ep003.『触らぬ神』


 「――だから、残念だけどさよなら。狐さん」


 不本意ではあったけど問題は片付いた。

 だけどあの男リーダーに不信感を与えてしまったこと自体は最悪だ。

 どうにか埋め合わせなければ不味い。

 

 ちらりと女子高生に目を向ける。


 これを手土産にすれば首はつながる。

 それがわかっていても簡単には手放せない。

 

 何せこの餌が上手くはまれば"願い"が叶う。

 そう、あと一歩のところまで来ている。


 ――切り替えななさい。悔やんでる時間はないのよ。


 餌で誘い出したところで準備ができなきゃ狩られるのは私。

 準備にはルバンシュあいつらの力が必要。

 信頼を疑われている今、協力は得られない。その時点でこの計画は失敗したの。

 それにあの男を敵に回したらそれこそ詰み。あの男には誰も勝てないのよ。

 そう自分を納得させる。


 ――よし……。


 方針が決まったのならこんなカビ臭い路地裏にいつまでも居座っていられない。

 計画が白紙になり、ただでさえ遠回りになったのだ。狩りのペースを上げなくては"願い"に間に合わなくなる。


 狐面の少年を処理した女はすでに次のことを考え――ふと立ち止まる。


 ――何かがおかしい。


 不安に近いモヤモヤとした違和感を覚える。

 間違いなく見落としてはならない類の何か。

 それは何か?

 何を見落としているのか?


 今なお膨らみ続ける不安。

 この脅迫されているような息苦しさから解放されたい。

 その一心で違和感の原因を探す。


 まずは直前の言動を振り返ってみる。

 私は何と言ったか? 


 ――狐さん。


 そうだ。狐だ。

 どうしてそんなことを口にしたのか?

 それはあの少年、宗が黒い狐面をつけていたからだ。

 

 ――黒い狐面?


 それほどの特徴をなぜこのタイミングまで口にしなかったのか?


 わからない。けれど大丈夫なはずだ。

 憑代のビール缶は破壊した。

 憑代を破壊された憑神の死は絶対だ。

 

 ――いや待て?


 ビール缶?

 狐面じゃなく?


 ――やはりおかしい。


 一度見つけた疑問は新たな疑問を呼び、加速度的に不安を解き明かしていく。



 ――彼もおおよそは気が付いていたようだけど、私の恩恵は"想った物を奪う力"。

 

 憑代はイメージが足りないからなのか直接指定できない。

 でも問題はない。

 別の方法で指定すればいいからだ。

 

 "最も不自然な物"


魂の入れ物であり、恩恵の媒体となる憑代は不自然の塊だ。

 そうイメージして恩恵を使えば、憑神相手なら確実に憑代を奪える。

 "右腕で掴みあげられる物"という制約で奪えなかったことや、あの男リーダーのように相手の恩恵の性質で奪えなかったことはある。

 だけど、奪ったものが憑代以外だったことは一度もない。


 ――彼は憑神じゃない?


 ありえない。 

 すべての憑代は憑神以外に対する認識阻害の力を帯びている。

 彼が一般人ならどこかしら言動がちぐはぐになるはずだ。


 例えば、ホームレスの背に触れた状態で恩恵を使用したときだ。

 缶は手元、つまりホームレスの体内に移動し、その心臓を破壊した。

 一般人がこの光景を見たなら、ホームレスが突然死したとしか認識できないが、彼はホームレスの死と私の恩恵を関連付けていた。


 憑神であることは間違いない。

 むしろ、認識の話ならこちらの方がちぐはぐなくらいだ。


 ――彼の恩恵は認識阻害?

