第玖話 冷宮の秘密
「……いき……いき、が……」
薄暗い部屋の中、寝台の上に寝転がった
その様子を呆れた顔で見ている
その恵彫が卓のところから持ってきた椅子を寝台近くに置くと、翠琅はゆっくりと掛けながら恵彫に話し掛ける。
「慣れないことを頼んだわたしも悪いけれど、お前も少しは加減というものを覚えたほうがいいんじゃない?」
「申し訳ございません」
椅子に掛けた翠琅の側に控える恵彫は、大きな図体でかしこまる。
おそらくは恵彫も、十二歳の女の子が、灯りもないまま夜更けに一人で部屋を出るとは思わなかったのだろう。
あまりにも予想外の行動に驚き、琳瑶を無事に連れ戻すためのタイミングにばかり気をとられて力の加減を忘れたのだろう。
結果、容赦ない力で口を塞がれた琳瑶は息が出来なくなってしまったのである。
幸いだったのは、主寝室と琳瑶の部屋があまり離れていなかったことと、恵彫の足が速かったことだろう。
おかげで窒息死せずに済んだ琳瑶は、解放された寝台の上で必死に空気を吸い込む。
その様子が落ち着くまで待ってくれたのは翠琅の優しさだったのか、なんだったのか。
「そろそろいい?」
そう切り出した翠琅は、続けて
「まずはすわりなさい」
部屋に一つしかない椅子には翠琅が掛けているため、琳瑶は寝転がっていた寝台で上体を起こし、翠琅と向かい合うようにすわる。
それを見届けて翠琅は言葉を継ぐ。
「わたしは言ったよね?」
顔には笑みを浮かべていたけれど、全身からは不穏な気配を漂わせている。
それを隠そうともしないくせに顔には笑みを浮かべているのである。
「あなたはなにもしてはいけない、そう言ったよね?」
「う……」
「しかも頼んでいたことはしなかった」
「頼んでいたこと?」
最初はバツの悪さを覚えた琳瑶だったが、続けられる追及に首を傾げる。
すると翠琅は不穏な気配を強める。
「おやつを食べなかったことは褒めてあげる。
けれど合図をしなかったね?」
「あ……」
ようやくそのことかと気づいた琳瑶だが、説明をする間もなく翠琅が言葉を続ける。
「念のために監視を付けておいたけれど、それだって恵彫でなければどうなっていたかわからないんだよ」
あの場にいたのは老侍女の二人だけ。
老宦官がどこかに潜んで琳瑶を見張っていたらどうするつもりだったのか?
それこそ恵彫と老宦官が顔を合わせていたらとんでもない騒動になるところだったと、笑みを浮かべながらも続ける翠琅に、口を挟む隙を見つけられない琳瑶は閉口する。
代わって翠琅の遥か頭上から恵彫が口を開く。
「翠琅様、あまり強く仰らない方がよろしいかと。
周囲にあの宦官がいなかったことは自分が確かめておりましたので」
すると翠琅はわざとらしいほど大きな溜息を吐く。
それから、やはりわざとらしく言葉を継ぐ。
「お前も甘いね」
「手荒に扱ってしまいましたので」
どうやら琳瑶を、危うく窒息死させてしまいそうになったことへのお詫びのつもりらしい。
恵彫の不器用な律儀さに、翠琅はもう一つ溜息を吐く。
それから改めて琳瑶を見て口を開く。
「どうして合図をしなかったの?
わたしはあなたを巻き込みたくないと言ったはずだよ」
「あの、実はそれが……」
これ以上翠琅の機嫌を損ねないように、今日の夕食に菓子が付いていなかったことや老侍女たちの行動を、なるべく簡潔に、しかも早口に話す。
ところが琳瑶があまりにも簡潔にしすぎてわかりにくいところもあったらしく、翠琅は幾つか質問をしてその部分を補う。
事のあらまし自体は難しくないため、確認のような質問を二つ、三つほど。
翠琅なりの理解を終えると、チラリと恵彫を見る。
「あの宦官は加担していないということか?」
椅子にすわる翠琅の少し後ろで控える恵彫は、振り返るように見上げてくる翠琅の問い掛けにすぐには答えない。
変わらない仏頂面のまま、少しばかり間を置いてから答える。
「知らずに菓子を食べたのならそうかもしれません」
琳瑶が聞いた話では、老宦官は老侍女たちから食べるなと言われていた菓子を食べてしまい、琳瑶の代わりに眠りこけてしまった。
つまり老宦官はあの菓子の用途以前に、眠り薬が仕込まれていることさえ知らなかった可能性がある。
そうなると老侍女たちが琳瑶を眠らせようとした理由も知らなかった可能性がある。
「それに、日頃から侍女二人と宦官はあまり仲がよろしくないようです」
これ以上翠琅の機嫌を損ねないように黙って二人の会話を聞いていた琳瑶だが、恵彫の意見を支持するように何度も首を縦に振る。
「なるほど。
そもそも侍女たちと違って、あの宦官は自分のミスでこんなところに送られたわけだからね。
