ep004.『大事な人参』



 ――路地裏に佇む一匹の黒狐。


 背後には血の海と肉の丘。

 眼前には四肢の折れ曲がった女性の死体。


 その傍らにある右腕を見つめる。  

 人の腕に見えるように装飾された肩まである義手。"物"にすら見えないそれが憑神殺しの憑代だ。


 普通、情報解析に特化した恩恵持ちでもない限り見ただけで相手が憑神だとわかることはない。

 ましてや、持ち物のどれが憑代であるか識別できるほどの恩恵持ちは稀有な存在だ。

 どれが憑代か確証を持てないからこそ憑神殺しは缶ビールを憑代だと勘違いしたのだから。


 だが、何事にも例外はある。

 それは宗が生業とする陰陽師と呼ばれる者達だ。


 陰陽師は霊力や魂を操ることができる者達の総称で、表では占いの真似事などをしてその存在を隠している。

 霊視能力がある陰陽師の中でも憑代の認識阻害を突破できるほどの使い手であれば、どれが憑代か見ただけで判断することもできる。

 とはいっても、憑代の認識阻害を突破できるほどの霊視能力を持っている陰陽師などそうそういないのだが……。

 確実にそれができる者は、知る限り自分とあと二人くらいだ。

 

 腕にしか見えない女の義手を拾う。


 「願いは姉の命、憑代は義手。生半可な人生ではなかっただろうな」

 

 思えば彼女は、話している間ずっと右腕を摩っていた。呪いによる痛みか何かを和らげるために摩っているのかと思っていたが、アレは恐らく撫でていたのだ。


 自分の身より大切な宝物を、

 それをくれた今は触れられない大切な人を想って。


 「魂を喰らえば……嫌でもわかる話、か」


 ――スゥゥゥゥ。


 大きく深呼吸する。

 義手、肉塊の中、眼鏡、至る所から青白い光が溢れ黒い狐面の口元に吸い込まれていく。


 血肉の丘に佇む黒狐の残酷であり美しもある魂の収穫。

 恐怖か畏怖か、その内に抱く想いの差はあれど誰もが魅入られるであろう神秘の光景。


 これほどの数相手の吸魂は初めてだったが、溢れる光が止まるまで一分もかからなかった。


 「――」


 姉を想って戦った、優しい女性の目をそっと閉じる。


 魂を集めるのではなく喰らわなければならない。

 恩恵を十全に使うためには必要なことだとわかっているが、こればかりは何度やっても慣れない。

 喰らう度に嫌でも見えてしまうのだ。魂にこびり付いた"願い"が。


 "願う"ほどの欲を、想いを見せられる度に心がかき乱される。

 だが、それを喰らってでも進まなければこの"願い"は叶えられない。

 

 ――いつまでも他人の思いに引きずられてはいられない。奴らに見つかる訳にも行かない。


 ゆらりと尻尾が一揺れすると同時に、路地裏が蒼い炎に包まれる。

 音もなく燃え盛る蒼炎は数秒で消え去り、あとには何も残らない。

 

 路地裏に散らばった血も、肉も、物も、人も。

 その一切が、元からそこに存在しなかったかのように綺麗に消え失せている。


 ――さてどうするか。


 見下ろした視線の先には、気絶した女子高生が伸びている。

 少年以外の唯一の生き残りであり、目的への足掛かりでもある少女を改めて観察する。


 髪色はピンクベージュで毛先が明るめのオレンジ。いわゆるグラデーションカラーだ。

 ショートボブの髪型に大きめの白いヘアピン。

 白すぎない健康的で自然な肌。

 短く折られたスカートから見える肉付きのいい太股。

 栄養がすべてそこに集まっていると言わんばかりの大きな胸。

 目を閉じているので明確な印象はわからないが、美人と言うよりは可愛いと言われるタイプだろう。

 スクールバックにはバッジやストラップが大量についている。


 飾らない素直な言葉で所感を述べるなら――、


 「馬鹿だろ、こいつ」


 とはいえ、今のところ情報屋を元に手に入れたものはこの馬鹿っぽい少女だけだ。目的の人物と同じ高校なのも偶然ではあるまい。


 一応、ルヴァンシュ関連の情報も散見されたが、新たに手に入れたと言えるほどのものではない。


 ――保護は必須か。


 この馬鹿、もとい少女は憑神の力を見過ぎた。

 最早、憑代の認識阻害を持っても、一般人との会話に支障が出るだろう。

 