 

 そうだ。それが彼の恩恵。全てではないにせよ間違いなく一つの要素。

 缶を潰す直前、彼は『仕方ない』と言っていた。

 そして私はその直後に狐と口にした。

 その時に何らかの理由で認識阻害が解除されたのなら、この状況も頷ける。

 

 けど、認識阻害の有無は問題にならない。

 こちらがどう認識していたとしても、条件に当てはまっているのならどんな物でも奪えるのだから。

 この性質を利用して、相手の隠し持っている物を確認する、手荷物検査の真似事だってできるのだ。

 

 ここで女は無視できない別の問題に気が付く。

 

 彼は、"缶を奪われた後"に認識阻害の恩恵を解除、言い換えれば操作したという事実。

 

 "恩恵は憑代に触れていなければ使えない"


 つまり――、


 彼の憑代は、まだ破壊されていない。



 「――!?」

 

 目を見開き、ホラー映画のワンシーンにあるような驚異的なスピードで後ろに振り向く。

 

 そして目にする――否、目にしてしまった。




 目も醒めるような赤。


 ピンクと白。


 そして僅かな肌色。




 全身があらぬ方向に捻れ、曲がり、折れ、潰れて出来た屍肉の華が――、



 路地裏一面に咲き乱れている。


 

 声が出ない。

 視線も外せない。


 驚愕、後悔、恐怖、その全てがグチャグチャに潰れて混ざった、吐気がするほど濃密な死が漂うその中心から、真っ黒な狐のお面をつけた絶望がこちらを見つめている。


 目の前に、ぽつんと佇む狐が一匹。

 金色の尻尾が一本、ゆらりゆらりと揺れている。

 闇より暗い黒狐。

 出遭ったならば、運の尽き。


 今更になって狐のお面が引っ掛かった理由を思い出す。

 

 《憑神遊戯このゲームにまつわる都市伝説――出遭っては行けない憑神の話。


 曰く、それは真っ黒な狐の姿をしている。

 曰く、それに出遭って生き残った者はいない。

 曰く、それは神をも下す最凶の憑神。


 絶望が口を開く。



「始めようか、俺たちの"日常"を」




※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 「ィギャァァアアアァァァアアアアッ!!!!」

 

 味わったことのないであろう痛みに悲鳴を上げる女。

 両足がひしゃげ、支えをなくした身体は成す術もなく地に伏せる。


 治まらない痛みを何とかしようと藻掻いているのか、それとも宗から逃げようとしているのか、ガリガリと音が鳴るくらい地面に爪を立てている。血が出ようが爪が割れようがお構いなしだ。


 絶叫、自傷行為、アドレナリンの大量分泌。


 耐えがたい苦痛から逃れるためのあらゆることを本能が全力で実行する。


 それでも一向に痛みは薄れない。

 意識が途切れることもない。

 不自然なまでに逃れられない苦痛の理由を、女は続く恐怖で知ることになる。


 ――ゴキッ、パキュ、ブチ、ブチ……ブシュゥゥッ、プシュ……ブチュ、グチャ……。


 女の目の前。

 失神している女子高生を通路の脇に投げ捨て、表通りへの道を塞ぐようにしていた黒人の四肢が、ゆっくりと捻じれ、曲がり、折れ、潰れていく。

 

 捻じれて短くなった黒人の足はとうに地面から離れている。

 だが、女とは違い支えを失くして倒れることも、その足が地に着くこともなかった。

 

 大男は苦痛の表情を浮かべたまま、不可視の力によって中空に磔にされている。

 口を限界まで広げ、涙を流しながら唯一自由を許された頭部を振り乱す。しかし、付いて回るはずの悲鳴は聞こえない。


 ――グチャ……グチャグチャグチャグチャグチャグチャ…………


 胴が捻じれて潰れる。


 ――ドチャ。

 

 地に落ちてなお、声なき叫びを上げ続けている男を見て女は理解しただろう。

 宗が恩恵の使用を止めない限り、この苦痛からは逃れられないのだと。

 

