第玖話 黎家の人々 参

「媛様、そちらではございませんよ」


 黎家れいかでは琳瑶りんようにも数人の侍女が付けられている。

 元々は泰家たいかでも薔薇そうびが実家から連れてきていた侍女が数人、琳瑶に付けられていたが、継母艶麗の嫌がらせで全員が帰らせられ、蘭花らんかの侍女だった安子あんし一人が琳瑶の侍女となった。

 その安子がとにかく仕事をさぼるため、屋敷の中とはいえ琳瑶は一人でいることが多くなってしまったのだが、その安子も今頃はどこでなにをしているのやら。


 すっかり一人で行動することに慣れてしまった琳瑶は、薔薇に部屋に戻っているようにと言われると、不案内な屋敷であることを忘れて一人で行こうとした。

 そこに背後から侍女に声を掛けられ、心の中で (じゃあどっち?) と訊き返しながら慌てて振り返ると、侍女のうしろに見知らぬ人物が立っていた。


「……誰?」

「いつのまに……」


 琳瑶の問い掛けで、自身の後ろを振り返った侍女も驚きの声をあげる。

 どうやら彼女も気づいていなかったらしい。

 突然のことに驚いていたが、小さく息を吐いて気持ちを落ち着けると、気を取り直して第三の人物に問い質す。


佳澄かちょう様、こちらへなんの御用でございますか?

 薔薇様の許しなく立ち入らぬように言われているはずでございます」


 見たところ異母姉、蘭花と変わらない年頃なので十六歳とか十七歳。

 十八歳や十九歳ということはなさそうだが、十五歳ということもないだろう。

 そのぐらいの年齢である。

 背も琳瑶より高い。

 着ている衣装も、結い上げた髪に挿している髪飾りも派手派手しい。


 れい佳澄かちょう


 北の離れに住んでいる薔薇の三兄、れい芳雲ほううんの長女である。

 妹のれい佳流かりゅうは琳瑶と一歳違いの十三歳だし、侍女も彼女を佳澄と呼んでいるから間違いないだろう。

 だがなぜか彼女を見る侍女の表情は険しく、問い質す声も厳しい。


「うるさいわね!

 なんなのよ、あんたたちは!

 いつもいつも邪魔なのよ!」


 そんな侍女の厳しさもなんのその。

 佳流はそれ以上の勢いで言い返してくる。

 そればかりか、いま琳瑶たちが出て来たばかりの薔薇のお宝部屋の扉を開けようとするけれど、鍵が掛かっていて開けることが出来ない。

 実はこの鍵をかけるために侍女は足を止め、目を離した隙に琳瑶が、部屋を出て右にゆかなければならないところを左に行こうとして呼び止められたのである。


 その右手から現われた佳澄は、開けようとした扉に鍵が掛かっているとわかっても、何度も開けようとして暴れる。


「ああ、もう!

 どうして鍵なんてかけるのよ!

 ちょっとあんた、鍵、持ってるんでしょ!

 開けなさい!」


 佳澄はまるで小さな子どものように、思い通りにならないと癇癪を起こして声を荒らげる。

 さらには侍女の胸ぐらを掴む勢いで鍵を開けろと迫る。

 けれどここで負けていては薔薇の侍女は務まらないらしい。

 胸ぐらを掴まれそうになった一瞬こそ怯んだけれど、すぐさま気を取り直して言い返す。


「なりません!

 そのお部屋は……」

「ああ、もううるさい!

 開けろったら開けなさい!

 わたしが開けろって言ってるのよっ?

 言うことが聞けないのっ?」

「聞けません!

 こちらの離れは薔薇様のお住まいです。

 特にそのお部屋は、薔薇様のお許しなく入れません」

「ちょっとぐらいいいじゃない!」

「よろしくございません!」


 黎佳澄が住まう北の離れの住人は、佳澄を含めて全員が……いや、彼女の異母兄に当たるこう砥尚ししょうを除いた全員が残念な人々であることはつい先程、薔薇から聞いて琳瑶も知っている。

 だがこの会話は意味がわからず……いや、部屋に入れないというのはなんとなくわかる。

 ここは母薔薇のお宝部屋である。

 部屋の扉に鍵をかけてまで大事にしている部屋なので、おそらく琳瑶も勝手に入ることは出来ないはず。

 姪とはいえ、佳澄が入れないのもわかる。


 だが!


 そもそも薔薇のお宝部屋とはいえ、収納されている全てが琳瑶のお古である。

 鍵をかける理由もよくわからないのだが、佳澄もそれを知っていて部屋に入れろと言っているのだろうか?

 こんなにムキになってまで入りたがるような部屋ではないと思う琳瑶は、しばらく呆気にとられながら二人のやり取りを見ていたが、不意に佳澄の目が琳瑶を見る。

 どうやら背の低い琳瑶は、侍女の陰に隠れていて、今の今まで佳澄の目に止まらなかったらしい。


「あんたが薔薇おば様の子ども?」

「えっと……琳瑶です」


 この時琳瑶は 「黎」 を名乗っていいのかわからず、とりあえず名前だけを答える。

 すると佳澄は一瞬にして癇癪を治め、琳瑶を頭のてっぺんから足先までをじっくりと見る。

 不躾なくらいマジマジと見た彼女は、琳瑶が大事に抱えている包みに目を止める。


「……ねぇそれ、なに?」

「これは……」


 琳瑶にとってはとても大事な物である。

 無事に薔薇との再会を果たし一緒に住むことが出来ても、これは薔薇が琳瑶を想って綴ってくれた大切な手紙である。

 一度は失ったと思って悔しい思いをしたが、取り戻した今、二度と奪われたくはない。

 そう思って強く抱きしめると、佳澄もそれが琳瑶の大事な物だと気づいたらしい。

 侍女を押しのけるように近づいてくる。

 そして質問を繰り返してくる。


「ねぇ、それなに?」

「これはわたしの……」

「違うわよねぇ?

