第漆話 琳瑶の立場


黎家れいかの媛がどういうものか、わかってる?」


 琳瑶りんようにとっては黎家の娘も泰家たいかの娘も同じ 「媛」。

 違いなんてないのだが、そもそも泰家の屋敷では異母姉の蘭花らんかばかりが大事にされ、琳瑶は散々蔑ろにされてきた身である。

 立場を自覚しろと言われてもすぐに出来るはずもない。

 だが翠琅すいろうは立場を自覚して自重しろというのである。

 意味がわからず困惑する琳瑶に、翠琅はさらに続ける。


「家と家が縁を結ぶ手段として、婚姻が一番手っ取り早いのはわかるね?」

「はい」


 十二歳の琳瑶にはピンとこない話である。

 それでも話を進めるためわかった振りをして答えるけれど、表情を見れば一目瞭然。

 翠琅はにっこりと笑みを浮かべる。


「全然わかっていない顔だね」

「そんなことはありません」

「あなたは考えていることが顔からだだ漏れだから」


 両手を自分の顔に当ててふくれっ面をする琳瑶に、翠琅は笑いながらも話を続ける。


「権門黎家と縁を結びたいと思っている貴族は多い。

 貴族どころか皇族の中にだって多いからねぇ。

 選ぶ立場は黎家だが、娘を嫁がせるより娘を嫁にもらったほうがいい。

 この理由はわかるかい?」

「わかりません」

「まぁたい大人たいじんは失敗例だけど」


 どうせ顔から漏れているのならと開き直った琳瑶も、そう聞けば思い当たることがある。

 父のたい昌子しょうしは翠琅の話す 「黎家の媛」 である薔薇そうびを妻に迎えた。

 だがまんまと艶麗えんれいの企みに乗せられて離縁。

 薔薇の娘である琳瑶を使って黎家を牽制する羽目になった、まさに失敗例である。


「……なんとなく、わかりました」

「娘を嫁がせてしまうと黎家の人間になってしまうけれど、黎家の娘をもらえば縁続きになれるし、さらに子が生まれれば血筋に黎家の血を入れることが出来る。

 まさにあなたがそれだね。

 泰大人たいじんとしては、あなたを手放したくはないんだろうけれど」

「でもっ!」


 父親の仕打ちを思い出して思わず声高になる琳瑶だが、その口元に翠琅が一本指を立てる。

 静かに……と。


「年季が明ける三年後、あなたは十五になる。

 そのまま屋敷に連れ戻して甥と結婚させるつもりだったみたいだね」


 つまりそれまで琳瑶を後宮という場所に下女として隔離し、悪い虫がつかないようにしたかったらしい。

 特に昌子にとって義父に当たる江流こうりゅうから。


「お父様……」

「泰大人に跡継ぎの男子はいないから、家長で居続けるにはそうするしかないからね。

 だからといって、行儀見習いとして泰嬪たいひんの侍女をさせるのならいざ知らず、媛を下女として働かせようって発想は頂けないけれど」


 最初はそういうことになっていたようだから、下女として年季奉公に出したのは艶麗と蘭花の仕業で昌子は知らなかったのではないか……と考えた琳瑶だが、れい彩月さいげつを前に 「三年」 という言葉を出したというから、やはり昌子もグルだろう。

 改めてあの三人は絶対に許さないと誓う琳瑶だが、もちろんその怒りは顔からだだ漏れになっている。


「あなたも、その歳で大変だね。

 でも黎家に行けばもっと大変になるよ。

 今から覚悟しておいで」

「お母様と一緒にいられるなら!」

「話には聞いていたけれど、本当に母君がお好きなんだね」

「翠琅様はお母様、お好きじゃないんですか?」

「わたし?」


 琳瑶の質問が意外だったららしく、翠琅は少しだけ目を見張る。

 だがすぐ元に戻ると、思案しながら答える。


「母上ねぇ……お忙しい方だからしょっちゅうお会い出来るわけではないし、正直、好きでも嫌いでもないないかな?

 女の子のマザコンは可愛いけれど、男のマザコンは嫁の来手がなくて困るしねぇ」

「そうなんですか?」


 今度は琳瑶が意外そうな顔をするけれど、翠琅はにっこりと笑うだけ。

 話を改めてくる。


「黎家にはすでに媛が一人いるけれど、あちらはちょっと立場が微妙だから」


 そう聞いて琳瑶が想像したのは蘭花のような人物像である。

 だが翠琅は、本人の性格はともかく、問題は本人のせいではないという。

 だから立場が微妙なのだともいう。


「父君が少々問題のある方でね」

「でも、それだとわたしもお父様が……」


 蘭花の件が露見すれば、父親である昌子もただでは済まない。

 薔薇を頼って黎家に行っても琳瑶の父はあくまでも昌子である。

 ならば琳瑶も立場は微妙なはず。

 だが翠琅は問題ないという。


「それについては心配ない。

 黎大人たいじんとしてはあなたが本命になるからね、黎家のほうで手はずを整えているはずだよ」

「手はず?」

「あちらで説明してもらいなさい。

 今、あなたが一番にすべきことは無事にこの後宮を出ることだから」


 ここでは話せない理由があるのか?

 あるいはただ翠琅が話すのが面倒なだけなのか?

 またあるいは他にもっと重要な話があるのか?

 わからないけれど、まずはこの後宮から出ることが先決である。

 それは琳瑶もわかるから、おとなしく 「はい」 と答えておく。


「そうそう、それでね、一つだけあなたにして欲しいことがある」

「なんですか?」

「あの侍女たちがあなたに菓子を食べさせようとしたら教えて欲しい。

 もちろん食べてはいけないよ」


 つまり老侍女たちが、またどこぞの側室からの差し入れとだと菓子を持ってきたら、食べずに、菓子が出されたことを翠琅に教えて欲しいというのである。

 やり方は、寝る前に廊下に面した扉を何回か開け閉めすること。


 それだけである


 手紙を書いてこっそりと渡すとか、柱に紐を結んで合図を送るとか、そういった隠密のようなことをするのかとドキドキしながら聞いていた琳瑶は、翠琅の話に拍子抜けする。

 そしてその様子を見た翠琅は呆れる。


「どこでそんなことを……」

「お母様がいろんな本を届けてくださるんです」

「なかなか困った母君だね、薔薇殿も……」


 もちろん扉の開閉は老侍女や老宦官に気づかれてはいけない。

 不審に思われては警戒されてしまうからである。

 そういったいくつかの注意を与えて翠琅は琳瑶の部屋をあとにする。

 だがこの数日後、不測の事態が起る。

 しかもそれは老侍女たちにとっても不測の事態だったのである。

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