝手だ」
挽きたてのコーヒーの香りに暁色にライトアップされたモダンなデザインの店内。知る人ぞ知るこの名店は元々席数が少ないのもあり、いつもは癒しを求める常連に占領されてまず入ることはできない。
だが、身近な人がオーナーと繋がりのあるおかげでこうして貸し切りにできたのだ。
客がいつまでもいたいと思える落ち着いた雰囲気は、これからの重要な話し合いを考えると最適な選択と言える。怯えるウサギをリラックスさせるという意味でも、協力の前の餌付けという意味でもだ。
そんな打算を隠したまま二人は逆さにした凸の字のような間取りの店内を進む。
狭い入り口を抜けた先には店員が一人。
一つ景観を損なうものがあるとすれば、店長の顔にキョンシーのような札が貼ってあるところだろうか。
「何をしたんですか?」
非難するような声がすぐ後ろから聞こえる。
確かに怪しいのは分かるのだが決めつけるのはやめてほしい。第一、これをやったのは妹で宗じゃない。それに理由も
「認識阻害の一種だ、害はない」
警戒している相手にこの手のことを一々説明していたのでは時間がいくらあっても足りない。なので事務的に必要な処理だったと認識させて話を終わらせる。
「そこにするぞ」
一番近くにある四人掛けの席を顎で指す。宗は適当に奥の席を、ウサギは出口に近い席を選ぶ。
コーヒーでも飲みながらと思ったが、席に着くなり話は始まった。
「単刀直入にお伺いします」
芯の通ったその声音の前に、入り口での掛け合いが噓だったかのように空気が重くなる。
「どうやって私の願い――いえ、弟の病を治すんですか」
青い瞳には強さを感じないと思っていたが、それは宗の思い違いだった。
氷柱のように鋭い視線は、実際に体温が下がったと思えるほどの威圧感がある。
なればこそ、恩恵を使っていないただの少女と見るのではなく、目の前の彼女はこの瞬間も
「その前に一つ。敬語はやめろ、時間の無駄だ」
「わかった」
正直に言えばこれからの話は億劫だ。長期的な成功率は八割程度だが、今現在で言うなら五分五分といったところだろう。
話し合いとは相手の理解力や感情によって益にも害にもなり得る。恥的生命体のように術で話を強制中断するわけにもいかない、となればどれだけの時間話し合うことになるのか検討もつかない。
――いっそ、
宗の懐には『黒手病』について記されたとある歴史書の一部がある。
花の言ったことが本当ならこの本を渡して事実確認さえさせれば、あとは勝手に話が進むはずだ。
今日の待ち惚けで失った時間も含め、これ以上のロスは避けたい。
この場で時間をかけて話し合った挙句協力を得られない可能性もある。先の通り、話し合いとは害にも益にもなり得るのだ。
であればここでの話は手早く終わらせて、ラビットフットが自分の足で協力関係を持ち掛けてくるように図った方がいい。メリットは得られないが、その代わりデメリットも少ない。
――消極的な選択をする余裕もない、か。
そう考えたところで何度もぶつかった問題の前に立ち返ることになる。
すでに退路はない。ならばと、今日の待ち時間で失った時間に見合うものが得られることを信じ、宗は覚悟を決めて本題に入るのだった。
「黒手病。黒い手のような痣が全身を覆っていき死に至る病。およそ400年前から散見される病だが、今でも治療法はなく、発症の原因も不明」
「えぇ。だからこそゲームで魂を集めて願いを叶えるしか――」
「現代医学の粋をもっても400年間なんの進展もない。そんな病が普通だと思うか?」
「まさか……」
宗のヒントから推測し、答えにたどり着いたであろうラビットフット。その反応は顕著で、出会ってからから一度も揺らがなかった警戒と疑いが目に見えて薄れていった。
ラビットフットの眉間に寄りっぱなしだった皴が消えてのを見て、ここだと感じた宗は一気に核心を告げる。
「お前の弟を苦しめている原因。それは『異形』と呼ばれる憑神の呪いだ」
同時に、裾から取り出した一冊の古書を投げ渡す。
「これは?」
助けられたとはいえよく知らない相手、しかも信用とは程遠い場所に位置する
「とある歴史書の一部だ。黒手病と『異形』の因果関係について記されている」
投げ渡された古書を怪訝そうに見つめるラビットフット。
「実際この二つは因果関係にある。が、俺が言っても信用できまい。だからそれを探偵社に調べさせろ。そうすれば俺の話が嘘ではないと分かるはずだ」
情報源が信じられないのなら、信じられる者に担保させればいい。
史実に基づいた裏のとれる情報と信頼できる第三者の意見。この二つが同じ結果を示したなら少なくとも試してみる価値があると判断できる。
それなりの時間は必要だろうが、いくら時間を重要視する宗とて流石にこの状況で時間をかけてられないとは言えない。
「『異形』って、
疑問を投げておきながら一人でに納得している様子のラビットフットを前に、衝動的に「ならば聞くな」と言ってやりたくなったが、折角無駄な話が省けそうなのでここはグッと堪える。
「……その話は知らんし興味もない。口振りからすると『異形』については知っているのか?」
