ep009.『殴殺王』



 ルヴァンシュの拠点が目の届く範囲にある。すぐそこと言えるほどだ。

 後は奇襲をかけてハナを救出、そして即時離脱。その時間は早ければ早い方がいい。だが、


 「うぅ……」


 視線の先で血を流して倒れている薄手の手術服のようなものを着た女性。

 

 ――罠かもしれない。でも、

 

 目隠し、首輪、口と手足に枷。

 顔の傷も酷い。

 鼻は折れ、唇は破け、床には3本の歯が転がっている。

 身体にも至る所に殴られたような痣がある。このままでは死んでしまう。

 

 「この馬鹿……」


 他人に割く時間なんてないのに、いざ惨劇を目の前にしてしまうと放っておけない。


 ほとほと中途半端な自分に嫌気がさす。


 探偵社の一件で恩恵を使ってしまっているので、普段よりタイムリミットが短い。

 それにあのチンピラのせいで恩恵を止める前に呪いが出始めている。


 弟とハナが優先。

 だけど、ここでこの女性ひとを放っておいたら二人ともきっと怒ると思うから。


 「あの、大丈夫ですか?」


  倒れている一般人に駆け寄り、肩を軽くたたいて意識を確認する。


 「んー……んっ! んんっ!! ん-! んー!」


 「助けに来ました。落ち着いてください。今、拘束具を外しますのでジッとしていてください」


 目隠しと口枷を外す。


 「首輪も外しますね」

 「待って!」

 「動いちゃだめです! 待つのでゆっくり」


 「爆弾です! 息子も人質で、この首輪に何かあれば息子のも爆発すると言っていました」


 「わかりました。では、手と足のも取りますね――――息子さんのことも安心してください。私が必ず助けます。でも、先ずはあなたの怪我を治療しないと、安全な場所に運びますね」


 「ダメ! 私が離れると、私も息子も死ぬってあの男が……」


 ガタガタと震えだす女性。

 どれほどの恐怖と苦痛を与えられたのか。そんなところに子供がとらわれているなど断じて許せる話ではない。


 「そうだったんですね。ではあちらに隠れていてください。後で私の知り合いが保護しに来てくれますので、コレどうぞ」


 小さめのウエストバックから薄手のコートを取り出して被せてあげる。


 「あの、ありがとうございます」


 自分の服がダメになってしまった時のためにと用意していたのだが、流石に夜にこの格好のままでは凍えてしまうだろう。


 「気にしないでください。後で取りに戻ります。その時は息子さんと一緒に。ですから、息子さんのためにも今は休んでいてください」

 

 精一杯の笑顔を貼り付けて妄言を吐く。


 すぐに立ち上がり、微かに男たちの声が聞こえる廃ビルに向かう。

 

 呪いのこともあるが、それ以上に彼女に悟られてしまいそうだったから。


 ――何が戻るだ。


 自罰的な笑いが込み上げてくる。


 本調子どころか今までで一番調子が悪い。

 嫌な予感がこれでもかというほど強いのだ。

 呪いを考慮した恩恵の発動時間はギリギリ、大技は一発撃てるかどうか。


 これで良くも大口を叩けたものだ。 

 出来るかわからない約束をして、私が戻らなければきっとこの人は苦しむ。


 ――エゴだってわかってる。だけど、

 

 「――こんな酷いこと……私、許せない」




 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆





 血の流れている耳を抑え、痛みを誤魔化しながら地下へと続く階段を下りる。


 「う、くっ……」


 趣味の悪い騒音で耳をやられた。

 時間をかければ回復させることはできる。しかし、既に恩恵使用時間の許容時間を超えてしまっている。これ以上は時間をかけられない。


 地下全体が振動するほどの大ボリューム。相変わらず続く趣味の悪い嫌がらせ。


 そう、相変わらず。

 最初はこのビルに入った時だ。


 入り口に足を踏み入れたと同時に大音量で鳴り響いた音響に不意を突かれ、耳に深刻なダメージを負った。

 そのせいで一般人以下の聴力に下がってしまったので、今となっては趣味が悪いのとうるさい以上の感想はない。

 気絶しなかったのは、幸か不幸か呪いのお陰だった。

 

 そして、嫌がらせはそれだけじゃない。

 

 そこら中にピアノ線が張り巡らされており、耳だけでなく高速移動も封じられた。

 しかも、ピアノ線の中には手製のパイプ爆弾に繋がっているものまである手の込みよう。


 人質がいる以上、衝撃波で吹き飛ばすわけにもいかない。

 見事なまでのラビットフット対策だった。


 おかげで気を配りながら、ゆっくり、時間をかけてトラップを解除する羽目になった。敵がどこにいるかわからないのも余計に時間がかかった理由だ。

 

