ep012.『狐視眈々』


 高速でルヴァンシュの一団に接近する人影が一つ。

 

 その人影は敵に視認される距離に入る前にビルの間をジグザグに飛び上がり、廃ビルの上からさらに大ジャンプ。曇を超える高さまで一気に飛び上がった。


 速い。その上遠い。

 外見の詳細はわからなかったが、ウサギのポンチョを被っていた。透け感のある黒色にパッチワークが施され青白い揺らめきがこれでもかと溢れている。


 ――それにしても多いな。


 ここらで比較するなら圧倒的な魂の保有量。

 特徴からしてラビットフットで間違いない。

 飛び去って行ったが見つからないようにといった感じではなく、しっかりと敵を見据えて狙いすましているように見えた。


 飛んだ高さが高さなので確実なことは言えないが、恩恵を使用しているかつ、迂回を選ばなかったことを考えるとやる気満々といったところか。


 ――お手並み拝見と行こうか。


 腰のあたりで揺れている尻尾が二本に増える。


 これから先の戦いは色々な意味で重要だ。

 ラビットフットが協力するに値するかもそうだが、大きな組織と有名人のぶつかり合い。注目する者イレギュラーが自分だけとは限らない。

 

 そうなれば今のままでは流石に心許ない。

 恩恵で思考を加速させる。さらに霊視と透視を強化する。

 見逃す訳には行かない戦いを前に極限まで集中する。


 彼女が空に隠れてからわずか数秒。

 黒い影が雲を突き破り、頭から一直線に敵めがけて急降下する。

 地上を駆けていた時よりもさらに速い。音速に迫るスピード、しかも死角からの強襲。これは場所とタイミングを知っていても、真上を見ていなければ避けようがない。


 着地の直前、ラビットフットがその身を半回転させる。

 

 そのときだった。


 故意か偶然かはわからない。

 フードが脱げ、美しいと名高いその顔が露になる。


 ――美雪。


 その名に恥じない新雪と見まがう白い肌。

 薄氷のように輝く白髪。

 白く長いまつげ。

 

 儚くも美しい印象とは裏腹に赤く煌めくその瞳は、どこまでも真っすぐで、澄んでいて、それでいて強い情熱と気高い覚悟を宿していた。


 瞳を見ただけで何が分かるというのか。

 

 バカバカしい。

 そんなのは分かっている。

 それでも、そう思ったのだ。感じたのだ。

 一目見ただけでこんな複雑な感情を抱いたのは初めてだった。


 それと同時に奇妙な納得感がある。

 

 ――ラビットフット。


 これは彼女の能力や憑代を指して呼んだものではなく、美しい雪ウサギを前に皆一様にその言葉以外思いつかなかったのだと。

 

 これが自分の気持ちなのかは分からない。

 あるいは、誰もが湛える彼女の容姿は恩恵で魔性を宿しているのかもしれない。

 それならば、狐を宿す自分には影響しないはずなのだが、そんなことはいい。

 ただ目が離せない。彼女の一挙手一投足、そのすべてから。


 今、彼女の瞳が燃えている。

 罪なき人を傷付けた卑劣漢に、

 友を奪った不逞の輩に、

 怒りに燃えた天花が悪逆の徒に鉄槌を下す。 


 ――グシャァァァッ!!


 桁違いの加速が乗った踵を無防備な脳天に受けたまとめ役の男は、頭どころか上半身もひしゃげている。


 一瞬、見惚れてしまったが、当初の目的に意識を切り替える。

 

 その後、戦いをしばらく観察した結果は釈然としないものだった。


 率直な感想は――"何かが足りない"だ。



 戦闘センスは良い。感覚だけでなく考えて戦う力も高い。むしろ本来は考えて戦うタイプなのだろう。

 雲上からの強襲、五分刈りの反応に対して瞬時にトドメを変えた判断。

 クモ男の人間性を見極めた上で、状況を考慮し誘い込みをかける大胆さと実行力。

 それだけじゃない、時間、頻度、強度、どれに依存するかはわからないが、誘い込みは呪いの軽減も考えての作戦だろう。


 どれも少し前まで学生でしかなかったとは思えないほどハイレベルだ。

 が、たったあれだけの手合いに苦戦する程度の実力でここまで生き残れるだろうか。


 ――呪いが原因か?


