第伍話 丹貴妃の抵抗

 薔薇そうびに詮議の様子を話せと言われて承諾したそう英成えいせいだったが、どこから話せばいいものやら。

 一度は椅子に落ち着けた尻がすぐに落ち着かなくなる。


「その……あまりにも影響範囲が大きすぎて、正直、大変なことになっております」

「そのようですね」


 薔薇自身、王宮に着いてすぐ後宮には入れないと言われたものの、事情を話し皇后への取り次ぎを依頼したがなかなか返事が来ない。

 しかもそのあいだ門の前で待たされる始末。

 空いている控えの部屋を用意してもらうのにもずいぶんと時間が掛かった。


 待っているあいだ琳瑶りんようの安否が気がかりで気がかりでならなかった薔薇だが、勝手に動き回るわけにもいかず周囲の様子を見ていたから、かなりの騒ぎになっているだろうことは見当がついていたらしい。

 どこから話したものか思案げな英成の切り出しに、茶を飲みながらのんびりと返す。


誠豊せいほう太子と蘇妃そひは身柄を抑えられ、内廷の別々の部屋でお過ごしいただいております」

たん貴妃きひは?」

「あの方は……」


 言い掛けた英成は深く溜息を吐く。

 なんと丹貴妃は昨夜、翠琅すいろうたちに身柄を抑えられた誠豊息子を救うべく、冷宮の主寝室に乗り込んだというのである。


 夫の側室を寝とった息子。

 その現場に、いったいどんな気持ちで乗り込んだのか?

 しかも乗り込んだその時、直前まで寝台で睦み合っていた誠豊と蘇妃はほとんどなにも着ていない状態である。

 さらには誠豊は蘇妃のうしろに隠れ、翠琅と対峙していた。

 そんなみっともない息子を見てどう思ったのか?

 わからないけれど、丹貴妃は翠琅を怒鳴りつけたのである。


「皇太子に対してこれはなんの真似ですかっ!」


 吊り上げた眼で翠琅を睨みつけた丹貴妃は、威嚇をするように声を張り上げながら床を踏み鳴らす。

 だが翠琅は全く動じることはなかった。

 少し背を反らし気味に両腕を組んだまま、それまで誠豊に向けていた目をゆっくりと丹貴妃に向ける。


「……ここであなたが登場するのは予想外ですが、まぁいいでしょう」

碧霞へきか、立場を弁えなさい!」

「弁えるのはそちらでしょう。

 ご子息のこの様を見て、よくもまぁ……呆れたものだ」

「言葉に気をつけなさい!」

「探しに行く手間が省けたと思うことにしましょう。

 手が足りないようなので、増援が来るまでここで、ご子息と一緒におとなしくしていていただきましょう」

「碧霞!」


 事が明るみになれば丹貴妃も即座にくらいを失うだろう。

 だがこの時点ではまだ 「貴妃」 である。

 手荒に扱うわけにもいかず持て余す翠琅だが、その怒声に対して露骨にうるさそうな仕草をして丹貴妃の怒りに油を注ぐ。

 泰嬪たいひんこと蘭花らんかが入宮の挨拶の順番を違えた時は、その非礼を鷹揚に許した丹貴妃だが、これこそが彼女の本来の性格であった。


「あの方は……」


 英成の話を聞いて薔薇は小さく息を吐く。

 丹貴妃やはん皇后より十歳くらい若い薔薇だが、二人が入宮する以前には宴の席や茶会などで顔を合わせることがあり、時候の挨拶など手紙のやり取りをすることもあったという。

