第陸話 もう一人の灰かぶり媛 ー秀真公主


「わたくしに断わりなく勝手なことを……」


 水面下で琳瑶りんよう碧霞へきか第三太子の縁談が進んでいた。

 その事実を初めて知った薔薇そうびの怒りに、うっかり口を滑らせたそう英成えいせいは怯える。


 もちろん企んだのは英成ではない。

 後宮側はおそらくはん皇后、あるいは当事者である碧霞太子。

 そして黎家れいか側は薔薇の長兄であるれい東雲とううんの企みであり間違いなく英成ではないのだが、薔薇の怒りの矛先をそれらの方々に向けることは出来なかった。

 どう仕向けても英成が怒られるからである。


「……まさかと思いますが、また・・お父様がなにか……」


 艶やかな紅を刷いた唇をわななかせながらも続ける薔薇に、話が意外な方向に行きそうな気配を感じる英成。

 だがこのままでもまたややこしくなるので、間違いは訂正しておかなければならない。


「いえ、先代様は関係ございません」

「本当ですね?」


 薔薇は英成を疑っているのではない、自分の父親を信用していないのである。

 薔薇が念押しをする理由を知っている英成は、顔を引き攣らせながらも、静かに 「本当でございます」 と答える。


「疑いたくなるお気持ちもわかりますが、その……詳しいことは、事態が落ち着きましたられい大人たいじんからご説明があるかと思います。

 それまでお静かにお待ちいただければ……」


 少しのあいだ握った拳に力を込めていた薔薇だったが、ようやくのことで小さく息を吐く。

 それからことさらゆっくりと言葉を継ぐ。


「……わかりました。

 王宮での騒ぎが落ち着きましたら、直接お兄様に伺いましょう。

 あの騒ぎでは、当分お兄様たちもお忙しいでしょうが」


 今朝、自分の目で見た宮城の様子を思い出しながら話す薔薇に、ようやくのことで英成も小さく息を吐く。

 だがまだまだ気は抜けず、言葉は固い。


「ご理解いただきましてありがとうございます」

「あれでは半月は……いえ、もっとかかるかしら?」

「そうですね、影響する範囲が広すぎて……」


 今度は英成が、垣間見た詮議の様子を思い出しながら話す。

 黎家の血筋とはいえ、英成の立場では詮議の場に同席することは出来ない。

 控えの間から垣間見るのがせいぜいだが、それでも切れ切れに漏れ聞く話からでも予想される影響範囲の広さはかなりのものである。


 その詮議の場には皇太子誠豊せいほうの実母たん貴妃きひが登壇し、現場を押さえた翠琅すいろうこそが皇帝の首を狙って謀ったことだと頓珍漢な反論を展開。

 当然それに対して翠琅と范皇后が異議を唱え、その弁明を黎東雲が裏付けして翠琅の皇帝暗殺計画が否定された。


 もちろんここに至るまでに激しい口論が行なわれ、ずいぶん時間も掛かった。

 翠琅の皇帝暗殺計画については再度詮議される可能性もあるが、詮議に列席する貴族の目には、丹貴妃が苦し紛れにでっち上げたようにしか思えない。

 だが誠豊と蘇妃の不義密通は紛れもない事実である。

 しかも……


「わたしは逃げも隠れもいたしません。

 必要であるならば、再度詮議を行なっていただいてもかまわない。

 わたしは身の潔白を証明出来ますから」


 翠琅がそう宣言したことで、まずは事実の詮議から進められることになったのである。

 もちろん誠豊と丹貴妃が失脚したあとでは、翠琅や范皇后の行いについて、誰も再度の詮議など求めないだろう。

 まずは誠豊と蘇妃の不義密通から詮議する、そう決まった時点で丹貴妃の敗北は決定したようなものだった。


 丹貴妃の実家である丹家たんかの反撃も予想はされるが、丹貴妃が失脚すれば丹家の地位も危うくなる。

 とても翠琅や范皇后を陥れるような策を練る暇はないだろうし、翠琅も范皇后も、二人にくみした黎家も警戒を怠るようなことはない。


「皇帝暗殺など……迂闊に口にしていい言葉ではありません」

「丹貴妃も必死なのでしょう。

 気持ちはわからないでもありませんが……」

「その必死もご自分のため。

 あの方はいつもそうでした。

 自業自得の誠豊殿はともかく、公主がお可哀想です」

「公主様?」