 だとしたらネタ明かしはまだ先になる。

 どちらにしても蜘蛛の巣の影響を受けなかったあの脚、それ以外のスペックを考慮するにパートナーとしては現時点でも及第点に達している。


 ――後は呪いの強さがどの程度かだな。


 「あの、大丈夫ですか?」 


 倒れている一般人に声をかけるラビットフット。どうやら寄り道するらしい。


 ――放っておけないか……甘いな。


 だがそれくらいの寄り道ならお釣りがくるくらいのスペックだ。問題はない。

 

 ――??


 ラビットフットが敵本拠地に向かって歩き出す。


 流石にぶっつけ本場で本拠地を襲撃はしないと思う。

 敵情視察でも始める気なのだろうか?


 ――まぁ、問題ないだろう。


 彼女が引き際を間違えたことはない。

 ならば、呪いについて見れるかもしれないショーの延長はこちらも望むところだ。


 ――さて、観戦前に一仕事だ。


 ビルの近くまで来ている一団の元に道を開く。


 「コン」


 恩恵の力を借り、一団の目の前へと渡る。

 

 一団の数は十人。

 神輿に一人、それを担いでいる四人。

 その四人をひし形に囲むようにさらにもう四人。

 神輿の直ぐ右に老人がひとり一人。


 そして、少し遠巻きこちらを観察する覗き魔が一人。



 「我々が見えるということは憑神か同業か、この先の憑神共に用があったのだが」


 一団が止まり、老人が一団の先頭まで出てきた。  


 「――」


 老人の質問に対し、宗は沈黙を返す。なぜなら、答える必要がない以上に、答えたとしても意味が無くなるからだ。


 「そのお面を見る限り貴様また輪廻の輪より外れし愚者のようだな。その囚われた魂を輪廻の輪に戻すのが我々『魂解衆』の至上命題」


 解魂衆とは基本こうだ。仮に話をしたとしても至上命題とやらを押しつけてきた挙句、最後には一方的に手を出してくる。まぁ、今回の場合それが理由で意味が無くなる・・・・わけではないのだが。


