第漆話 降って湧いた幸運からの……


 普通の部屋移りなら、全ての荷物を持って移動するもの。

 だが 「冷宮」 に部屋を移される側室は持ち物を制限されるのだという。

 そればかりか身の回りの世話をする侍女を一人も連れて行くことが出来ない。

 残される侍女たちは、新しい部屋に持って行けない荷物と一緒に実家に帰されるのである。

 そんなことになれば蘭花らんかの侍女たちは仕事を失うことになるかもしれない。

 いや、十中八九いとまを出されるだろう。

 そう考えれば、琳瑶りんようを迎えに来たバリキャリ侍女たちが思い詰めた顔をしていたのも理解出来る。

 理解は出来るけれど同情はなかった。


 出来るはずもない


 そうして無理矢理連れてこられた泰嬪たいひんこと蘭花の部屋はまさに引っ越しの真っ最中で、酷く散らかっていた。

 その中で不機嫌そのままに侍女たちを怒鳴り散らしていた蘭花は、連れて来られた琳瑶を見て、いつもの意地の悪い笑みを浮かべる。


「企んでるなんて人聞きの悪いこといわないで、相変わらず嫌な奴ね」

「だって、お姉様は側室で、側室は皇帝の許可なしに後宮の外には出られないって、決まりが……」

「そんなこと知ってるわよ!」


 機嫌の悪い蘭花は声を荒らげる。

 戻ってきたバリキャリ侍女たちに荷造りを任せた取り巻きの侍女たちだが、今回ばかりはさすがに主人の危機を理解しているらしい。

 いつもなら側にはべって蘭花をヨイショするのだが、今は部屋の戸口に立って外の様子を伺っている。


「わかっているのなら家に帰るなんて、言えるはずが……」


 バリキャリ侍女たちと会った時から……いや、安子あんしが目の前に現われた時からずっと嫌な予感がしていた。

 その予感がどんどん強くなってゆくのを感じながらも琳瑶は蘭花と対峙する。

 なんとなく蘭花の言いたいことはわかっている。

 冷宮に行くのが嫌だから家に帰ろうとしているのである。

 だがそんな勝手は許されないのが後宮である。

 おそらく蘭花もそれをわかっているから苛立っているのだろう。


「うるさいわね!

 あんたはわたしの言うとおりにしておけばいいのよ」

「嫌です」


 珍しく琳瑶が言い返したことに蘭花が驚くと、琳瑶はなおも言葉を継ぐ。


「仕事に戻ります」

「……すっかり下女ね。

 まぁあんたにはお似合いよ」


 鼻で笑う蘭花だが、琳瑶が仕事に戻ることは許さない。

 取り巻きの侍女たちが、外の様子を伺いつつ戸口を塞いでいるのである。


「きっと冷宮も似合うわよ」

「なにを……?」

「あんたには、わたしの代わりに冷宮に行ってもらうの」

「お姉様、なにを言ってるの?」


 琳瑶にはとても理解出来なかった。

 いや、言いたいことは理解出来た。

 つまり蘭花は琳瑶を身代わりにして、帰される侍女たちと一緒に後宮を出ようというのである。

 もちろんそんなことが露見すれば、逃げた蘭花はもちろん、身代わりにされた琳瑶だってただでは済まない。

 そもそも露見しないはずがない。

 十二歳の琳瑶に、十七歳の蘭花の代わりが務まるはずがないのだから。


(なんて無茶を考えるの?)


 だが蘭花はその無茶な作戦を実行するつもり満々である。

 おそらくはバリキャリ侍女の提案だろう。

 仕事を失いたくない一心で考えたとはいえ、あまりに奇策過ぎて到底成功するとは思えない。

 もちろん彼女たちも成功するとは思っていないはず。

 それでも他に方法がなかったのだろう。


「奇策っていうより、ここまで来ると愚策ね。

 そんなことをして、露呈したらただでは済まない。

 わかってるんですか?」

「露呈しないようにしなさい」

「だからそれが無理だと……」

「やれと言ったらやるのよ。

 このわたしが命令してるんだから。

 だいたいバレたら、あんたやわたしだけでなく、お父様やお母様もただでは済まないのよ。

 わかってる?」


 正直、蘭花はもちろん、父の昌子しょうしや継母の艶麗えんれいがどうなろうと琳瑶の知ったことではない。

 だが琳瑶から実母の薔薇そうびにまで累が及ぶことは避けたい。

 だから蘭花に関わることは嫌だったが、この状況では逃げ道がない。

 しかも蘭花がおかしなことを言い出したのである。


「だいたい元はあんたが入宮するはずだったんだから」

「…………なんの話?」


 初耳である。

 意外すぎる初耳にすぐには言葉が出なかった琳瑶だが、これは聞き捨てならない。

 停止しそうになる思考を無理矢理に動かして食下がる。


「だから、この話は元々あんたに来た話だったの」

「入宮するはずだったのはわたし?

