第捌話 冷宮


「そいつよ、連れて行って頂戴」


 泰家たいかの姉妹、蘭花らんか琳瑶りんようは十七歳と十二歳の五歳違いの異母姉妹。

 母親の違う二人は似ておらず、年齢の差もあって別人であることは一目瞭然なのに、泰嬪たいひんを迎えに来たはずの宦官は蘭花に言われるまま琳瑶を連れて行こうとする。


 まだ若く、腕力のありそうな宦官である。

 侍女として振る舞わなければならないはずの蘭花だが、いつもと変わらない態度で若い宦官二人に命令をすると


「今生の別れだっていうのに全然淋しくないわ。

 不思議ねぇ~」


 そんなことを、連れ去られる琳瑶の背中に向けて言っていた。

 もちろん琳瑶にその顔は見えなかったけれど、どんな表情をしているかなんて見るまでもない。

 いつも泰家の屋敷で見ていた、あの嫌味な顔である。


 蘭花の前では言われるままに従っていた宦官たちだったが、琳瑶を連れて部屋を出たところで、どちらともなく 「けっ」 と吐き捨てる。

 それを皮切りに、二人とも無表情が崩れる。


「偉そうにしおって」

「もらうものはちゃんともらったし、忘れてしまえ」

「まぁばれてもわたしたちには関係ないしねぇ」

「そうそう」


(もらうもの?

 ……そういこと)


 背の低い琳瑶の、頭の上で交わされる二人の宦官の話を聞いて真っ先に思い出したのは先輩下女が教えてくれたこと。

 おかげでここまでの経緯に納得する。


 宦官はがめつい


 つまりこの二人は蘭花に買収されたのである。

 だから彼女は自分が泰嬪であることを隠そうとしないどころか、あんなにも堂々と偉そうにしていたのである。

 そんな蘭花の態度を不快に思いつつも、もらうものはもらったので最低限の仕事はするというのは、がめつい宦官たちの中でこの二人はましなほうなのかもしれない。

 蘭花にしてはまともな人選である。


 いや、おそらくはバリキャリ侍女たちの人選だろう。

 蘭花を置いて、彼女たちだけで泰家の屋敷に戻れば艶麗えんれいが黙ってはいないはず。

 それに蘭花がいなければ彼女たちの仕事はなく、余剰人員として解雇されるのが目に見えている。

 すべては仕事を失いたくない一心で考え、実行したのだろう。


 だが宦官たちの話には気になることがある。

 琳瑶と身代わりと知っていて冷宮に連れて行って、それがばれても自分たちは咎めを受けないと話している。

 普通ならそんなことは絶対にないはずだが……。


 そんなことを考えながらも琳瑶が連れて来られたのは、北側の建物の一画。

 建物と建物が軒を重ねるように密集した一画で、周りの建物より屋根などが低く完全に陰になっている。

 理由はわからないけれど、おそらくは周囲の建物が改修される中、取り残されてしまったのだろう。


 屋根には破れがあり、隣の宮から続く廊下も所々で床板が腐って穴が開いている。

 壁が崩れていたり、扉が外れ掛かった部屋も多くある。

 隣の建物との近さや日当たりの悪さを考えれば、いっそ取り壊して庭院にわにでもしてしまったほうがいい。

 そのほうが風通しもよくなるだろう。

 そんな建物をあえて冷宮として残しているらしい。


 二人の宦官に連れられた琳瑶が通されたのは比較的痛みの少ない部屋だったが、カビの臭いが酷く鼻につく。

 そんな部屋で、これから泰嬪としての琳瑶を世話する二人の侍女と宦官が一人、待っていた。


 三人ともかなりの高齢で疲れた表情をしていたが、まだ腰は曲がっておらず真っ直ぐに立っている。

 しかも連れて来られた琳瑶を見て一瞬驚いた表情を見せたから、おそらく本物の泰嬪でないことにも気づいたはず。

 でも三人ともなにも言わなかった。

 なにも言わず、立礼で 「泰嬪」 を出迎える。


「あとは頼む」


 そう言って二人の宦官が去って行くと、すぐに三人は無言で疲れたような顔を見合わせる。

 そして侍女の一人が琳瑶を奥の部屋に促す。


「どうぞ、こちらへ」


 建物全体の日当たりが悪いため、日中でも薄暗い部屋はガランとしてほとんどなにもなく、わずかに残る壊れた調度は埃を被っていて廃屋を思わせる。

 遅れてもう一人の侍女が手に箱を持ってやって来るが、入り口近くの床に置くと、またすぐに出て行ってしまう。

 しばらくしてまた戻ってきたが、その時は宦官も一緒で、宦官は卓を、侍女は椅子を運んできた。

 二人はそれらを部屋の適当なところに置くと、案内をしてきた侍女を合わせた三人で部屋を出て行く。


「食事はこちらへお運びします。

 蝋燭は無駄遣いなさいませんように」


 覇気のない声でそう言い残して。

 薄暗くかび臭い部屋に一人残された琳瑶は、包みを抱えたまま床に置かれた箱を覗きこむ。

 中には使い古されて短くなった蝋燭が何本か。

 それに蝋燭立てとマッチが入っている。

 無駄遣いをするなと言われたばかりだが、陽があるうちに部屋の様子を確かめておきたい。

 そう思い、早速蝋燭の灯りを使って部屋の中を確かめる。


 ずいぶん長い間使われていなかったらしい部屋は、一見すぐ使えるように思えるがどこもかしこも埃だらけで、寝台に置かれた蒲団は長い間放置されていたらしく湿っていてかび臭く、やはり埃が積もっている。

 今夜、この寝台で眠るのは厳しそうである。

 しかも日当たりの悪さを思えば、今まで琳瑶が寝起きしていた大部屋より朝晩は冷えるかもしれないが、これは先輩下女が持たせてくれた綿入れが役に立つ。

 だが床は埃が積もっているから、今夜は、先程運び入れられた椅子で眠るしかなさそうである。

 やはり綿入れが役に立ちそうである。


 泰家にある琳瑶の部屋よりも狭いこの部屋は、おそらく侍女の部屋だろう。

 側室のための主寝室がどこかにあるはずだが、琳瑶が泰嬪ではなく身代わりだから侍女の部屋に案内したのか、あるいは主寝室は使えないほど荒れてしまっているのか。

 特に老侍女たちから説明はなくわからないけれど、琳瑶も訊こうとは思わなかった。


 おそらく訊いても答えないだろうと思ったし、広い部屋を使いたいわけでもない。

 もちろん綺麗であるに越したことはないが、建物全体の痛み具合を考えればどの部家も似たり寄ったりだろう。

 それならば 「とりあえず今晩を過ごせる場所があるだけよかった」 そう考えることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る