 もちろん、好きでこんな残虐なことをしているわけじゃない。

 やろうと思えば苦痛を与えずに殺すことは出来る。

 ただ「できない」と言っても過言じゃないほどのデメリットがあるのだ。


 宗の恩恵は強力だ。

 その分、少し使うだけでも代償が大きい。何も考えずに使えば一週間と保たないだろう。

 少しでも払う代償を抑える方法は恩恵の赴くままに"やらせること"なのだが、見ての通り結果は大抵悲惨なことになる。

 

 「許してくれとは言わない」

 

 向こうにその気はないだろうが、こちらの目的からすれば人質を捕られていたようなものだ。

 そのせいで使いたくない恩恵を使わざるを得なくなった。


 使うと決めた以上、手段は択ばない。

 何をしてでも目的を果たすのみ。


 女の髪を掴んで持ち上げ、その顔をこちらに向ける。


 「それのようになりたくないなら、お前らのリーダーについて教えろ」


 壊れた首振り人形のようになった黒人を顎でしゃくる。


 「ぎぃ、ぐぅ……しらな゛いっ、憑じろは……多分っ人形、ぞれ以外は、じらないです!」


 髪を掴んでる宗の腕を両手で掴み、自重で頭皮がちぎれそうになるのを耐えながら必死に答えている。


 その様を見るに嘘はついていないと思われる。

 最初に知らないと言ったのは、確証のある情報がないという意味だろう。

 唯一絞り出したのは、憑代は人形の可能性があるということだが、それもあくまで可能性という話で当てにはならない。

 

 恩恵を使うことになった割に得られた情報はほとんどなかった。

 が、所詮はついでだ。リーダーの男が決断の早い秘密主義とわかっただけ良しとしよう。

 ただ、どうやら路地裏ここで得られる情報はもうなさそうだ。


 「そうか……」


 掴んでいた用済みのそれを離す。

 にもかかわらず、宗の腕から重みが消えることはなかった。

 この先を察したであろう女が、宗の腕を掴んで離さない。


 「殺ざないで! お願いじまずっ!! お゛、お姉ちゃん死んじゃう。こ、このまま、じゃ、死んじゃうのぉぉぉ!!」


 知っている。


 憑神遊戯このゲームに参加している以上、この女にも願いがある。

 これほどの恩恵つよさだ。さぞ、姉のことを想っていたのだろう。

 

 大抵の憑神は死を前に"願い"が霞む。

 殺すことは考えていても、殺されることは考えていない。

 なぜなら"自分の願い"を叶えるのが目的だからだ。

 そこに自分がいないことを想定するはずもない。


 彼女は、この絶望の中でも痛みと恐怖を払いのけて命を請うた。

 保身のためではなく"願い"のために。

 それは強い覚悟と強靭な意思がなければできないことだ。

 

 だからこそ、譲れないものがある。

 

 「俺の"願い"のために――」

 「……お姉ちゃん」


 ――グチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャ、ガッ、ゴプッ……



 「死んでくれ」 



 ――ガチャン。


 皮一つで繋がっていた女の右腕が落ち、硬質な音が路地裏を満たしていく。

 女が生きてきた人生を叫ぶように響いた音も、やがては静寂に吞み込まれて消えていく。 


 無傷なままの彼女の顔は歪んでいた。

 でもそれは、痛みや恐怖では無く、願いに届かなかった悔しさと姉に報いる事ができなかった悲しみに満ちているように見えた。

 それは、目の前で大切な人を失ったような、悲痛な泣き顔だった。


 ――許してくれとは言わない。


 姉の命を嘆いた彼女の"願い"は、きっと綺麗なものだったのだろう。

 数多の願いを下し、時には憑神以外を殺してその"願い"に手を伸ばしたのだろう。


 俺も同じだ。

 俺にも"願い"がある。

 そのためならどんなことでもしよう。


 例え、罪なき人を手にかけようとも。

 例え、どれだけ崇高な"願い"を踏みにじろうとも。

 例え、自らの命が尽きようとも。


 すべては――、




 憑神遊戯このゲームを終わらせるために。

 

 

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