第肆話 宋英成 弐

琳瑶りんよう様、ご無事でなによりでございます!」


 翠琅すいろうが連れていた恵彫けいちょうを思い出させるほどの大男ではないけれど、琳瑶よりずっと背も高く肩幅も広い男が突然土下座をしたのである。

 あまりにも突然のことで、驚きのあまり言葉を失った琳瑶が立ち尽くしていると、隣に立つ薔薇そうびが少し呆れた声であいだに入る。


英成えいせい殿、お立ちなさい。

 吾子が驚いているではありませんか」

「ですが……」


 伏したままのくぐもった声は、ばつが悪そうで先が続かない。


「とりあえず顔を上げなさい。

 それでは話も出来ません」

「はぁ……」


 それこそなにを謝っているのかもわからないと言われ、男はしぶしぶの体で頭を上げる。

 その顔を見て琳瑶は 「あ……」 と呟く。


「お母様、この人……」

「まずは琳瑶も、こちらへすわりなさい」


 そう言って薔薇が先にすわると、琳瑶もおとなしく 「はい」 と答えて薔薇の隣に掛ける。


「さぁ英成殿も。

 そこでは話が出来ないではありませんか」

「では……」


 やはりしぶしぶの体でゆっくりと立ち上がった男は、ばつが悪そうな顔を伏しがちに琳瑶たちと同じ卓に着く。

 その顔を見た琳瑶は改めて思う。


(やっぱりあの時の人)


 蘭花らんかが入宮する日、黎家れいかに行くつもりで支度をしていた琳瑶を、無理矢理後宮に連れて行こうとした蘭花の侍女たち。

 その道中ですれ違った男である。

 そんなことを考えながら男を見ていると、侍女がお茶を淹れて持ってくる。

 男にも新しい湯飲みが用意され、新たに茶が用意される。


「まずは……話をする前に紹介しましょう」


 茶の支度を整えた侍女が下がるのを待って薔薇が口を開く。

 男はなにか言いたげではあったけれど、やはりばつが悪そうな顔をして開きかけた口を噤む。

 男のほうは琳瑶を知っているからと、薔薇はまず、琳瑶に男を紹介することにした。


「こちらはそう英成えいせい殿。

 遣いで泰家たいかに行ってもらったこともあるから顔ぐらいは知っているでしょう」


 琳瑶は大きく頷きながら、あの日、道中ですれ違ったことを話してもいいものかと考えていたが、薔薇のほうからその話を持ち出してくる。


「あの日も、彩月さいげつに言われて一足先にそなたを迎えに行ったそうですが……まぁ仕方がありません。

 ああいうこともあります」

「本当に申し訳ございませんでした!」


 再び土下座でもしそうな勢いの英成だが薔薇に止められ、それでも卓にひたいを擦りつけて琳瑶に謝罪する。

 琳瑶は大袈裟だと思ったけれど、それは知らないだけで、あの日の黎家は結構な騒ぎとなったのである。

 もちろん一番騒いだのは薔薇である。


「よいと言っているではありませんか、英成殿」

「ですが、わたしがあそこで媛を保護出来ていれば、後宮で下女勤めなどしなくて済んだわけで……」

「なにを言っているのですかっ?

 昌子しょうし殿が下らぬことを考えたのが元凶です。

 あのクソ親父め、どこまで吾子を貶めれば気が済むのか……。

 あの小心者は保身のためなら頭が働くのです、本当に小賢しい」

「薔薇様、琳瑶様の前で父君を悪く言うのは……」

「英成様、大丈夫です。

 わたし、もうお父様を見限りましたから」


 常識人の英成は琳瑶を気遣うけれど、当の琳瑶は実にあっさりしたものである。

 もちろん見限るに至るまで実に色々とあったわけで、今回の下女奉公が決定打となったことは言うまでもない。

 それでも常識人の英成はなにか言おうとしたけれど、一瞬の間を置いて大きく息を吐くと、ゆっくり言葉を継ぐ。


「……さすが薔薇様の媛君ですね。

 腹の括り方が違うと申しますか、なんと申しますか。

 それから、わたしに様付けは不要です。

 琳瑶様のほうが身分は上ですから」


 どういう意味なのかと尋ねる琳瑶に薔薇が説明したところによると、まず琳瑶と英成に直接の血のつながりはない。

 だが英成の母親が黎家れいかの出身なので、全くないというわけではないという。


「英成様のお母様が黎家の方なら、英成様のほうが……」


 母親が黎家の出身というのなら、薔薇の娘である琳瑶も同じ。

 だが英成のほうが歳上だし男である。

 琳瑶が呼び捨てにしていい相手ではないと思われたが、続く薔薇の説明によると、英成の母親は黎本家の出身ではないという。


 現在の当主れい東雲とううんは薔薇の三人いる兄の一人で長兄に当たるのだが、兄弟の父である先代当主れい陽照ようしょうには弟がおり、その弟には娘が二人いる。

 その姉妹の姉れい康静こうせい宋家そうかに嫁いで産んだ子の一人が英成である。

 ちなみに妹のれい楊慶ようけいは東雲の妻で、琳瑶の叔母に当たる。


「泰家と宋家ではちょっとだけ宋家のほうが上ですが、琳瑶様はこれから黎家の一員となられますから」


 だから 「様」 を付ける必要はないと英成は話すが、おそらく泰家と宋家の家格差は 「ちょっと」 ではない。

 子どもの琳瑶に英成が気を遣ったのだろう。

 結局この話は、琳瑶が歳上の英成を呼び捨てには出来ないからこのまま 「様」 付けで呼ぶことになったが、最後まで英成は落ち着かない様子でなにか言いたそうにしていた。

 琳瑶はともかく、薔薇には逆らえず口を噤まざるを得なかったのである。


「それで……この忙しい時に王宮を抜けて、まさかと思うが、わざわざ琳瑶に詫びに来たのですか?」


 いきなり用件を切り出され、それも核心を突かれてまた英成は居たたまれなくなる。

 まさにそのとおりであった。

 表向きは琳瑶が無事に薔薇と会えたかを確認するためだが、実際は直接会って謝罪したかったのである。

 英成の生真面目な性格を知っている黎家の誰かが、それで英成の気が晴れるならと、本来なら下働きを走らせれば済むものを、わざわざ英成を屋敷まで遣ったのである。


「生真面目もよいが、先程も申しましたとおり全ての非は昌子殿にあります。

 すでに頭も下げたことですし、もうよいではないですか」

「ですが……」

「すでに兄上には無事吾子を取り戻した旨、手紙をしたためました。

 そなたとは行き違いになりましたが、用はそれで済むはずです」

「はぁ……では、わたしは王宮に戻ろうと思います」


 納得していないが、長居も無用である。

 浮かない顔で腰を浮かし掛ける英成を薔薇が呼び止める。


「いまさら急いで戻る必要もないでしょう。

 少し、王宮の様子を話してくださいな」

「その……」

「もちろん詮議の様子を事細かく話せとはもうしません」

「では少しだけ……」


 チラリと琳瑶を見て、それから再び椅子に腰を落ち着けた英成は、薔薇に促されるまま王宮での様子を話し出した。

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