 「ちょうどよかった。お前に聞きたい事がある」


 「私はまとめ役ではない。話なら私の後ろに座すお方に――」


 「それ・・は答えられない」


 「それだと! この方は尊き身分のお方! 貴様如きが――ぉろ?」


 老人が振り返った先に、あるはずだった神輿が無くなっていた。それどころかつい先ほどまで一緒にいた部下の姿までもが消えている。

 代わりに、彼らがいた場所にはそれぞれ八つの肉塊と、一つの奇妙なオブジェがあった。


 「物は喋れない。そうなる前に答えろ。『異形』を封じる結界は誰が維持している?」


 「その情報をどこで、貴様はもしや"あの者ら"の……」


 さて、ここからは退屈で一方的な質問の時間だ。



  ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 ――やれやれ。老害との会話は要領を得ないな。


 多少時間はかかったが、必要な情報は得られた。

 覗き魔の方は名の知られていた強者だったものの、二本使っている宗の前に現れたのが運の尽きだ。解魂衆を処理したのち、当然のごとくそちらも処理した。


 どうやらこちらの正体を探りに来たらしい。が、


 ――無駄だ。俺とお前だけは格が違う。尻尾を掴みたいなら直接来い。


 野暮用は無事に片付いた。だが、かかった時間を考えるとラビットフットはすでに移動してしまった可能性が高い。

 相手の目的が探りではなく嫌がらせなら成功といえる。


 「クソ」


 思わず悪態が口をついて出る。

 ウサギ狩りから再びウサギ探しだ。

 ここまで手間をかけて失敗しましだけはありえない。


 術に意識を集中する。


 ――ウサギは網にかかってない。


 つまり、そう遠くまでは行っていない。

 可能性は低いがまだ廃ビルにいることも考えられる。

 無能な働き者共の相手をするためにビルから降りてしまったが、廃ビルの位置はわかっている。霊視はここからでも十分可能だ。


 ポイントを絞り、霊視を強めて――、


 「――?! コン!!」


 廃ビルの地下に渡る。

 迷っている暇などなかった。


 何せ霊視たときにはすでに、死に体のラビットフットの処刑が執行される寸前だったのだから。


 ――あり得ない。

 

 常勝無敗の憑神。

 拝むことすら許されない逃げ足の鋭さ。

 

 ラビットフットに対する固定概念が、この状況を宗の考えの中から排除していた。

 

 ルバンシュのリーダーが実力で数多の憑神を束ねているとするならば、本調子ではないラビットフットがどれだけ戦えるか?


 勝利のニ文字はあり得ない。

 撤退戦に限り数分。精々五分が限界だろう。


 解魂衆と間者の相手にそれなりに時間がかかっている。

 なので、良くて撤退直後、悪くて撤退後だと考えていた。

 

 あり得ない状況。

 それは、五分の制限時間タイムリミットを超えてなお廃ビルで戦闘が続いていること、つまり――ラビットフットが、撤退に失敗したということだ。

 

 間一髪。

 後一歩渡りが遅ければ、自身の"願い"も彼女の命も潰えていた。


 ――邪魔だ。


 ラビットフットに前に道を開き、渡ると同時に全開の狐火を放つ。


 一瞬にして蒼色の地獄と化した地下。

 有象無象は蒼に溺れ、海の藻屑と成り果てる。


 「ぐがっ、てめぇ……何しやがった!!」

 

 ――無敵化か。二本の狐火で仕留めきれないとなると相当強い恩恵だな。


 男が持つ人形よりしろは髪や衣装が焼け落ち、ボディは焦げて溶けかけている。


 ――見る限りは致命傷だ。が、


 放っておいても憑代の壊崩と同時に死ぬだろうが、そこらをうろつかれて最悪な連中に見つかりでもすれば宗の願いは潰える。


 ――神体の意を無視した恩恵の行使……手痛い出費だな。それもこれも、後ろで呆けている名ばかり兎の猪突猛進のせいなんだが、こうなった以上は仕方ない。直ぐに終わらせる。


 思いとは裏腹にゆっくりと閉じられていく手。

 だが、その人物の全てを掌握する時間だとするなら遅いと笑えるものはいないだろう。 


 閉じかかる手が止まった。

 同時に、玉砕覚悟で突っ込んできていた男も強大な何かに押さえつけられたようにピタリと動きを止めた。

 

 わずかに抵抗を感じる手を閉じる。

 まるで、紙屑を握り潰すように。


 ――ルバンシュのリーダー。並みの憑神では最高クラスの力だったな。


 そんな無敵の憑神も、恩恵を発動した宗の前ではどんぐりの背比べでしかない。


 手を横に一閃し、すべての証拠を焼却する。

 

 ――さて、ここからが本番だ。


 証拠の隠滅。

 ウサギの救助。


 ここまでは良いが、この状況だと肝心の協力の取り付けが難しいかもしれない。


 最近は意図しない恩恵の使用が重なり過ぎた。正直、この流れ協力を取り付けられなければ”願い”に届かない可能性が高い。


 だからこそ、慎重に事を進める必要がある。


 ラビットフットは消耗している。

 見る限り、彼女の恩恵には自然治癒力の強化もあるようだが、それを考慮しても今から話し合いというわけには行かなそうだった。なら、

 

 ――こちらの手札を明かしたうえで話し合いの席についてもらうのがベストだろう。少なくとも敵ではないという状況証拠は突きつけたのだから。



 「お前の願い、俺が叶えてやる――」

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