無能を仲間にしないのは賢明な判断だ」
(無能って……)
ずいぶん酷い言われようだ……と思う琳瑶だが、やはり黙っておく。
だが翠琅は逃してはくれなかった。
「それで……どうしてあなたはおとなしく寝ていなかったの?」
折角難を逃れたのにわざわざ危険を冒しに行く理由が全く理解出来ないと、くどくどしく説教をする翠琅に、琳瑶はしぶしぶながら、老侍女二人が冷宮を脱走する計画を企てているのではないかと疑っていたことを話す。
すると翠琅は、今夜一番の深い溜息を吐く。
「まさかと思うけれど、もしそうなら仲間に入れてもらおうと思っていたわけ?」
「それは……考えていませんでした」
本当に考えていなかった琳瑶は、翠琅の指摘でそんな方法があったのかと気づき、呆気にとられる。
「呆れたものだね。
まぁ仲間に入られても困るのだけれど」
「そういえば
それにあの男の人は……」
「あの側室を知っているの?」
「え? ……あ」
質問に質問を返されて自分が口を滑らせたことに気づいた琳瑶は、慌てて口を手で押さえるがもう遅い。
はっきりと 「蘇妃」 の名前を出してしまっており、翠琅もしっかりと聞いていた。
「あの……」
「大丈夫、怒ったりしないから。
ただ……どういう知り合い?」
琳瑶は下女として年季奉公に出されている。
この後宮で 「皇后」「貴妃」 に続く地位の 「妃」 と下女が顔見知りというのはおかしな話である。
しかもまだ奉公を始めて間もないこともあり不思議に思ったのだろう。
翠琅の質問に、琳瑶も正直にあの日のことを話す。
少し日が経っているので思い出しながら。
だから少し忘れている部分はあるかもしれないが、嘘は吐かず、包み隠さず。
「……なるほど、それで名前と顔を知っているのか」
話を聞き終えた翠琅は考えるように黙り込んだが、すぐに思い切るように話を続ける。
「その程度の関わりなら気にならないだろう」
「翠琅様?」
「あなたから眠り薬の件を聞いてこちらでも調べたんだよ」
翠琅も琳瑶を待たせているあいだ、ただ遊んでいたわけではない。
この数日……いや、もっと前から彼らはあることを調べていた。
そこで琳瑶から眠り薬のことを聞き、蘇妃に辿り着く手掛かりを得たという。
そもそもあの老女たちに眠り薬を手に入れることは出来ない。
もちろん絶対に出来ないわけではないけれどすぐに足がつく……はずなのに、二人の老侍女からは薬の入手経路が判明しなかった。
そこでこの後宮内にいて薬を入手する経路を考えた。
医局を管轄する
「最近蘇妃様の寝付きが悪い」
そう相談に来て、医局から眠り薬が処方されていたというのである。
他にも眠り薬を処方された側室は数人いたが、蘇妃の侍女はこの数日前にもまた、眠り薬をもらいに医局を訪れている。
さらに薬を菓子に入れ、その菓子を人知れず冷宮の老侍女たちに渡す……というところまでを追いかけ、蘇妃を確定させたという。
だから琳瑶から名前を聞き出すまでもなく、相手の側室が蘇妃であることを翠琅たちは知っていたのである。
しかも眠り薬入りの菓子を、老侍女たちが受け取ってすぐ琳瑶に食べさせるかわからなかったので、恵彫をはじめとする数人の武官が近辺に張り込んでいた。
これがこの日の全容である。
「……ちょっと、待ってください」
翠琅の話は理解出来た琳瑶だが、そこから見え隠れするものが大きすぎて酷く頭が混乱していた。
目眩を覚えそうなほどの情報量を、まずは整理することに努める。
そのために一番大事なことをはっきりさせることにした。
「あの! 蘇妃様と一緒に男の人が居たんですが……」
「うん?
ああ、相手のほうも知ってた?」
「いえ、でも蘇妃様が
「そう……
翠琅は整った顔に笑みを浮かべていたが、その薄い唇から紡がれる男の名に琳瑶は凍りつく。
「……
「もちろん知っているだろうけれど、この国の皇族の
「じゃあ誠豊様というのは……」
「次期皇帝ではあるけれど、まだ皇帝ではない」
表情を強ばらせながらも問う琳瑶に、翠琅は笑みを浮かべながら飄々と答える。
「でも蘇妃様は皇帝陛下の側室です。
どうして誠豊様と……」
「逢い引きの現場を見たでしょう?」
「ですが……」
「冷宮を隠れ蓑に、父親の側室と通じるなんてね。
全くたいしたことをしてくれるよ。
その剛胆さを政治力で発揮してくれればいいものを、あの碌でなしの猿め」
よりによって皇太子を 「猿」 呼ばわりする翠琅に冷汗の止まらない琳瑶は慌てるが、翠琅はさらなる言葉を吐き捨てる。
「汚らわしい」
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