第玖話 冷宮の灰かぶり媛

 琳瑶りんようが蝋燭の明かり一つで、一人侘しく摂った夕食はおそらく下女と同じもの。

 しかも厨房から運ばれてくるあいだにすっかり冷めていた。

 だが食事にありつけただけでもありがたい。

 琳瑶が食事をするあいだ食事を運んできた老侍女は部屋の隅に控えていたが、食器を下げるとそのまま戻ってこなかった。

 琳瑶も、とりあえず余計なことを考えるのはやめてこの夜は早く休むことにする。

 下女の仕事着のまま、先輩下女からもらった綿入れを毛布代わりにして、机に突っ伏して眠った。


 朝になると少し体が痛んだけれど、解消の仕方は下女として働き始めた頃に学習した。

 とにかく体を動かす、これだけである。

 部屋の向きの都合で日中より朝のほうが明るいことがわかったから、部屋の片付けは午前中にしたほうがいいということもわかった。

 まずは寝台に置きっ放しにされていた蒲団を外に出し、痛みの少ないところを選んで廊下の高欄こうらんに干す。


 それから部屋の扉を全開にし、次の間の扉も全開にして空気を入れ換える。

 ただこれは気休めである。

 建物が密集しすぎていて日当たりが悪いだけでなく、風通しも悪かった。

 だが締め切りっぱなしよりはましだろう。

 ほどなく老侍女が朝食を運んできたが、琳瑶は扉を開けっ放しで摂った。

 昨夕と同じく食事を運んできた老侍女は部屋の隅で琳瑶が食事を終えるのを待っていたが、開けっ放しの扉を気にしたのは最初だけ。

 すぐに気にするのをやめて、琳瑶が食事を終えると食器を下げに行ってしまった。


 一人残った琳瑶は、もう一人の老侍女か老宦官を探す。

 掃除道具を借りようと思ったのだが、ついでに他の部屋を探索してみる。

 そうして本来の側室の部屋を見つける。

 明らかに他の部屋とは広さが違うその部屋を見て、琳瑶は違和感を覚える。

 建物全体が古く痛んでいるためその部屋も決して綺麗ではなかったが、明らかに他の部屋とは違っていた。


 誰かが住んでいる


 琳瑶がその部屋を覗いた時は誰もいなかったけれど、誰かが生活をしているような感覚を覚えたのである。

 その理由にもすぐに気がつく。

 掃除がされているのである。

 それに他に部屋と違ってかび臭さがない。

 おそらく定期的に空気を入れ換えるなど手入れされているだけでなく、わずかに……本当にわずかだが、こうを焚いた残り香がある。

 それがどんな匂いかわからないほどわずかだが……。


 やはり老侍女たちは琳瑶が泰嬪の身代わりとわかっていて、だから側室の部屋ではなく侍女の部屋を使わせているのだろうか。

 食事を運ぶなどの世話をしているのは、泰嬪はこの宮を出ることが出来ないから仕方なく。

 そう、泰嬪はこの宮を出ることが出来ないのである。

 なにかしらの理由で再び部屋移りにでもならなければ、後宮どころか、この冷宮からも出ることが出来ないのである。


 老侍女や老宦官は、琳瑶の正体はもちろん、身代わりにされた経緯を知らない。

 ただ可哀相な下女が身代わりにされたとでも思ったのかもしれない。

 だから最初は油断していたようだが、この探索がばれて以来、常に監視されることになる。


 探索中に偶然遭遇したもう一人の老侍女には、側室の部屋には近づかないように注意された。

 琳瑶は好奇心から理由を訊いてみたが老侍女は答えなかった。

 仕方がないので当初の目的である掃除道具の場所を訊く。

 最初は掃除道具が欲しいとだけ言ったのだが、老侍女たちは歩くのが遅い。

 だったら持ってきてもらうより、場所を教えてもらって使いたい時に自分で取りにいったほうが早い。

 そう思ったのだが、場所を案内する老侍女の足の遅さに、結局イライラさせられることになった。


 まずは掃除である


