第陸話 翠琅の話
「話をする前の大前提として、わたしはあなたの敵……というのは少し言葉が違うかな?
少なくともあなたに危害を加えるつもりはない。
もちろん陥れるつもりもないよ。
むしろ、どうやって安全に外に出すかを考えている側で……」
回りくどい
そして恐る恐る翠琅に尋ねる。
「……翠琅様、あの、ひょっとして、ですが……」
「うん?
ああ、そうそう、一番肝心なことを話していなかったね。
あなたが琳瑶媛ということはもちろん知っているよ」
後宮に下女として年季奉公に出されてから、懸命に正体を隠してきた琳瑶だが、実際には隠せていなかったという事実に茫然となる。
だが翠琅はそんな琳瑶に追い打ちをかける。
「本当に、まだまだ子どもだねぇ。
あなたは全然気づいていないようだったけれど、昼間の話だって、
「あ……」
十分に気をつけているつもりだった琳瑶は、全然気をつけられていなかった事実に気がつき、いまさらながらに冷汗をかく。
「まだまだ考えが足りないというか、甘いというか。
まぁとにかく、わたしのことは信用してもらいたい。
先程も話したけれど、髪飾りはある人物から預かった物で、ここから話をするのがわかりやすいかな?」
「わたしが声を掛けた人は、やっぱり黎家の遣いだったんですか?」
琳瑶の問い掛けに、翠琅はゆっくりと大きく頷いてから続ける。
「名前はなんといったかな?」
一度は思い出そうとする翠琅だが、まるで興味がないらしくすぐに諦める。
「聞いたような気はするけれど覚えていないねぇ。
まぁ名前なんてどうでもいいだろう。
気になるなら、黎家に行ってから自分で訊いてごらん」
「はい」
すでに琳瑶とその人物は会ったことがあり、隠す必要もない。
だから聞けばすぐに教えてくれるだろうし、ひょっとしたら本人と直接会えるかもしれないと話す翠琅に、琳瑶も素直に応える。
「この男は黎家の親族でね、以前にも
やはりあの時、琳瑶が見たことがあると思ったのは間違いではなかった。
納得する琳瑶がさらに聞かされたのはあの日のことである。
薔薇の 「一緒に暮らそう」 という言葉で黎家に行くことを決めた琳瑶は、大きくなったこと、もう子どもではないことを証明しようとして一人で黎家の屋敷までいくと主張。
だがもちろん薔薇は大反対。
手紙でのやり取りでは琳瑶が我を通したものの、やはり十二歳の子どもを一人で歩かせるのは危険すぎる。
そこで薔薇は甥の一人、
だが問題がある。
いつもは新しい衣装を入れた行李を運ばせる下男が二人、三人と遣いを合わせて三人、四人程度だが、今回は琳瑶の引っ越しである。
連れて行く下男の数も多い。
しかしこの日は琳瑶の異母姉である
大勢の下男を連れて泰家の屋敷に押しかけては皇帝の遣いの出立を邪魔してしまうため、どうしても時間をずらす必要があったのである。
もちろん琳瑶が先に家を出てしまうことも考えた彩月は、
「彩月も頭はいいのだけれど、少しね。
今回は
おかげでわたしは無駄足を踏まされた挙げ句、泰嬪に顎で使われたのだから」
なにかお仕置きをしてやらないと気が済まない……というのは、琳瑶が
豊衣があの場にいた理由は本人が話していた。
もちろんそれだって必ずしも本当とは限らないが、今となってはわからない。
そして翠琅は、泰嬪の部屋から豊衣の目撃情報を辿ってあそこまで辿り着いたのである。
では翠琅が泰嬪の部屋でなにをしていたのかと言えば、頼まれて琳瑶の所在を確認しようとしたのである。
そのことについては先日、
「最初は泰嬪の侍女をしていると
偶然通りかかった
そしてそこで偶然琳瑶と出会ったのである。
ただこの時点では彩月が、泰昌子がうっかり漏らした 「三年」 という言葉を思い出していなかったため、その下女が琳瑶であることに翠琅も気づいていなかったという。
「あの時点でわかっていれば、豊衣殿が行ったあとで話すことも出来たんだけど。
待たせてしまって悪かったね」
そう言って琳瑶の頭を撫でる翠琅だが、このあとがいただけない。
「文句はうっかり者の彩月に言ってやるといいよ」
「……翠琅様は聞いてくれないんですね」
「どうしてわたしが?」
なかなかの正直者である。
「あの、ひょっとして彩月様というのは……」
蘭花の入宮祝いを要求する昌子に対し、口上のみで済ませることにした黎家。
その言葉を伝えた遣いの男を思い出す琳瑶に、翠琅は思案げに答える。
「会ったことがあるかもしれないね。
薔薇殿には兄君が三人いて、
「わたしの従兄弟?」
「うん、そうだね」
「髪飾りはその彩月様から借りたんですか?」
「双子だよ」
「それは誰ですか?」
率直に訊き返す琳瑶だが、翠琅はふふふ……と笑うだけ。
なぜか答えてくれない。
それどころか話を変えてくる。
「それよりあなたのことだけど」
「はい?」
「もうしばらくここで大人しくしていてくれるかな?」
「まだ出られないんですか?」
少し口を尖らせるように訊き返す琳瑶に、翠琅はその頭をゆっくりと撫でながら答える。
「あなたをここから連れ出すには泰嬪を呼び戻す必要がある。
でもねぇ、その方法を考えるより、わたしはこの冷宮とやらを潰しておきたいと思って。
そもそもあることがおかしいわけだし、あの宮官長に灸も据えておきたい。
なによりもねぇ……」
ここまでを話した翠琅はおもむろに手を下ろし、大きく息を吐く。
その憂鬱げな様子を見て琳瑶もあることを思い出す。
老侍女が琳瑶に薬を盛って眠らせた理由である。
おそらくあの三人、あるいは老侍女二人がこの冷宮でなにかしているのだろう。
その邪魔をされないように、あるいは琳瑶に知られないように薬を使って眠らせたのだろう。
翠琅の話では、本来ならば侍女は主人と一緒に後宮を出ていくもの。
だが老宦官の話では、あの老侍女二人は先帝のお手つきで、主人である側室の悋気に触れて冷宮に追い遣られたという。
そこから琳瑶が想像したのは……
(まさか脱走計画っ?!)
生涯、後宮はおろか冷宮からも出られない二人が、なんらかの方法で冷宮から、あるいは後宮からの脱走を企てているのではないか?
その準備を知られないように眠らせたのではないかと考えて合点のいった琳瑶だが、残念なくらい今日も顔から考えていることがだだ漏れになっている。
その百面相を見ていた翠琅は、もう一つ、小さく息を吐いて言葉を継ぐ。
「先に言っておくけれど、あなたはなにもしてはいけないよ。
ちゃんと外に出してあげるから、ここで大人しく待っていなさい」
「でも……」
「どうもあなたは自分の立場をわかっていないようだね」
「わたしの、ですか?」
まるで話がわからない琳瑶に、翠琅はさらに言う。
「黎家の媛がどういうものか、わかってる?」
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