 それ、薔薇様のお部屋から持ち出したんでしょ?」


 一際大きく踏み込んできた佳澄はずいっと顔を近づけ、琳瑶に迫る。

 琳瑶が薔薇の子どもかどうかということにはあまり興味がないのか、佳澄は琳瑶が抱える包みについて執拗に尋ねてくる。


「違います、これはわたしの物です」

「違うでしょ?」

「違いません。

 だってこれはわたしの物です。

 お母様も部屋に持っていっていいって言いました」


「本当にぃ~?」


 ギリギリまで顔を近づけてくる佳澄は、琳瑶の額あたりから見下ろしてくる。


「正直に言いなさいよ、薔薇様のお部屋から勝手に持ち出したって。

 じゃないと薔薇様に言い付けちゃうわよぉ~」

「本当です!

 これはわたしの物です。

 これはお母様がわたしに……」

「なにごとですかっ?」


 抱えた包みの中にある文箱は間違いなく琳瑶の物である。

 その中に収められた書信も、薔薇から琳瑶に宛てられた物で、間違いなく琳瑶の物である。

 盗人呼ばわりされるのも心外だが、薔薇になんと言い付けるつもりなのか?

 それこそ他の物を持ち出したなんて嘘を言われ兼ねないので、はっきりと正当性を主張しようとしたのだが、佳澄の背後から掛けられた男の声に言葉半ばで遮られる。


(誰?)


 当然のことながら琳瑶は初めて見る顔……いや、なんとなく見たことがあるような気がした。

 ひょっとしたら薔薇の遣いで泰家たいかに来たことがあるのかもしれない。

 そんなことを思っていたら、反射的に振り返った佳澄が、再び癇癪を起こしたように声を荒らげる。


「うるさい!」

「うるさいって、佳澄……またこちらに来て……」


 少し困ったように言葉を返す青年は、その視線を侍女、琳瑶へと向け、ハッとする。


「あ、薔薇様の……」


 どうやら彼は琳瑶のことを知っているらしい。

 やはり以前に泰家に来たことがあるのだろう。

 だが彼がそれ以上なにかを言う前に佳澄が割り込む。


「わたしに偉そうな口をきかないで、妾の子の分際で!」

「今はわたしのことではなく……」


 すぐに視線を佳澄に戻す青年だが、やはり困った様子である。

 だが佳澄の 「妾の子」 という罵声を聞いて、琳瑶も青年の正体がわかったような気がした。

 それを裏付けるように、侍女がこっそりと耳打ちする。


芳雲ほううん様のご長男、砥尚ししょう様でございます」


 こう砥尚ししょう、佳澄の腹違いの兄に当たる人物である。


「母屋の者が見掛けたというから探していたら、また西の離れこちらへ来て。

 薔薇様から、西の離れこちらへは許可無く立ち入ってはいけないと言われたばかりでしょう。

 勝手に入ったと知られたら、また叱られてしまいますよ」

「だから、妾の子の分際でわたしに偉そうな態度しないでってば!」

「ですから、今はわたしのことはどうでもいいのです」


 きっと佳澄はいつも、なにか砥尚に咎められるたびに 「妾の子」 と言って罵っているのだろう。

 だが砥尚もそのたびに、冷静に大人の対応をしているに違いない。

 そんな具合に、砥尚と佳澄は一歳違いの異母兄妹だがまるで落ち着きが違う。

 おそらくこういうところも含めて、薔薇は砥尚のことを 「芳雲お兄様の子にしては出来た子です」 と言ったのだろう。


「とにかく、あなたは自分の部屋に戻りなさい。

 さぁ、送っていくから」

「いらないわよ!

 誰がお前なんかにっ!!」

「琳瑶様には、また日を改めてご挨拶に伺います。

 今日のところはこれで失礼いたします」


 逃がすまいと佳澄の襟首を捕まえた砥尚は、そう言って琳瑶に軽く会釈をするとすぐに踵を返す。

 西の離れと北の離れは直接行き来出来ないので、母屋を経由して北の離れに戻るのだろう。

 身長や腕力の差に任せ、喚き散らす佳澄を連れて行ってしまった。

 そして今度は、夕食の席でこの話を聞いた薔薇が激怒する。


「佳澄と会ったのですか?

 西の離れこちらで?」


 最初は意外そうな顔をして話を聞いていた薔薇だったが、れい楊慶ようけいに呼ばれて自分が席を外した直後に琳瑶が遭遇したと聞き、怒りを露わにする。


「また来ていたのですが、あの盗人め!

 性懲りも無く。

 しかも吾子まで盗人呼ばわりするとは……」


 いかに佳澄が嫌いな兄の娘とはいえ、姪を盗人呼ばわりするのは穏やかではない。

 だが薔薇には佳澄を盗人呼ばわりする理由があった。

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灰かぶり媛の奇縁譚 藤瀬京祥 @syo-getu

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