第捌話 密会


 その日の夕食に菓子はついていなかった。

 そのことは琳瑶りんようもはっきりと覚えている。

 冷宮に来て以来続いている、独りぼっち静かな食事だった。

 だがいつもとは少し違うこともあった。

 なぜか食事を運んできた老侍女の機嫌が悪かったのである。

 少しピリついた感じもあった。

 けれど他にはなにもなく、食事自体はいつもどおり何事もなく終わった。


 配膳の時と同じく少しばかり乱暴な手つきで食器を片付ける老侍女は、いつも以上に溜息を吐いていた。

 そこもいつもと違っていた。

 最初は自分がなにかしたのかと思い、食事を摂りながらこの日の自分を振り返ってみた琳瑶だが、特に思い当たることはない。

 食事を終える頃に自分が原因ではないという結論を出すと、老侍女になにかあったのではないかと考える。

 だがそれについて尋ねることはしなかった。


 どうせ尋ねたところでなにも答えないのである。

 老侍女も老宦官も、用があれば話し掛けてくるが、琳瑶から掛ける言葉は無視しようとする。

 だがそれは出来る限り関わりたくないというより、なるべく仕事はしたくないといった感じである。

 以前に老侍女は老宦官の過去を、老宦官は二人の老侍女の過去を話してくれたが、それだって勝手に愚痴を口をこぼし、琳瑶はたまたまそこにいただけ。

 琳瑶の話し相手をしていたわけでもなく、話し相手をさせていたわけでもないのだろう。

 だから琳瑶も特に尋ねることはせず、静かに夕食を終えた。


 そしていつものように寝台に横たわる。

 冷宮に来た翌日以来、毎日のように繰り返した琳瑶の努力が実ったのか、寝台のかび臭さもずいぶんと薄れた。

 おかげで寝付きやすくなったけれど、寝具が薄いため、先輩下女にもらった綿入れが重宝している。


 この夜も肌着に綿入れを羽織って横になっていたのだが、うとうとし始めた頃、意識の遠いところで物音を聞く。

 おかげで覚醒してしまった。

 そのまま横になって眠ろうとしたのだが、ふと気がつくと覚醒を促した物音が近づいてきている。

 どうやら足音らしい。

 元々古い建物なのでどこもかしこもちょっとしたことで軋むのだが、後宮自体が静まる夜は特に音がよく響くのである。


 廊下に明かりのない冷宮は、周辺の建物にも人が居ないため夜になると真っ暗になる。

 琳瑶に使い古したわずかな蝋燭しか与えてないのは、おそらく夜に出歩かせないためだろう。

 そうやって老侍女たちも老宦官も、夜は琳瑶の監視をせずに休めるようにしているらしい。

 おかげで琳瑶も監視を気にせず静かにゆっくり休める。


 だからこんな時間に物音を聞くのは珍しい。

 そんなことを寝台に横たわったままぼんやり考えていると、足音がどんどん近づいてくる。

 さらには蝶番の軋む音まで聞こえてくる。

 おそらく居間の扉を開けたのだろう。

 どういうことなのかと考える間もなく琳瑶の寝室の扉が開けられ、小さな灯りとともに慌ただしい足音が入ってくる。


 二人


 おそらく老侍女たちだろう。

 なにかブツブツと話しているのも聞こえてくる。


「あのじじぃめ、あれだけ食うなと言っておいたのに食うとは。

 面倒なことをしてくれおって」

「まったくだ。

 おかげで手間が増えたじゃないか。

 食い意地の張ったろくでなしじじぃめ」


 どうやら老宦官がなにかしたらしい。

 そのことに老侍女たちは文句を言っているようだが……


(食うな?)


 つまり老宦官がなにか食べたらしい。

 とりあえず寝たふりをして様子を見ていると灯りが近づいてきて、瞼の向こう側が明るくなる。

 すぐ近くに人の気配もある。

 さらには話し声も。


「どうだい?」

「よく眠ってるね」

「まだ子どもだ。

 昼間なにか色々しているようだし、疲れているのだろう」

「なんの因果で身代わりをさせられたのかは知らないが、わしらの知ったことじゃない。

 余計なことさえしなけりゃいいさ」

「それよりあのじじぃだ、気持ちよく眠りこけやがって」

「まったく、二度と目覚めなきゃいいんだ」

「永遠の眠りにつきやがれ」


 そんなことを話しながら、足音や灯りを引き連れて遠ざかってゆく。

 すぐに扉の開く音が二回して、足音は外の廊下を遠ざかってゆく。


(どういうこと?)


 すっかり目が覚めてしまった琳瑶はゆっくりと体を起こす。

 老宦官がなにかを食べて眠りこけ、それを老侍女たちは怒っていた。

 そしてそれが原因で、二人は琳瑶が眠っているかをわざわざ確かめに来た。

 いや、確かめに来なければならなかった。

 それはつまり……


(ひょっとして、菓子を食べちゃった……とか?)