都市伝説と自分にどんな関係があるかなど興味の欠片もない。だが異形の話に僅かでも信憑性が増すなら好都合だ。ついでにラビットフットにどの程度の知識があるか探ることにする。
「知ってるって程じゃない。誰も勝てない厄災そのものって聞いてるけど、私がゲームに参加する頃には見かけられなくなったって……でもそういう話なら貴方とは協力できない。元々、私の願いにできるだけ他人を巻き込みたくないの。私がその化け物を探し出して倒せばいいだけ」
話の流れからして、この後は宗が協力のメリットを提案するという場面。だというのに、まさか早合点したウサギが本を投げ返してきた。これには流石の宗も返す言葉が選べなかった。
「落ち着け発情兎」
「はぁ!? あ、あれはあなたにも非があるでしょ!?」
ここで相手を怒らせるデメリットが小さいとは言えない。しかし、足の速いウサギに店を飛び出されるよりはマシだろう。それに中途半端なタイミングで話が終わってしまえば、不信感だけを残し協力の可能性自体を失ってしまう可能性もある。
「俺はお前の呪いが発情だなんて知らなかった。むしろこっちが被害者だ」
そうなるくらいなら、多少信頼を失ってでも次に繋がる最低限の情報を渡し切る方が生産的だ。まぁ、わざわざ話し合いの場を設けた意図を考えない目の前のウサギに一言欠点を強調してやりたくなったという思いがあったのも事実だが。
「この狐野郎……!」
立ち上がり、手をわなわなと怒らせるラビットフット。
協力の件とは別にアレに関してはこちらが被害者なので折れるつはりはない。
「それで、だ。絶対に勝てない理由がある」
「なによ」
案の定、心証は悪くなった。が、話を続ける間ができたので結果良しとする。
「異形は近くにいる憑神の呪いを強制的に発動させ、なおかつ爆発的に強める。恩恵はそれだけじゃない。奴の掌には他者の恩恵を無効化する力がある。そして最後に、絶命の呪いだ。お前の弟の病気も両親の事故もそれが原因だ。掠っただけでも数日で、掴まれでもしたら数秒で死ぬ」
「――……」
「そうだ。お前じゃ自分の呪いを暴走させて突っ込んだ挙句、仇に呪い殺されるだけだ」
自分ではどうにもできないことが分かったのか、少女は力が抜けたように椅子に座る。
「そんなのあなたがいたって……」
「俺に奴の恩恵は効かない。それに俺の恩恵なら奴の――呪いを暴走させる恩恵を抑えられる。それは、今朝のことで理解できるはずだ」
今朝のことは頭が痛くなるので詳細は省くが、要は宗が彼女の呪いを鎮めて見せたのだ。
直接体験した当人だからこそ、彼女は今の話を信じるしかない。
「わ、わかったから! 今朝の話はもうしないで! わかってるから! わかってる前提で話し進めていいですから! ていうか次今朝の話したら蹴っ飛ばすから!!」
発情兎が早合点したときはどうなることかと思ったが、どうやら話し合いの体裁が保てるところまで状況は改善したようだった。
代わりに心証が大暴落したであろうことについては、もはや振り切ることにする。
「それこそお前の言う『わかった』だ。同じ言葉を繰り返すな。時間の無駄だということもついでにわかっておけ」
「こんのぉ……! はぁ……あなたと話してると疲れるんだけど」
「同感だ」
「一々ムカつくやつね! って、もういいわ……一先ずあなたの協力が必要だってことは分かった。それで? 協力内容は?」
最低限の情報さえ渡せば後はこの場は引き上げるつもりだったので、内容の確認については若干不意打ちだった。
彼女からすれば内容次第でということなのかもしれないが、憑神遊戯というデスゲームにおいて憑神同士が協力するとなれば"願い"以外のラインは存在しない。そこで話が決まらなければ最初から協力関係など築くべきではないのだ。
――どうするか。
関係を築かないのであれば内容の話は無駄に終わってしまう。なので、できれば協力関係を築いた後にしたい。しかし、ここで答えなければ悪い程度で止まっていた心証が不信感に繋がりかねない。
ここは致し方なし――相手が情報の確認もなしにその気になったという不可解かつ合理的な可能性に賭けるとしよう。
「お前には俺の代わりに戦ってもらう。具体的には敵の憑神から憑代を奪取、俺がその憑代を破壊する」
「続けて」
「――」
心証が最悪な以上、ここからの話に期待はできない。そう思いながらも協力後の説明を省けるならと、半ばどうにでもなれと話を続づける。
「俺は恩恵の使用を可能な限り抑えたい。が、魂は必要だ。なぜ使わないかは教えるつもりはない。お前は"願い"が叶うのだから魂はもう必要ない。win-winだ」
下を向き、指で下唇をクイっと持ち上げるラビットフット。
少しの時間思案した後、考えがまとまったであろう少女が口を開く。
「私のことは全部知ってるみたいなのに、なんだか不公平ね」
考えた末に出てきたのは必要のない詮索。
少女からすれば、自分よりも強い相手と協力関係を結ぶにあたって可能な限り全体を把握したいと考えるのは自然なこと。さもなければ、いざという時に逃げることも敵わなくなるのだから。