 もちろん、実質恩恵の全てを封じられた状態ですべての罠をかいくぐれるはずもなく、体はそこら中切り傷だらけでお気に入りの服も修繕出来ないくらいボロボロになってしまった。


 「やっぱり、私の恩恵が何かわかってる。多分、呪いのことも。アハハ……」


 この先に待ち受けるであろう「詰み」の二文字に乾いた笑いが漏れる。


 「ここで逃げるのが一番賢い選択なんだよね」


 ――ハナを置いて。


 「馬鹿でよかった」 


 結局、音が鳴っていた地上部分は囮で、奴らはビルの最下層にまとまっていた。

 どうやって音を消したのかわからないが多分恩恵だと思う。とにかく警戒は徒労に終わった。嫌がらせをさせたら、こいつらの右に出る者はいないだろう。

  

 「なぁ、なんか静かになってねぇか?」

 「あ? まぁそんな感じはー……するかもな?」

 

 「来たか」


 階段を降りた廊下の先、左手にある両開きの扉。すでに開いている内開きの扉を抜ける。


 これでようやく、その最低な面を拝める。

 弟には申し訳ないが、こいつらを生かしておくわけには行かない。私の親友を、罪のない家族を、善良な人々を殺した報いを受けさせなければ、貰ったこの命に、顔向けできないから。

 

 広い地下駐車場。壁には黄色いペンキで『B5F』と書かれている。

 本来なら等間隔で並んだ柱と車間を区切る目印以外には何もない殺風景広間。

 またしても、奴らの悪趣味が跋扈していた。


 至るとこに取り付けられた照明、四つ角に配置された大型のアンプ。

 暗くはないが、悪趣味なクラブみたいな印象だ。

 クラブになんて行ったことはないので想像でしかないのだが……。


 ――……。

 

 「ヒュ~」


 音楽が止まり口笛の高い音がフロアに響く。

 口笛の元、大仰な椅子に座る男が上機嫌にしゃべり出す。


 「待ってたぜぇ~発情メスウサギちゃぁん」 


 「ビッチにはお似合いの呪いだな!」

 「ちげーって、むっつりだからだよ」

 「一人じゃ満足できなくてここまで来たんだろ」


 ゲラゲラ笑いながら、リーダーと思しき男に便乗し、野次を飛ばす落ちたパイみたいな顔をした男たち。その醜悪な面に、思わずこちらもしかめ面になってしまう。


 男どもの後ろに用意されたステージ。派手な椅子に座る殺人鬼も逃げ出しそうな凶悪な顔をした男が下卑た笑みを浮かべている。


 服装は白ずくめのスーツに黒の革ジャン。スーツは乾いた血でさび色に汚れている。

 似合わないライトゴールドの髪、外国人風の髪型で短く刈られた右側にはナイフを持った糸人形の剃り込みがある。

 堀のある顔立ち、蛇のように鋭い目、下の歯まで見える狂気的な笑み。極めつけは真っ赤な手袋でもつけているように血に濡れた右手。


 ハナと人質の子供が頭をよぎり不安な気持ちになる。


 (無事でいて……)

 

 座っている椅子はがっしりとしたひじ掛けが付いていて、移動を前提にしたつくりではないのだろう。背もたれが無駄に大きく、ゴテゴテとした金色椅子は革張りで、きらびやかと言うよりは成金を思わせる。

 

 取り巻きが邪魔で足元が見えないが、両膝の高さに違いがあるということは、何かに足を乗せているのだろうか。


 わざわざ地下にこんなものをと呆れてしまう。


 「睨むなよ。元気になっちまうだろ」 


 くだらないことを言ってるこの男だけが椅子に座っているのを見る限り、こいつがリーダーで間違いない。

 

 それにこの男の外見、思い当たる憑神がいる。

 

 ――殴殺王ビーター


 物理、能力問わずあらゆる攻撃を受け付けない。文字通り無敵の憑神。

 でもだとしたら納得がいく。これほどの数の憑神を従えてる理由も、この男だけが特別扱いされていることも。


 ――殴殺王ビーターなら、少なくとも今の私じゃ勝ち目がない。


 ただ、憑代と噂の人形は身に着けているようには見えない。もしそうなら、恩恵を使う前に倒す。それが唯一の勝機。

   