 ……え? でも、入宮出来るのは……」

「そう、十五以上。

 でもあんたは……何歳いくつだっけ?

 まぁ何歳いくつでもいいわ。

 とにかく、あんたじゃ入宮出来ないし、でも折角来たいい話だからわたしが入宮したってわけ」

「……なに……それ……」


 後宮に入れるのは十五歳以上。

 これは官女や下女だけでなく、側室が連れてくる侍女はもちろん側室自身にも適用される条件である。

 それなのに十二歳の琳瑶に入宮の話が来たという。

 もちろん蘭花の話なので、どこまでが本当かわからない。

 わからないけれど、おかしすぎる話である。


 ただ 「だったら蘭花を代わりにしよう」 という発想に至った父や継母の思考はなんとなく理解出来た。

 そして降って湧いた幸運に蘭花が乗らないはずがない……ということも。


 だが一つ、納得出来たこともある。

 蘭花の 「薔薇の娘」 という前評判である。

 元々が琳瑶に来た話だったのなら、確かに 「薔薇の娘」 で間違っていなかったわけだ。

 それでも十二歳の琳瑶に入宮の話が来たことだけはどうしてもわからないが……。


「それよりちょっと!」


 不意に蘭花が侍女の一人に声を掛ける。


「あいつはまだ?」

「探して参りましょうか?」

「早くしないと、迎えが来ちゃうじゃない」


 誰を待っているのかと思えば、いつのまにかいなくなっていた安子である。

 どこに行っていたのかと思ったら、琳瑶が寝床を置いている下女用の大部屋の一つに行っていたらしく、手には包みを抱えていた。

 琳瑶の私物が入ったあの包み・・・・である。

 安子が琳瑶の部屋からこっそりと持ち出した古着を包んだ……。


 それにもう一つ、見慣れない綿入れを持っている。

 ずいぶん古い物だが、安子の話では、琳瑶の私物の場所を教えてくれた尚寝の下女が


「前にあげる約束をしていた物なんだ。

 こんな急に移動になるなんて知らなかったから、袖なんかを詰めてやるつもりだったんだけど……」


 琳瑶が急に移動になったという安子が吐いた嘘を信じた先輩下女は、手紙を代筆したお礼にあげると言っていた綿入れを、自分の年季が明けるまでに渡せるかわからないから一緒に持っていってくれと預けたらしい。

 安子はそれらをまとめて琳瑶に押しつけるように渡す。


「なんか、きったないですねぇ」


 そんなことを言いながら。

 自分は、今度こそ蘭花の侍女に戻してもらえるから、もっと綺麗な服が着られるなどと言って酷く喜んでいる。


「あんた、まだお姉様を信じてるの?」


 それこそどこまで馬鹿なのだろうと呆れる琳瑶だが、やはり安子はどこまで行っても安子だった。


「なに言ってるんですか!

 こういう事態に備えて、あえて蘭花お嬢様はわたしを下女として琳瑶お嬢様を監視させていたんです。

 実際わたしのおかげで、こうやってすぐに琳瑶お嬢様の居場所がわかって捕まえられたわけですし」

「ただの偶然よ」

「そんなわけありません」

「あるから」


 偶然以外のなにものでもないと琳瑶は言うけれど、安子が信じようと信じまいとどうでもいい話である。

 見れば蘭花はすでに侍女たちと同じ衣装を着ている。

 きっとこのまま彼女たちと一緒に後宮を出て行くつもりなのだろう。


 そして身代わりに仕立てた琳瑶には、下女の仕事着を家から持ってきた古着に着替えさせようとしていたのだが、予定していた以上にどこかで時間を食ってしまったらしい。

 迎えの宦官が来てしまい、仕方がないので 「下女の仕事着に着替えて逃げようとしていた」 ことにして琳瑶を宦官に引き渡したのである。


 そうして琳瑶が連れて来られた通称 「冷宮」 では、老いた侍女二人と、やはり老いた宦官一人が待ち受けていた。

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