 今回はその縁で范皇后が久しぶりに薔薇とお茶を……という話に持っていきやすかったのだが、丹貴妃は詮議の場で范皇后にも反撃したという。


「実はあの夜、陛下が范皇后のお部屋を訪れていらっしゃったのです」

「そうなのですか?」


 これは後宮……いや、范皇后の都合なので薔薇も知らないことである。

 だがそのことを知っていた丹貴妃は、本当に翠琅が狙っていたのは皇帝の首。

 その皇帝が実母である范皇后の部屋を訪れる夜を狙って行動を起こしたのだ……などと言いだしたという。


「あの方にしてはずいぶんお粗末なことをしたものです。

 それで皇后様はなんと?」

「皇后におかれましては、今日予定されていた茶会のことで陛下に話したいことがあってお呼びしたと」


 范皇后がいうお茶会とは、もちろん薔薇とのお茶会のことである。

 本当になにも聞いていなかった薔薇は、いったいどういうことかと怪訝な顔をする。


「皇后が仰るには、その……」


 言い辛そうにする英成は、なぜか薔薇の隣にすわってお茶を飲んでいる琳瑶をチラリと見る。

 その意味がわからない琳瑶は 「なんでしょう?」 と答える。


「実は、えっと……琳瑶様は、その……」

「英成殿、はっきりおっしゃい!」


 薔薇にぴしゃりと言われ、英成も観念したらしい。

 だが先に訊いておきたいことがあるという。


「琳瑶様は今朝こちらの屋敷に着いたのではなく、姉君が入宮された日にこちらにいらしたことになっていることはご存じですか?」


 今度は琳瑶が、初めて聞く話に怪訝な顔をする。

 そして確かめるように薔薇を見る。

 すると薔薇はこともなげに返す。


「そういえばまだ話していませんでしたね」

「薔薇様……」

「ゆっくり話す時間がなかったのです。

 仕方がないでしょう」


 二人のやりとりを聞いて、なんとなく琳瑶も状況を理解する。

 あの日、琳瑶は予定どおり黎家の屋敷に辿り着き、今日までずっとこの屋敷で暮らしていたということになっている。

 つまり後宮での下女奉公はなかったことになっているのである。


 翠琅の計画では、冷宮の件で宮官長も失脚する。

 大きく改められる後宮人事のどさくさに紛れ、「リン」 という下女が在籍していたこと自体を抹消してしまう。

 そのためにも、琳瑶はあの日からずっと黎家の屋敷で暮らしていたことにしなければならないのである。


「知りませんでした。

 でも、わたしがなにか関係あるんですか?」


 范皇后が皇帝を自分の部屋に呼んだ目的に琳瑶がどう関わっているのか?

 話が繋がらないという琳瑶に先を促された英成は、躊躇いながらも諦めたように話を続ける。


「その、実は今日予定されていた茶会に、薔薇様は琳瑶様を連れてきているということになっていまして、ですね、范皇后は偶然を装って碧霞太子と琳瑶様を引き合わせようと……」


 どんどん様子がおかしくなってゆく英成は、ついには言葉を切って上目遣いに薔薇を見る。

 その視線の先で薔薇が静かに怒りをたぎらせる。


「英成殿、それはどういうことですかっ?」

「その……」

「お兄様はご存じのことだったのですかっ?」

「れ、れい大人たいじんは、その……」

「わたくしに断わりなく勝手なことを……」


 握りしめた手をブルブルと震わせる薔薇の怒りを恐れるように、英成は全身に変な汗を滲ませて言い淀む。

 知らないところで琳瑶の縁談を進められたのだから薔薇の怒りももっともだろう。

 英成はその薔薇の問い掛けに答えを濁したものの、黎大人こと黎家当主東雲とううんが知らないはずがない。

 だからいっそ、本当のことを言って薔薇の怒りの矛先を東雲に向けてしまえばいいのに、それはそれで東雲に知られればやはり英成が叱られるに違いない。

 まだ薔薇が琳瑶の縁談を知らなかった……いや、知らされていなかったというのはそういうことだろう。


 どう転んでも英成が怒られるのである


 結局今日の茶会ははじめから流れる予定だったのだから、皇后のそれ・・も、この場では 「そういう予定だった」 ということにしておけばよかったのに、英成の生真面目な性格がここでも裏目に出たのである。


「もう二度と、母はどこにも行きませんからね」


 少し前、そう言って琳瑶を安心させた薔薇。

 そう聞いて安心した琳瑶。

 だが二人はとても重要なことを綺麗さっぱり忘れていたのである。

 母はどこにも行かないが、娘は嫁に行くということを……。

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