 「ワイヤーと音楽。耳と動きを制限されちまえば、流石に時間はかかるよなぁ? 加えて廃ビルの地下だ。ちゃぶ台返しのソニックブームを使おうもんなら、仲良く生き埋めだ」


 趣味の悪い王座に腰掛けるクズ共の王が、肘掛けに手をかけ下卑た笑みを浮かべている。


 「臆病者」


 「ハハッ! 兎に臆病者呼ばわりされちまったぜ! こりゃ穴があったらぶち込みてぇ、から使わせくんない?」


 「くだらない話はいい。廃地区の酒場。そこにいた女子高生と一般人、外にいた女性の子供。彼女たちはどこ?」


 誘い込むためなら人質をこれ見よがしにアピールして優位を取りに来るはず。

 周りを見る限り、ハナもホームレスらしき人影も見えない。


 「あ……? あぁ、憑神殺しあの女に任せてた御霊狩りか。つってもな、ただの御霊狩りのことなんて一々聞いてねぇからよ、全員死んだんじゃねぇか?」


 「とぼけないでっ!」


 あまりにもあまりな答えに思考が真っ赤に染まりかかる。


 「んなこと言われてもな、知らねぇもんは知らねぇ。ま、徒人は確実に殺すように徹底させてっから、死んでることは約束できるぜ?」


 「そう……」


 喋る気がないならこいつを殺して知ってるやつに喋らせるまでだ。

 ただの御霊狩りという話が本当なら、こいつ以外知らないなんてこともないはず。


 「話は終わりか? にしても美人って話だったが、確かにこいつは上玉じゃきかねぇ。特上だ」


 殺人鬼面の男が全身を嘗め回すように観察している。

 こちらの手札をすべて封じているからだろう。敵ではなく捕虜をどう料理したものかと余裕の態度だ。


 「そんなカワイ子ちゃんに俺からのサプライズプレゼントだ。お前ら、どけ」


 王の通り道でも作るように、数十人いる男どもが左右の端に移動する。


 「――!!」


 殴殺王ビーターが足を乗せていたのは物ではなく子供だった。

 横向きに寝ている男の子の首は地面に着くほどに曲がっている。

 全身には赤黒く腫れるまで殴られた後。

 ピクリとも動かずに声を挙げることもない。


 男の子はどう見ても死んでいた。


 「人質の女性は?」


 「さぁな、首輪はそのままだ」


 「その子を殺したの?」


 「人聞き悪いこと言うなよ。殺してくれって言うから願いを叶えてやっただけだ。まっ、ガキは物分かりが悪ぃから、言わせるまで時間かかったんだけどよ」


 クズ共が一斉に笑い出し、地球上で最も不快な大合唱が地下を震わせる。

 

 頭が真っ白になるような感覚だった。 


 こいつらは何故こんなに笑っているの?

 何がそんなに可笑しいの?

 ここで笑えるこいつらには人の心がない。

 これは、人じゃない。


 「死んで」


 恩恵の力をより強く使う。

 気まぐれな神様と弟がくれた奇跡への足掛かりに願う。


 ――クズ共を殺せる力を。

 

 足先をコンクリートの床に突き刺す。

 神の恩恵は、土でも蹴るように容易く床を削る。

 軽々と音速を超える蹴りは、蹴飛ばせるならどんな物であれ質量弾と化す。


 「おいおい、俺も凶悪な面してる自覚あんだけどよ、怒った兎のがク――」


 ――ッッッッッッッガァァァン!!

  

 呑気にベラベラと喋っている殴殺王ビーターを貫通し、椅子に直撃して砕けたコンクリートが煙を上げる。


 音速に迫るコンクリートの散弾。

 当たりどころが悪ければ即死。良くても瀕死。

 どちらにしても、男の子に謝罪の言葉を言いに逝かせるには十分なはず――だった。


 「――!?」


 煙の向こうに見えるシルエットが、先ほどまでと何も変わらない。それはつまり、


 憑代の人形を身に着けているということ。

 すでに恩恵を使用しているということ。

 それは――勝機がないということ。


 「なんだぁ? 発情しすぎてまともに考えられなくなってんのかこのクソ兎は? 俺の恩恵が無敵化だって情報は掴んでるよなぁ? てめぇが来る前から、恩恵発動させてんにきキマッてんだろっ!」


 立ち上がると同時に椅子のひじ掛けから人形を取り出す。

 

 左手で隠れていてわからなかったが、肘掛け中が空洞でなっている。

 手を置いているように見せかけて人形に触れ、最初から恩恵を発動していたらしい。

 そんなことにも気が回らなくなっている自分に呆れるほかない。


 「それによぉ、まだ人質がいるってこと、忘れてねぇよなぁ?」


 人形を持っていない手には、いつの間にか怪しげなリモコンが握られていた。

 おそらく、女性の首輪に仕掛けられている爆弾の起爆スイッチだろう。


 ――ドクン……。


 「んッ……!」


 跳ねつく心臓を鎮めるように胸に手を添える。

 それでも止まることを知らない衝動に表情が苦しくなる。

 

 (これ以上は呪いの制御が……)


 「どうやら限界みてぇだな。モノ欲しそうな目になってんぜ? そんじゃ、お楽しみの時間だ」


 衝動に抗う少女の閉じかかった左目には、薄ぼんやりとハートのシルエットが浮かんでいた。


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