 たとえ冷宮を逃げ出すことが出来ても、結局後宮から出られなければ連れ戻されてしまうだろう。

 そして罰として食事を抜かれてしまうかもしれない。

 あるいはあのかび臭い部屋で謹慎させられるかもしれない。

 そう考えると迂闊に危険は冒せない。

 監視付きとはいえ、この宮から出られないとはいえ、自由に動けるに越したことはない。

 そうでなければ外と連絡を取る方法を探すことも出来ないだろう。


 だから闇雲に脱走を企てず、当面はこの冷宮で暮らすことを考える。

 本心を言えば一刻も早く母・薔薇そうびに会いたいけれど、そのことを考えるだけでも泣き出しそうになるけれど、下手に脱走を企てれば遠回りになるだけ。

 そう思って懸命に堪えることにしたのである。

 気を紛らわすためにも別のことを考えるのはよかった。

 そして第一に考えたのが生活環境の改善であり、掃除であった。


 幸いにして食事は一日二食、老侍女が運んできてくれる。

 下女と同じ食事なんて側室の口には合わないだろうけれど、元々琳瑶に好き嫌いはない。

 おまけに泰家の屋敷ではいつも蘭花に肉料理を取られていたが、欠片とはいえ下女たちの食事には肉が入っていた。

 老侍女の足が遅いため、運ぶ途中で冷め切ってしまうのもあきらめが付く。

 そうなると、第一にすべきは掃除となる。


 元々琳瑶が配属していた尚寝しょうしんの仕事は庭院の掃除ばかりではない。

 廊下などの掃除もあり、仕事に慣れるまでは庭院の掃除ばかりしていた琳瑶も、少し慣れてきた頃には他の下女に教えてもらって廊下などの掃除も覚えた。

 特に雨の日や雨上がりは、雨漏りのあとや濡れた廊下の掃除に尚寝の下女たちは駆り出される。

 まさかそれらがこんな形で役に立つとは琳瑶自身思いもしなかったが、とても役に立ったのである。


 だが水場が近くにないため、老宦官にいちいち桶に汲んできてもらわなければならないのだが、老侍女同様に老宦官も足が遅かった。

 こればかりはどうしようもなく、時間を無駄にしてしまう。


 しかも老侍女と老宦官は、掃除をする琳瑶を手伝うことがないのはともかく、そんな琳瑶の監視を酷く面倒くさがった。

 他にもすることがあって忙しいのにと文句を言うのだが、琳瑶が訊いてもそれらを教えようとしない。

 教えてくれたら少しは手伝ってもよかったのだが、どうしても琳瑶には知られたくないらしく、三人とも頑ななので仕方がない。


 気を遣っておとなしく部屋で過ごそうにもかび臭いし、そもそも琳瑶が三人に気を遣う理由も必要もない。

 それに動いているほうが考え事がしやすい。

 この冷宮から外に出る方法、さらに後宮から出る方法、そして豊衣に託した手紙の行方など琳瑶も考えなければならないことが沢山ある。

 だから三人の都合にはかまわないことにしたのだが、三人についてわかったこともある。


 老侍女たちの話によると、老宦官は若い頃にとんでもない失敗をして、その罰として冷宮付きにされてしまったのだという。

 そして老宦官の話によると、老侍女二人は若い頃に先帝のお手つきになり、仕えていた側室や亡き皇太后の悋気に触れて冷宮付きにされてしまったのだという。

 さらに老宦官が話したところによると、他にも先帝の手が付いた侍女は沢山いたが、二人だけが冷宮付きにされてしまったのは、当時、それなりに先帝の寵愛を受けていたのが原因だという。


「侍女とはいえ、子を為していれば側室として取り立てられたこともあったかもしれんが、まぁそういうことだ。

 だがそんな側室様にお仕えしていたんじゃ、子を孕んでも無事に産めたかどうかもわからんが……」 


 監視をする老宦官は、部屋の掃除に忙しい琳瑶を手伝うわけでもなく、遠い目をしながら独り言のようにそんなことを話していた。

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