ただし、それは逃げられる相手が前提で、協力後の結末を知る宗からすればどちらにしても話す気のないものだった。
「どうでもいい。答えは?」
「その前に質問」
「聞こう」
「魂の受け渡しじゃダメなの?」
憑神同士は互いの憑代に触れ合うことで保有している魂を譲渡することができる。
しかし、それができるなら最初から先の具体的な内容を提示したりはしないわけで、
「ダメだ。俺にはそれができない。できない理由を言うつもりはない」
「はいはい。また『言うつもりはない』ね。じゃあ、私がもともと持っている魂は誰かに譲渡して、そのうえで譲渡先の憑代を破壊するってこと?」
「そうだ」
宗が考えていたプランを聞くまでもなく自身で考えて答えて見せたということは、自分だけが利益を得ようとするのではなく協力に前向きであるということだ。
まぁ、人柄は事前に『傍観者』に聞いていたのでそこは疑っていないのだが。
「質問は終わり」
意外にも質問は協力について、それも自身の魂の受け渡しについてだけだった。
もっと根掘り葉掘り聞かれると思っていだけに、少しばかり肩透かしを食らった気分になる。
「それで?」
今まで話した内容はすべて事実だが、彼女がそれを事実として受け止めるかは別の話だ。
普通は信頼関係でもなければこれで合意とはならないだろう。当然二人の間には信頼もなければ心証も最低なわけで、ともすれば協力はまだ先の話になる。そう思っていたのだが――、
「協力するわ」
少女の答えは違った。
それは彼女が最も信頼を置く
しかし、それを知らない宗は協力を持ちかけ、あまつさえ望んだ結果に落ち着いたにもかかわらず「腑に落ちない」といった思いを抱くしかなかった。
どうとも受け取りにくい状況に宗は短く、
「そうか」
とだけ答え、協力関係となった少女に改めて古書を投げ渡す。
「ただし、あなたの話を鵜呑みにはできない。先ずは異形が呪いの元凶だって証拠を確認したい」
そういって手に持つ古書を揺らす青い瞳の少女。
「それは構わないが明日は俺に付き合え。お前が俺と連携できるか確認したい。丁度明日、おあつらえ向きな憑神に動きがある。それができなかったらそもそもこの話はない」
傍観者の噂が本当なら確認するまでもなく連携は可能なのだろう。
しかし、練度や方法はこちら側で調整しなければならない話だ。
探偵社と気軽にコンタクトが取れるのか、頼みごとができるのか、そして、情報の確認にどれほど時間がかかるのか。それらを考慮するなら先に動きを確認し、彼女がいない間の時間を有効活用できるようにしておいた方がいいだろう。
「月野 美雪」
協力の最初の一歩。そんな実務的な話の中に紛れ込む余地のない会話が割り込み、宗は頭に疑問符を浮かべた。
「いきなりどうした?」
「だから私の名前! 『お前』じゃない。それで? あなたの名前は?」
――名前? 何のためにだ?
「お前について調べた時から本名は知っている。必要性を感じないからお前と呼んでいるだけだ」
「え……?」
ありえない。理解できない。そう言いたげな少女だが、その気持ちは宗も同じだ。
協力者で対等な関係なら、互いの目的さえ達成できれば何を気にする必要もない。
「それと俺の名前を教えるつもりはない。もちろん理由もな。好きに呼べ」
「あっそう!! 少しでも距離を縮めようとした私が馬鹿だった!!」
――距離を縮める? 何を言ってるんだこいつ?
理解できなさ過ぎて視界が斜めに傾く。
あくまで協力者であって、友達になるわけでも何でもない。もしかしたら互いに別の目的ができることもあるだろう。場合によっては――、
「発情もしてないのに頭が回ってないのか? 勘弁してくれ……」
「もしかしなくても馬鹿にしてる?」
僅かだが、自分を客観視できるくらいには理性が残っているようだ。
であれば今朝のようになる前に、さっさとこの喧しいウサギの前から退散して――おっと、
未だ呪いの影響が冷めやらないと思もわれる巡りの悪いウサギに振り返り。
「探偵社。ビル前朝九時。今度は待たせるなよ? ――コン」
危なかった。場を離れることを優先するあまり同じ轍を踏むところだった。
要件を伝え、一人になれる場所へと渡り去る。
「――は……? はぁぁぁああ!? 勝手に話を終わらせるな!
ウサギの雄叫びが聞こえた気がしたが努めて無視することにした。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
翌朝、ビルの屋上に立つ二匹の人影があった。
一匹は真っ黒な狐。
一匹は純白赤目の雪兎。
「相手が子供だからと油断するな。それなりに厄介な
「わかってる」
それぞれの思いを胸に二匹は獲物を見下ろす。
「準備はいいか発情兎?」
「うっさい
ここまで長かった。
ようやくここまで来ることができた。
――始めようか。
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