 老侍女が琳瑶に出す菓子には眠り薬が入っている、そう翠琅すいろうが話していた。

 だから次に出されたら食べてはいけないと言われていたのだが、ひょっとしたら今日の夕食にはまた菓子が出されるはずだったけれど、それをなんらかの理由で老宦官が食べてしまった。


 さらに翠琅が話していたところによると、老侍女たちは琳瑶を眠らせてなにかを企んでいる。

 琳瑶はそれを、後宮どころか冷宮からも出られない彼女たちが、なんらかの方法で脱走を企んでいるのではないかと考えた。

 今夜はそれを確かめる絶好の機会かもしれない。


「あなたはなにもしてはいけない」


 決して翠琅の忠告を忘れたわけではない。

 ちゃんと覚えてはいたけれど、なにもせずじっとしているのももどかしい。

 老侍女たちの弱味の一つでも握れたら、もう少し冷宮を自由に動き回れるかもしれない。

 冷宮の外に出ることが出来なくても、外の様子を教えてもらうことは出来るかもしれない。

 そんな言い訳を考えながら寝台を出た琳瑶は、足音を忍ばせてそっと寝室を出る。


 姿勢を低くして外の様子を見ながら廊下に出ると、隣の建物と冷宮を繋ぐ渡り殿を、隣の建物から冷宮に向かって小さな灯りが一つ、渡ってくる。

 高欄こうらんと柱に隠れて見ていると、手燭を持っているのが老侍女の一人であることがわかる。

 それにもう二人。

 高く結い上げた髪や衣装の感じから、おそらく一人は側室。

 ならばもう一人は付き添いの侍女だろう。

 三人は人目を忍ぶように無言で渡り殿を渡ってくると、琳瑶の寝室とは別の方向へと歩いて行く。


(側室様がどうして冷宮に?)


 新たに冷宮送りになったというわけではないだろう。

 もしそうなら見せしめを兼ねているから昼間に移動させるだろうし、侍女は一人も伴えないはず。

 でもだからといってこんな夜更けにひっそりと、側室が侍女一人だけを伴って出歩いているというのもおかしい。


 距離を置いてこっそりと三人のあとを付ける琳瑶は、小さな頭の中で色々と考えてみる。

 ひょっとしたら老侍女たちは、あの側室に取り入って侍女にしてもらい、それから後宮をあとにするつもりなのではないか? ……と考える。

 それならばこんな夜更けにこっそりと会っているのも納得出来る。

 琳瑶が思っていたような脱走計画ではないけれど、ありと言えばありなのかもしれない。


 老宦官は知らずに眠り薬入りの菓子を食べてしまったというから、おそらく計画には加担していないのだろう。

 だがもう一人の老侍女はどこに?

 そう考えた時、別の方向からもう一つ、小さな灯りが近づいてきていることに気づく。

 やはり柱と高欄の陰に隠れて様子を伺ってみると、手燭を持ったもう一人の老侍女を先頭に、ひと組の男女が続いている。


 少し距離があってよく見えないが、主人とおぼしき人物のすぐうしろを来るのは、衣装などからおそらく侍女だろう。

 そして主人は侍女に比べて背が高く、肩幅もある。

 それに着ている衣装も男物である。


 どういうことだろう?


 そう思いながら見ていると、双方はこの冷宮の主寝室の前で足を止める。

 正確には主寝室までは居室、次の間とあって、廊下から直接主寝室に入れるわけではない。

 だから双方が足を止めたのは、主寝室に繋がる扉の前ということになるだろう。

 先に扉の前に着いた側室とおぼしき人影はそのまま部屋には入らず、立ち止まって男とおぼしきもう一方の到着を待つ。

 すると声が聞こえてくる。


栄娘えいじょう


 やはり男のものである。

 暗さもあって顔はよく見えないが、静かなので声は意外なほどはっきりと聞こえてくる。


誠豊せいほう様、お会いしたかった」


 しっとりとした若い女の声が応える。

 すぐに老侍女やそれぞれが連れた侍女たちが 「お静かに」 とか 「とりあえずお部屋に」 などと慌てるが、意に介さない二人は互いに駆け寄ると強く抱きしめ合う。

 そして二つの灯りに照らされながら口づけを交わす。

 その二つの横顔を見て琳瑶はハッとする。


(あれって……蘇妃そひ様?

 ん? ……ということは、あの男の人は皇帝陛下?)


 あの日、侍女は 「こちらは蘇妃そひ栄娘えいじょう様です」 と紹介した。

 そして男は 「栄娘」 と呼んだ。

 おそらく琳瑶の見間違いではないだろう。


 だがなぜ疑問形なのかといえば、薔薇そうびがくれた手紙によると、この須彌しゅみ国の現皇帝は五十歳近いという。

 遠目ではあるが、誠豊と呼ばれた男はもっと若い。

 ひょっとしたら翠琅とあまり変わらないのではないかと思えるほど若く、とても五十路近い皇帝とは思えないのである。


 そもそも蘇妃は皇帝の側室である。

 人目を忍んで会う必要はない。

 それどころか、皇帝が望めば昼日中でも会うことが出来るはず。

 人目など全く気にする必要がない。


 これはどういうことだろう?


 琳瑶が答えを出す前に、二人は侍女たちに追い立てられてすぐそばの扉から部屋に入ってゆく。

 その姿が琳瑶から見えなくなるまで、二人は親しげに寄り添い、男は一方の手を蘇妃の腰に回し、もう一方の手で蘇妃の手を握っていた。


(……あの人は皇帝陛下ではない)


 では誰なのか?


 二つの灯りが室内に消えて周囲が暗闇に戻る。

 考えながら自分の部屋に戻ろうとした琳瑶は突然大きな手で口を塞がれ、瞬時に息と声が喉で詰まる。

 強い力で口を押さえつけられて首を回すことも出来ず、それでも逃げようと足掻いたが、圧倒的な力に捕らえられてしまった。

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