 この手の不幸な一般人は多くはないが、適切な処置をしなければ憑神遊戯このゲームが露呈する要因として管理者側に排除されることになる。

 

 要は、ゲームが露呈しなければいいので、記憶に干渉するなり、制約で縛るなりすれば良いのだが、それらを施すには少々時間がかかる。

 術の調整をしている間、少女が誰かに会ってしまい管理者側が動き出す。なんて間抜けは万が一にも避けなければならない。

 

 ――問題は場所だな。

 

 恩恵の副産物で、汚れることも、気温や病気などの外的要因とは無縁だった。ゲームの参加者であることも含めれば、家など必要なかったので根無し草だ。

 

 養子として引き取られた妹と違い戸籍もない。当然、今から賃貸を借りるなんてこともできない。

 妹の両親は一般人だ。最悪、少女諸共消される恐れがある。


 ――となれば、妹の環境に頼るしかないか……。


 今年で16歳の妹は、今日の入学式で晴れて高校生になる。

 連携を取りやすくするため、個室の寮がある学校を選んでもらった。

 すでにどの部屋かも決まっていて、家具の運び込みも終わっているらしい。


 しかも、特待生かつ入試成績歴代トップの妹は、進学に向けた自習環境が欲しいという建前で学校側と交渉し、今はほとんど使われていない留学生用の学生寮を充ててもらったらしい。


 留学生用とは言ったものの実態はただの1LDKだ。

 色々シェアな普通の学生寮じゃないというだけでも隠密や連携には適した環境と言える。


 その他にも諸々の融通を勝ち取ったと珍しく手柄を褒めてほしそうにしていたが、勘違いだった場合、取り返しがつかないことになりかねないのでスルーした。これが丸い選択だろう。


 ――寮は一昨日から入居可能だったな。


 幸いにも入学式の後は今の実家に帰宅して、妹が寮に来るのは明日の学業が終わってから。この少女の後処理をする時間も十分にあると思われる。これほど今の状況に適した環境はない。


 ――こうなることも考慮して……いた訳ではないが重畳だ。本格的に動き出すタイミングを妹との連携がとりやすいこの時期にしたのが功を奏した。

 学校や要望についても、すべてゲームに向けての仕込みだったが、上手いことはまったな。

 

 妹には迷惑をかけるが、背に腹は代えられない。


 作戦は――、

 

 入居予定の妹の部屋にこの女を連れ込みしばらく軟禁する。


 これしかない。


 字面は最悪だが、これが現状取れる最善の手段だ。 

 そうでなければ少女は殺され、こちらは目的の人物と接触できなくなってしまう。

 

 誰もが不幸な結果にならないためにはこれしかないのだ。


 妹に見つかれば問い詰められるのは間違いない。しかも明日には確実に見つかる。

 それだけで投げ出したくなる気持ちが湧いてくるが、仕方ない。

 やむを得ないなら妹もきっとわかってくれるはずだと自分にいい聞かせる。

 

 「許してくれよ……ナズ」


 馬鹿そうな女子高生を担ぎ、狐の手印を結び口元に当てる。

 遠目から見れば、その仕草は"静かに"のジェスチャーに見えなくもない。

 

 「コン」


 その一言で、少年と少女の姿が掻き消える。

 