 不意に琳瑶が口を挟むと、なぜか英成が、少し慌てたように 「あ……」 と声を漏らす。

 そして一瞬だけ薔薇を見ると、言いづらそうに話し始める。


「丹貴妃には誠豊殿の他に二人、御子がいらっしゃるのです。

 つまり誠豊殿の同母の姉妹で、秀真しゅうしん公主と玉英ぎょくえい公主とおっしゃいます。

 今回の件で、おそらく玉英公主は破談に……」

「玉英公主など知ったことではない!」


 突然薔薇が語気を強めて英成の言葉を遮り、英成と琳瑶を驚かせる。


「あの方は母君と同じ、自分さえよければいいのです」

「ですが今回は破談に……」


 少しは同情の余地もあるのではないかと言いたげな英成だが、薔薇はないと言わんばかりにぴしゃりと返す。


「その縁談も、そもそもは姉の秀真公主に来た話ではありませんか。

 それを丹貴妃が、わざわざ相手を説き伏せてまで玉英公主に取り替えたのです」


 どうして母親の丹貴妃がそんなことをするのかわからない琳瑶は、「は?」 と少し間の抜けた顔をしてしまったが、英成は、薔薇の情報通ぶりに感心半分、呆れ半分。

 しかも薔薇の話はこれで終わらないのである。


「おまけに玉英公主は、わざわざ姉の秀真公主の部屋まで行ってそれを話して聞かせたというではありませんか。

 本当に性格の悪い」

「そこまでご存じとは、さすが薔薇様です」


 ……と英成は呆れ半分、感心半分。

 実は丹貴妃と彼女の三人の子たちは、今回の騒動と密接な関係があった。

 今回の一件が、元は誠豊の身から出た錆とはいえ、親兄弟にまで累が及ぶことになったそもそもが、先の皇太子朱麗しゅれいの死に起因するからである。


 第二太子であった誠豊は、異母兄である朱麗第一太子の死により立太子した。

 そして翠琅は、朱麗の死に丹貴妃が関わっていることを誠豊に示唆した。

 本当に朱麗の死に丹貴妃が関わっているとしてもおかしくはないし、その理由は当然自分の息子である誠豊を皇太子にするため。

 そして自分が皇后になろうとしたが、残念ながらこれは果たされなかった。

 ただ朱麗が死んだだけでは范皇后が失脚しなかったからである。


 だが実際はこれだけではなかった。

 なぜなら誠豊には姉、秀真公主がいるからである。

 先の皇太子朱麗は現皇帝の第一太子だったが、皇帝の第一子は秀真公主である。

 つまりわずか数ヶ月違いではあったが、朱麗太子より秀真公主のほうが先に生まれていたのである。


 しかし女子は皇太子になれない。

 りゅう貴妃きひがそうであるように、公主の母では皇后になれない。

 そうして丹貴妃ではなく、数ヶ月遅れで男子を産んだ当時のはん貴妃きひが立后したのである。

 このことを嘆いた丹貴妃は、なんの罪もない秀真公主を酷く恨んだ。

 しかもただ恨むだけではなく、ことごとく蔑ろにしたのである。


 それは朱麗が死に、誠豊が立太子してからも続いた。

 だが妹の玉英公主は誠豊の立太子よりずっと前に生まれているけれど、決して秀真公主のようには扱わなかったという。


 見かねた范皇后が秀真公主を柳貴妃に預け、秀真公主は部屋を南側の宮に移した。

 そして柳貴妃とともに秀真公主の世話をしてきたのだが、表向きは柳貴妃一人が世話をしていることになっている。

 范皇后は丹貴妃の政敵とも言える立場だからである。

 朱麗を失っても、范皇后にはまだ碧霞、紺斐こんひという息子がおり、守らなければならなかったからである。


 秀真公主にはこれまでにも何度か縁談があったが、すべて母親の丹貴妃によって断られていた。

 だが少し前に持ち込まれた縁談はよほどいいご縁だったらしく、丹貴妃は相手を説得して妹の玉英公主との縁談に変えた。

 そればかりか妹の玉英公主は、わざわざ南の宮まで姉の部屋を訪れ、そのことを自慢げに話したというから、薔薇が 「本当に性格の悪い」 というのも無理もないだろう。


「お姉様より性悪かも……」


 話を聞いた琳瑶でさえそう思ったほどである。

 だが今回の件で姉妹も無事では済まない。

 丹貴妃の庇護を失う妹の玉英公主はもちろん、范皇后や柳貴妃の庇護下にある秀真公主も……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る