第漆話 黎家の人々 壱


 翠琅すいろうの皇帝暗殺計画をでっち上げるという頓珍漢な反撃を試みたたん貴妃きひは、さらなる反撃のつもりだったのか、そもそも冷宮が悪いと言い出したらしい。


「あんな場所がなければ皇太子も愚行に走ったりはしなかった」


 そんなことを言い出したのである。

 聞いていた翠琅は 「戯言たわごとを」 と鼻で笑ったが、息子を守ることに必死の……いや、自分の地位を守ることに必死な丹貴妃には聞こえなかったらしい。

 幸いである。

 だが耳うるさいことに、丹貴妃は声高に的外れな主張を続けたのである。


 しかし冷宮があろうとなかろうと関係ない。

 なぜなら誠豊せいほうの愚行は今に始まったことではないからである。

 まして今回は現場を取り押さえられており、場所など問題ではない。

 翠琅はもちろん、列席する貴族のほとんどがそう思ったに違いない。


 だが冷宮を潰すのは翠琅のもう一つの目的でもあり、皇帝はともかく、はん皇后やれい東雲とううんも承知のことらしい。

 そこで翠琅は一つの提案をしたのである。


 そもそも後宮の管理は宮官長の役目である。

 くまなく目を光らせていればもっと早く蘇妃そひの行動に気がついたはずだし、こうなる前に蘇妃に自ら告白させることも出来たかもしれない。

 そうすればこんな大事にはならなかったはず。

 当然冷宮が逢瀬に使われていたことにも気づいて、誠豊や蘇妃に釘を刺すことも出来たはず。

 つまり宮官長にも管理監督責任があるはずだと。


 なによりも冷宮である。

 なぜあんな建物があるのか?

 それは必ず質さなければならないこと。

 そこで翠琅は、丹貴妃に頭を冷やす時間を与えるためにも、まずは冷宮の件から片付けることを提案したのである。


 もちろんすぐに尹宮官長が後宮から呼ばれたが、ここで泰嬪たいひんが行方不明になっていることが明らかにされる。

 その泰嬪の行方を詮議するため、予定外にたい昌子しょうしが召喚されることになった。


「ここで一旦休憩になりまして、わたしは控えの間に戻られたれい大人たいじんにお願いをしてこちらに赴いた次第です」


 おそらく詮議自体は泰昌子の到着を待たずに再開。

 つまりすでに再開されているはずだと話す英成えいせいは、そろそろ自分も宮廷に戻らなければならないと腰を浮かす。


「そんなに急ぐ必要もないでしょう、お兄様たちには双月も付いていることですし。

 食事でもしていかれてはどうです?

 すぐに用意させましょう」

「いえ、わたしだけゆっくりするわけには参りませんから」


 そう言って英成は黎家れいかの屋敷を辞し、王宮に戻っていった。

 ひょっとしたら宋家そうかの屋敷にも寄ったかもしれないが、寄らなかったかもしれない。

 どちらにしてもその程度のことで黎東雲が彼を叱ることはないだろう。


「……思ったより大変なことになっているようですね」


 せめてと菓子を包んで英成に持たせた薔薇そうびは、見送りにいった侍女が戻ってくるのを待って小さく息を吐く。

 すると控えていた侍女の一人が、ひっそりと薔薇に声を掛ける。


「ですが、これで朝はゆっくりお過ごしいただけます」

「ああ、そういえばそうだったわね」


 忘れていたわ……と話す薔薇に、勧められるままに菓子を手に取った琳瑶りんようがなんのことかと尋ねる。

 琳瑶を回収するための、いつ開かれるかわからない皇后主催の茶会。

 その日が来たので、明日からはもう支度をして待たなくてよくなった……と簡潔に話して聞かされた琳瑶は、思い出して 「ああ……」 と声を上げたと思ったら頭を抱える。


「どうしたのです、琳瑶?」

「だって、お母様にも一杯迷惑を掛けて……」


 申し訳なさで、手に持った菓子を食べることが出来ない琳瑶に、薔薇は 「とんでもない!」 と返す。


「そなたを取り戻すためならなんでもありません。

 むしろこの程度でそなたを取り戻せるのなら、あとひと月でもふた月でもわたくしはやってみせますわ」

「お母様」


 ひしっと抱き合う薔薇と琳瑶の母子を、部屋にいる侍女たちも微笑ましげに見守る。

 実際はその侍女たちこそが大変だったわけだが……。


「ですが琳瑶、そなたにも話しておかなければならないことがあります」


 琳瑶を抱きしめたままの薔薇は、綺麗に結い上げた娘の髪をゆっくりと撫でながら話し出す。


「まずは昌子殿のことです」

「お父様も処罰されるんですね?」


 翠琅から聞いて知っていた琳瑶が言うと、薔薇は小さく頷く。

 先程英成も、昌子が詮議の場に引っ張り出されることになったと話していたから、琳瑶もわかっている。

 だが話は昌子だけでは終わらない。

 異母姉の蘭花らんかもという。


「お姉様も?」


 蘭花がしでかしたことをすっかり忘れていた琳瑶は、キョトンとした顔で薔薇を見る。

 まだまだ幼さの残る娘を見て一瞬毒気を抜かれた薔薇だが、ここで気を弛めては言えなくなってしまう。

 こういったよくないことは、言える時に言っておかなければならない。

 次に話す機会が訪れるとは限らないからである。

 そう思った薔薇は咳払いを一つ。

 そして口調を改めて続ける。


「……陛下の側室が無断で後宮を出て行くなど前代未聞です。

 まったく……あの親にあの娘ありです」


 わざとらしいぐらいに呆れてみせる。

 すると琳瑶もようやく思い出す。


「側室……そうでした」

「吾子を身代わりにするなど悪知恵が働くわりに、露見すればどうなるか想像もつかぬ愚かさは、本当に昌子殿そっくりです」


 母艶麗えんれい……いや、茶家さかの血筋から悪知恵が働くというところを受けついだのなら、それを役立てられるところを泰家たいかから受け継げればよかったのだが、残念なことである。

 そうして育った残念な娘が蘭花である。


「後先考えていないというか……」

「それでまかり通ったのは泰家の屋敷だけの話です。

 まして宮城でそんな勝手が通るわけがありません」

「そうですね」


 ではどうなるのか?


 さすがに処罰の内容までは薔薇もにわかるはずがない。

 そもそも現在進行形で今回の騒動に関わる詮議が執り行われているのである。

 薔薇の話を聞いて、まるで自分が怒られたかのように小さくなる琳瑶を見て、薔薇は小さな頭を撫でてやる。


「そなたが気にすることではありません。

 そんなことより、そなたに話しておかなければならないことがあります」

「なんでしょう?」

「この屋敷のことです。

 お兄様たちは当分お戻りになれないでしょうから紹介はあとになりますが……」


 なぜか薔薇はここで一度言葉を切って溜息を吐いたので、琳瑶は無意識のうちに 「はい」 と相槌を打つ。

 すると薔薇は少し心配そうに表情を変え、言葉を継ぐ。


「……実はこの屋敷にも残念な者たちがいるのです」

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