 何もかもが無くなった路地裏から、遂には誰もいなくなった。




※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 

 「ハナ……」


 何もない、誰一人としていない路地裏を感情の抜け落ちた表情で見つめる少女。


 自慢の耳でも、不気味なくらい何も聞こえない。

 この場所で消息を絶った親友。この場所にいるはずだった親友。

 最悪の場合も想定していた。でも、どちらでもなかった。


 あの明るい笑顔を見ることも、最悪の結果を見ることもなかった。


 理屈ではわかっている。いないということは、彼女は殺されたのだと。奴らが彼女を生かしておく必要などないのだから。


 「やめてよ……」


 ”この目で見るまでは”と、要らぬ希望が鎌首をもたげる。

 わかっている。現実がどんなに残酷なのか。そんなことは、わかっている。わかっているのだ。


 それでも、期待してしまうではないか。

 

 彼女はまだ生きていて、探偵の情報網でもわからないような場所にいて、また学校で『おはよう』と声をかけてくれる。そんな日常を夢見てしまう。


 壊れそうなほどの喪失感なのに、壊れることも許されない。神様はいつも残酷だ。


 「こんなことになるなら……全部話しておけばよかったのかな。そうしたら、巻き込まれずに済んだのかな」


 そんな、できもしないことを呟く。


 一般人がゲームのことを知れば、遅かれ早かれ運営に消される。殺す目的以外でゲームのことを話すのもダメだ。話した方も話された方も悲惨な目に遭うのだとか。


 ――いいや。そんなんじゃない。


 体の良い話でごまかしてみても、現実は少しもぼかせない。


 本当はただ怖いだけだ。


 話してしまえば、知ってしまえば、彼女はきっと私を軽蔑するだろう。

 我が事可愛さに進んで人殺しをする狂人が、血に染まった手を隠しながら友達面していたことを嫌悪するだろう。


 そうしてまたいなくなってしまう。

 大切な人を失うのはもうたくさんだ。

 一人では、きっと耐えられなかった。


 家族が急に消えてしまった悲しみも。

 病で目の覚めない弟に声をかけ、変わらず答える沈黙に心を締め上げられることも。

 日に日に、目に見えて悪くなるその病に、心臓が握られるような感覚に苦しみ続けることも。


 独りぼっちは嫌だ。


 あの太陽のような笑顔なしでは、きっと私は踏み外してしまうから。


 嘘でも我儘でも、最低でも最悪でも、誰に何といわれたっていい。


 少しでも、可能性があるなら――、


 ――パチンッ!


 自分の頬を叩き弱気を振り払う。  


 「うじうじしている暇があったら考えろ、この馬鹿」


 そうだ。ありもしない理想を夢見てる場合ではない。考えろ。

 先ず、他の一般人は全員殺されていた。にもかかわらずハナだけが路地裏に連れ込まれ、その後消息を絶っている。


 一般人を標的にした集魂行為――『御霊狩り』が目的ならその場で一緒に殺されているはず。殺されていないということは別の目的がある。大丈夫。少なくとも目的が達成されるまで彼女は生きている。

 

 それに――この路地裏もおかしい。


 不自然なくらい何もないのだ。

 知る限り十数人の憑神とハナがこの路地裏に入ったはずなのにそれらしき人物も遺体もない。

 しかも、路地裏から誰か出てきたという情報がないにもかかわらず来てみればもぬけの殻。十数人を一度に転移できる憑神がいるなら別だが、そんな話は聞いたこともない。


 まるで意図的に痕跡を消したみたいだ。


 確認できていることは――、

 

 ルヴァンシュの構成員が御霊狩りを行っていたこと。

 多くの憑神と一般人がこの近辺にあるバーにいたこと。

 ハナだけが、路地裏に連れてこられたこと。

 ハナとホームレスの男性の遺体だけ見つかっていない。つまり、少なくとも二人の一般人が行方不明ということ。


 奴らが移動するなら――、


 「ルヴァンシュの本拠地」


 本拠地のことなら探偵が知っているはずだ。ある程度絞り込めさえすれば最悪この耳で拾えるだろう。


 もしかしたらルヴァンシュのリーダーへの供物としてハナ達は連れていかれたのかもしれない。

 そうだとしたらきっともう会えない……その時は、報復戦だ。

 踏み外したって、どうなったって構わない。あの太陽を救える可能性があるのなら。

 

 「待ってて、ハナ」


 覚悟と闘志を燃やし、白髪の少女は路地裏を後にした。

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